わたしは、推しの定子さまのおそばにいられることが、何より幸せだった。
 だけど、運命は非情だ。

 定子さまの父君、藤原道隆さまが亡くなったことをきっかけにして、宮廷は一気にきな臭いムードに包まれていった。
 道隆さまの後任の関白の座を巡って、政権争いが勃発!
 定子さまの兄・伊周さまと、道隆さまの弟・道長(みちなが)さまが火花を散らすようになったのだ。

 道長さまはイケメンで、お優しい御方だけれど、こと政権争いになると、冷酷な顔を覗かせるようになった。策略で伊周さまを失脚させると、定子さまにも酷い仕打ちをなさるようになって……。

 宮廷は、定子さま派と、道長さま派に真っ二つ!

 このあたりの宮廷の暗部について、わたしは書く気にはなれない。だって、推しの定子さまが苦しんでおられるときのことなんて、後の世に残したいと思えないんだもの。
 定子さまは、お辛いときでも麗しく、知的で、高貴なオーラに満ちあふれ、何より、お優しかった!

 あれは、わたしが休職して、故郷に帰っていたときのこと。
 職場でいじめを受けていたわたしは、やむなく休職したのだ。
 道長さま派の男性たちと友人関係にあったわたしは、「道長のスパイじゃないの?」と同僚たちに陰口を叩かれ、メンタルが参ってしまったから……。いくらわたしが男勝りで気が強い性格といっても、いじめは我慢できない。

 そんなわたしの元へ、定子さまからのプレゼントが届いた。
 真っ白な二十枚の紙――。

「早く戻ってきておくれ。そんなに上等な紙ではないけどね」
 という手紙が添えてある。

(あっ、これは!)

 わたしは、すぐに思い出していた。
 定子さまと女房たちみんなで談笑していたとき、自分が言ったことを――。

「わたし、人生に腹が立ってきて、むしゃくしゃして、一時間だって生きているのがイヤになって、『もう、地獄でもどこでもいいから行ってしまいたい』って思うことがあるんです。でも、そういうときでも、真っ白な紙と上等な筆が手に入ると、すっかり気が変わって、『まあ、いいか。もうしばらく生きてみよう』ってなるんですよね」
 なんてことを言ったら、定子さまはフッと微笑んで、
「随分と簡単に機嫌が直るのね。単純ねえ」
 とおっしゃった。

(ああ、なんてこと!)

 何てことない、他愛もない会話だった。わたし自身、すっかり忘れていた言葉――。それなのに、定子さまは覚えてくださっていた!
 これはエモい! エモすぎるでしょ!

 完全にテンパって、どう返信したらいいか分からないけれど、とりあえず筆をとる。

「『かけまくもかしこきかみの(しるし)には 鶴の(よはひ)となりぬべきかな あまりにや』と、啓せさせたまへ」
(畏れ多いことですが、「紙」をくださるなんて、アナタ様は本物の「神」です! おかげで千年は寿命が延びました! これは大袈裟(おおげさ)ではありませんから!)

 わたしなんかより、定子さまのほうがずっとお辛い状況なのに……。
 それでもわたしを気にかけ、元気づけるために貴重な紙を送ってくださった。
 死にたいくらい落ち込んでたけど、これで千年生きられるよ!

 このときの感激は、生涯忘れることはないだろう。