「あ……すみません」
夜遅くの定食屋でのひとときは、私にとって特別な時間となっている。
でも、若芽さんにとっては、そうでもないのかもしれない。
若芽さんの体は硬直してしまったかのように身動きを取らなくなってしまって、彼女は手元の天ぷら定食に視線を下ろした。
「あの……私、本当に好きでやっていたことなんです。森永さんに、ご飯を押しつけるの」
店内の穏やかな雰囲気を拒むように、若芽さんは私の目を見ることなく俯いてしまった。
「恥ずかしい話なんですけど、承認欲求を満たすためというか」
楽しい食事の時間を駄目にしてしまったんじゃないかと反省しようとすると、若芽さんは顔を上げた。
無理に微笑んでいるような表情だったけど、私の目を見て話をしてくれた。
「美味しくご飯を作れたら、認めてもらえるんじゃないかなって」
運ばれてきた定食が冷めないように、食べ進めながら話を聞いてほしいと若芽さんが合図を送ってくれる。
彼女も私が食事を遠慮しないように、海老の天ぷらを天つゆに軽く浸しながら口へと運んでいく。
「私の家って、女性はご飯を作れて当然みたいな考えなんですよ」
若芽さんが天ぷらを噛み締めると、衣の香ばしさが伝わる音が聞こえてくる。
口の中には美味しさが広がっていくはずなのに、肝心の食事をしている若芽さんの表情に元気がない。
「作っても作っても作っても、ご飯を作るのは当たり前。感謝の一言ももらえないことに疲れちゃって……現在の私の完成です」
私が若芽さんの味を求めてしまったから、彼女はずっと閉じ込めていても良かった話をする羽目になってしまった。
「……他人同士なら、ご飯を作ってくれるのは当たり前じゃなくなる」
「はい、絶対に感謝の気持ちをくれる関係性になれてしまうんです」
それが、彼女の無理な笑顔に繋がってしまったのだと気づく。
「森永さん、私がお腹いっぱいになっちゃうくらい『ありがとう』って言葉をくれるんです。調子に乗って、『ありがとう』のおかわりをもらいに行っちゃいました」
昆布と鰹節の出汁が効いた優しい味わいの味噌汁を口にすると、若芽さんの顔にほっとした表情が浮かび上がる。
「若芽さん、その顔だよ」
「え?」
「若芽さんにとってご飯を作ることって、義務とか、承認欲求とか……いろいろあるかもしれないけど、若芽さん! そもそも、ご飯作ること好きでしょ?」
食事の場というものは、とんでもなく大きな癒し効果を発揮するんじゃないかと思った。
若芽さんに苦しさを強いてしまってどうしようとか思っていたのに、彼女が口にした美味しい食事たちは自然と彼女を笑顔にしてしまった。
「その笑顔、すっごく可愛い!」
急に真面目な顔つきになったかもしれない。
でも、食事の場に相応しいのは笑顔だって気づいて、優しい笑みというものを浮かべられるように炊き上がったばかりのご飯を口に運ぶ。
「ご飯の話をするときの若芽さんの笑顔、私、すっごく好き」
焼き魚の旨味を引き立ててくれるご飯の美味しさを噛み締めながら、私は若芽さんにありのままの気持ちを伝えていく。
「食関係の業界に就職すれば良かったのにって思うくらい、その笑顔が好き」
若芽さんのご家庭にとっては、女性がご飯を作るのは義務。
そんな家庭環境を生きる息苦しさをなんとなく察したからこそ、私は若芽さんを褒め称えるという選択を選びたい。
「……専門機関で料理を学ぶなんてもっての外でした」
若芽さんは基本的にまったりのんびりした喋り方で、こんな風に人の心臓を揺らしてくるような喋り方をしない。
「家族のためにしかご飯を作ったことがない人間が、他人の役に立てるわけがないって」
だから、私の心臓は揺さぶられてしまったのかもしれない。
「でも、ご飯を作るのも、ご飯を食べるのも好きって気持ち、今も若芽さんは持続しているんだね」
「はいっ」
若芽さんに活力を与えているのは、この定食屋さんの力が発揮されたおかげなのか。
若芽さんの中で、ご飯への情熱が爆発したからなのか。
「だから、自分で学費を稼ぐところから始めようかなと……」
答えは分からないけど、目の前にいる若芽さんが自然と笑みを浮かべられるようになったのなら素直に嬉しい。
「すっごくいいと思う」
「あ、すみません……百円ショップを踏み台のような言い方をして……」
「大丈夫、大丈夫、私は百均のお偉いさんじゃないから」
定食屋さんの味に心から癒されると、私たちは同時に笑顔を浮かべた。
「うん、これでやっと若芽さんの本音を聞けたかな」
「ほんと……すみません……私、こんな暗い話をするために、ご飯に誘ったわけじゃ……」
「そのいい子ちゃんの仮面、取っ払っちゃえ」
自分の口角を無理矢理に引き上げて、若芽さんには笑ってほしいって気持ちを彼女に送る。
夜遅くの定食屋でのひとときは、私にとって特別な時間となっている。
でも、若芽さんにとっては、そうでもないのかもしれない。
若芽さんの体は硬直してしまったかのように身動きを取らなくなってしまって、彼女は手元の天ぷら定食に視線を下ろした。
「あの……私、本当に好きでやっていたことなんです。森永さんに、ご飯を押しつけるの」
店内の穏やかな雰囲気を拒むように、若芽さんは私の目を見ることなく俯いてしまった。
「恥ずかしい話なんですけど、承認欲求を満たすためというか」
楽しい食事の時間を駄目にしてしまったんじゃないかと反省しようとすると、若芽さんは顔を上げた。
無理に微笑んでいるような表情だったけど、私の目を見て話をしてくれた。
「美味しくご飯を作れたら、認めてもらえるんじゃないかなって」
運ばれてきた定食が冷めないように、食べ進めながら話を聞いてほしいと若芽さんが合図を送ってくれる。
彼女も私が食事を遠慮しないように、海老の天ぷらを天つゆに軽く浸しながら口へと運んでいく。
「私の家って、女性はご飯を作れて当然みたいな考えなんですよ」
若芽さんが天ぷらを噛み締めると、衣の香ばしさが伝わる音が聞こえてくる。
口の中には美味しさが広がっていくはずなのに、肝心の食事をしている若芽さんの表情に元気がない。
「作っても作っても作っても、ご飯を作るのは当たり前。感謝の一言ももらえないことに疲れちゃって……現在の私の完成です」
私が若芽さんの味を求めてしまったから、彼女はずっと閉じ込めていても良かった話をする羽目になってしまった。
「……他人同士なら、ご飯を作ってくれるのは当たり前じゃなくなる」
「はい、絶対に感謝の気持ちをくれる関係性になれてしまうんです」
それが、彼女の無理な笑顔に繋がってしまったのだと気づく。
「森永さん、私がお腹いっぱいになっちゃうくらい『ありがとう』って言葉をくれるんです。調子に乗って、『ありがとう』のおかわりをもらいに行っちゃいました」
昆布と鰹節の出汁が効いた優しい味わいの味噌汁を口にすると、若芽さんの顔にほっとした表情が浮かび上がる。
「若芽さん、その顔だよ」
「え?」
「若芽さんにとってご飯を作ることって、義務とか、承認欲求とか……いろいろあるかもしれないけど、若芽さん! そもそも、ご飯作ること好きでしょ?」
食事の場というものは、とんでもなく大きな癒し効果を発揮するんじゃないかと思った。
若芽さんに苦しさを強いてしまってどうしようとか思っていたのに、彼女が口にした美味しい食事たちは自然と彼女を笑顔にしてしまった。
「その笑顔、すっごく可愛い!」
急に真面目な顔つきになったかもしれない。
でも、食事の場に相応しいのは笑顔だって気づいて、優しい笑みというものを浮かべられるように炊き上がったばかりのご飯を口に運ぶ。
「ご飯の話をするときの若芽さんの笑顔、私、すっごく好き」
焼き魚の旨味を引き立ててくれるご飯の美味しさを噛み締めながら、私は若芽さんにありのままの気持ちを伝えていく。
「食関係の業界に就職すれば良かったのにって思うくらい、その笑顔が好き」
若芽さんのご家庭にとっては、女性がご飯を作るのは義務。
そんな家庭環境を生きる息苦しさをなんとなく察したからこそ、私は若芽さんを褒め称えるという選択を選びたい。
「……専門機関で料理を学ぶなんてもっての外でした」
若芽さんは基本的にまったりのんびりした喋り方で、こんな風に人の心臓を揺らしてくるような喋り方をしない。
「家族のためにしかご飯を作ったことがない人間が、他人の役に立てるわけがないって」
だから、私の心臓は揺さぶられてしまったのかもしれない。
「でも、ご飯を作るのも、ご飯を食べるのも好きって気持ち、今も若芽さんは持続しているんだね」
「はいっ」
若芽さんに活力を与えているのは、この定食屋さんの力が発揮されたおかげなのか。
若芽さんの中で、ご飯への情熱が爆発したからなのか。
「だから、自分で学費を稼ぐところから始めようかなと……」
答えは分からないけど、目の前にいる若芽さんが自然と笑みを浮かべられるようになったのなら素直に嬉しい。
「すっごくいいと思う」
「あ、すみません……百円ショップを踏み台のような言い方をして……」
「大丈夫、大丈夫、私は百均のお偉いさんじゃないから」
定食屋さんの味に心から癒されると、私たちは同時に笑顔を浮かべた。
「うん、これでやっと若芽さんの本音を聞けたかな」
「ほんと……すみません……私、こんな暗い話をするために、ご飯に誘ったわけじゃ……」
「そのいい子ちゃんの仮面、取っ払っちゃえ」
自分の口角を無理矢理に引き上げて、若芽さんには笑ってほしいって気持ちを彼女に送る。