辿り着いた海はやたら波が高く、広がる空は薄い雲に覆われて太陽は一向に姿を表さない。

「今日はこっちでやるぞ。絶対海に近付くな!」
「……うん」
 本来私が言わないといけない注意ごとを姉に言ってくれ、二人は海より離れて砂山を作り始める。


「何かあったか?」
「え?」
 キリが良いところでお茶休憩だと戻ってきた五十嵐くんは私が座っていた石垣の隣にドカッと座り、付近で遊んでいる姉に視線を送りながらそう声をかけてくれた。

「お前ら、こんな顔してるぞ? 俺じゃあるまいし。何があった?」
 眉間に皺を寄せ、口を一文字にした姿を私に見せてくる。それは学校で見せている五十嵐くんの顔だった。

「私が全部悪いの……」
 その言葉を口にした途端、喉がヒリつき熱くなる。体の中から、自分の本性が出てきてしまいそうで私は慌てて口を噤む。
「どうせ、くだらねーケンカだろ? 両成敗なんだよ」
 理由を言わない私に、軽くそう流してくれる。

「姉と私がケンカして? 普通に考えて私が悪いに決まってるのに?」
「は? 何でそうなるんだよ? ……分かる方が我慢しろってか? くっだらねー。それならお前も分からないフリしろ。物事つーのはな、優しい奴が損するようになってるんだ。お前のような奴がな」
 あまりにもあっけらかんと答える姿に、また私の心に温かなものが沁み込んでいく。
 まただ。五十嵐くんはこうやって溜まっていくシュワシュワとしたものを、そっと蓋を開けて抜いてくれる。

「……まあ、事情は知らねーけど、自分が悪いって言ってる人間が全部悪いのかは疑問だからな」
 だけどこの優しさはまた別の気持ちを降り注いでいき、抑えられなくなっていく。

「……俺の兄もさ、そうゆう人だった」
 頬杖を付き、ポツリとそう呟いた。
「え? お兄さん居たの?」
 ご両親のことは会話の流れで聞いたことがあったけど、そこにお兄さんが出てきたことは一度もなかった。だから、てっきり一人っ子だと思っていた。

「まあな」
 荒れる波を眺め、遠い目をする。
 そんな哀しい表情、初めて見た。
「兄は優しい人だった。なんでも俺に譲ってくれ、ジュースもおやつも先に選ばせてくれた。自分より俺が行きたい場所に連れて行ってくれた。どんなわがままも聞いてくれた。自分より家族、自分より周りの人間、自分より見知らぬ他人。……お前みたいな人だった」
「私?」
 こちらに合わせた目は物悲しく、光がない。
 私を見ることで、五十嵐くんが苦しそうな表情をする。
 それは、この言葉を告げるのに充分なものだった。

「だからさ、お前は……」
「五十嵐くん」
「あ?」
「今まで、ありがとう」
 目を逸らし上空に流れる雲を眺めながら、そう口にした。

「……は?」
 目を丸くし、どんどんと強張っていく表情。だけど私は、別れの言葉を続ける。

「もう、夏休みは終わる。後は私がお姉ちゃん見るから、もう大丈夫。本当にありがとう」
 立ち上がり頭を深く下げる。初めてこの海で会った時みたいに。
「やめろよ。これから秋が来るだろ? 土日や三連休だってあるし。お前は極端なんだよ!」

「秋が来て、冬が来て、春が来る。そしたら私達は同級生じゃなくなる。そうゆうことだから」
 私の言葉に、意味が分からないと言いたげな表情。
 そっか。あなたはそういうことで、人を押し図る人じゃないんだね。
 住む世界が変わる。そうゆうことなんだよ。

 看護師になる為に未来に向かって真っ直ぐな道を進むあなたと、何の目標もなくただ生きていくだけの私。
 そんな私達が釣り合うはずもなく、私はあなたに目も当てられなくなるだろう。
 あなたはこれから様々な出会いがあり、新たな世界を知っていく。だけど私は、何も変わらない。
 そんなあなたと一緒に居ることが苦しい。離れていくあなたの背中を見るのが苦しい。
 私はあなたといると、「求められている私」で居られなくなってしまう。