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 清められた神聖なる紫宸殿にて雅楽が響き渡る。
 琵琶や楽箏(がくそう)(そう)する拍子に合わせ、(しょう)の高く澄んだ音が天から降り注ぐ光のように広がる。
 主旋律を奏でる篳篥(ひちりき)が耳に心地よい。

 束帯に身を包み儀式を進めていた弧月は、しかし内心不満たらたらであった。

(このような茶番は早く終わらせたいものだな)

 美鶴の予知のおかげでこれから起こることもある程度予測がついた。
 なればこそ、このような茶番に付き合いたいとは思わぬし、それならば美鶴の側にいて守りたいと思うのは当然のこと。

 何より美鶴以外の女を入内させるための儀式など茶番であろうともしたいとは思えなかった。
 むしろ美鶴にこそ正式に中宮となるための儀式を受けて欲しいと思う。
 身籠っている今は儀式などしていられないのだから仕方ないが、どうせなら美鶴のための儀式をしたかったという思いは無くならない。

 だが、そんな不満ばかりの儀式も半ばで終わりを迎える。

 藤峰が莢子を連れてくるはずの南庭へ出ると、明らかに物騒な様子の者達が紫宸殿を取り囲んでいた。
 その中には碧雲が都を出る際付いて行った者達の顔も見え、予測は確信へと変わる。

 南庭の中央には藤峰の姿があり、莢子が乗っているであろう牛車もある。
 嫁入り道具なども揃えているようだが、周囲の物々しい様子に戸惑いを見せていないことからも現状は藤峰にとってあり得ぬ事態というわけではなさそうだ。
 むしろ、藤峰こそが仕組んだことなのだろう。
 それが分かっていて、弧月はあえて問いかけた。

「さて、これは一体どういうことだ? 左大臣・藤峰、本日は其の方の娘が入内するのではなかったか?」

 問いに、藤峰はにこやかに答える。

「もちろん致しますよ。だが、莢子が入内するのは弧月様の後宮ではございません」
「ほう? では誰のだ?」

 さらに問いかけると、藤峰はすっと冷たく目を細め敵意を露わに声を上げた。

「碧雲様の後宮にです。莢子は碧雲様の中宮になるのだ!」
「はて? 碧雲は都を出たと思ったが?」

 美鶴の予知で碧雲がこの儀式の最中に内裏に忍び込んでくることは分かってはいたが、あえてすっとぼけて話しを続ける。

「お戻りになるに決まっているでしょう。妖帝となるのは碧雲様でなければならない。お前の様な狐に務まるわけがないのだ!」
「……口には気をつけた方がよいぞ?」

 妖帝である自分を“お前”などと呼ぶ藤峰に忠告する。……もう遅いかも知れぬが。

「構うものか。お前は本日をもって妖帝の座から降ろされるのだ、碧雲様の手によって!」

 話しているうちに興奮してきたのか、藤峰は面白いくらいに自らの悪事を話し始めた。
 左大臣として不本意ながら弧月に仕えていたこと。
 本心を隠し、碧雲が妖帝として都に戻れるように暗躍していたこと。

 美鶴と出会った大門の火事も、藤峰と碧雲で仕組んだことだと白状した。

「大門の火事はもっと燃え広がる予定だったというのに。大火事になりその対処にお前が追われている間に内裏を乗っ取る計画だった。だというのに火事は早々に鎮火されてしまうし……」

 徐々に愚痴になってきている辺り、相当鬱憤を溜め込んでいたらしい。

(全く、そこまで溜め込むくらいならば我慢せず碧雲に付いて行けば良かっただろうが。その方がこちらとしても助かったというのに)

 悪態をつきそうになるのをため息で流す。
 同時に、やはりあの火事も碧雲の仕業だったのかと納得した。

「しかも火事の後、お前はいつの間にか今まで持たなかった妻を娶り、あろうことか子が出来てしまった。これ以上放置は出来ないという碧雲様のお言葉で今回やっとお前を妖帝の座から引きずり下ろす計画に至ったのだ」
「……放置できぬから。そんな理由で美鶴と我が子に手を出すのか?」

 それまで淡々と受け答えしていたが、妻と子のこととなると感情を抑えてはおけなくなる。
 怒りを揺らめかせた低い声が自然と口から出てしまった。

「なんだ、気付いていたのか。そうだ、碧雲様のお言葉ではあの異能持ちの平民は目障りなのだそうだ。そして、腹の子は処分しなければならぬとな」
「……ほう?」

 藤峰の言葉に、自分でも制御出来ぬ怒りが湧き上がる。
 碧雲が美鶴と子を害そうとしていると知っただけでも怒りが湧いてきたが、第三者の口から実際に言葉として聞くと腸が煮えくり返るほどの怒りを覚えた。

 おそらく、今まさに碧雲は美鶴のいる弘徽殿へ向かっているのだろう。
 自分の(めい)を受けた小夜たちがいる以上子が殺されてしまう事態は避けられるはずだ。
 生まれてもいないが我が子にも運命をねじ伏せる力があるようだし、美鶴が予知した未来は変えられる。
 だが、それでも碧雲が美鶴と子を害そうとしているという話を聞くだけで嵐のように感情が乱れた。

 大丈夫だと自分に言い聞かせるが、早くこの場を制して向かわねばならぬと気が焦る。

「それを聞いて俺が助けに向かわぬとでも思っているのか?」

 怒りが凍てつく視線となり藤峰を射抜く。
 藤峰はたじろぐが、自分の方が優位だと思っているのだろう。鼻を鳴らし嫌な笑みを浮かべる。

「ふ、ふん! だからこその我らだ。あちらのことが終わるまでお前を足止めしておくのが私の仕事だ」
「ほう? お前たちがこの俺を足止め出来るとでも?……舐められたものだな」

 軽く見回しただけでも数十人。族は紫宸殿を囲っている様なので百はいるかもしれない。
 こちらには時雨を含め数人の味方がいるが、普通ならばこの人数差で勝てるわけがない。
 だが、数ではないのだ。

「舐めてはおらぬ。仮にも妖帝となる妖だ、我らだけで倒せるとは思っておらぬよ。だが、碧雲様が勝ちやすいように力を削ることは出来るはずだ」

 藤峰は自分は慎重だと笑うが、何も分かっていない。

(そろそろ待つのも限界だ)

 怒りも頂点に達し逆に冷静になる。
 この愚か者たちにはしっかりと力の差を見せつける必要があるようだ。

「それを舐めているというのだ。……だがよかろう、そこまで思い上がっているのならば見せてやる。歴代最強と言われる現妖帝の力を」

 もはや抑える理由など無いだろう。

 そう判断した弧月は抑えていた妖力を解放する。
 以前美鶴に見せたときのように慎重に調整したりなどしない。

「え? なっ⁉ 主上⁉」

 今まで黙って成り行きを見守っていた時雨が慌てて止めようとする。
 だが、抑える気のない弧月はそのまま妖としての本来の姿を晒した。

 狐の耳と九本の尾を持つ妖狐――鬼をも凌ぐ、九尾の姿を。

「なっ⁉ ぐぁっ!」

 その姿を目にした瞬間、その場にいた者達は皆地に伏せた。
 九尾の妖力に文字通り押しつぶされたのだ。

 弧月の体から陽炎のように揺らめくのは本来見えないはずの妖力。
 可視化出来るほどの妖力は、その強さも表していた。

「なっ⁉ こんな……これほど、とは」

 流石は高位の妖とでも言うべきか。藤峰にはこの状態でまだ話せるだけの余力があったらしい。
 だが、それもすぐに尽きる。
 ぐっと呻き、顔も地面につく。

 地に伏した全ての者どもを睥睨(へいげい)した弧月は、側でかろうじて立ち膝で耐えている時雨にこの場を託した。

「時雨、俺は美鶴の元へ行く。お前はこの者どもを捕らえろ」
「くっ……全く、人使いの荒い……」
「頼んだぞ」

 短く頼み早々に去る。
 今の状態で長居すると、時雨も使い物にならなくなってしまうだろうから。

(美鶴、今行く)

 同じ内裏の敷地内であっても、少々離れた場所にいる誰よりも愛しい存在の許へ急いだ。