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 そんなこんなで初めのうちこそ緊張しっぱなしで、周囲の誰もが別次元の人間に見えたりしたけれど、数日もすれば慣れてきた。「先輩たちも、最初はわたしと同じように緊張したはずだわ」と思ったら、段々と平気になったみたい。
 そして――。
 春の訪れを感じるようになった、ある日。

「ねえ。私のこと、好き?」

 それは唐突だった。
 大胆にも、定子さまが、そんなことをわたしにお尋ねになったのだ。

「も、もちろんでございます!」

 ドギマギしつつ、そう答えようとしたら。

 間が悪いことに、女房の詰所(つめしょ)から「ハクション!」と、もの凄く大きなくしゃみが聞こえてきた。

「まあ、ひどい。そなた、ウソついたわね。もういいわ!」

 定子さまはプイッと顔をそむけ、奥に引っ込んでしまったのだった。

(そ、そんなっ!)

 わたし、ウソなんてついてない!
 誰が何と言おうと、わたしの推しは定子さまなんだもの!
 くしゃみは縁起悪いからって、わたしがウソついてるって決めつけた定子さまもお人が悪いわ。
 てか、くしゃみしたの誰よ!?
 そもそも、人前でくしゃみするなんて、はしたないわよ!
 わたしなんか、くしゃみ出そうになっても、ちゃんと我慢するのに!
 ムカつくっ!
 くしゃみしたやつを見つけて、怒りをぶつけたい!
 心の中で、タイミング悪すぎるくしゃみへの恨み言が止まらない。

 ……とはいえ、新入りのわたしが抗議できる訳もなく、すごすごと部屋に下がるしかなかった。

「これをどうぞ」

 女官が、定子さまからのお手紙を持ってきたのは、それからすぐのこと。
 春らしい萌黄色(もえぎいろ)の薄手の和紙に書かれた、おしゃれな和歌だった。

「いかにしていかに知らまし偽りを 空に(ただ)すの神なかりせば となむ、御気色(みけしき)は」
(そなたのウソをズバリお見通しの神さまがいなければ、私にはわからなかったわ。ウソつかれたってことが)

 読んだ瞬間、頭の中が真っ白になった。

(な、なんてことっ!?)

 定子さまの和歌は素敵だけれど、わたしがウソついたと思われてるのが悲しいし、くやしいっ!
 あのくしゃみをした人が憎くて仕方ない。
 取り乱しながら、返歌を書く。

(うす)さ濃さそれにもよらぬはなゆゑに 憂き身のほどを見るぞわびしき なほ、こればかり啓し直させたまへ。(しき)の神もおのづから。いと(かしこ)し」
(「花」には濃い色も薄い色もありますが、くしゃみは「鼻」によるものです。だからあなたへの想いが「薄い」なんてことはありません。誤解されたままで、わたし、悲しいです。ぜひ、これだけはお伝えしたいのです。ご機嫌をお直しくださいませ。神さまに誓って、わたしは潔白です。愛しの中宮さまにウソをついたりなんて、絶対ありえません!)

 定子さまに返歌を出したあとも、気分は晴れない。
 慌てて即レスしたから、返歌の作法もなってないし、定子さまのご機嫌をさらに損ねるかもしれない。「空」や「神」を借りるべきだったのに、釈明したいキモチが先走って、「花」と「鼻」を掛けてしまって、ワケわかんない歌になったし。

(うぅ、ホントに凹む)

 よりによって、なんであのタイミングでくしゃみするの!?
 もう、泣きたい………。

 ――といった感じで、定子さまと出会ったばかりのころ、わたしは翻弄されてばかりだった。
 ワザとイジワルを言ってきたり、拗ねてみせたり、小悪魔だった定子さまが、懐かしく思い出されるのだ。