「未咲、先生なんだってー?」
教室に戻ると生徒の殆どが居らず、亜美は自席に座り渚にショートヘアを綺麗にまとめてもらっている。
可愛い亜美は渚のヘアアレンジにより、大人っぽい雰囲気に変わっていく。
「あ、何でもないの」
亜美の問いかけにニコッと笑える私は、まだ大丈夫。
「……そう?」
手を止めた渚は私の顔を見て何かを言おうとしたようだけど、すぐに口を閉ざし手を動かしていく。その気遣いに、私は何度救われてきたのだろうか。
木村渚に、原田亜美。二人は小学校からの友達で小中高と同じ学校だった。
渚はカッターシャツは第一ボタンを外してリボンを緩く付け、膝上丈のスカートからは細くて長い足がスラッと伸びている。私より頭一つ分背が高く、キリッとした目はカッコよく顔立ちが整っている。美人なのにそれを鼻にかけず、ソフトテニス部の部長としてチームメイトを引っ張り活躍している。
亜美もカッターシャツを緩く着こなしラフにリボンを付け、膝上丈にしている。私より目線がやや上の顔立ちは可愛く、ボブカットの猫っ毛。大きな目に長いまつ毛。いつも上がっている口角は馴染みやすく、ホワンとした雰囲気を漂わせている。渚と同じくソフトテニス部に所属している。
私達が暮らす町は本当に田舎で小中高と二校ずつしかない為交友関係も狭いが、逆を言えば親密な友達関係を築けるという利点もある。
現に渚と亜美はずっと仲良くしてくれていて、部活動の入部有無などの違いで人間関係変わりそうだけど、そんなこと関係ないと声をかけてくれ一緒に学校生活を送ってくれている。
もう十年以上の付き合いで何をキッカケに仲良くなったのかは忘れてしまったけど、二人はかけがいのない大切な友達だ。
二人の顔に心安らいでいると、渚は「時間、大丈夫」と眉を下げる。
「あっ」と言いながら亜美が指した教室前方の柱時計に目をやると、長針は1を差していた。
時間!
「ありがとう! また明日!」
「うん、気を付けてー」
二人はソフトテニス部でこの後練習がある為、毎日ここで別れる。
朗らかな表情で手を振ってくれる二人に振り返ることなく、私はパタパタと教室より駆けていく。
廊下を走れば、これから始まる部活の練習がダルいと話している男子達。これからどこに行くとか、話し合っている女子達。
ダルいと言いつつ横並びになり部室に向かい、カラオケかカフェかを決められず円になり話している姿はキラキラとしている。
そんな声に息が苦しくなるのは、今走っているからだ。
振り返る時間もなく歩いている生徒の邪魔にならないように駆け抜けて階段を下りていくと、先程のキラキラが打ち消される声と音。
「マジでサイアクなんだけど!」
生徒用玄関のコンクリートにローファーを叩きつけるダンッという音が、私の鼓膜を不快に揺らした。
咄嗟に玄関前の柱にサッと身を隠すと、そこに居たのは西田さんと友達の田所さん。その声は尖っていて、怒っているのは明らかだった。
「一人無条件に抜けられたら、確率上がるに決まってんじゃん! やってられんわ、マジで!」
「本当! 部活やバイトしてる子だって居るのに何で一人だけ優遇されてんの? 授業中居眠りしてても放置とか、宿題して来なくて良いとか、休んで良いとか意味分かんないしー。ムリして高校来なくて良いのにね? ずっと家で世話してろよ!」
「そうそう。良い子ちゃんぶってるの、ムカつくんだよね! あー、学校辞めてくんないかなー!」
止まらない言葉の数々が、棘のように全身に刺さっていく。名前は言ってないけど、その内容が当てはまるのは私しかいない。
しかも二人の主張はもっともなことで、迷惑かけているのは事実。
否定も出来ない現実に、口の中が酸っぱいもので満たされていく。
どうしよう。時間ないけど、靴履き替えないと出られないし。それに……。
必死に色々考えて頭の中に会話が入ってこないようにするけど、嫌でも右から左へと流れ脳内に刻み込まれていく言葉の数々。
気付けば全身がカタカタと震えていて両手の平で耳を塞ぐも、聞こえてくる悪声。
どうすることも出来ない私は背中を冷たい柱に預け、唇を噛み締め目をギュッと閉じる。
すると上靴を床に擦り付けながら歩く足音が僅かに聞こえ、目の前をスッと横切る気配。
歩き方から誰かは明確に分かる。いつも一人でいる男子。誰に何を言われても毅然としていて、相手を睨み付けて黙らせてしまう。
……私もそれぐらい強かったら……。
喉の奥にある言葉を飲み込むことしか出来ない私は、そんなどうしようもない感情がただ駆け巡ってしまった。
「痛っ!」
「ちょっと、謝るぐらいしないの!」
……え、何?
ドクンと大きく鳴った胸を抑え、目をパチリと開ける。
より一層の尖った声にそっと覗き込むと、肩を抑え男子を睨み付ける西田さん。見てはいなかったけど、状況的に通り過ぎようとした男子の肩や学生カバンが西田さんにぶつかってしまったようだ。
「はぁ? こんな所、突っ立てる方が悪いんだろ? 帰る人間の邪魔すんなよ!」
西田さん達以上に尖った声を張り上げた男子は、三人を凝視する周囲の目も気にせず靴を履き替えズカズカと帰ってゆく。
五十嵐健太くん。五十嵐くんは理系の方で、一年から同じクラス。
私達の学年は一クラスしかなく文理混合の為、三年間みんな同じで五十嵐くんのこともよく知っている。
カッターシャツのボタンを二つ開けて青いチェックのネクタイを緩く締め、ズボンも同様に緩く履き、学生カバンの紐を乱雑に握り締めている。私の頭一つ分以上に高い背丈から五十嵐くんはおそらく一七〇センチ以上身長があり、スラッとしている。ふわっとした黒髪に、キリッとした鋭い目付き。口はいつも一文字で、たまに開かれた口から出る言葉は尖ったものばかり。
「何なの、あの根暗!」
「大体、五十嵐ってさー。睨み付ければ何とかなるとか思ってない?」
「あー、分かる! それでダルい水泳とかマラソン、パスしてるしねー。こないだなんてさー」
腕を組み、声のトーンがより大きくなったかと思えば、話がいつの間にか私から五十嵐くんに変わっていて、体の震えも止まっていた。今のうちに……。
何も聞いていないフリを決め込んだ私は、自分の靴箱だけに視線を向けただの背景の一部になりすまそうと努める。
私はクラスで透明な扱いなんだから。
「あ、渡辺さん」
出来るだけ音を立てず気配を消したつもりだったけど当然そんなんで誤魔化せるはずもなく、先程までとは違う落ち着いた声で話しかけられた。
その瞬間に、ドクンと嫌な音を鳴らす心臓。額からは冷や汗が流れ、足が地に着かずふわふわとしたような錯覚を起こす。
「これから、お姉さんの迎え?」
「うん」
だけど表情だけはニッコリして、私は平然を装う。だって色がなくても、私はここに存在するのだから。
「いやー。すごいよねー」
「本当! 私には絶対マネ出来ないー!」
マスカラをしっかりした目を合わせて「ねー!」と軽快に話し、巻いた髪を指で触る姿。視界がグラっと揺れたような気がした私は、玄関外より見える入道雲に一瞬視線を逸らした。
何とも分からない感情が、胸の奥で蠢く。
「慣れたら大丈夫だよ。ごめん、時間だから」
なんとかいつも通りの声で話し、自分の靴箱から学校指定のローファーを取り出す際に二人から背向けた私は目をギュッと閉じる。
大丈夫、いつもの私に戻れるから。
「じゃあ、また明日」
口角を上げ振り返った私は目線を二人ではなく、靴箱より出した茶色のローファーに向け瞬時に履き替えを行う。緩んでいた髪ゴムをギュッと締め直し、肩に掛けていた学生カバンを力強く握り締めて、生徒用玄関より外へ駆け抜けて行く。
するとカラッとした日が差していて、初夏の香りが私の周りに漂っていたジメジメとした空気を掻き消してくれたような気がした。
教室に戻ると生徒の殆どが居らず、亜美は自席に座り渚にショートヘアを綺麗にまとめてもらっている。
可愛い亜美は渚のヘアアレンジにより、大人っぽい雰囲気に変わっていく。
「あ、何でもないの」
亜美の問いかけにニコッと笑える私は、まだ大丈夫。
「……そう?」
手を止めた渚は私の顔を見て何かを言おうとしたようだけど、すぐに口を閉ざし手を動かしていく。その気遣いに、私は何度救われてきたのだろうか。
木村渚に、原田亜美。二人は小学校からの友達で小中高と同じ学校だった。
渚はカッターシャツは第一ボタンを外してリボンを緩く付け、膝上丈のスカートからは細くて長い足がスラッと伸びている。私より頭一つ分背が高く、キリッとした目はカッコよく顔立ちが整っている。美人なのにそれを鼻にかけず、ソフトテニス部の部長としてチームメイトを引っ張り活躍している。
亜美もカッターシャツを緩く着こなしラフにリボンを付け、膝上丈にしている。私より目線がやや上の顔立ちは可愛く、ボブカットの猫っ毛。大きな目に長いまつ毛。いつも上がっている口角は馴染みやすく、ホワンとした雰囲気を漂わせている。渚と同じくソフトテニス部に所属している。
私達が暮らす町は本当に田舎で小中高と二校ずつしかない為交友関係も狭いが、逆を言えば親密な友達関係を築けるという利点もある。
現に渚と亜美はずっと仲良くしてくれていて、部活動の入部有無などの違いで人間関係変わりそうだけど、そんなこと関係ないと声をかけてくれ一緒に学校生活を送ってくれている。
もう十年以上の付き合いで何をキッカケに仲良くなったのかは忘れてしまったけど、二人はかけがいのない大切な友達だ。
二人の顔に心安らいでいると、渚は「時間、大丈夫」と眉を下げる。
「あっ」と言いながら亜美が指した教室前方の柱時計に目をやると、長針は1を差していた。
時間!
「ありがとう! また明日!」
「うん、気を付けてー」
二人はソフトテニス部でこの後練習がある為、毎日ここで別れる。
朗らかな表情で手を振ってくれる二人に振り返ることなく、私はパタパタと教室より駆けていく。
廊下を走れば、これから始まる部活の練習がダルいと話している男子達。これからどこに行くとか、話し合っている女子達。
ダルいと言いつつ横並びになり部室に向かい、カラオケかカフェかを決められず円になり話している姿はキラキラとしている。
そんな声に息が苦しくなるのは、今走っているからだ。
振り返る時間もなく歩いている生徒の邪魔にならないように駆け抜けて階段を下りていくと、先程のキラキラが打ち消される声と音。
「マジでサイアクなんだけど!」
生徒用玄関のコンクリートにローファーを叩きつけるダンッという音が、私の鼓膜を不快に揺らした。
咄嗟に玄関前の柱にサッと身を隠すと、そこに居たのは西田さんと友達の田所さん。その声は尖っていて、怒っているのは明らかだった。
「一人無条件に抜けられたら、確率上がるに決まってんじゃん! やってられんわ、マジで!」
「本当! 部活やバイトしてる子だって居るのに何で一人だけ優遇されてんの? 授業中居眠りしてても放置とか、宿題して来なくて良いとか、休んで良いとか意味分かんないしー。ムリして高校来なくて良いのにね? ずっと家で世話してろよ!」
「そうそう。良い子ちゃんぶってるの、ムカつくんだよね! あー、学校辞めてくんないかなー!」
止まらない言葉の数々が、棘のように全身に刺さっていく。名前は言ってないけど、その内容が当てはまるのは私しかいない。
しかも二人の主張はもっともなことで、迷惑かけているのは事実。
否定も出来ない現実に、口の中が酸っぱいもので満たされていく。
どうしよう。時間ないけど、靴履き替えないと出られないし。それに……。
必死に色々考えて頭の中に会話が入ってこないようにするけど、嫌でも右から左へと流れ脳内に刻み込まれていく言葉の数々。
気付けば全身がカタカタと震えていて両手の平で耳を塞ぐも、聞こえてくる悪声。
どうすることも出来ない私は背中を冷たい柱に預け、唇を噛み締め目をギュッと閉じる。
すると上靴を床に擦り付けながら歩く足音が僅かに聞こえ、目の前をスッと横切る気配。
歩き方から誰かは明確に分かる。いつも一人でいる男子。誰に何を言われても毅然としていて、相手を睨み付けて黙らせてしまう。
……私もそれぐらい強かったら……。
喉の奥にある言葉を飲み込むことしか出来ない私は、そんなどうしようもない感情がただ駆け巡ってしまった。
「痛っ!」
「ちょっと、謝るぐらいしないの!」
……え、何?
ドクンと大きく鳴った胸を抑え、目をパチリと開ける。
より一層の尖った声にそっと覗き込むと、肩を抑え男子を睨み付ける西田さん。見てはいなかったけど、状況的に通り過ぎようとした男子の肩や学生カバンが西田さんにぶつかってしまったようだ。
「はぁ? こんな所、突っ立てる方が悪いんだろ? 帰る人間の邪魔すんなよ!」
西田さん達以上に尖った声を張り上げた男子は、三人を凝視する周囲の目も気にせず靴を履き替えズカズカと帰ってゆく。
五十嵐健太くん。五十嵐くんは理系の方で、一年から同じクラス。
私達の学年は一クラスしかなく文理混合の為、三年間みんな同じで五十嵐くんのこともよく知っている。
カッターシャツのボタンを二つ開けて青いチェックのネクタイを緩く締め、ズボンも同様に緩く履き、学生カバンの紐を乱雑に握り締めている。私の頭一つ分以上に高い背丈から五十嵐くんはおそらく一七〇センチ以上身長があり、スラッとしている。ふわっとした黒髪に、キリッとした鋭い目付き。口はいつも一文字で、たまに開かれた口から出る言葉は尖ったものばかり。
「何なの、あの根暗!」
「大体、五十嵐ってさー。睨み付ければ何とかなるとか思ってない?」
「あー、分かる! それでダルい水泳とかマラソン、パスしてるしねー。こないだなんてさー」
腕を組み、声のトーンがより大きくなったかと思えば、話がいつの間にか私から五十嵐くんに変わっていて、体の震えも止まっていた。今のうちに……。
何も聞いていないフリを決め込んだ私は、自分の靴箱だけに視線を向けただの背景の一部になりすまそうと努める。
私はクラスで透明な扱いなんだから。
「あ、渡辺さん」
出来るだけ音を立てず気配を消したつもりだったけど当然そんなんで誤魔化せるはずもなく、先程までとは違う落ち着いた声で話しかけられた。
その瞬間に、ドクンと嫌な音を鳴らす心臓。額からは冷や汗が流れ、足が地に着かずふわふわとしたような錯覚を起こす。
「これから、お姉さんの迎え?」
「うん」
だけど表情だけはニッコリして、私は平然を装う。だって色がなくても、私はここに存在するのだから。
「いやー。すごいよねー」
「本当! 私には絶対マネ出来ないー!」
マスカラをしっかりした目を合わせて「ねー!」と軽快に話し、巻いた髪を指で触る姿。視界がグラっと揺れたような気がした私は、玄関外より見える入道雲に一瞬視線を逸らした。
何とも分からない感情が、胸の奥で蠢く。
「慣れたら大丈夫だよ。ごめん、時間だから」
なんとかいつも通りの声で話し、自分の靴箱から学校指定のローファーを取り出す際に二人から背向けた私は目をギュッと閉じる。
大丈夫、いつもの私に戻れるから。
「じゃあ、また明日」
口角を上げ振り返った私は目線を二人ではなく、靴箱より出した茶色のローファーに向け瞬時に履き替えを行う。緩んでいた髪ゴムをギュッと締め直し、肩に掛けていた学生カバンを力強く握り締めて、生徒用玄関より外へ駆け抜けて行く。
するとカラッとした日が差していて、初夏の香りが私の周りに漂っていたジメジメとした空気を掻き消してくれたような気がした。



