翌日、私はボーとする頭をなんとか動かし家事をこなしていく。夜の食器を片付けて和室に二人分の布団を敷き、お風呂を入れる準備をすれば時刻は十九時半。姉に出したおもちゃを片付けるようにと声を掛けにリビングに戻る。
「お姉ちゃん、お風呂入れるから……」
私の声を聞いた途端に姉の体はビクッとなり後ろ手でパッと何かを隠したかと思えば、目をキョロキョロさせてくる。
「どうしたの?」
問いかけに返答せず唇をギュッと噛み締め、俯いてしまう姉。それは明らかに後ろめたい表情を浮かべており、誰の目にも何かしたと感じ取れる。
姉は自らイタズラをする性格ではないし、困らせようとする気持ちはない。だからこんな表情を浮かべるのは、何かを過失で壊してしまった時だ。
「見せて。怒らないから」
わざとやったことではないし、命に関わることではない。だから怒らないと決めており、私は姉に手を伸ばし出すように告げる。
「……みーちゃん。ごめんなさい」
私の手の平に乗せられたのはゴムテグスと、バラバラになったボールビーズ。それは私のブレスレットだった。
「……あ」
言葉を失い、瞬きを忘れ、口を閉じることすら忘れ、ただ呆然と蛍光灯の光で輝くビーズを眺めていた。
このブレスレットをくれた時の五十嵐くんは、渡し方はぶっきらぼうで、でも目は柔らかくて優しくて。
私達双子の持ち物は、姉はピンクで私は赤と決めている。そんな話を聞いた後だったのに、五十嵐くんはあえて私にピンクのブレスレットを作ってくれた。
嬉しかったのに。
手の平に乗せられたボールビーズは歪んで見えてきて、もう直らないと錯覚していく。
あの時の嬉しかった気持ちや思い出まで、バラバラに壊されたような気がした。
「ごめんなさい。グイッってなって、ブチって……」
私は、よほど怖い顔をしていたのだろう。姉の言葉はどんどんと小さくなり、最後には消えていた。
「……ひどいよ。これ五十嵐くんがくれたのに! 私にって作ってくれたのに!」
突然上げた声に、姉の表情は強張っていく。
姉はわざと物を壊すわけではない。力加減や指先の不器用さのせいであり、悪いことをしたと分かっている。
なのに、私の口は止まらない。
「お姉ちゃんはズルいよ! みんなお姉ちゃんのこと心配して、気にかけて、大切に思われて! お母さん、お父さんの気持ちまで独り占めして! ……五十嵐くんだって、いつもお姉ちゃんを気にかけて! 名前で呼ばれて!」
感情のまま荒らげた言葉に、ハッとなり口元を抑える。
何言ってるの、私は?
「うわあああああああ!」
堰を切ったように声を上げた姉は、拳で自分の頭に何度も叩きつけ、ひっくり返って足をバタバタとさせる。
パニックだ。しかも大きい方の。
「ごめんね、怒ってないからやめて!」
個人差はあるけど姉の場合は抱き締められるのが一番落ち着くようで、私は泣いて暴れる姉を強く抱き締める。
代わりに頭を叩かれても、指が髪に引っかかって抜けてしまっても、バタバタとする足に蹴られても、私は姉から体を離さない。
酷い言葉をぶつけたと謝り続け、怒ってないと嘘を吐き、ただ落ち着くのを待つ。
もし落ち着かなかったら、姉は痙攣を誘発してしまうから。
体がビクンとなり、手足がガタガタと震え、呼吸が乱れる。意識がなくなって、呼びかけに反応しなくて、目の焦点すら合わなくなってしまう。
私はこの状態になるのが、怖い。
だってこのまま、姉の意識が戻らなかったら。
笑ってくれなくなったら。
呼吸が止まってしまったら。
お母さんみたいに死んでしまったら。
お父さんと私は、また家族を失ってしまう。
だから私は目を閉じて、心に蓋をする。
だって、そう言わないと姉は落ち着かないから。
私が我慢することで落ち着いてくれるなら、私はそうするしかないから。
一時間が経った頃。姉は泣き疲れて、そのまま眠ってしまった。
当然ながらお風呂や着替えなんて出来る状態ではなくタオルケットをかけ、付近に敷布団をそっと敷く。
本当は布団で眠って欲しいけど今体に触れると、そこからまたパニック状況に戻ってしまうことがある。
だから、どうしようもない。
部屋を見渡すと物が散乱しており、棚に片付けてあった教科書や学生カバンなどを拾い上げ、一つずつ戻していく。家電や壁を蹴らなくて良かったと、小さく溜息を吐きながら。
最後に手に取ったのは、ゴムテグスとバラバラになったビーズの粒。それを手の平サイズのジッパー袋に入れ、私の机にそっと仕舞う。
……姉は悪くない。
私達姉妹は持ち物が混在しないように姉の物はピンク、私の物は赤と識別していた。
だから私のと間違えたのだろう。
姉は失敗に弱い。私達なら誠心誠意謝ることを考えたり他の物を用意するなど対応を考えるけど、それが出来ず失敗から立ち直れない。
だから短絡的に隠そうとしたり、感情のまま泣いてしまったり、どうしていいか分からず立ち尽くしてしまったり、不安な気持ちを抑えきれずパニックを起こし頭を叩いて暴れたりしてしまう。
だけど不安な気持ちを必死に抑えて、謝ろうとしていた。
そんな姉に、私は捲し立ててしまった。身勝手な感情をぶつけてしまった。
……前は許せたのに。
以前にも壊された、母がくれたネックレス。
あの時なんて亡くなった母の遺品で、部屋に置いてあった大切な物を持ち出して壊したのに、私は許した。
だって、あれは母がいつも付けていた物だったから。
だって、キラキラとしていて綺麗だったから。
だって、鍵の引き出しに入れておかなかったのは私だから。
だから仕方がないって諦めるしかなかった。
それなのにどうして?
小学生だった私は許せたのに、どうして今回は許せなかったの?
名前で呼ばれたいなんて。初めは妹呼びで全然良かったのに、どうしてそんなこと望むようになったの?
姉と五十嵐くんが二人で手を繋いでいる姿にモヤモヤして、私はどうしてしまったの?
その瞬間に私を襲う、胸が熱く焦げ付くような痛み。
押し寄せる溢れんばかりの想いが私のペットボトル内に一気に蓄積され、どんどんと溢れていく。
……どうしよう、抑えられない。
こんな痛みと苦しみがあるなんて、初めて知った。知ってしまった。
「お姉ちゃん、お風呂入れるから……」
私の声を聞いた途端に姉の体はビクッとなり後ろ手でパッと何かを隠したかと思えば、目をキョロキョロさせてくる。
「どうしたの?」
問いかけに返答せず唇をギュッと噛み締め、俯いてしまう姉。それは明らかに後ろめたい表情を浮かべており、誰の目にも何かしたと感じ取れる。
姉は自らイタズラをする性格ではないし、困らせようとする気持ちはない。だからこんな表情を浮かべるのは、何かを過失で壊してしまった時だ。
「見せて。怒らないから」
わざとやったことではないし、命に関わることではない。だから怒らないと決めており、私は姉に手を伸ばし出すように告げる。
「……みーちゃん。ごめんなさい」
私の手の平に乗せられたのはゴムテグスと、バラバラになったボールビーズ。それは私のブレスレットだった。
「……あ」
言葉を失い、瞬きを忘れ、口を閉じることすら忘れ、ただ呆然と蛍光灯の光で輝くビーズを眺めていた。
このブレスレットをくれた時の五十嵐くんは、渡し方はぶっきらぼうで、でも目は柔らかくて優しくて。
私達双子の持ち物は、姉はピンクで私は赤と決めている。そんな話を聞いた後だったのに、五十嵐くんはあえて私にピンクのブレスレットを作ってくれた。
嬉しかったのに。
手の平に乗せられたボールビーズは歪んで見えてきて、もう直らないと錯覚していく。
あの時の嬉しかった気持ちや思い出まで、バラバラに壊されたような気がした。
「ごめんなさい。グイッってなって、ブチって……」
私は、よほど怖い顔をしていたのだろう。姉の言葉はどんどんと小さくなり、最後には消えていた。
「……ひどいよ。これ五十嵐くんがくれたのに! 私にって作ってくれたのに!」
突然上げた声に、姉の表情は強張っていく。
姉はわざと物を壊すわけではない。力加減や指先の不器用さのせいであり、悪いことをしたと分かっている。
なのに、私の口は止まらない。
「お姉ちゃんはズルいよ! みんなお姉ちゃんのこと心配して、気にかけて、大切に思われて! お母さん、お父さんの気持ちまで独り占めして! ……五十嵐くんだって、いつもお姉ちゃんを気にかけて! 名前で呼ばれて!」
感情のまま荒らげた言葉に、ハッとなり口元を抑える。
何言ってるの、私は?
「うわあああああああ!」
堰を切ったように声を上げた姉は、拳で自分の頭に何度も叩きつけ、ひっくり返って足をバタバタとさせる。
パニックだ。しかも大きい方の。
「ごめんね、怒ってないからやめて!」
個人差はあるけど姉の場合は抱き締められるのが一番落ち着くようで、私は泣いて暴れる姉を強く抱き締める。
代わりに頭を叩かれても、指が髪に引っかかって抜けてしまっても、バタバタとする足に蹴られても、私は姉から体を離さない。
酷い言葉をぶつけたと謝り続け、怒ってないと嘘を吐き、ただ落ち着くのを待つ。
もし落ち着かなかったら、姉は痙攣を誘発してしまうから。
体がビクンとなり、手足がガタガタと震え、呼吸が乱れる。意識がなくなって、呼びかけに反応しなくて、目の焦点すら合わなくなってしまう。
私はこの状態になるのが、怖い。
だってこのまま、姉の意識が戻らなかったら。
笑ってくれなくなったら。
呼吸が止まってしまったら。
お母さんみたいに死んでしまったら。
お父さんと私は、また家族を失ってしまう。
だから私は目を閉じて、心に蓋をする。
だって、そう言わないと姉は落ち着かないから。
私が我慢することで落ち着いてくれるなら、私はそうするしかないから。
一時間が経った頃。姉は泣き疲れて、そのまま眠ってしまった。
当然ながらお風呂や着替えなんて出来る状態ではなくタオルケットをかけ、付近に敷布団をそっと敷く。
本当は布団で眠って欲しいけど今体に触れると、そこからまたパニック状況に戻ってしまうことがある。
だから、どうしようもない。
部屋を見渡すと物が散乱しており、棚に片付けてあった教科書や学生カバンなどを拾い上げ、一つずつ戻していく。家電や壁を蹴らなくて良かったと、小さく溜息を吐きながら。
最後に手に取ったのは、ゴムテグスとバラバラになったビーズの粒。それを手の平サイズのジッパー袋に入れ、私の机にそっと仕舞う。
……姉は悪くない。
私達姉妹は持ち物が混在しないように姉の物はピンク、私の物は赤と識別していた。
だから私のと間違えたのだろう。
姉は失敗に弱い。私達なら誠心誠意謝ることを考えたり他の物を用意するなど対応を考えるけど、それが出来ず失敗から立ち直れない。
だから短絡的に隠そうとしたり、感情のまま泣いてしまったり、どうしていいか分からず立ち尽くしてしまったり、不安な気持ちを抑えきれずパニックを起こし頭を叩いて暴れたりしてしまう。
だけど不安な気持ちを必死に抑えて、謝ろうとしていた。
そんな姉に、私は捲し立ててしまった。身勝手な感情をぶつけてしまった。
……前は許せたのに。
以前にも壊された、母がくれたネックレス。
あの時なんて亡くなった母の遺品で、部屋に置いてあった大切な物を持ち出して壊したのに、私は許した。
だって、あれは母がいつも付けていた物だったから。
だって、キラキラとしていて綺麗だったから。
だって、鍵の引き出しに入れておかなかったのは私だから。
だから仕方がないって諦めるしかなかった。
それなのにどうして?
小学生だった私は許せたのに、どうして今回は許せなかったの?
名前で呼ばれたいなんて。初めは妹呼びで全然良かったのに、どうしてそんなこと望むようになったの?
姉と五十嵐くんが二人で手を繋いでいる姿にモヤモヤして、私はどうしてしまったの?
その瞬間に私を襲う、胸が熱く焦げ付くような痛み。
押し寄せる溢れんばかりの想いが私のペットボトル内に一気に蓄積され、どんどんと溢れていく。
……どうしよう、抑えられない。
こんな痛みと苦しみがあるなんて、初めて知った。知ってしまった。



