「お前、すげーな」
「え?」
突然放たれた言葉に、何を言っているのか理解出来なかった。
「いやあ、姉さん。気抜けねーし、一人で見るの大変だろ?」
「慣れたらね……」
私は、ははっと笑う。
だって、笑うしかないことだから。
「余計な世話だけどよ、支援サービスとか頼まねーの? 地域の補助とか色々あんだろ? 支援の学校通ってるってことは、療育手帳は持ってるよな?」
五十嵐くんの口から、そんな言葉が出てくるなんて。
色々と勉強しているからこその発言だと、よく分かる。
「ああ見えて、人見知りすごいの。学校の先生や私以外だと、泣いて暴れて頭叩いちゃうんだよね……」
気付けば私は、亜美にも渚にも話したことがない姉の現状を深く話していた。
「え……?」
五十嵐くんが唇をグッと噛み締める姿から戸惑いの感情が伝わってくる。普通そうだよね。
「……双子ってことは今、高三だよな? 卒業後とかどうする気なんだ?」
「一応、通所のデイサービスを利用予定かな? 学校に頼んで紹介はしてもらってるけど、後はお姉ちゃん次第だからね」
「お前だよ。卒業後どうする気なんだ?」
こちらを見つめる目は真っ直ぐで、私は逸らすことが出来なかった。
「まずはお姉ちゃんの生活が落ち着いてからだな。そしたら近くのスーパーとかコンビニでバイトして、少しでも家計を助けたいしね」
父が転職出来るように、少しでも早く。
「良いのかよ?」
「うん。お姉ちゃんがデイサービス行ってくれないと、家で見ないといけないからね」
京子先生と、にこやかに遊ぶ姉を見つめる。
それは母と娘が仲睦まじく過ごしているように見え、姉は優しい京子先生に母を重ねている。
姉がかろうじて学校に通えるのは、母に似た担任の先生が受け持ちをしてくれているから。だけど、あの先生が居てくれても時折気持ちが崩れてどうしようもなくなる。
だからこそよっぽど合う職員さんが居てくれないと、他の預かりは絶対に無理だろう。
田舎町だからこそ通所や訪問のサービス事務所は少なく、比例して人も少ない。そんな人見つけられることなんて、おそらくないだろう。
「だから私が見たら良いかなって……」
溜息混じりの声が、茜色の空へと消えていく。
私達は早産で生まれたこと、姉は脳出血の後遺症で知的障害を抱えたのだと話した。
私は一、三キロ超えだったけど、姉は八百グラムもなかった。だからリスクが高かったらしく、脳出血を起こして一週間ほど生死の境を彷徨った。
なんとか一命は取り留めたけど、生きていくには大きなハンディを背負った。そうゆうことらしい。
横に目をやると、そこには石垣に放置された三百五十ミリリットルのペットボトル。
蓋が閉まったまま放置されたそれを目にした私は、とある言葉が脳裏に過っていた。
「お姉ちゃんの心は、小さなペットボトルに入った炭酸飲料みたいなもので、その蓋が上手く閉められない。そう主治医の先生が言っていたの」
「炭酸? 蓋?」
「うん。炭酸って少しの衝撃で吹き出すじゃない? 私達の心は大きなペットボトルに入ったジュース。よほどのことが無い限り吹き出したり、溢れたりしない。だけどお姉ちゃんは元々の受け皿であるペットボトルの容量が少なくて、刺激に敏感な炭酸が蓄積され満杯状態なんだって。少しの衝撃を受けたら緩いキャップは外れて中の炭酸飲料は吹き出してしまう。それがパニック状態。そう教えてもらったの」
目を閉じると過ぎる。姉がパニックを起こしている光景が。地面ににひっくり返って、手を握り締めて頭を強く叩き、喉が切れそうなほどに大声で叫び、足をバタバタとさせ、止まるほどのない涙を流す。
見てる方は勿論辛いけど、当然ながら姉はもっと辛い。
大声を出して泣くのは、怖いから。頭を叩いたり足をバタつかせるのは、感じた恐怖を打ち消す為。
私達が見たら異質に思う動きにも理由がある。
姉は混乱が多い世界で一人戦っている。
だから私が受け入れないと。
「俺達だってあるだろ? 容量」
「え?」
いつの間にか閉じていた目を開けると、五十嵐くんはこちらを真っ直ぐな目を向けていた。
「それに炭酸を注がれる日だってあるだろ? ブンブン振られることだってあるし、ギャップだって万能じゃねーし。そもそも容量あっても、注がれ続けたらいつか溢れるだろ? たまには中身抜かねーとお前だって吹き出すぞ?」
その言葉によって胸に手を当てると、奥の方でシュワシュワとした物が抜けていくような気がする。
そっか、私にも容量ってあったんだ。
「ありがとう。でも私の蓄積率はだいぶ減ったかな? 五十嵐くんのおかげで」
「はあ? ……お前もたまには、行きたい場所考えろよ?」
「うん!」
体をうーんと伸ばすと、一面に広がるのは茜色に染まった海にふわふわと浮かぶ入道雲。それはさっきと同じ物のようで、まるで私達を待ってくれているみたい。
「ねえ、五十嵐くんについても教えてよ? バイトしてると言ってたよね? どんな仕事してるの?」
「接客」
単調な一言返答。
「嘘!」
「悪かったな!」
いつもと同じくブスッとした表情は、何だか可愛く思えてしまった。
「じゃあ将来の夢は?」
「……看護師」
消えそうなほど小さな声だったけど、そうハッキリ聞こえた。
「え?」
「何なんだよ、悪いか!」
より眉間の皺を深くした五十嵐くんは、顔をあっちの方へと向いてしまう。
「え、違うよ!」
……すごいなって、思ったんだよ。
「お前、あの先生に憧れてるだろ?」
「え!」
図星を突かれた私はピクッとなり、瞬きも忘れて五十嵐くんを凝視してしまう。
「分かるって、それぐらい。その道を目指さないのか?」
私が目を向けた先は姉ではなく、京子先生。
そう私は、あの人に憧れていた。
子供の気持ちに寄り添ってくれ、時には優しく、時には厳しく。その子のことを考えて接してくれる。
先生が居てくれなかったら、私は身を崩していただろう。
「もう少し甘えてみろよ、周りに。どうしたら姉さんが落ち着いて過ごせるか。お前がやりたいことやれるか。部外者が口挟むなって話だけどよ、なんて言うか。放っておけねーんだよお前!」
「え?」
「勿論、姉さんもな!」
「うん。……考えてみようかな」
ぶっきらぼうにそう告げる目はあまりにも真っ直ぐで、私の心は自然と前を向いていく。
笑う姉に、お母さんみたいな京子先生。
隣に居てくれる五十嵐くん。
上空を見上げれば入道雲は頭上でまだふわふわと浮いていて、まるで私に願いを叶えてあげるよと言ってくれているみたい。
もし。もしそれが叶うなら、私は時間を止めてほしいと願うだろう。
もっと二人で居たい。話がしたい。五十嵐くんの話が聞きたい。声が聞きたい。一度、二人で出掛けたい。
五十嵐くんが好きな場所に連れて行って欲しいな。
もしも、巡る季節が止まってくれたら。私はどう生きるのだろう?
「え?」
突然放たれた言葉に、何を言っているのか理解出来なかった。
「いやあ、姉さん。気抜けねーし、一人で見るの大変だろ?」
「慣れたらね……」
私は、ははっと笑う。
だって、笑うしかないことだから。
「余計な世話だけどよ、支援サービスとか頼まねーの? 地域の補助とか色々あんだろ? 支援の学校通ってるってことは、療育手帳は持ってるよな?」
五十嵐くんの口から、そんな言葉が出てくるなんて。
色々と勉強しているからこその発言だと、よく分かる。
「ああ見えて、人見知りすごいの。学校の先生や私以外だと、泣いて暴れて頭叩いちゃうんだよね……」
気付けば私は、亜美にも渚にも話したことがない姉の現状を深く話していた。
「え……?」
五十嵐くんが唇をグッと噛み締める姿から戸惑いの感情が伝わってくる。普通そうだよね。
「……双子ってことは今、高三だよな? 卒業後とかどうする気なんだ?」
「一応、通所のデイサービスを利用予定かな? 学校に頼んで紹介はしてもらってるけど、後はお姉ちゃん次第だからね」
「お前だよ。卒業後どうする気なんだ?」
こちらを見つめる目は真っ直ぐで、私は逸らすことが出来なかった。
「まずはお姉ちゃんの生活が落ち着いてからだな。そしたら近くのスーパーとかコンビニでバイトして、少しでも家計を助けたいしね」
父が転職出来るように、少しでも早く。
「良いのかよ?」
「うん。お姉ちゃんがデイサービス行ってくれないと、家で見ないといけないからね」
京子先生と、にこやかに遊ぶ姉を見つめる。
それは母と娘が仲睦まじく過ごしているように見え、姉は優しい京子先生に母を重ねている。
姉がかろうじて学校に通えるのは、母に似た担任の先生が受け持ちをしてくれているから。だけど、あの先生が居てくれても時折気持ちが崩れてどうしようもなくなる。
だからこそよっぽど合う職員さんが居てくれないと、他の預かりは絶対に無理だろう。
田舎町だからこそ通所や訪問のサービス事務所は少なく、比例して人も少ない。そんな人見つけられることなんて、おそらくないだろう。
「だから私が見たら良いかなって……」
溜息混じりの声が、茜色の空へと消えていく。
私達は早産で生まれたこと、姉は脳出血の後遺症で知的障害を抱えたのだと話した。
私は一、三キロ超えだったけど、姉は八百グラムもなかった。だからリスクが高かったらしく、脳出血を起こして一週間ほど生死の境を彷徨った。
なんとか一命は取り留めたけど、生きていくには大きなハンディを背負った。そうゆうことらしい。
横に目をやると、そこには石垣に放置された三百五十ミリリットルのペットボトル。
蓋が閉まったまま放置されたそれを目にした私は、とある言葉が脳裏に過っていた。
「お姉ちゃんの心は、小さなペットボトルに入った炭酸飲料みたいなもので、その蓋が上手く閉められない。そう主治医の先生が言っていたの」
「炭酸? 蓋?」
「うん。炭酸って少しの衝撃で吹き出すじゃない? 私達の心は大きなペットボトルに入ったジュース。よほどのことが無い限り吹き出したり、溢れたりしない。だけどお姉ちゃんは元々の受け皿であるペットボトルの容量が少なくて、刺激に敏感な炭酸が蓄積され満杯状態なんだって。少しの衝撃を受けたら緩いキャップは外れて中の炭酸飲料は吹き出してしまう。それがパニック状態。そう教えてもらったの」
目を閉じると過ぎる。姉がパニックを起こしている光景が。地面ににひっくり返って、手を握り締めて頭を強く叩き、喉が切れそうなほどに大声で叫び、足をバタバタとさせ、止まるほどのない涙を流す。
見てる方は勿論辛いけど、当然ながら姉はもっと辛い。
大声を出して泣くのは、怖いから。頭を叩いたり足をバタつかせるのは、感じた恐怖を打ち消す為。
私達が見たら異質に思う動きにも理由がある。
姉は混乱が多い世界で一人戦っている。
だから私が受け入れないと。
「俺達だってあるだろ? 容量」
「え?」
いつの間にか閉じていた目を開けると、五十嵐くんはこちらを真っ直ぐな目を向けていた。
「それに炭酸を注がれる日だってあるだろ? ブンブン振られることだってあるし、ギャップだって万能じゃねーし。そもそも容量あっても、注がれ続けたらいつか溢れるだろ? たまには中身抜かねーとお前だって吹き出すぞ?」
その言葉によって胸に手を当てると、奥の方でシュワシュワとした物が抜けていくような気がする。
そっか、私にも容量ってあったんだ。
「ありがとう。でも私の蓄積率はだいぶ減ったかな? 五十嵐くんのおかげで」
「はあ? ……お前もたまには、行きたい場所考えろよ?」
「うん!」
体をうーんと伸ばすと、一面に広がるのは茜色に染まった海にふわふわと浮かぶ入道雲。それはさっきと同じ物のようで、まるで私達を待ってくれているみたい。
「ねえ、五十嵐くんについても教えてよ? バイトしてると言ってたよね? どんな仕事してるの?」
「接客」
単調な一言返答。
「嘘!」
「悪かったな!」
いつもと同じくブスッとした表情は、何だか可愛く思えてしまった。
「じゃあ将来の夢は?」
「……看護師」
消えそうなほど小さな声だったけど、そうハッキリ聞こえた。
「え?」
「何なんだよ、悪いか!」
より眉間の皺を深くした五十嵐くんは、顔をあっちの方へと向いてしまう。
「え、違うよ!」
……すごいなって、思ったんだよ。
「お前、あの先生に憧れてるだろ?」
「え!」
図星を突かれた私はピクッとなり、瞬きも忘れて五十嵐くんを凝視してしまう。
「分かるって、それぐらい。その道を目指さないのか?」
私が目を向けた先は姉ではなく、京子先生。
そう私は、あの人に憧れていた。
子供の気持ちに寄り添ってくれ、時には優しく、時には厳しく。その子のことを考えて接してくれる。
先生が居てくれなかったら、私は身を崩していただろう。
「もう少し甘えてみろよ、周りに。どうしたら姉さんが落ち着いて過ごせるか。お前がやりたいことやれるか。部外者が口挟むなって話だけどよ、なんて言うか。放っておけねーんだよお前!」
「え?」
「勿論、姉さんもな!」
「うん。……考えてみようかな」
ぶっきらぼうにそう告げる目はあまりにも真っ直ぐで、私の心は自然と前を向いていく。
笑う姉に、お母さんみたいな京子先生。
隣に居てくれる五十嵐くん。
上空を見上げれば入道雲は頭上でまだふわふわと浮いていて、まるで私に願いを叶えてあげるよと言ってくれているみたい。
もし。もしそれが叶うなら、私は時間を止めてほしいと願うだろう。
もっと二人で居たい。話がしたい。五十嵐くんの話が聞きたい。声が聞きたい。一度、二人で出掛けたい。
五十嵐くんが好きな場所に連れて行って欲しいな。
もしも、巡る季節が止まってくれたら。私はどう生きるのだろう?



