「若芽さんっていい子ちゃんだから、愚痴のひとつも溢せないのかなって心配だったんだよね」
また明日から頑張ろうって気持ちを呼び起こすのは難しいけど、美味しい食事は明日も頑張ってもいいかな~くらいの軽い気持ちをもたらしてくれる。
「だって、愚痴なんて溢したら嫌われるじゃないですか……。嫌われなくても、周囲に言いふらされるとか……」
「あー、私のこと、信用してない?」
「違います! そういうことではなくて……」
若芽さんが気まずそうな表情をすると、ご飯を食べ進めるように促す。
すると店主の味に魅了された若芽さんの口角は、自然と上がっていく。
「愚痴友……とか」
ぽつりと、思い浮かんだ単語を呟く。
「愚痴友とか、いいね!」
意外と、いいネーミング案が浮かんだのではないかと自画自賛。
「待ってください! 愚痴なんて、他人に話していいことなんてひとつも……」
「そう言うってことは、そういう経験があるってことだよね」
若芽さんが言葉を詰まらせた様子を見て、私は再度、手元の定食を食べてくださいと合図を送る。
「こっちは近況報告してるだけなのに、なんでか愚痴に捉えられちゃう」
口の中に広がる焼き魚の塩味が、人生は塩辛い物なんだと訴えかけてくる。
「そう……なんですよ」
若芽さんが吐き捨てるように言葉を漏らす。
「そう……こっちは愚痴ってるつもりじゃなくて、お話ししてるだけなんですよ! 最近、こんなことがあったって……」
「だよねー。言い方が悪いんだよって言われたって、こっちは役者じゃないんだから」
定食屋さんの柔らかい明かりがテーブルを照らして、テーブルの上に置かれている食べ物の応しさを引き立てていく。
口から溢れてくる言葉は汚いものかもしれないけど、美味しい食事はその汚さを少しは和らげてくれるような気がする。
「どう? 愚痴友?」
「え……」
焼き魚と天ぷらの美味しさを堪能し、本来なら楽しいひとときを過ごしたい。
でも、社会は、それを許してくれない。
楽しいだけでは生きていけないのが、人生ってもの。
「愚痴友っていうところに信頼がないんだったら、美味しい物を食べながらの近況報告会」
抱え込んでいる闇は、誰にも興味を持たれない。
抱え込んでいる闇は、誰にも受け入れてもらえない。
そんな言葉が心をずきんと揺らしにかかってくるから、人々は笑顔を取り戻すための何かを探し求めていくのかもしれない。
「働くって、地味に傷つくよね」
「生きていくために稼ぐって……そういうことなんですよね」
私の場合は。
若芽さんの場合は。
笑顔を取り戻すための方法が、一緒に食事をすることならいいなって独りよがりが頭を過る。
「まだ新入社員なのに、ぼっこぼこにやられてるね」
「あー……ご飯作る以外、なんの取り柄もなかったので」
「それ、十分な取り柄だよ」
ご飯を作るって、立派な取り柄のはずなのに。
それは取り柄じゃなくて、若芽さんの中ではできて当たり前のこととして捉えられている。
長い時間をかけて凝り固まってしまった自信のなさは、そう簡単に溶けてくれないかもしれない。
(私だって、ずっと可愛いって言葉をこじらせてる……)
可愛い以外に誇れるものがないまま年を重ねて、三十を手前に生きる意味を失いつつある。
「若芽さんの腕で、もっと私を喜ばせて」
友情。
推し活。
趣味。
恋愛。
仕事。
結婚。
人生の選択肢がいろいろある中で、私には優先したいと思えるものがない。
欲求という欲求が枯れ切った私は、まずはちゃんと食べるところから始めてみたい。
「って、上から目線か」
世間から興味を持たれなくなった可愛かった頃の私。
今から新しい人生を始めてみればって言われても、その始め方すら分からない。
「食費はちゃんと払うから、若芽さんと一緒にご飯が食べたいなって話……って、若芽さん!?」
若芽さんの頬に、涙の跡。
涙を溢れさせている様子はないのに、彼女は鼻をすすった。
「森永さん……」
さすがに、若芽さんが泣きじゃくるって展開にはならなかった。
でも、今すぐにでも泣きたいんだって気持ちを彼女も抱いているんだろうなってことが十分に伝わってきた。
「森永さん」
泣くことすら許してもらえない毎日に身を置いているからこそ、美味しい食の力に助けられるのかもしれない。
「まずは、お試しってどうかな」
閉店間近の店内は賑わっているとは言えないけれど、ほかのお客さんたちの笑い声。
店主や店員さんとお客さんの親しげな会話が、私たちの心を温めてくれる。
「私が若芽さんの愚痴を言いふらしたりしないってことを、確認してからのお付き合いってことで……」
「森永さん……」
「ん?」
「ありがとうございます」
その言葉を最後に、私たちの会話は終わってしまった。
会話が終わるっていうと喧嘩みたいだけど、そういう大きな出来事ではない。
話題を振れば、お互いに言葉を返し合う。
声をかければ、お互いに返事をした。
「若芽さん」
私たちは、美味しい食事に集中している。
ただ、それだけのこと。
「美味しいね」
「森永さんに気に入ってもらえて、本当に嬉しいです」
世の中は、ほとんどが他人同士で構成されている。
一緒に食事をしている人たちの顔なんて明日には忘れてしまうかもしれないけど、その一瞬の出会い。
他人との一瞬の出会いに心が救われることもあるんだと、若芽さんとの食事で知ることができた。
また明日から頑張ろうって気持ちを呼び起こすのは難しいけど、美味しい食事は明日も頑張ってもいいかな~くらいの軽い気持ちをもたらしてくれる。
「だって、愚痴なんて溢したら嫌われるじゃないですか……。嫌われなくても、周囲に言いふらされるとか……」
「あー、私のこと、信用してない?」
「違います! そういうことではなくて……」
若芽さんが気まずそうな表情をすると、ご飯を食べ進めるように促す。
すると店主の味に魅了された若芽さんの口角は、自然と上がっていく。
「愚痴友……とか」
ぽつりと、思い浮かんだ単語を呟く。
「愚痴友とか、いいね!」
意外と、いいネーミング案が浮かんだのではないかと自画自賛。
「待ってください! 愚痴なんて、他人に話していいことなんてひとつも……」
「そう言うってことは、そういう経験があるってことだよね」
若芽さんが言葉を詰まらせた様子を見て、私は再度、手元の定食を食べてくださいと合図を送る。
「こっちは近況報告してるだけなのに、なんでか愚痴に捉えられちゃう」
口の中に広がる焼き魚の塩味が、人生は塩辛い物なんだと訴えかけてくる。
「そう……なんですよ」
若芽さんが吐き捨てるように言葉を漏らす。
「そう……こっちは愚痴ってるつもりじゃなくて、お話ししてるだけなんですよ! 最近、こんなことがあったって……」
「だよねー。言い方が悪いんだよって言われたって、こっちは役者じゃないんだから」
定食屋さんの柔らかい明かりがテーブルを照らして、テーブルの上に置かれている食べ物の応しさを引き立てていく。
口から溢れてくる言葉は汚いものかもしれないけど、美味しい食事はその汚さを少しは和らげてくれるような気がする。
「どう? 愚痴友?」
「え……」
焼き魚と天ぷらの美味しさを堪能し、本来なら楽しいひとときを過ごしたい。
でも、社会は、それを許してくれない。
楽しいだけでは生きていけないのが、人生ってもの。
「愚痴友っていうところに信頼がないんだったら、美味しい物を食べながらの近況報告会」
抱え込んでいる闇は、誰にも興味を持たれない。
抱え込んでいる闇は、誰にも受け入れてもらえない。
そんな言葉が心をずきんと揺らしにかかってくるから、人々は笑顔を取り戻すための何かを探し求めていくのかもしれない。
「働くって、地味に傷つくよね」
「生きていくために稼ぐって……そういうことなんですよね」
私の場合は。
若芽さんの場合は。
笑顔を取り戻すための方法が、一緒に食事をすることならいいなって独りよがりが頭を過る。
「まだ新入社員なのに、ぼっこぼこにやられてるね」
「あー……ご飯作る以外、なんの取り柄もなかったので」
「それ、十分な取り柄だよ」
ご飯を作るって、立派な取り柄のはずなのに。
それは取り柄じゃなくて、若芽さんの中ではできて当たり前のこととして捉えられている。
長い時間をかけて凝り固まってしまった自信のなさは、そう簡単に溶けてくれないかもしれない。
(私だって、ずっと可愛いって言葉をこじらせてる……)
可愛い以外に誇れるものがないまま年を重ねて、三十を手前に生きる意味を失いつつある。
「若芽さんの腕で、もっと私を喜ばせて」
友情。
推し活。
趣味。
恋愛。
仕事。
結婚。
人生の選択肢がいろいろある中で、私には優先したいと思えるものがない。
欲求という欲求が枯れ切った私は、まずはちゃんと食べるところから始めてみたい。
「って、上から目線か」
世間から興味を持たれなくなった可愛かった頃の私。
今から新しい人生を始めてみればって言われても、その始め方すら分からない。
「食費はちゃんと払うから、若芽さんと一緒にご飯が食べたいなって話……って、若芽さん!?」
若芽さんの頬に、涙の跡。
涙を溢れさせている様子はないのに、彼女は鼻をすすった。
「森永さん……」
さすがに、若芽さんが泣きじゃくるって展開にはならなかった。
でも、今すぐにでも泣きたいんだって気持ちを彼女も抱いているんだろうなってことが十分に伝わってきた。
「森永さん」
泣くことすら許してもらえない毎日に身を置いているからこそ、美味しい食の力に助けられるのかもしれない。
「まずは、お試しってどうかな」
閉店間近の店内は賑わっているとは言えないけれど、ほかのお客さんたちの笑い声。
店主や店員さんとお客さんの親しげな会話が、私たちの心を温めてくれる。
「私が若芽さんの愚痴を言いふらしたりしないってことを、確認してからのお付き合いってことで……」
「森永さん……」
「ん?」
「ありがとうございます」
その言葉を最後に、私たちの会話は終わってしまった。
会話が終わるっていうと喧嘩みたいだけど、そういう大きな出来事ではない。
話題を振れば、お互いに言葉を返し合う。
声をかければ、お互いに返事をした。
「若芽さん」
私たちは、美味しい食事に集中している。
ただ、それだけのこと。
「美味しいね」
「森永さんに気に入ってもらえて、本当に嬉しいです」
世の中は、ほとんどが他人同士で構成されている。
一緒に食事をしている人たちの顔なんて明日には忘れてしまうかもしれないけど、その一瞬の出会い。
他人との一瞬の出会いに心が救われることもあるんだと、若芽さんとの食事で知ることができた。