もう一度電車に乗り、当初の目的地であった駅で降車した。待ち合わせの約束をしていた駅前は、萌の想像していた以上に混雑していた。これではどちらにせよ駅前で落ち合うのは難しかったかもしれない。
スマートフォンで調べると、駅からほど近いところに水族館はあるようだった。地図を見ながら歩いている間も、どんどんスマートフォンに通知がたまっていく。
メッセージアプリのアイコンの通知の数がどんどん増えていくけれど、こわくて開くことが出来なかった。
着信があるときは画面を伏せて、誰からの電話か見えないようにした。今だけは自分の反射神経に感謝したい気分だ。
だって、このメッセージも、着信も、矢吹くんじゃなかったら…………?
篠原さんとの関係に口出しするくらいなら、雨宮はもういいや、って思われちゃってたらどうしよう。
駿介がそんな人じゃないことは、誰よりも萌が一番知っているはずだった。
それなのに、不安が暴走してしまい、冷静に考えることが出来なくなっていた。
水族館に到着して、入場料を支払う。
中に入って、すぐに萌は足を止めた。最先端の技術を駆使した、体験型の水族館。ホームページに載っていたそんな言葉が頭をよぎる。
水槽を彩る光に心が落ち着く音楽、きらきらとした世界が、そこには広がっていた。
「わぁ…………」
思わず声が漏れてしまったけれど、きっと誰も萌のことなんて気にしていないだろう。家族連れ、カップル、老夫婦。みんな幸せそうに笑っていて、今を思い出に刻みつけようとしている。
水槽は少し眩しいくらい色彩が主張しているのに、中の魚たちはすいすいと自由気ままに泳いでいる。外の世界のことなんて全く気にしていないのかもしれない。
少しだけ、魚のことが羨ましくなった。
駿介にどう思われるか、そればかりを気にして何も言えない自分。
考えるための脳も、言葉を伝えるための口も、不自由なく持っているくせに、自分で足枷をつけて溺れてしまっているみたいだ。
萌はイルカショーを楽しみにしていて、館内はおまけ程度に考えていたはずだった。それなのに、気づけば没頭して水槽を見つめていた。
館内アナウンスが、イルカショーの開始時刻が迫っていることを告げていたが、萌は動かなかった。見る見るうちに人が少なくなっていく。きっとみんな、名物のイルカショーを目当てに来ていたのだろう。
人が少なくなると、館内にいるのは萌だけになってしまったかのように錯覚した。周りを見回せばまだたくさん人はいるのに、一人だけ取り残されてしまったような、そんな感覚だった。
それでも萌はゆっくり見て回った。魚には詳しくないけれど、一匹ずつ目で追ってみると、だんだんかわいく見えてくる。
どのくらい時間が経ったのか分からない。イルカショーも終わって人が戻ってきたようなので、ずいぶんと熱中してしまっていたのかもしれない。
水槽の光を頼りに、パンフレットに目を落とす。別のコーナーにはペンギンやアザラシ、カワウソなどもいるようだ。そっちに行ってみようか、と萌が顔を上げたときだった。
いた! と館内に響く男の人の声。周りの人たちの視線が集まるのも構うことなく、背の高い男が人混みをかき分けて萌の方にやって来る。
「いたよ、大丈夫。家まで送っていくから。うん、いいけど。さすがに俺、怒ってるからね。まじで反省してね」
萌の手首をしっかりと掴んだまま、スマートフォンで電話をしていた男は、ぷつりと電話を切る。それからへなへなとしゃがみ込んで、「あー本当に焦った、死ぬかと思った」と呟いた。
「……………………いがらしくん」
萌の声に反応して、男は顔を上げる。水槽の光に照らされて、眩しそうに目を細めるその人は、間違いなく萌のクラスメイトの健也だった。