二限目の清掃活動が終わり、視聴覚室で体操着から制服へと着替える。
長袖カッターシャツを第一ボタンまできっちり留め、赤いリボンを真っ直ぐに整える。膝丈のチェックスカートに履き替えて、皺がよってないかを手で撫でて確かめる。髪は上部でひとまとめにして、黒いゴムでギュッと強く結んだ。
私達は三年一組の教室に戻って来た。
「未咲はどれがいい?」
友達の亜美よりにこやかに差し出されたビニール袋には、ジュースが入ったペットボトルが三本。
清掃活動でサボる生徒が多い中、私達三人はキビキビと動いていた。その姿を見ていた担任の澤井先生が、「よく頑張っていたな」と売店で買ってきてくれコッソリ渡してくれた。
こうゆうの嬉しいな。ちゃんと見てくれている人がいるんだって。
袋の中には、季節を先取りしたサイダー。フルーティなミックスオレ。シュワとする炭酸オレンジが入っている。
「ありがとう。私は……何でも良いよ」
一歩引きて、三階窓から外を眺めた。
初夏の日差しが優しく降り注ぎ、真っ白な入道雲がフワフワと浮いていてゆっくりと流れている。
──もし私を乗せてくれたら、どこまで連れて行ってくれるのだろう?
そんな考えが一瞬過り、胸の奥で嫌な音が鳴った。だから私は、目をギュッと閉じる。
そうすれば大丈夫。「いつもの私」に戻れるから。
「じゃあ、ミックスオレ貰って良い?」
「私はオレンジが良いだけど、本当に良いの?」
亜美と渚が、私の顔を覗き込む。私は何でも良いのだと、軽く手を振って笑う。
「未咲は、本当に謙虚だよねー?」
「……もっとわがままとか、言って良いと思うけど?」
「そんなことないよー」
ニコッと笑いながら残ったサイダーを手に取り、軽く振って蓋を開ける。するとプシューと音を鳴らし、中の炭酸がドバドバと溢れてくる。
突然のことに、はわわわっとビニール袋に戻す。
……どうして、炭酸だって分かっていたのに、振ってしまったんだろう。
でも、噴き出すジュースを見た瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。
「ちょっと、大丈夫ー?」
「何で、炭酸なのに振っちゃうの?」
「……何でかな?」
自分でも分からない奇行に、私達は顔を合わせて声を出して笑う。
本当に、今は楽しい。私が私で居られる大切な時間だ。
落ち着いた頃に、淡い赤色のタオルハンカチでペットボトルの周辺を拭く。そっと蓋を開け直したサイダーは、もう溢れてこなかった。口を付けて飲むと、シュワッと感が喉を通り抜けていく。先生の心遣いもあり、清掃活動の疲れが吹き飛んだような気がした。
うん。ジュースはどれだって美味しいよ。わざわざ選ばなくても。
五月中旬。大型連休が終わり、まだ休みの気分が抜けないクラス内。
あちこちで小さな円ができ、時折楽しげな笑い声がはじける。
家族で県外に旅行に行ったとか。友達同士で都会の街へ出掛けたとか。恋人が出来たとか──。
そんな話題が飛び交っていた。
でも亜美と渚は、連休中の話を一切しない。
……ごめんね、気を遣わせているよね。
「うっそー! マジでー!」
女子達の一際大きな笑い声が背中越しに聞こえて、私はまた窓に目を向けた。
遠くの空に、入道雲が音もなく流れていく。
──もしも、あの雲に気持ちを乗せられたら。
ほんの一瞬、そんなことを思った。
こうして過ぎていく時間割。三限、四限と授業を受けて、昼休みを過ごし。五限目の授業が終わって六限目。
とうとう、この時間がやってきてきた。
ずっと憂鬱だった、月曜日のロングホームルーム。
今日の議題は、六月に行われる体育祭について。
あの空気感を考えれば息苦しくなるが、これが終われば今日は終わり。そう言い聞かせて、窓際の後ろから二番目の席にそっと腰を下ろした。
「実行委員、やってくれませんか?」
教壇の前に立つ、男子女子のクラス委員の声。けれど、誰も顔を上げない。
昼休みの賑やかさが嘘のように、静寂さが教室内を包む。
隣の二年二組からの笑い声が、やたら大きく聞こえる。
「じゃあ、くじ引きにします」
それに切り込んでくれるのは、女子委員長の伊藤さん。真面目でハキハキとしていて、先生達にも一目おかれるほどの優等生。
教壇に用意されている段ボールには、手が入れられる程の穴が開けられている。それはくじ引き用の箱で、そうなることは想定済みだったようだ。
男女の委員長がそれぞれの箱を持って教室をまわり、一人ずつ順番に引いていく。
前席の女子がくじを引き、次は私の番。……のはずなのに、伊藤さんは私の前で足を止めず、何も言わずに通り過ぎた。
そのまま、後ろの席の子へと箱が差し出される。
それを指摘する人も、ズルいと言う人も居らず、先生すらその姿を傍観している。
……私は、そうゆう扱いだから。
「じゃあ、開いてください」
伊藤さんの声と同時に、紙が一斉に開かれる。
その中で飛び交うのは、「マジかよ!」「サイアクー!」などの、イラつきを隠せない声。
こうゆう時、私は小さくなり視線を落とすしかない。
顔を上げたら、どこかの誰かと目が合いそうで。
目が合ったら、何か言われる気がして。
「じゃあ男子は内藤。女子は西田な」
澤井先生の声でその場がなんとか収まり、男子委員長の前島くんが黒板にチョークで名前を走らせる。
「あー! マジでありえないんですけどー!」
前席である西田さんが机に顔を突っ伏せ、ぐっと背中を伸ばす。その勢いで椅子が後ろに滑り、私の机にガンッとぶつかった。
その瞬間に心臓がキュッと縮み上がる。でも、私が直接謝るのもおかしい。
だから何も言わずに、唇を噛み締める。手の平をギュッと強く握り締め、この時間をやり過ごすしかなかった。
長袖カッターシャツを第一ボタンまできっちり留め、赤いリボンを真っ直ぐに整える。膝丈のチェックスカートに履き替えて、皺がよってないかを手で撫でて確かめる。髪は上部でひとまとめにして、黒いゴムでギュッと強く結んだ。
私達は三年一組の教室に戻って来た。
「未咲はどれがいい?」
友達の亜美よりにこやかに差し出されたビニール袋には、ジュースが入ったペットボトルが三本。
清掃活動でサボる生徒が多い中、私達三人はキビキビと動いていた。その姿を見ていた担任の澤井先生が、「よく頑張っていたな」と売店で買ってきてくれコッソリ渡してくれた。
こうゆうの嬉しいな。ちゃんと見てくれている人がいるんだって。
袋の中には、季節を先取りしたサイダー。フルーティなミックスオレ。シュワとする炭酸オレンジが入っている。
「ありがとう。私は……何でも良いよ」
一歩引きて、三階窓から外を眺めた。
初夏の日差しが優しく降り注ぎ、真っ白な入道雲がフワフワと浮いていてゆっくりと流れている。
──もし私を乗せてくれたら、どこまで連れて行ってくれるのだろう?
そんな考えが一瞬過り、胸の奥で嫌な音が鳴った。だから私は、目をギュッと閉じる。
そうすれば大丈夫。「いつもの私」に戻れるから。
「じゃあ、ミックスオレ貰って良い?」
「私はオレンジが良いだけど、本当に良いの?」
亜美と渚が、私の顔を覗き込む。私は何でも良いのだと、軽く手を振って笑う。
「未咲は、本当に謙虚だよねー?」
「……もっとわがままとか、言って良いと思うけど?」
「そんなことないよー」
ニコッと笑いながら残ったサイダーを手に取り、軽く振って蓋を開ける。するとプシューと音を鳴らし、中の炭酸がドバドバと溢れてくる。
突然のことに、はわわわっとビニール袋に戻す。
……どうして、炭酸だって分かっていたのに、振ってしまったんだろう。
でも、噴き出すジュースを見た瞬間、胸の奥が少しだけ軽くなった気がした。
「ちょっと、大丈夫ー?」
「何で、炭酸なのに振っちゃうの?」
「……何でかな?」
自分でも分からない奇行に、私達は顔を合わせて声を出して笑う。
本当に、今は楽しい。私が私で居られる大切な時間だ。
落ち着いた頃に、淡い赤色のタオルハンカチでペットボトルの周辺を拭く。そっと蓋を開け直したサイダーは、もう溢れてこなかった。口を付けて飲むと、シュワッと感が喉を通り抜けていく。先生の心遣いもあり、清掃活動の疲れが吹き飛んだような気がした。
うん。ジュースはどれだって美味しいよ。わざわざ選ばなくても。
五月中旬。大型連休が終わり、まだ休みの気分が抜けないクラス内。
あちこちで小さな円ができ、時折楽しげな笑い声がはじける。
家族で県外に旅行に行ったとか。友達同士で都会の街へ出掛けたとか。恋人が出来たとか──。
そんな話題が飛び交っていた。
でも亜美と渚は、連休中の話を一切しない。
……ごめんね、気を遣わせているよね。
「うっそー! マジでー!」
女子達の一際大きな笑い声が背中越しに聞こえて、私はまた窓に目を向けた。
遠くの空に、入道雲が音もなく流れていく。
──もしも、あの雲に気持ちを乗せられたら。
ほんの一瞬、そんなことを思った。
こうして過ぎていく時間割。三限、四限と授業を受けて、昼休みを過ごし。五限目の授業が終わって六限目。
とうとう、この時間がやってきてきた。
ずっと憂鬱だった、月曜日のロングホームルーム。
今日の議題は、六月に行われる体育祭について。
あの空気感を考えれば息苦しくなるが、これが終われば今日は終わり。そう言い聞かせて、窓際の後ろから二番目の席にそっと腰を下ろした。
「実行委員、やってくれませんか?」
教壇の前に立つ、男子女子のクラス委員の声。けれど、誰も顔を上げない。
昼休みの賑やかさが嘘のように、静寂さが教室内を包む。
隣の二年二組からの笑い声が、やたら大きく聞こえる。
「じゃあ、くじ引きにします」
それに切り込んでくれるのは、女子委員長の伊藤さん。真面目でハキハキとしていて、先生達にも一目おかれるほどの優等生。
教壇に用意されている段ボールには、手が入れられる程の穴が開けられている。それはくじ引き用の箱で、そうなることは想定済みだったようだ。
男女の委員長がそれぞれの箱を持って教室をまわり、一人ずつ順番に引いていく。
前席の女子がくじを引き、次は私の番。……のはずなのに、伊藤さんは私の前で足を止めず、何も言わずに通り過ぎた。
そのまま、後ろの席の子へと箱が差し出される。
それを指摘する人も、ズルいと言う人も居らず、先生すらその姿を傍観している。
……私は、そうゆう扱いだから。
「じゃあ、開いてください」
伊藤さんの声と同時に、紙が一斉に開かれる。
その中で飛び交うのは、「マジかよ!」「サイアクー!」などの、イラつきを隠せない声。
こうゆう時、私は小さくなり視線を落とすしかない。
顔を上げたら、どこかの誰かと目が合いそうで。
目が合ったら、何か言われる気がして。
「じゃあ男子は内藤。女子は西田な」
澤井先生の声でその場がなんとか収まり、男子委員長の前島くんが黒板にチョークで名前を走らせる。
「あー! マジでありえないんですけどー!」
前席である西田さんが机に顔を突っ伏せ、ぐっと背中を伸ばす。その勢いで椅子が後ろに滑り、私の机にガンッとぶつかった。
その瞬間に心臓がキュッと縮み上がる。でも、私が直接謝るのもおかしい。
だから何も言わずに、唇を噛み締める。手の平をギュッと強く握り締め、この時間をやり過ごすしかなかった。



