「そうだったの」
黙って聞いてくれていた先生がようやく返してくれた声は暗く、曇っていた。
「今、年齢的に一番不安定な時期らしくて。でも十八歳過ぎて落ち着いた人もいるらしいので……」
場が暗くならないようにと、私は必死で取り繕う。
勿論、ずっと続く可能性もある。その事実に私の声はどんどんと小さくなり、胸の奥より押し寄せてくる感覚を抑える為に俯き目をギュッと閉じる。
「お父さんはこの状況知ってる、よね? 相談とかしてる?」
「……それが」
仕事で忙しいと話すと具体的な勤務状況を聞かれ、ためらいつつありのままを先生に伝えた。
「それって……」
溜息混じりの声は消え、車内は車が走行する音のみが響く。
……言いたいことは分かる。父が働いている会社はいわゆるブラック企業と呼ばれるもので、労働基準法も最近改正された運転手を守る法律も遵守していないだろう。
そんな会社方針の為か離職者が多く、年々と父の負担が増えているのは私も感じ取っている。
高校二年生の春頃。朝方より出勤しようとする父に、仕事を辞めて欲しいと頼んだ。
泊まりの仕事を終え日が暮れた頃に帰って来たかと思えば、翌日早朝からまた泊まりの仕事があるからと仕事に出ていく父。
泊まりの仕事とはトラック内で仮眠を取っていることを指し、疲れなんか取れるはずもない。それなのに、また早朝から仕事に行くなんて。
まともな休みもなく泊まりの勤務ばかりで、父は明らかに顔色が悪く疲弊仕切っていた。
だけどその言葉を聞いた父は顔を歪め、何も言わず仕事に行ってしまった。その表情は、聞いてはいけないことを尋ねてしまった時と同じだった。
私は、また父を傷付けてしまった。母にしてしまったように。
「今の仕事は、一年半の就職活動でようやく見つかったものです。辞めたとしても次が見つかるか分からないからと、続けてくれているのだと思います。だから……」
だから、私が姉の世話をする。それは当然のことなのだから。
それを聞いていた京子先生は何かを口にしようとしては溜息を漏らし、そのまま車は海岸道路を走る。
気を使わせてしまったと何か話そうとするけど、口を開けば今日球技大会に行けなかったことを溢しそうで、下唇をギュッと噛む。
気持ちを逸らそうと車外からの景色を眺める。すると歩道を歩いているのは、私が通う制服と同じカッターシャツとチェックのズボンやスカートに身を包む同世代の男女。
そっか。今日は四限までだもんな。
どこに行くのかな……? そんなことをぼんやりと思っていると、視線の先は二人の女子。
亜美と渚。
一瞬見えた二人は顔を満面の笑顔を浮かべていて、何かに大笑いしているのだと感じ取る。
一体、何を話しているのだろ?
家の方面じゃないけど、どこに行くんだろう?
何について笑い合っているのだろう?
そう脳裏に過った途端に、脱力していく体。
振り返る気力も、このまま窓からの景色を眺める気力もなく、ただ前方の黒い座席のみをぼんやりと眺めていた。
「未咲ちゃん。あのね……」
「あー! 寝ちゃったー!」
私に預けていた肩よりガバッと起きる姉と、京子先生との声が重なった。
「いいな、みーちゃん。私も海見たいのにー!」
「ごめん、ごめん。あんまりにも気持ち良さそうだったから」
京子先生はこれ以上触れず、姉の為に海岸沿いを車で走らせてくれた。
姉が起きてからは車内は明るい空気に包まれ、いつしかその声も弾んでいく。
こうしている間に車は一車線の狭い道路に入っていき、下校している小学生達に道を譲りながら徐行していくとようやく辿り着くうちの家。
「……連絡先、交換しない?」
「え?」
こちらを振り返ってきた京子先生は、あの時と同じく穏やかな目をしていた。
「良いんですか?」
「うん。良いかな?」
「はい」
願ってもない申し出に、心の中でシュワシュワとしていたものがまた落ち着いていく。
「良いな。みーちゃん、ばっかり」
眉を下げ頬を膨らまし、ブンブンと首を振る姉。
姉にはスマホやキッズ携帯の管理は難しく、通信機器を一切持っていない。だから私のスマホを使用し幼児用アプリで遊んでいるけど、姉の主張はもっともだった。
「あーちゃんもかけてきて良いよ」
「本当? やったー!」
話の中でスマホを共有していると話していたことから、出してくれた提案。おかげで姉の心もどんどんと前を向いていく。
「ありがとうございます。でも先生も、お仕事とかあるでしょうに……」
その言葉に一瞬だけ真顔になった先生は、すぐに目尻下げ口角を上げる。
「しばらくは、ゆっくりしようかなってね。先生ところの子供は社会人で、家出てるし。もう、一人だからね」
「……そうですか」
その言葉に、私は何も返せなかった。
先生の旦那さんは五年前に亡くなっていて、それをキッカケに実家に戻ると都会に引っ越しして行ったのだから。
「だから、いつでも連絡してね。待ってるから」
「はい」
私が先に車から降りて、姉が降りる方に回り込む。
こうして手を繋ぎ、先生の車を見送った。
黙って聞いてくれていた先生がようやく返してくれた声は暗く、曇っていた。
「今、年齢的に一番不安定な時期らしくて。でも十八歳過ぎて落ち着いた人もいるらしいので……」
場が暗くならないようにと、私は必死で取り繕う。
勿論、ずっと続く可能性もある。その事実に私の声はどんどんと小さくなり、胸の奥より押し寄せてくる感覚を抑える為に俯き目をギュッと閉じる。
「お父さんはこの状況知ってる、よね? 相談とかしてる?」
「……それが」
仕事で忙しいと話すと具体的な勤務状況を聞かれ、ためらいつつありのままを先生に伝えた。
「それって……」
溜息混じりの声は消え、車内は車が走行する音のみが響く。
……言いたいことは分かる。父が働いている会社はいわゆるブラック企業と呼ばれるもので、労働基準法も最近改正された運転手を守る法律も遵守していないだろう。
そんな会社方針の為か離職者が多く、年々と父の負担が増えているのは私も感じ取っている。
高校二年生の春頃。朝方より出勤しようとする父に、仕事を辞めて欲しいと頼んだ。
泊まりの仕事を終え日が暮れた頃に帰って来たかと思えば、翌日早朝からまた泊まりの仕事があるからと仕事に出ていく父。
泊まりの仕事とはトラック内で仮眠を取っていることを指し、疲れなんか取れるはずもない。それなのに、また早朝から仕事に行くなんて。
まともな休みもなく泊まりの勤務ばかりで、父は明らかに顔色が悪く疲弊仕切っていた。
だけどその言葉を聞いた父は顔を歪め、何も言わず仕事に行ってしまった。その表情は、聞いてはいけないことを尋ねてしまった時と同じだった。
私は、また父を傷付けてしまった。母にしてしまったように。
「今の仕事は、一年半の就職活動でようやく見つかったものです。辞めたとしても次が見つかるか分からないからと、続けてくれているのだと思います。だから……」
だから、私が姉の世話をする。それは当然のことなのだから。
それを聞いていた京子先生は何かを口にしようとしては溜息を漏らし、そのまま車は海岸道路を走る。
気を使わせてしまったと何か話そうとするけど、口を開けば今日球技大会に行けなかったことを溢しそうで、下唇をギュッと噛む。
気持ちを逸らそうと車外からの景色を眺める。すると歩道を歩いているのは、私が通う制服と同じカッターシャツとチェックのズボンやスカートに身を包む同世代の男女。
そっか。今日は四限までだもんな。
どこに行くのかな……? そんなことをぼんやりと思っていると、視線の先は二人の女子。
亜美と渚。
一瞬見えた二人は顔を満面の笑顔を浮かべていて、何かに大笑いしているのだと感じ取る。
一体、何を話しているのだろ?
家の方面じゃないけど、どこに行くんだろう?
何について笑い合っているのだろう?
そう脳裏に過った途端に、脱力していく体。
振り返る気力も、このまま窓からの景色を眺める気力もなく、ただ前方の黒い座席のみをぼんやりと眺めていた。
「未咲ちゃん。あのね……」
「あー! 寝ちゃったー!」
私に預けていた肩よりガバッと起きる姉と、京子先生との声が重なった。
「いいな、みーちゃん。私も海見たいのにー!」
「ごめん、ごめん。あんまりにも気持ち良さそうだったから」
京子先生はこれ以上触れず、姉の為に海岸沿いを車で走らせてくれた。
姉が起きてからは車内は明るい空気に包まれ、いつしかその声も弾んでいく。
こうしている間に車は一車線の狭い道路に入っていき、下校している小学生達に道を譲りながら徐行していくとようやく辿り着くうちの家。
「……連絡先、交換しない?」
「え?」
こちらを振り返ってきた京子先生は、あの時と同じく穏やかな目をしていた。
「良いんですか?」
「うん。良いかな?」
「はい」
願ってもない申し出に、心の中でシュワシュワとしていたものがまた落ち着いていく。
「良いな。みーちゃん、ばっかり」
眉を下げ頬を膨らまし、ブンブンと首を振る姉。
姉にはスマホやキッズ携帯の管理は難しく、通信機器を一切持っていない。だから私のスマホを使用し幼児用アプリで遊んでいるけど、姉の主張はもっともだった。
「あーちゃんもかけてきて良いよ」
「本当? やったー!」
話の中でスマホを共有していると話していたことから、出してくれた提案。おかげで姉の心もどんどんと前を向いていく。
「ありがとうございます。でも先生も、お仕事とかあるでしょうに……」
その言葉に一瞬だけ真顔になった先生は、すぐに目尻下げ口角を上げる。
「しばらくは、ゆっくりしようかなってね。先生ところの子供は社会人で、家出てるし。もう、一人だからね」
「……そうですか」
その言葉に、私は何も返せなかった。
先生の旦那さんは五年前に亡くなっていて、それをキッカケに実家に戻ると都会に引っ越しして行ったのだから。
「だから、いつでも連絡してね。待ってるから」
「はい」
私が先に車から降りて、姉が降りる方に回り込む。
こうして手を繋ぎ、先生の車を見送った。



