螺旋状に伸びる石造りの階段が延々と続いている。自身の足音が無駄に響き、心をざわつかせる。冷たい空気。乱れた息遣い。そのすべてが鬱陶しい。

 ——どうしたら家に帰れるの……?

 終わらせればいいのだ。終わらせれば、この悪夢も終わる。
 だが、どう終わらせればよいのか。物語はすでに、詩の知っている筋書きから脱線していた。

 ——真実の鍵はどこに、どこに……!

 たどり着いた部屋。不意に輝く鍵。
 詩はうっすらと笑みを浮かべ、つぶやいた。

「……みーつけた」

 そこで、夢は終わった。

♢♢♢

 屋敷は、十九世紀のイギリスを彷彿とさせるカントリーハウス風で、二階建て。別館等は存在しない。使用人の数からも想像できる通り、少し手狭な屋敷だ。詩の部屋は、二階の角の方、北側にあった。玄関の正面に階段があり、吹き抜けになっているので、玄関の声はよく聞こえる。
 詩はとりあえず一階を散策しながら、現状を整理していた。
 台本に存在しない人物の登場、そして死。おそらくあれは、ゲームで言うMPCだと、詩は思った。詩以外の部員も、おそらくそうだ。
 この世界は、詩の知っている脚本の世界観を土台とした、まったく別の物語の世界——そう考えた。それか、詩の知っている脚本に捻じれが生じているだけで、本質としては同じなのか。
 現状判断は難しいが、大方そう言ったところだろう。
 どっちにしても、最悪な状況である。

 ——そして、選択次第では、わたしたちは殺される。

 この世界の本質が分からない以上、なにが原因で死ぬのかもわからない。ひと言で言えばまずい、非常にまずい。
 だが、それと同じくらい気になることもある。

 ——『〝完璧〟になるまで終わらない』って、なに?

 このゲームは、マルチエンディングではないということか? 〝完璧〟に終わらせる以外に、脱出の方法がないということか。
 考えるのは後だ。いまはとにかく、物語を進めないといけない。
 詩は執事からもらった見取り図片手に、屋敷の散策を続けた。
 しばらく散策していると、声が聞こえてきた。聞こえにくいが、見習いメイドと見習い召使の声だ。

「この先は……」見取り図を指でなぞりながら、詩は位置を確認する。「遊戯室……かな」

 さすが貴族のお屋敷。遊戯室等の娯楽を楽しむ部屋まで完備ときた。詩は声と見取り図を頼りに、遊戯室へ向かった。
 ノックして入ると、予想通り、見習いメイドと見習い召使がいた。どうやらポーカーをしているらしい。執事がディーラーを担当している。

「あっ!」こちらに気が付いた見習いメイドが、詩に小さく手を振る。「こんにちは、村娘さん」

「あ、はい。こんにちは」とぎこちなく挨拶を返す。

「おや、村娘さん。どうかされましたか?」執事が問う。「なにか御用ですか?」

「もしかして、あたしたちとポーカーがしたいの~?」

 まだなにも答えていないのだが……そう考える間に、「あたしは強いから、やめておいた方がいいわよ~」と忠告された。見習いメイドは、感情がすぐに顔に出るタイプなので、絶対に弱いだろうと思う。
 見習い召使も同じ考えだったようで、彼はわざとらしく息を吐く。

「はあ、さっきから僕に負け続けてるのに、よく言えたもんだよ」

 それを聞いた執事は、寛雅(かんが)に微笑むと、
「いまのところ、見習い召使さんの全勝ですものね♪」
 と言った。
 見習いメイドは顔を真っ赤にしながら、「つ、次こそは勝つから!」と意気込んだ。

「あ、あの……!」詩は、きり良きところで三人を制止した。そうしなければ、おそらく彼らは永遠にしゃべり続けてしまうだろう。物語が進むように。

 ——やっぱり、みんなには意思はないのかも……。

「……みなさんは、平気なんですか? あんなことがあったのに」

 先ほどの光景は、衝撃的にもほどがあった。死体なんて、ドラマでしか見たことがない。ここが物語の中で、あれがMPCだとしても、ショックが大きすぎる。
 しかし、それもあくまで、意志を持った『村娘(うた)』だけの話なのかもしれない。

「平気なわけないでしょ? ただ、悲観したって事実は好転しないんだから、うじうじしてるだけ時間の無駄ってだけ」

 なるほど、確かにそうだと思った。この状況を嘆いたところで、なにも変わらない。

「ていうか、アンタなんじゃない? あのひとを殺した犯人」

 詩はぽかんとした。一瞬、その場の時が止まった。
 見習いメイドをキッと睨みつけ、

「馬鹿なこと言わないでよ。彼女は昨日、偶然この屋敷に来ただけの客人だよ。あのひとを殺す動機なんてないじゃないか」

 と、見習い召使は反抗する。

「ふたりの言い分は分かりますが……現状はなんとも言えませんね」執事は少し苦そうな顔をしている。「確かに、昨日偶然居合わせただけの村娘さんには、殺人の動機はないかもしれません。ですが、信頼関係のない村娘さんが怪しまれるのも仕方がありません。動機なんて、聞いてみるまで分からないものですから」

 総身が冷える思いがした。視線の端に映る見習い召使の表情もこわばっている。

「ちょっと、執事はどっちの味方なのよ」

「どちらでもありませんね。あくまで中立です」

 そう言いつつも、疑いの目が詩に向けられていることは明らかだった。

「ふん、あれだけ僕の意見を否定してきて、よく言えたものだね」

「あくまで可能性の話ですよ。私だって、確証がある訳ではありませんから」

 メガネのフレームの奥で、執事の茶色い瞳が怪しく輝いている。知的でありながら、冷徹さもにじむ光だ。

「確証がない話をしないで。時間の無駄だし……腹が立つ」

「……」詩は、見習い召使の言動に、微かな違和感を覚えていた。彼は、こんなに村娘を擁護する立場だっただろうか。もちろん、物語の捻じれと言われれば、それまでだ。だが、いまの見習い召使はまるで——

 ——本物のアレンみたいな……。

 見習い召使は席を立ち、「……もういい、飽きた。あとは勝手にして」と言い残して、部屋を後にした。我に返った詩は、アレンを追いかけて部屋を飛び出した。
 見習い召使は正面玄関前の階段にいた。彼を見つけた詩は、慌てて呼び止める。振り返った時、どこか不機嫌そうな顔をしていた。

「あの……さっきは、ありがとう、ございました」

 やっとのことでそれだけ言うと、見習い召使は、

「……別に、根拠もなく疑われてるのが気にいらなかっただけ。君を助けたかったわけじゃないよ」

 そう吐き捨て、さっさと階段を昇って行ってしまった。
 現実世界のアレンにそっくりな言い回しだった。

 ——やっぱり、アレンみたいな……。

 そうは思いつつも、その答えがどこかにある訳でもない。詩はその足で、談話室へと向かった。

 
 談話室の顔を出すと、主人、奥様、お嬢様の三人が、ティータイムを楽しんでいた。殺人事件が起きているというのに、なんて呑気なひとたちだろうか。まだ一度も会っていないメイドは、お茶の追加を用意しているのか不在だった。

「あらら? こんなところになんの御用で? 村娘さん」

「ああ、えっと……」理由までは考えていなかった。この状況で、正直に探索をしていたことを話すのは、相手方の気分を害しかねない。「少し、場所を変えて休もうかなと……」

「ふうん……」

 お嬢様は、訝し気にこちらを見ながら、ミルクティーのような色の巻き髪を弄ぶ。「なら、適当な場所に座って頂戴。入り口で突っ立っているのは無作法ですわ」

「あ、はい」

 詩はひとり掛け用のソファに浅く腰掛けた。初めて来たときは気づかなかったが、手触りがよく、見るからに高級そうな布張りのソファだった。

「気分が悪くなるようなものを見せてしまってごめんね。まさか、わたしの屋敷で事件が起こるだなんて……」

 主人の愁いを帯びた声音に、奥様も「ええ、そうですね」と眉を下げた。

「この吹雪では、しばらく助けも呼べそうにないですし……大変ですね」

 詩がそう言うと、主人と奥様はそろって暗い顔をする。

「きっと毒殺されたに違いありません! そして、わたくしにはもう、犯人の目星はついておりますのよ!」

 自信たっぷりに言い張るお嬢様は、役通りのわがままで高慢な令嬢である。
 なんとなくその先が想像できるが、一応聞くことにした。

「それは……村娘さん、あなたよ!」

 ——やはり、そうくるのか。

 予想通りではあるが、思わず顔がこわばる。

「こらこら、そうやってすぐに物事を決めつけるのはよくないよ」

 主人がフォローを入れた。詩は内心ほっとした。

「まあ、動機は無いものね……それに、彼女は昨日この屋敷に来たばかりだし……」

 奥様は言う。しかし、執事同様、疑いが隠しきれていない。

「まあまあ落ち着いて♪ ごめんね、村娘さん、彼女は生来疑り深くてね……」

「ああ、いえ、大丈夫です」

 脚本の中でも、『お嬢様』は無駄に疑り深い性格をしているので、それほど気にしてはいない。どちらかと言えば、見習いメイドに疑われた時の方が堪えたものだ。

「では、わたしはこれで……」

「あら、紅茶は飲まないの?」

 奥様が引き留めるが、詩は遠慮して部屋を出た。長居してもいいことはなさそうだ。

 ——部屋に戻ろう。

 そう思って正面玄関へ向かっていると、メイドとすれ違った。ティーワゴンに、紅茶のほかにマドレーヌが乗っている。

「あ、こんにちは」

 声をかけると、メイドは冷たい視線を詩に向ける。背筋がすっと冷たくなるような、氷のような視線だった。

「えっと……」

 なにか話さなければ、そう思っていると、

「あなたはなにもしなくて結構ですからね。余計なことはなにもしないでください」

 そう言われた。思わず「えっ……?」と声が漏れる。

 ——なにもしなくていいって……。

 どういうことだ。それも余計なこととは——
 ふたりの間に落ちた沈黙。それを破ったのは、

「ちょっと、なにしてるの?」

 見習い召使の声だった。先ほどよりも不機嫌そうに眉間にしわを寄せ、険しい表情を作っている。

「見習い召使……」

 メイドが力なくつぶやく。

「こんなところで道草食ってる場合? 早く紅茶とお菓子を届けないと、お嬢様にぶつくさ文句を言われるよ」

 メイドは黙り込む。しばし考えるようなしぐさを見せた後、見習い召使の言葉に返事をすることなく、談話室へ向かっていった。なにか、不愛想な雰囲気である。
 見習い召使は、いつのまにかいなくなっていた。
 詩は微かなもの悲しさを感じながら、部屋へ戻った。


 入浴を済ませたあと、部屋に戻ると、一枚のメモ書きが残されていた。
 優美な文字で、ひと言、

『伝えたいことがある。今夜、ワインセラーに来てほしい』

 とだけ書かれていた。

 ——この筆跡は……座長の。

 座長——つまり、主人が書いたもの、ということになる。——いったい、なんの用だろう?
 そして、ここでワインセラーに行くのが、正しい選択なのかどうか。もし、間違っていたら……詩はつばを飲んだ。
 だが、行かないことには変わらない。もしかしたら、物語の重要ななにかを、主人が握っているかもしれないのだから。
 詩は上着を羽織り、廊下に出た。外は暗く、空気が冷たい。部屋をゆるりと抜け出すと、そのまま階段の方へ向かう。ワインセラーは地下にある。階段を降り、もうすぐ地下への階段だという時だった。
 足元に、微かな違和感を覚えた。

「……あれ?」

 廊下の角で、偶然踏まなければ、気づかないような違和感だ。

 なにかあるのだろうか。詩は床を探る。すると、カーペットの下に、金属製の取っ手のようなものを見つけた。
 隠し通路、と言ったところか。

「……」詩はおもむろに取っ手に手をかけ、扉を開く。その先には、石造りの階段が螺旋状に伸びていた。

 ごくりとつばを飲み、詩は階段に足を下した。

♢♢♢

 蝋燭の暖かな光が、煌々と輝くなかを、詩は慎重に進んでゆく。長い階段だ。このまま、地獄へとたどり着いてしまうのではないかと思うほどだった。石橋を叩いて渡るように降りていくと、木製の扉が立ちはだかっていた。鍵はかかっていない。ドアノブに手をかけ、ゆっくりとその扉を開ける。
 そこにあったのは——大量の棺だった。

「——」

 なにか、言葉を発しようとしたが、できなかった。目の前にある棺の山は、行儀よく並べられており、それがかえって不気味だった。詩は、その場にぺたりと座り込んだ。

『また、また失敗した……』

 不意に、少年の声が聞こえてきた。聞き覚えのある、優しい声。

『次は、次こそは成功させる……させますから』

 いまにも泣きだしそうな沈痛な声に、胸が引き裂かれそうになる。
 そしてこの声。もう、正体は分かっている。

『ごめんなさい、ごめんなさい。——』

 そこで、はっと目が覚めた。

♢♢♢

 沈み込むように柔らかなベッドの上で、詩は目覚めた。なぜかまた、頭が痛い。ただ、昨日のような頭の内側から鈍く痛むような痛みではなく、こう、殴られたような痛みというか。
 その時、甲高い悲鳴が響き渡る。お嬢様の声だ。

「……」

 嫌な予感を押し殺し、詩は頭をかばいつつ、昨日と同様、悲鳴がした方へと向かう。
 場所は、地下にあるワインセラー。そこに、ひとりの男性が胸から血を流して倒れていた。まるでワインをこぼしたような赤黒いシミが、彼を中心に広がっている。
 その男性こそ、『村娘(うた)』をワインセラーに呼び出した、主人そのひとだった。