螺旋状に伸びる石造りの階段が延々と続いている。自身の足音が無駄に響き、心をざわつかせる。冷たい空気。乱れた息遣い。そのすべてが鬱陶しい。
——どうしたら家に帰れるの……?
終わらせればいいのだ。終わらせれば、この悪夢も終わる。
だが、どう終わらせればよいのか。物語はすでに、詩の知っている筋書きから脱線していた。
——真実の鍵はどこに、どこに……!
たどり着いた部屋。不意に輝く鍵。
詩はうっすらと笑みを浮かべ、つぶやいた。
「……みーつけた」
そこで、夢は終わった。
♢♢♢
屋敷は、十九世紀のイギリスを彷彿とさせるカントリーハウス風で、二階建て。別館等は存在しない。使用人の数からも想像できる通り、少し手狭な屋敷だ。詩の部屋は、二階の角の方、北側にあった。玄関の正面に階段があり、吹き抜けになっているので、玄関の声はよく聞こえる。
詩はとりあえず一階を散策しながら、現状を整理していた。
台本に存在しない人物の登場、そして死。おそらくあれは、ゲームで言うMPCだと、詩は思った。詩以外の部員も、おそらくそうだ。
この世界は、詩の知っている脚本の世界観を土台とした、まったく別の物語の世界——そう考えた。それか、詩の知っている脚本に捻じれが生じているだけで、本質としては同じなのか。
現状判断は難しいが、大方そう言ったところだろう。
どっちにしても、最悪な状況である。
——そして、選択次第では、わたしたちは殺される。
この世界の本質が分からない以上、なにが原因で死ぬのかもわからない。ひと言で言えばまずい、非常にまずい。
だが、それと同じくらい気になることもある。
——『〝完璧〟になるまで終わらない』って、なに?
このゲームは、マルチエンディングではないということか? 〝完璧〟に終わらせる以外に、脱出の方法がないということか。
考えるのはあとだ。いまはとにかく、物語を進めないといけない。
詩は執事からもらった見取り図片手に、屋敷の散策を続けた。
しばらく散策していると、声が聞こえてきた。聞こえにくいが、見習いメイドと見習い召使の声だ。
「この先は……」見取り図を指でなぞりながら、詩は位置を確認する。「遊戯室……かな」
さすが貴族のお屋敷。遊戯室等の娯楽を楽しむ部屋まで完備ときた。詩は声と見取り図を頼りに、遊戯室へ向かった。
ノックして入ると、予想通り、見習いメイドと見習い召使がいた。どうやらポーカーをしているらしい。執事がディーラーを担当している。
「あっ!」こちらに気が付いた見習いメイドが、詩に小さく手を振る。「こんにちは、村娘さん」
「あ、はい。こんにちは」とぎこちなく挨拶を返す。
「おや、村娘さん。どうかされましたか?」執事が問う。「なにか御用ですか?」
「もしかして、あたしたちとポーカーがしたいの~?」
まだなにも答えていないのだが……。そう考える間に、「あたしは強いから、やめておいた方がいいわよ~」と忠告された。見習いメイドは、感情がすぐに顔に出るタイプなので、絶対に弱いだろうと思う。
見習い召使も同じ考えだったようで、彼はわざとらしく息を吐く。
「はあ、さっきから僕に負け続けてるのに、よく言えたもんだよ」
それを聞いた執事は、寛雅に微笑むと、
「いまのところ、見習い召使さんの全勝ですものね♪」
と言った。
見習いメイドは顔を真っ赤にしながら、「つ、次こそは勝つから!」と意気込んだ。
「あ、あの……!」詩は、きり良きところで三人を制止した。そうしなければ、おそらく彼らは永遠にしゃべり続けてしまうだろう。物語が進むように。
——やっぱり、みんなには意思はないのかも……。
「……みなさんは、平気なんですか? あんなことがあったのに」
先ほどの光景は、衝撃的にもほどがあった。死体なんて、ドラマでしか見たことがない。ここが物語の中で、あれがMPCだとしても、ショックが大きすぎる。
しかし、それもあくまで、意志を持った『村娘』だけの話なのかもしれない。
「平気なわけないでしょ? ただ、悲観したって事実は好転しないんだから、うじうじしてるだけ時間の無駄ってだけ」
なるほど、確かにそうだと思った。この状況を嘆いたところで、なにも変わらない。
「ていうか、アンタなんじゃない? あのひとを殺した犯人」
詩はぽかんとした。一瞬、その場の時が止まった。
見習いメイドをキッと睨みつけ、
「馬鹿なこと言わないでよ。彼女は昨日、偶然この屋敷に来ただけの客人だよ。あのひとを殺す動機なんてないじゃないか」
と、見習い召使は反抗する。
「ふたりの言い分は分かりますが……現状はなんとも言えませんね」執事は少し苦そうな顔をしている。「確かに、昨日偶然居合わせただけの村娘さんには、殺人の動機はないかもしれません。ですが、信頼関係のない村娘さんが怪しまれるのも仕方がありません。動機なんて、聞いてみるまで分からないものですから」
総身が冷える思いがした。視線の端に映る見習い召使の表情もこわばっている。
「ちょっと、執事はどっちの味方なのよ」
「どちらでもありませんね。あくまで中立です」
そう言いつつも、疑いの目が詩に向けられていることは明らかだった。
「ふん、あれだけ僕の意見を否定してきて、よく言えたものだね」
「あくまで可能性の話ですよ。私だって、確証がある訳ではありませんから」
メガネのフレームの奥で、執事の茶色い瞳が怪しく輝いている。知的でありながら、冷徹さもにじむ光だ。
「確証がない話をしないで。時間の無駄だし……腹が立つ」
「……」詩は、見習い召使の言動に、微かな違和感を覚えていた。彼は、こんなに村娘を擁護する立場だっただろうか。もちろん、物語の捻じれと言われれば、それまでだ。だが、いまの見習い召使はまるで——
——本物のアレンみたいな……。
見習い召使は席を立ち、「……もういい、飽きた。あとは勝手にして」と言い残して、部屋を後にした。我に返った詩は、アレンを追いかけて部屋を飛び出した。
見習い召使は正面玄関前の階段にいた。彼を見つけた詩は、慌てて呼び止める。振り返った時、どこか不機嫌そうな顔をしていた。
「あの……さっきは、ありがとう、ございました」
やっとのことでそれだけ言うと、見習い召使は、
「……別に、根拠もなく疑われてるのが気にいらなかっただけ。君を助けたかったわけじゃないよ」
そう吐き捨て、さっさと階段を昇って行ってしまった。
現実世界のアレンにそっくりな言い回しだった。
——やっぱり、アレンみたいな……。
そうは思いつつも、その答えがどこかにある訳でもない。詩はその足で、談話室へと向かった。
談話室の顔を出すと、主人、奥様、お嬢様の三人が、ティータイムを楽しんでいた。殺人事件が起きているというのに、なんて呑気なひとたちだろうか。まだ一度も会っていないメイドは、お茶の追加を用意しているのか不在だった。
「あらら? こんなところになんの御用で? 村娘さん」
「ああ、えっと……」理由までは考えていなかった。この状況で、正直に探索をしていたことを話すのは、相手方の気分を害しかねない。「少し、場所を変えて休もうかなと……」
「ふうん……」
お嬢様は、訝し気にこちらを見ながら、ミルクティーのような色の巻き髪を弄ぶ。「なら、適当な場所に座って頂戴。入り口で突っ立っているのは無作法ですわ」
「あ、はい」
詩はひとり掛け用のソファに浅く腰掛けた。初めて来たときは気づかなかったが、手触りがよく、見るからに高級そうな布張りのソファだった。
「気分が悪くなるようなものを見せてしまってごめんね。まさか、わたしの屋敷で事件が起こるだなんて……」
主人の愁いを帯びた声音に、奥様も「ええ、そうですね」と眉を下げた。
「この吹雪では、しばらく助けも呼べそうにないですし……大変ですね」
詩がそう言うと、主人と奥様はそろって暗い顔をする。
「きっと毒殺されたに違いありません! そして、わたくしにはもう、犯人の目星はついておりますのよ!」
自信たっぷりに言い張るお嬢様は、役通りのわがままで高慢な令嬢である。
なんとなくその先が想像できるが、一応聞くことにした。
「それは……村娘さん、あなたよ!」
——やはり、そうくるのか。
予想通りではあるが、思わず顔がこわばる。
「こらこら、そうやってすぐに物事を決めつけるのはよくないよ」
主人がフォローを入れた。詩は内心ほっとした。
「まあ、動機は無いものね……それに、彼女は昨日この屋敷に来たばかりだし……」
奥様は言う。しかし、執事同様、疑いが隠しきれていない。
「まあまあ落ち着いて♪ ごめんね、村娘さん、彼女は生来疑り深くてね……」
「ああ、いえ、大丈夫です」
脚本の中でも、『お嬢様』は無駄に疑り深い性格をしているので、それほど気にしてはいない。どちらかと言えば、見習いメイドに疑われた時の方が堪えたものだ。
「では、わたしはこれで……」
「あら、紅茶は飲まないの?」
奥様が引き留めるが、詩は遠慮して部屋を出た。長居してもいいことはなさそうだ。
——部屋に戻ろう。
そう思って正面玄関へ向かっていると、メイドとすれ違った。ティーワゴンに、紅茶のほかにマドレーヌが乗っている。
「あ、こんにちは」
声をかけると、メイドは冷たい視線を詩に向ける。背筋がすっと冷たくなるような、氷のような視線だった。
「えっと……」
なにか話さなければ、そう思っていると、
「あなたはなにもしなくて結構ですからね。余計なことはなにもしないでください」
そう言われた。思わず「えっ……?」と声が漏れる。
——なにもしなくていいって……。
どういうことだ。それも余計なこととは——
ふたりの間に落ちた沈黙。それを破ったのは、
「ちょっと、なにしてるの?」
見習い召使の声だった。先ほどよりも不機嫌そうに眉間にしわを寄せ、険しい表情を作っている。
「見習い召使……」
メイドが力なくつぶやく。
「こんなところで道草食ってる場合? 早く紅茶とお菓子を届けないと、お嬢様にぶつくさ文句を言われるよ」
メイドは黙り込む。しばし考えるようなしぐさを見せた後、見習い召使の言葉に返事をすることなく、談話室へ向かっていった。なにか、不愛想な雰囲気である。
見習い召使は、いつのまにかいなくなっていた。
詩は微かなもの悲しさを感じながら、部屋へ戻った。
入浴を済ませたあと、部屋に戻ると、一枚のメモ書きが残されていた。
優美な文字で、ひと言、
『伝えたいことがある。今夜、ワインセラーに来てほしい』
とだけ書かれていた。
——この筆跡は……座長の。
座長——つまり、主人が書いたもの、ということになる。——いったい、なんの用だろう?
そして、ここでワインセラーに行くのが、正しい選択なのかどうか。もし、間違っていたら……詩はつばを飲んだ。
だが、行かないことには変わらない。もしかしたら、物語の重要ななにかを、主人が握っているかもしれないのだから。
詩は上着を羽織り、廊下に出た。外は暗く、空気が冷たい。部屋をゆるりと抜け出すと、そのまま階段の方へ向かう。ワインセラーは地下にある。階段を降り、もうすぐ地下への階段だという時だった。
足元に、微かな違和感を覚えた。
「……あれ?」
廊下の角で、偶然踏まなければ、気づかないような違和感だ。
なにかあるのだろうか。詩は床を探る。すると、カーペットの下に、金属製の取っ手のようなものを見つけた。
隠し通路、と言ったところか。
「……」詩はおもむろに取っ手に手をかけ、扉を開く。その先には、石造りの階段が螺旋状に伸びていた。
ごくりとつばを飲み、詩は階段に足を下した。
♢♢♢
蝋燭の暖かな光が、煌々と輝くなかを、詩は慎重に進んでゆく。長い階段だ。このまま、地獄へとたどり着いてしまうのではないかと思うほどだった。石橋を叩いて渡るように降りていくと、木製の扉が立ちはだかっていた。鍵はかかっていない。ドアノブに手をかけ、ゆっくりとその扉を開ける。
そこにあったのは——大量の棺だった。
「——」
なにか、言葉を発しようとしたが、できなかった。目の前にある棺の山は、行儀よく並べられており、それがかえって不気味だった。詩は、その場にぺたりと座り込んだ。
『また、また失敗した……』
不意に、少年の声が聞こえてきた。聞き覚えのある、優しい声。
『次は、次こそは成功させる……させますから』
いまにも泣きだしそうな沈痛な声に、胸が引き裂かれそうになる。
そしてこの声。もう、正体は分かっている。
『ごめんなさい、ごめんなさい。——』
そこで、はっと目が覚めた。
♢♢♢
沈み込むように柔らかなベッドの上で、詩は目覚めた。なぜかまた、頭が痛い。ただ、昨日のような頭の内側から鈍く痛むような痛みではなく、こう、殴られたような痛みというか。
その時、甲高い悲鳴が響き渡る。お嬢様の声だ。
「……」
嫌な予感を押し殺し、詩は頭をかばいつつ、昨日と同様、悲鳴がした方へと向かう。
場所は、地下にあるワインセラー。そこに、ひとりの男性が胸から血を流して倒れていた。まるでワインをこぼしたような赤黒いシミが、彼を中心に広がっている。
その男性こそ、『村娘』をワインセラーに呼び出した、主人そのひとだった。
——どうしたら家に帰れるの……?
終わらせればいいのだ。終わらせれば、この悪夢も終わる。
だが、どう終わらせればよいのか。物語はすでに、詩の知っている筋書きから脱線していた。
——真実の鍵はどこに、どこに……!
たどり着いた部屋。不意に輝く鍵。
詩はうっすらと笑みを浮かべ、つぶやいた。
「……みーつけた」
そこで、夢は終わった。
♢♢♢
屋敷は、十九世紀のイギリスを彷彿とさせるカントリーハウス風で、二階建て。別館等は存在しない。使用人の数からも想像できる通り、少し手狭な屋敷だ。詩の部屋は、二階の角の方、北側にあった。玄関の正面に階段があり、吹き抜けになっているので、玄関の声はよく聞こえる。
詩はとりあえず一階を散策しながら、現状を整理していた。
台本に存在しない人物の登場、そして死。おそらくあれは、ゲームで言うMPCだと、詩は思った。詩以外の部員も、おそらくそうだ。
この世界は、詩の知っている脚本の世界観を土台とした、まったく別の物語の世界——そう考えた。それか、詩の知っている脚本に捻じれが生じているだけで、本質としては同じなのか。
現状判断は難しいが、大方そう言ったところだろう。
どっちにしても、最悪な状況である。
——そして、選択次第では、わたしたちは殺される。
この世界の本質が分からない以上、なにが原因で死ぬのかもわからない。ひと言で言えばまずい、非常にまずい。
だが、それと同じくらい気になることもある。
——『〝完璧〟になるまで終わらない』って、なに?
このゲームは、マルチエンディングではないということか? 〝完璧〟に終わらせる以外に、脱出の方法がないということか。
考えるのはあとだ。いまはとにかく、物語を進めないといけない。
詩は執事からもらった見取り図片手に、屋敷の散策を続けた。
しばらく散策していると、声が聞こえてきた。聞こえにくいが、見習いメイドと見習い召使の声だ。
「この先は……」見取り図を指でなぞりながら、詩は位置を確認する。「遊戯室……かな」
さすが貴族のお屋敷。遊戯室等の娯楽を楽しむ部屋まで完備ときた。詩は声と見取り図を頼りに、遊戯室へ向かった。
ノックして入ると、予想通り、見習いメイドと見習い召使がいた。どうやらポーカーをしているらしい。執事がディーラーを担当している。
「あっ!」こちらに気が付いた見習いメイドが、詩に小さく手を振る。「こんにちは、村娘さん」
「あ、はい。こんにちは」とぎこちなく挨拶を返す。
「おや、村娘さん。どうかされましたか?」執事が問う。「なにか御用ですか?」
「もしかして、あたしたちとポーカーがしたいの~?」
まだなにも答えていないのだが……。そう考える間に、「あたしは強いから、やめておいた方がいいわよ~」と忠告された。見習いメイドは、感情がすぐに顔に出るタイプなので、絶対に弱いだろうと思う。
見習い召使も同じ考えだったようで、彼はわざとらしく息を吐く。
「はあ、さっきから僕に負け続けてるのに、よく言えたもんだよ」
それを聞いた執事は、寛雅に微笑むと、
「いまのところ、見習い召使さんの全勝ですものね♪」
と言った。
見習いメイドは顔を真っ赤にしながら、「つ、次こそは勝つから!」と意気込んだ。
「あ、あの……!」詩は、きり良きところで三人を制止した。そうしなければ、おそらく彼らは永遠にしゃべり続けてしまうだろう。物語が進むように。
——やっぱり、みんなには意思はないのかも……。
「……みなさんは、平気なんですか? あんなことがあったのに」
先ほどの光景は、衝撃的にもほどがあった。死体なんて、ドラマでしか見たことがない。ここが物語の中で、あれがMPCだとしても、ショックが大きすぎる。
しかし、それもあくまで、意志を持った『村娘』だけの話なのかもしれない。
「平気なわけないでしょ? ただ、悲観したって事実は好転しないんだから、うじうじしてるだけ時間の無駄ってだけ」
なるほど、確かにそうだと思った。この状況を嘆いたところで、なにも変わらない。
「ていうか、アンタなんじゃない? あのひとを殺した犯人」
詩はぽかんとした。一瞬、その場の時が止まった。
見習いメイドをキッと睨みつけ、
「馬鹿なこと言わないでよ。彼女は昨日、偶然この屋敷に来ただけの客人だよ。あのひとを殺す動機なんてないじゃないか」
と、見習い召使は反抗する。
「ふたりの言い分は分かりますが……現状はなんとも言えませんね」執事は少し苦そうな顔をしている。「確かに、昨日偶然居合わせただけの村娘さんには、殺人の動機はないかもしれません。ですが、信頼関係のない村娘さんが怪しまれるのも仕方がありません。動機なんて、聞いてみるまで分からないものですから」
総身が冷える思いがした。視線の端に映る見習い召使の表情もこわばっている。
「ちょっと、執事はどっちの味方なのよ」
「どちらでもありませんね。あくまで中立です」
そう言いつつも、疑いの目が詩に向けられていることは明らかだった。
「ふん、あれだけ僕の意見を否定してきて、よく言えたものだね」
「あくまで可能性の話ですよ。私だって、確証がある訳ではありませんから」
メガネのフレームの奥で、執事の茶色い瞳が怪しく輝いている。知的でありながら、冷徹さもにじむ光だ。
「確証がない話をしないで。時間の無駄だし……腹が立つ」
「……」詩は、見習い召使の言動に、微かな違和感を覚えていた。彼は、こんなに村娘を擁護する立場だっただろうか。もちろん、物語の捻じれと言われれば、それまでだ。だが、いまの見習い召使はまるで——
——本物のアレンみたいな……。
見習い召使は席を立ち、「……もういい、飽きた。あとは勝手にして」と言い残して、部屋を後にした。我に返った詩は、アレンを追いかけて部屋を飛び出した。
見習い召使は正面玄関前の階段にいた。彼を見つけた詩は、慌てて呼び止める。振り返った時、どこか不機嫌そうな顔をしていた。
「あの……さっきは、ありがとう、ございました」
やっとのことでそれだけ言うと、見習い召使は、
「……別に、根拠もなく疑われてるのが気にいらなかっただけ。君を助けたかったわけじゃないよ」
そう吐き捨て、さっさと階段を昇って行ってしまった。
現実世界のアレンにそっくりな言い回しだった。
——やっぱり、アレンみたいな……。
そうは思いつつも、その答えがどこかにある訳でもない。詩はその足で、談話室へと向かった。
談話室の顔を出すと、主人、奥様、お嬢様の三人が、ティータイムを楽しんでいた。殺人事件が起きているというのに、なんて呑気なひとたちだろうか。まだ一度も会っていないメイドは、お茶の追加を用意しているのか不在だった。
「あらら? こんなところになんの御用で? 村娘さん」
「ああ、えっと……」理由までは考えていなかった。この状況で、正直に探索をしていたことを話すのは、相手方の気分を害しかねない。「少し、場所を変えて休もうかなと……」
「ふうん……」
お嬢様は、訝し気にこちらを見ながら、ミルクティーのような色の巻き髪を弄ぶ。「なら、適当な場所に座って頂戴。入り口で突っ立っているのは無作法ですわ」
「あ、はい」
詩はひとり掛け用のソファに浅く腰掛けた。初めて来たときは気づかなかったが、手触りがよく、見るからに高級そうな布張りのソファだった。
「気分が悪くなるようなものを見せてしまってごめんね。まさか、わたしの屋敷で事件が起こるだなんて……」
主人の愁いを帯びた声音に、奥様も「ええ、そうですね」と眉を下げた。
「この吹雪では、しばらく助けも呼べそうにないですし……大変ですね」
詩がそう言うと、主人と奥様はそろって暗い顔をする。
「きっと毒殺されたに違いありません! そして、わたくしにはもう、犯人の目星はついておりますのよ!」
自信たっぷりに言い張るお嬢様は、役通りのわがままで高慢な令嬢である。
なんとなくその先が想像できるが、一応聞くことにした。
「それは……村娘さん、あなたよ!」
——やはり、そうくるのか。
予想通りではあるが、思わず顔がこわばる。
「こらこら、そうやってすぐに物事を決めつけるのはよくないよ」
主人がフォローを入れた。詩は内心ほっとした。
「まあ、動機は無いものね……それに、彼女は昨日この屋敷に来たばかりだし……」
奥様は言う。しかし、執事同様、疑いが隠しきれていない。
「まあまあ落ち着いて♪ ごめんね、村娘さん、彼女は生来疑り深くてね……」
「ああ、いえ、大丈夫です」
脚本の中でも、『お嬢様』は無駄に疑り深い性格をしているので、それほど気にしてはいない。どちらかと言えば、見習いメイドに疑われた時の方が堪えたものだ。
「では、わたしはこれで……」
「あら、紅茶は飲まないの?」
奥様が引き留めるが、詩は遠慮して部屋を出た。長居してもいいことはなさそうだ。
——部屋に戻ろう。
そう思って正面玄関へ向かっていると、メイドとすれ違った。ティーワゴンに、紅茶のほかにマドレーヌが乗っている。
「あ、こんにちは」
声をかけると、メイドは冷たい視線を詩に向ける。背筋がすっと冷たくなるような、氷のような視線だった。
「えっと……」
なにか話さなければ、そう思っていると、
「あなたはなにもしなくて結構ですからね。余計なことはなにもしないでください」
そう言われた。思わず「えっ……?」と声が漏れる。
——なにもしなくていいって……。
どういうことだ。それも余計なこととは——
ふたりの間に落ちた沈黙。それを破ったのは、
「ちょっと、なにしてるの?」
見習い召使の声だった。先ほどよりも不機嫌そうに眉間にしわを寄せ、険しい表情を作っている。
「見習い召使……」
メイドが力なくつぶやく。
「こんなところで道草食ってる場合? 早く紅茶とお菓子を届けないと、お嬢様にぶつくさ文句を言われるよ」
メイドは黙り込む。しばし考えるようなしぐさを見せた後、見習い召使の言葉に返事をすることなく、談話室へ向かっていった。なにか、不愛想な雰囲気である。
見習い召使は、いつのまにかいなくなっていた。
詩は微かなもの悲しさを感じながら、部屋へ戻った。
入浴を済ませたあと、部屋に戻ると、一枚のメモ書きが残されていた。
優美な文字で、ひと言、
『伝えたいことがある。今夜、ワインセラーに来てほしい』
とだけ書かれていた。
——この筆跡は……座長の。
座長——つまり、主人が書いたもの、ということになる。——いったい、なんの用だろう?
そして、ここでワインセラーに行くのが、正しい選択なのかどうか。もし、間違っていたら……詩はつばを飲んだ。
だが、行かないことには変わらない。もしかしたら、物語の重要ななにかを、主人が握っているかもしれないのだから。
詩は上着を羽織り、廊下に出た。外は暗く、空気が冷たい。部屋をゆるりと抜け出すと、そのまま階段の方へ向かう。ワインセラーは地下にある。階段を降り、もうすぐ地下への階段だという時だった。
足元に、微かな違和感を覚えた。
「……あれ?」
廊下の角で、偶然踏まなければ、気づかないような違和感だ。
なにかあるのだろうか。詩は床を探る。すると、カーペットの下に、金属製の取っ手のようなものを見つけた。
隠し通路、と言ったところか。
「……」詩はおもむろに取っ手に手をかけ、扉を開く。その先には、石造りの階段が螺旋状に伸びていた。
ごくりとつばを飲み、詩は階段に足を下した。
♢♢♢
蝋燭の暖かな光が、煌々と輝くなかを、詩は慎重に進んでゆく。長い階段だ。このまま、地獄へとたどり着いてしまうのではないかと思うほどだった。石橋を叩いて渡るように降りていくと、木製の扉が立ちはだかっていた。鍵はかかっていない。ドアノブに手をかけ、ゆっくりとその扉を開ける。
そこにあったのは——大量の棺だった。
「——」
なにか、言葉を発しようとしたが、できなかった。目の前にある棺の山は、行儀よく並べられており、それがかえって不気味だった。詩は、その場にぺたりと座り込んだ。
『また、また失敗した……』
不意に、少年の声が聞こえてきた。聞き覚えのある、優しい声。
『次は、次こそは成功させる……させますから』
いまにも泣きだしそうな沈痛な声に、胸が引き裂かれそうになる。
そしてこの声。もう、正体は分かっている。
『ごめんなさい、ごめんなさい。——』
そこで、はっと目が覚めた。
♢♢♢
沈み込むように柔らかなベッドの上で、詩は目覚めた。なぜかまた、頭が痛い。ただ、昨日のような頭の内側から鈍く痛むような痛みではなく、こう、殴られたような痛みというか。
その時、甲高い悲鳴が響き渡る。お嬢様の声だ。
「……」
嫌な予感を押し殺し、詩は頭をかばいつつ、昨日と同様、悲鳴がした方へと向かう。
場所は、地下にあるワインセラー。そこに、ひとりの男性が胸から血を流して倒れていた。まるでワインをこぼしたような赤黒いシミが、彼を中心に広がっている。
その男性こそ、『村娘』をワインセラーに呼び出した、主人そのひとだった。