「状況は分かりました。家まで送ります」
 何についてそこまで話していたのかは分からないけど、私達はパトカーで自宅まで送ってもらうことになった。

「五十嵐くんは?」
「俺はチャリだから」
 先程とは変わり、いつも通りのツンケンとした表情に戻っていた。尖った表情は少し怖いけど、さっきの遠くを見る目を思うとこれが良いと思った。

「真っ直ぐ帰らないとダメだよ?」
「はい、すみません」
 警察官の方に言われたことにより、また尖った目が弱っていく。
 一体、何を謝っているのだろう。
 当然ながら口を挟めるわけもなく、一連の流れをただ傍観していた。

「ちょっと本部に連絡を取るから、待っててくれる?」
「はい」
 離れていく警察官の人を見送り、私は五十嵐くんに改めて話しかける。

「五十嵐くん、本当にありがとう! 迷惑かけて、ごめんなさい!」

「何でお前が謝ってんだよ?」
 気怠そうにそう言う五十嵐くんは、髪をグシャグシャと掻き上げる。

「だって私の不注意で、姉を外に出してしまって。五十嵐くんに迷惑かけてしまったから……」
 言葉にするとキュッと縮こまる心臓。
 改めて大きな騒動にしてしまった現実が、重くのし掛かる。

「お前が何したって言うんだよ?」
「夏休みの宿題してたら、いつの間にか寝てしまったみたいで。ポケットに入れておいた内鍵まで取られてたのに全然気付かなくって……」

「は? 昼寝ぐらい誰でもすんだろ? 別にそれぐらい良いじゃねーかよ」
「ダメだよ、お姉ちゃん見てるんだから!」

「そんなん言ったら、お前はいつ寝るんだって話だろ? もし文句言う奴が居たら、『じゃあお前がやってみろ』と返せばいーんだよ」

 その言葉に、私の心に溜まっていたものがプシュと抜けていく。
 今まで感じていた視線や言葉にそう言ってくれているような気がした。

「……ありがとう」
 心が軽くなった私が五十嵐くんを見つめると、その目はパッと目を離され少し気まずそうに「こいつのこと、マジで叱らないでくれ」と付け加えていた。

「え? あ、うん。もう言わないよ。後で蒸し返しても伝わらないから、その場でしか言わないようにしているから」
「そうか」
 途端に口元が緩み、小さく漏れる溜息。

 あ、そっか。怒っている場面を見られたんだった。
 前に、姉は分かっていないから怒るなんて可哀想だと知らない人に言われたことがある。
 ……そうだよね。
 そう心付いた私は、どんどんと表情が険しくなっていくのを感じた。

「おい、渡辺の姉の方!」
 しかし五十嵐くんはそんなこと一言も触れず、姉に視線を移し軽く話しかけてきた。

「だからー、渡辺明日香だってー!」
 姉がムスッとした表情で五十嵐くんに、詰め寄っていく。初対面の、しかも男性にこれほどの距離で関わる姿にやはり違和感を持ってしまう。
 二人でいる間に、何があったのだろう。

「いや、お前が姉さんだろ? だから渡辺の姉の方で良いんだよ」
「渡辺明日香!」
 一歩も引かない姉に、私はどんどんと不安になっていく。
 一見するとふざけていると思われるけど、姉には軽口が通じない。呼ばれる時は苗字か名前じゃないと、納得出来ないようだ。病院で番号とか、公共の場でお姉さんと呼ばれても、必ず名前を告げて呼ばせようとするぐらいに。

「五十嵐くん、ごめんね。お姉ちゃんに悪気は……」
「別に、ふざけてるなんて思ってねーよ。分かった ……明日香でいいか?」
「うん!」
 途端ににこやかな表情をした姉は、五十嵐くんに花のような笑顔を向ける。

「ごめんね。呼びにくかったら、あーちゃんでいいから」
「あ、あーちゃん……? ……明日香でいい」
 プイッと顔を背けたことにより見えた耳は、街灯のライトの関係か紅潮しているような気がした。

「……おい、妹!」
「え? 私?」
 頭を掻きながらこちらに向けた目は尖っていて、声は刺々しい。だけど、何故か一切の恐怖を感じなかった。

「お前が妹なんだろ」
「あ、うん」
 どうして知っているのだろう? 私が双子の片方だとは知られているけど、そこまで知って覚えてくれているのは、亜美と渚ぐらい。

「……明日香、と出かける約束したんだけど良いか? 出掛けたいんだよな?」
「うん! 大地と出掛ける!」
 五十嵐くんに顔を向けニコニコしている姉の姿に、ついていけない私。
 大地? 五十嵐くんの名前? そこまで仲良くなってたの?
 姉は人見知りがすごく、特に男性は体が大きく怖いみたい。
 だけど五十嵐くんにはずっと笑っていて、心を開いているよう。

 どうしよう。姉の仲良くしたいと思ってる気持ちを壊したくない。五十嵐くんの好意はすごくありがたい。だけど。
「ごめんなさい。無理かな……。すごく嬉しいけど、お姉ちゃん見るの大変で。迷惑かけると思うから……」
 姉に聞こえないように、ボソッと告げる。
 知的障害について学んでいる学校の先生や施設の職員さんですら、姉の突発的な行動に対応出来ないことがある。
 当然ながら私も同じで、だからこそ道路の飛び出しや家からの抜け出しを許してしまっている。
 それなのにいきなり知らない人に頼むなんて、出来るはずがなかった。

「ああ。すぐ、どっか行くもんな……」
 五十嵐くんも小さな声で呟き、姉に聞こえないように配慮してくれているようだった。

「だから気持ちだけ。本当にありがとう」
 姉と関わろうとしてくれた気持ちが嬉しい。だから、本心からの言葉だった。

「……お前も来たら良いだろ?」
「え?」

「明日香も、そのつもりだろ? なあ?」
「うん! みーちゃんも一緒! 絶対!」
 そう言った姉は五十嵐くんと私の腕を取ったかと思えば、そのまま手と手を触れさせてしまった。

「え!」
 顔を合わせた私達は思わず顔を見合わせ、パッと手を離す。
 それを見ていた姉は右手に私の手を、左手に五十嵐くんのを握りブンブンと振る。

「夏休み! 夏休み! みーちゃんと大地と夏休み!」
「勘違いすんなよ! 暇つぶしだからな!」
 悪態を突きつつ姉の手を離さずにいてくれる五十嵐くんが、何を考えているか分からない。
 姉と遊びに行く? 私も一緒? 本気なの?

 終業式の日に居なくなった姉。
 見つけてくれたのは、同じクラスの五十嵐くん。
 二人は遊びに行く約束をしていて、私も一緒に行って良いの?
 もう何がなんだか、分からない。

 こうして始まった、高校生最後の夏休み。
 私を変えてくれる夏が。