ザザーン。ザザーン。
 水平線に迫る茜色の夕日。それにより周囲が薄暗くなる浜辺。その為か近辺には人は殆ど居らず、伸びている人影は二つだけだった。
 波風の音が響く中、それに負けじと聞こえてくる笑い声。それは屈託のない声で、幼い女の子を彷彿させてくる。
 逆光で顔は見えないけど、私はその方向に向けて真っ直ぐに向かう。砂浜に足を取られ走ることはままならないけど、ひたすらに足を前に進めて行ってピタリと止めた。

「……お姉ちゃん」
 口にした声はガラガラで掠れていたけど、私はその名を声に出す。
 目の前にしゃがんでいたのは、私を見た途端に無邪気な笑顔を浮かべる姉だった。
 膝を付いた私は、その体を強く包み込む。
 事故に遭っていないか、溺れていないか。
 最悪の事態が過り、もう帰ってきてくれないと思った姉が目の前で笑っている。
 また家族が居なくなってしまうのかという恐怖で意識を何度も失いそうになったけど、姉は母の元に行かなかった。
 お母さん、ありがとう。お姉ちゃんを守ってくれて。

「怪我してない? 痛いところは?」
「ないよ」
「……良かった、本当に……」
 はぁーと息を大きく吐いて吸うと、姉の服より香る海水の香り。触れる衣類は湿ってあり、ガバッと体を離す。

「……う、海に入ったの?」
「うん! 楽しかった!」
 ことの重大さを一切感じていない姉はあっけらかんと答えるが、私はその様子に体がガタガタと震え上がっていく。
 本当に溺れる可能性があった。一歩間違っていたら姉も……。その事実に体の震えは止まることを知らず、姉の濡れた服に触れたことにより湿ってしまったTシャツより体温がどんどんと奪われていくような気がした。

「勝手に家を出たらダメじゃない! 海にまで入るなんて!」
 感情のまま声を荒らげ、姉はその声にビクンと肩を動かす。
「ご、ごめんなさい……。お散歩行きたかったけど。みーちゃん寝てて。鍵あったから……」
「起こしていいの! お姉ちゃんに何かあったら!」
 そう口にした私は、また姉の体を強く抱きしめる。
 その体は温かく心臓の音が聞こえ、生きていてくれると教えてくれる。

 体の体温が戻ってきてくれた感覚がした私は、ようやく閉じていた目を開く。すると周囲はより暗くなっており、西の空に光る夕日に目が眩む。
 視線を下げると、姉の傍らには砂浜で作った山。それは大きく積み上がってトンネルに海水まで入っていて、とても姉一人で完成させた物とは思えない。

 そこでようやく思い出す。駆け寄った時、伸びる影は二つあったことに。一つは姉の、もう一つは。
 そう思い顔を上げると、その人は先程より距離を取っていて、こちらに向いているのは判断出来るけど逆光から顔の確認は出来ない。
 私達より明らかに背丈が高く、シャツから出た腕はガッシリしていて、大人の男性に見えた。
 姉の手を引いて、その人の元に駆け寄る。

「姉の側にいてくださって、ありがとうございました。おかげで無事に見つかりました!」
 頭をガバッと下げるとその人の黒と思われる長ズボンはずぶ濡れで、靴どころか靴下も履いていない裸足の状態だった。
 ……姉が一人で海から出て来れるわけない。この方が海に入って、姉を浜辺まで連れて来てくれたんだ。
 気付いた途端にサァーと引いていく血の気。
 私、この人の命まで危ぶめたの?

「あ、あ、姉を助けてくださったのですか! 何とお礼を言えば……」
 気付けば声は震え、それは全身にきていた。
 もし、あの水難事故のようなことが起きていれば。
 考えただけで、頭がグラグラと揺れるような錯覚を起こした。

「別に、助けたわけじゃないし。だから礼とかいらねーよ」
 大人だと思っていたけど口調はどこか尖っていて、私達と同世代のような雰囲気を醸し出している。
 そして何より聞き覚えのある声にゆっくり顔を上げると、太陽の角度は変わっていて顔がハッキリ視認出来る。
 顰めた眉に、こちらをとらえる鋭い目付き、口を結んだ一文字。目の前に居たのは、同じクラスの五十嵐くんだった。

「うそ、五十嵐くんだったの! ご両親の連絡先教えてもらって良い? 後日、父と共にお礼を……!」
「だから助けたわけじゃねーって。暇だったから、一緒に遊んでただけだし」
「そうはいかないよ! ご両親が心配して……! ……両親!」
 私はそれを言葉にしたことにより、ようやく事の重大なことを思い出す。

「け、警察に電話! お父さんにも!」
「……心配ねえよ。ほら」
 五十嵐くんが指差した先は、この海岸な設けられてある駐車場エリア。そこに停車し車両上部にチカチカと光るのは、赤色灯のライト。駐車場の街灯に照らされたことにより視認出来たのは、白と黒の警察車両で降りてきたのはおそらく青い制服と思われる制服に身を包んだ警察の人だった。

「さすがに連絡しといた。見つかったと言ってくるわ。渡辺明日香で合ってるんだよな?」
「……あ、うん」
 どうして姉の名前を知っているのだろう?
 そんな会話もする間もなく、五十嵐くんは私達に背向けて行く。
 走りにくい浜辺を駆けて行く背中は頼もしく、いつも学校で悪態ついている姿からは想像もつかなかった。