どれぐらいの時間が経ったのだろうか?
 姉の声はパタリと聞こえなくなり、心の中でザワザワしたものが落ち着いていき私は大きく溜息を吐いた。
 だけどそれは姉が落ち着いたからではなく、居なくなったから。
 その現実に、落ち着いたはずの胸のざわつきがまた私を責めてくる。

 ドアを開け階段を一段一段降りていくと、先生が待ってくれていた。
「未咲ちゃん。明日香ちゃん落ち着いて行ってくれたから大丈夫だからね」

 返事も出来ずただ呆然とその姿を見ると先生のズボンも湿っていて顔や腕には複数の引っ掻き傷があり、暴れた姉に傷付けられたのだと察せられる。
「……あ、これ? 大丈夫、慣れたもんだから。それよりお風呂入ってきたら? 足濡れて気持ち悪いだろうし」

「これ、母のですけど。先に入ってください」
 引き出しより出して来たのは母が生前に着用していた部屋着で、心の整理がつかず捨てられなかった物の一つだった。

「ありがとう、貸してもらうね。先に入って来なさい。風邪引くと大変だから」

 促されるまま濡れて冷たくなっていたズボンを脱ぎ、浴室に入った私は温かなシャワーを浴びる。
 備え付けられている鏡を覗き込むと目の下は隈が濃くなっていて、やつれていて、肌はカサカサしていて、ケアをしていない髪は伸びっぱなしでバサバサだった。
 その姿はとても高校三年生には見えず鏡より目を逸らすと、その先は浴槽。そこにははしゃぐ声もお湯でぷかぷか遊ぶ姿はなく、私はシャワーを浴びながら目をギュッと閉じた。

 一人お風呂場より上がってくるとリビングからは出汁の香りがして、鍋の中には味噌汁が出来ていた。

 髪を乾かしてくるように言われてそうしている間に先生はサッとお風呂に入り、テーブルに食事を並べていく。ご飯、野菜炒め、味噌汁、サラダ。こんなこと、一体いつぶりなのだろうか?

「美味しいです」
 最近何を食べても、味なんてしなかったのにどうしてだろう?
 全て食べ終わり立ち上がって食器を片付けようとするも、片付けるから好きなことしててと先生は台所に私を入れようとしなかった。

 ……好きなこと?
 充電中のスマホを触るも、あるのは姉が好きな幼児用アプリばかり。テレビは見てないし、動画も分からないし、本なんてずっと読んでない。
 私は何が好きなのだろうか?

「先生、帰らなくて大丈夫ですか?」
「うーん、今日は未咲ちゃんを一人に出来ないな。大人として」
「……ごめんなさい」
 先生に迷惑をかけてしまった。私の突発的な行動のせいで。

「迷惑じゃないからね。むしろお泊まり会みたいで楽しいぐらいだし。良かったら、一緒に寝ない?」
「……はい」
 先生は私の考えを先回りして、返してくれる。
 私が言えなかった言葉を。

 好きなことをして良いと言ってもらったけど私はやはり何をして良いのかが分からず、ただぼんやりとカーテンを開け星々を眺めていた。
 ……私って空っぽな人間だな。
 カーテンレースを強く握り締めながら、時間が過ぎるのを待った。

「おやすみなさい」
 だいぶ遅い就寝時間。寝室に布団を二つ引いて、共に横になる。
 だけど私は目を閉じることもなく、チラッと京子先生の方に目をやる。

「どうしたの?」
「いえ」
 タオルケットをガパッと被った私は、緩んでしまった口元を見えないようにと懸命に隠す。

 ……子供の頃、姉は母と同じ布団で寝ないと落ち着かなくて、二人はいつも一緒に眠っていた。
 だけど一週間だけ、私が母と同じベッドで眠れたことがあった。
 あれは年長の時。保育園で激しい腹痛に襲われた私は、救急車で病院に運ばれ盲腸と診断された。
 二、三日腹痛に苦しんだ上に手術になってしまい、痛く苦しかったはずなのに、良い思い出として残っている。
 だって。