あれから家に帰り何があったのかと学校からの連絡帳を読むと、工作の時間に思う通りに作品が作れずそれでも感情を抑え我慢していたらしい。だけどそれをクラスの子に出来ないとを笑われて我慢出来ず、泣き叫びながら頭を叩いたと記されてあった。
 他の人に話すとたったそれだけのことでと思われそうだけど、姉は自分が周りと同じように出来ないことを分かっていて自己肯定感が低い。
 それでいて前頭葉の機能障害も相まって感情のコントロールが難しく、自分を抑え込むことでいっぱいになっていた時に横から笑われた。辛かっただろう。
 勿論、相手も悪くない。同じクラスの子も知的障害を抱えていて相手に配慮することが難しく、思ったことをそのまま口にしてしまう。

 ……分かってる。分かってるけど。
 そんなケンカ、私が保育園児ぐらいに起きたものだよ。
 思ったことを口にしてしまった男の子と、幼さゆえに聞き流せず泣いてしまった女の子。
 だけど先生が入ってくれて男の子には「相手の気持ちを考えるように」話して、女の子には「そんなこと言われたら悲しい」と気持ちを相手に伝えていいと話した。
 男の子は謝り、女の子は許す。たった三十分の出来事だった。
 ……何故子供でも出来ることが、高校三年生になっても出来ないのだろう。
 どうしようもない感情が、弾ける炭酸飲料のように湧いてくる。
 それが知的障害を抱えるということ。辛いのは姉。
 分かっているはずなのに。黒い感情が、心の蓋を決壊させてしまいそうだった。

『未咲ちゃん』
 そんな時に思い浮かんだのは母のように優しく、柔らかな笑顔を向けてくれた保育園の先生。

 私達双子が年少になる頃。姉は療育教室と呼ばれる、障害を抱えていたり発達がゆっくりな子供が通う施設に通うようになった。そこは親の付き添い必須で兄弟を連れて行けない決まり。
 だから私は幼稚園ではなく、保育者が仕事や家族の介護などで保育が出来ないと子供を預けることが認められる保育園に入園した。
 いつも母は十六時に迎えに来てくれたけど、姉の定期受診やリハビリ、痙攣発作により迎えが遅れることが頻回にあり私は最後の一人になることが多かった。
 広い保育室でポツンと残される。そんな私の側に寄り添ってくれたのは先生だった。
 
 田舎という環境もあってかこの町では保育園や小中学校を卒業しても先生が覚えてくれていることがあり、先生は卒園後も私を気に掛けてくれた。母が亡くなった時はわざわざ焼香を上げに家まで来てくれ、私に無理していないかを聞いてくれた。

 そんな先生が長年勤めた保育園を退職。
 理由は家庭の事情で都会の街へと引っ越ししていった先生は、最後まで私を気にかけてくれた。
 ……あれから五年か。

 そっと寝室を開け部屋を覗くと姉はタオルケットを被っていて、薄い布越しに両手で両耳を塞いでいると分かる。こうやって自分の気持ちを落ち着かせているのだから、こちらは待つことしか出来ない。
 そんな姉に玄関やベランダなどの施錠確認をした私は久しぶりに階段を登り二階に上がる。
 姉から目を離せないから基本二階には行かないようにしており、生活基準を下にしているのもその為。でも本来私の部屋は二階であり、現在は下に置ききれない物や姉に触られたくない物を保管しておく倉庫となっていた。

 久しぶりにドアノブを捻りそっとドアを開けると、閉ざされていた部屋からのムワッとした熱気が立ち込める。赤色のカーテンにより直射日光を遮断している為に薄暗く、私の為に設置してくれたエアコンは長いこと使用していない。同じく現在は使用していない勉強机には高校一、二年の教科書やノートが山積みにしてある。
 ここだけ時間が止まっているみたいだ。
 勉強机に置きっぱなしになっている赤色の置き時計は電池切れで止まっていて、ふっとそう思った。

 そんな考えから目を逸らし、目当ての物がある本棚に向かう。木目の三段ラック上段に仕舞われている小さなアルバムノートを、親指と人差し指で摘み取り出す。
 それはピンク色で表紙に幼児向けの可愛いうさぎの絵が描かれてあって、そっと捲ると一ページ目に「みさきちゃん ごそつえんおめでとう」と綺麗な字で書かれてありお世話になっていた先生達のコメントが一言ずつ書かれてある。
 これは保育園を卒園する時に、一人一人に渡されたアルバム。入園した時からの写真が九枚ほど収まっている。
 年少、年中、年長とあり、全て京子先生と写っていた。
 見たいと思っていた写真。それなのにそれを目にした途端に、ズキっと痛む胸の奥。

 いたたまれさにアルバムノートを本棚に戻そうとするが、何かが引っ掛かって中に入ってくれない。どうやら奥に何かを突っ込んだようで手を伸ばしてみると、ファイルのような硬い物が当たる。
 何だろうとそれを掴んで引き出すと、出てきたのは高校二年生の時に学校から支給された青色の進路指導ファイル。そしてもう一つ、A4サイズの冊子だった。
 ファイルの内容は何年生の何月ぐらいからどのように動いたらいいかを表として記されていたり、定職とフリーによる社会制度や待遇の違い。大学進学の為に勉強する分野や、受験勉強対策など。
 それらを進路指導の度にプリントをもらい先生より説明を受け、その都度ファイルにプリントを挟んで保管。授業で進路指導がある度に持って行くと決まっていた。

 だけど私は、三年生になってから持って行かなくなった。
 話を聞いても意味がない。何も変わらない。
 そう思うと見るのも嫌になって、本の後ろに隠した。……お父さんにうっかり、見られたくなかったから。

 明日、ゴミの日だよね。
 そう思いながらファイルを手にするも、どうしても冊子だけは掴む気になれず、ファイルのみを持って降りた私は、廊下より寝室を覗く。姉は変わらず眠っていてホッとした私は、ファイルをゴミ袋の奥に突っ込む。
 うちの地域は夕方からゴミ出しをして良いと決まっていて、姉が寝静まってからそっと出しに行っている。朝なんて一分一秒を争う中で、ゴミ出しに費やす時間なんてないのだから。
 だから丁度良い。お父さんが帰ってくるまえに捨ててしまおう。つまらないモヤと共に。

 そう思いながら、ベランダに干しておいた洗濯物の乾き具合を手触りで確認する。夏の薄服は全て乾いており、軽く衣類を払いながら室内の物干し竿に一つずつ掛けていく。
 最後の洗濯物を回収しベランダのドアに手を掛けると、広がるのは朝と同じ青空。
 あの入道雲達はどこに行ってしまったのだろうか?
 そんなどうしようもない考えを断ち切るようにドアを閉め、上部に付いてある鍵穴にポケットから出した鍵を入れて捻る。

 ベランダの鍵なんて最初から備え付けられてあるもので充分だと思われるが、姉は外の世界を知っている。
 太陽により反射した光を求めて、空に広がる虹を見つけて、外より聞こえる楽しげな音に惹かれて、感情のまま出て行ってしまう。
 本当は一人で散歩ぐらい良いじゃないと思うけど、どこまでも弊害となるのは知的障害を抱えていること。近所でも迷子になったことがあり、やはり独り歩きは出来ないとなった。

 そして何より危ないのは衝動性。一点に集中すると周りが見えなくなり、車が行き交う道路でも飛び出してしまう。
 何度、車に轢かれそうになったか? もう思い出せないほどの回数で、事故にならなかったのは車の交通量が少ない田舎だからだろう。
 だから私は常に鍵を掛け忘れていないかと気を張り、何度も何度もチェックする。
 今、姉の命を守れるのは私しかいないのだから。

「お姉ちゃん、お弁当食べに行こうよー」
 眠っている姉をユサユサと揺らし、戯けて声をかける。
 本心ではずっと寝ていて欲しいけどそうなると今度は夜眠れなくなるし、それが昼夜逆転に繋がると戻すのが大変になる。
 もう少しで夏休み。それだけは、絶対に避けたかった。