ここで、定子さまとの出会いについて書いておこうと思う。

 わたしは、歌人の清原(きよはらの)元輔(もとすけ)の末娘として、田舎で生まれ育った。幼いころから詩や歌を学び、物語にも夢中な、文学少女へと成長。物語に描かれている、きらびやかな京の宮廷に対する憧れがふくらんでいく。
 結婚し、一子をもうけ、バツイチのシングルマザーになったあとも、京への憧れを持ち続けていた。

 わたしの願いが叶って、京の宮廷に好待遇で招かれたのは、正暦(しょうりゃく)四年(九九三年)の冬のころ。わたしは二十八歳だった。田舎で生涯を終えるはずだったのに、すべてが一変したのだ。
 関白として栄華の絶頂を極めていた藤原(ふじわらの)道隆(みちたか)さまにスカウトされ、ご息女の定子さま専属の秘書として雇われたわたしは、もう有頂天!
 だって、そうでしょ?
 そのとき十七歳の定子さまは、一条(いちじょう)天皇に寵愛されていた中宮――お后さまだったのだから……。
 わたしが、お后さまの専属秘書に!?
 そりゃもう、「推して参る!」とばかりに、意気込んだものだった。人生をやり直すぐらいの勢いで。

 ……だけど、いざ京へ参って、宮仕えしてみると、恥ずかしいことばかり。緊張状態が続いて、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちそうだった。
 田舎では、父や夫以外には、顔を見せないことがマナーであり、女のたしなみだったんだもの。そんな生活が当たり前だったのに、宮廷ではそうもいかない。この環境の変化が、わたしを憂鬱にさせた。

 人目につく昼間は避けて、夜に出勤し、几帳(間仕切り)に隠れていたら。

「ねえ、一緒に見ない?」

 ガチガチのわたしを気遣ってか、定子さまは絵巻物を見せてくださる。

「この絵はね――」

 いろいろと定子さまが絵の解説をしてくださったけれど、まるで耳に入らない。
 灯火が煌々(こうこう)として、わたしの髪の毛の筋なんかも、かえって昼間よりハッキリ見えて恥ずかしかった。それでも我慢して、絵を眺めるしかない。
 ふと、袖口から覗いている定子さまの指が目に入った。
 寒い時分であったから、かじかんだ指は、ほんのりピンク色に染まっている。

(なんて美しいのかしら)

 わたしの視線は、その指先に釘付けになった。
 自分がいかに田舎者で、世間知らずであったかを思い知らされたのだ。

(世の中には、こんな方がいらっしゃるのね)

 そして夜はふけていき、どんどん明るくなっていく。
 ヤバーッ! 顔を見られてしまう!
 定子さまに見られないよう、うつむきながらやり過ごす。

(早く、自室に帰りたい……)

 定子さまは、そわそわするわたしを見て、
「もうちょっといてもいいのよ?」
 などと言い出した。
 このお姫さま、とってもイジワルだ。

 朝になり、ルーティンとして女官たちが格子(部屋の戸)を上げようとしたけれど、
「ダメよ、上げちゃ」
 と、定子さまが止めてしまう。
 女官たちはクスクス笑いながら帰ってしまった。

(帰るタイミングが……ないっ!)

 それからしばらく、定子さまとの会話が続いたけれど、いよいよ限界がきた。
 定子さまも、とうとうわたしを解放する気になったらしい。

「もう、部屋に帰りたくなったんでしょ。なら、早くお帰り。でも、夜になったら、すぐに私の元へ来るのよ?」

(よ、よかった……。やっと帰れる……)

 ほっと安堵のため息を()いて、ようやく顔を上げるわたし。「やれやれ、やっとだわ」とばかりに、待ちわびていた女官たちが格子を上げると――。
 外は、雪が降っていた。

(ああ、なんて美しいのかしら)

 このときの、雪が庭に降っている光景は忘れられない。定子さまとの出会いとともに、今もわたしの心に焼きついている。