重田を殺すことは、ゼノの意見で却下された。それがフィーンには不満だったのだろう。それからの殺しは、より残酷に、より派手になった。
 派手な立ち回りはおのずと目立つ。それにつれ、警察の動きも激しくなる。足跡を残し過ぎなのだ。

「何度も言わせるな、やり過ぎはダメだ、深い追いするな、遊びじゃないんだ」
「そうよ、遊びじゃないわ! 奴らを殲滅《せんめつ》させるのよ、それにはまだまだ、やり足りないわ」
「どこまでやれば気が済む? それはヒステリーだぞ」
「うるさいわね、あんたの意見なんか聞いてないのよ」
「フィーン!」
「気に喰わないな」
 すれ違う意見にオウガは怒鳴る。顔を顰めたフィーンは、ナイフ片手に外へ出た。
「待て、フィーン!」
 オウガが慌ててあとを追う。だが一度出てしまった彼女を捕まえるのは難しい。その背中はたちまち闇に消えた。

 ***

 署名付き殺人が起こってから三か月、FOX事件は加速度的に件数を重ねていた。なんとしても犯人を捕まえようと、矢島と三浦の二人は、独自の推理を元に、犯人の足跡を追う。しかしここにきて、壁にぶち当たった。
 予測していた犯人像がぶれてきたのだ。
 最初の署名がなされた事件、瀬乃夫婦には、世間から隠された子供がいた。それも二人だ。日頃から放置虐待されていたらしく、事件が発覚したとき、兄弟の弟のほうはすでに餓死していた。残された兄のほうは弟が死んでいることにさえ気づかず、飢え、凍えながら、二階の小汚い一室で暮らしていたようだ。
 戸籍はなかったが、妻の通院記録から、兄のほうは八歳だとわかった。極度の栄養不良で、体格は四歳児並みだった。
 弟のほうは通院記録もなかったので、年齢はわからない。検視はされたが、遺体の腐敗も進み、もともと成長不良だったことも予測されるので、正確な年齢も不明のままだ。
 そして次の犠牲者にも幼い子供がおり、事件後保護された子供の胸や腹、尻などには火傷や痣など、無数の傷が見られた。その後も犠牲者のほとんどに我が子を虐待していたという痕跡が見られるにいたり、三浦たちは、理由はともかく、動機はそれだと断定して、捜査を進めた。
 しかし、ここ数件おきた事件がその予測を覆す。
 被害者に子供がいないのだ。
 たまにいても、虐待の様子はなく、それどころか模範的な家庭人であることが多くなった。そうなってくると、被害者の我が子虐待という共通点に注目して捜査を進めていた捜査本部も、見解が変わってくる。三浦、矢島の二人へも、その件に固執するなとお達しが出た。

「まったく、本部も何考えてんだか、共通点は子供の虐待、それで決まりじゃねえか」
 矢島は捜査本部の方針に不満のようだ。せわしなく煙草を吹かし、時折フィルターを噛みしめる。彼がヘビースモーカーなのは仕方がないにしても、道端でスパスパやられては困る。三浦は小さく肩を竦めた。
「矢島さん、ここ、路上喫煙禁止区域ですよ」
「あ? うるせえな、ちょっとくらいいいだろ」
「ダメですって、刑事が法律違反は不味いですよ」
「法律じゃねえよ、条令だろ」
「同じですよ」
 三浦の苦言に顔を顰めた矢島は、同じじゃねえよと愚痴りながらも、靴の裏で煙草を揉み消す。三浦はすかさずポイ捨てしないでくださいよと付け足した。矢島も渋い顔だ。
「ほんとにうるせえな、お前は俺の女房か?」
「冗談でしょ、矢島さんみたいな旦那いりませんよ」
「ふん」
 続けざまに文句を言われ、矢島はへそを曲げたらしい、口をへの字にして大股で先を歩いていく。子供のような拗ねかただ。三浦は早足でそのあとを追った。
「で、どうするんです?」
「どうもしねえ、予定通りだ」
「でも本部は固執するなって」
「っせえな、現場を見てねえ本部の言うことなんか聞けるか、俺は俺の勘を信用する、お前も自分の勘を信じろ」
「はあ……」
 刑事になって二年、いまだかつて、勘など働いたことがないと三浦は愚痴り、のろのろと矢島のあとについて行く。行く先は彼の持つ情報屋のところだ。
 ドラマと違い、実際の警察としては、裏家業と繋がる情報屋というものは存在しない。それは癒着に繋がり、汚職に繋がり、ひいては違法捜査ともなる。真っ当な警察官としては、許されない行為だ。
 しかし矢島は少し外れた頭を持っているのだろう、厳密に言えば違法となる捜査も平気でやった。そのせいで上からは睨まれているし、いつも一緒にいる三浦も胡散臭い目で見られていた。正直、そこは少し迷惑だ。
 だが、刑事としては、矢島の勘を信じていた。だから仕方なくついて行く。

 お目当ての情報屋、ウサ子との待ち合わせ場所は新宿二丁目……の、外れにある小さなゲイバーだった。
 ウサ子というのはそこのママだとかで、常時その店にいるらしい。

 開店前の夕刻四時、店の戸を開ける。店内は暗く、誰もいなかった。
「おかしいな、ここで待ってるという話だったのに」
 矢島は訝しがり、店の明かりを点けた。
 中は、小さなカウンターと二人掛けのテーブル席が二つしかない狭さで、雑然していた。
 昨晩の名残りか、酒やつまみの皿が出しっぱなし、スパンコールのついた派手で安っぽいドレスや、レスラーが履くのかと聞きたいくらい大きなハイヒールが転がったままで、酷い有り様だ。
 なにか事件にでも巻き込まれたのではないかと思ったが、店内の惨状は、矢島に言わせればいつものことらしい。ただ、そこにウサ子がいないのはおかしいという。
「ふん、なにかあったか」
 矢島は用心深く、あたりを見回す。落ちている衣装をつまみ、その下を覗き込んだり、テーブルの上になにか変わったものでもおいてないか確かめたりと、ゆっくりと店内を回り、何かを探していた。
「なにか探してるんですか?」
 訊ねると矢島は、ウサ子の行方だと答えた。
 ウサ子の店は年中赤字で、店の売り上げより、情報屋としての収入のほうがはるかに多い。それでもウサ子が店をやめないのは、そこが好きだからだ。
 アタシのような半端モノが生きてくのに、ここは必要なのよと、剃り残しの青髭だらけの顔で、よく笑っていたという。
 ではなぜ情報屋をしているのかと言えば、店を維持するためだ。ウサ子には店がそれだけ大切な場所であり、そこに根を張り生きている。それが呼び出しておいて、そこにいないというのが引っかかるという。
「奴のほうから呼び出して来たんだぞ、それだけでかいネタってことだ、それが金も貰わないで行方不明ってのは、解せないだろ」
「そんな大げさな、ちょっと買い物とか、出掛けてるだけかもしれないでしょ」
「わざわざ待ち合わせの時間にか?」
「まあ、少しアレですけど、あり得ないとも言えないと思いますけど」
 軽く考える三浦に、矢島はあり得ねえよと呟き、ウサ子の痕跡を探した。だがなにも見当たらない。店内を漁るのをやめ、矢島は店の奥へ歩く。そこにはウサ子の寝起きする小さな居住空間へと繋がる扉があった。
「入るぞ」
 馴染みの情報屋とはいえ、他人の家なので、一応の声をかけ、矢島はその戸を押した。
「うっ」
 入るなり鼻をつく鉄の臭いに、二人は顔を顰めた。散らかり放題の室内は、雑然としていて一見しただけではただのゴミ屋敷だ。漂う生臭さと鉄の臭いだけが異変を伝えている。
 そこに、なにかがある。
 誰かがいる。
 言葉に出来ない感覚に操られ、突き進んだ。
 室内には、今は使用禁止になっている黒いゴミ袋、カラになったスナック菓子やコンビニ弁当の食べかす、丸めたティッシュや紙袋が散乱していた。酒と煮溢《にこぼ》したうどん汁が床を濡らし、足をべとつかせる。
 湿ってくる靴下を気にしながら矢島について歩いた三浦は、なにかに躓いて転びかける。慌てて畳に手をつくと、ヌチャッと嫌な音がして、掌に柔らかい粘液質の何かが触れた。
「うわっ」
 驚いて立ち上がり、掌を覗き込む。右手は赤黒かった。血だ。
「うわっ、わっ、矢島さん! これ!」
 ぶんぶんと手を振りながら叫ぶと、矢島は顔色を変えて走りよってきた。
「矢島さん!」
 縋りつこうとする三浦を振り切り、矢島はその足元を探る。すると、大きなゴミ袋と、転がる段ボールの下に、血塗れのウサ子がいた。
「ウサ子! おい、どうした!」
 慌てて取りすがると、ウサ子の体はまだ温かかった。揺さぶられたことで意識を戻したのだろう、ウサ子は血だらけの顔で唇を震わせる。
「そのこえ、ヤッシー(矢島の仇名)ね、よかった……間に合っ……て」
 呟くウサ子の顔面は、目の上で真一文字に切り裂かれていた。眼球はもちろん、瞼も剥がれ、頬の肉までがそぎ落とされている。あまりの酷さに三浦は顔を背け、矢島はただ憤った。
「何があった? 誰にやられたんだ!」
 するとウサ子は血塗れの顔でニコリと笑い、こんなに優しく抱いてもらえるなら、刺されて良かったかも、得しちゃったわと呟いた。途切れ途切れの声に情けなく切なくなる。矢島は、余計なことを言わなくていいから、握っている情報を渡せと迫った。
 すると彼女は息を乱しながらも、気丈に答えた。
「だいじなことよ、よく聞いて」
「ああ、聞いてやる、誰にやられたんだ?」
「FOXは、ひとりじゃないわ、少なくとも二人いる」
「なんだって?」
 矢島は驚いて聞き返したが、ウサ子はそこまで話すのが精一杯なのだろう。浅い呼吸を繰り返すばかりで次の言葉が出てこない。切り裂かれた顔面の血は噴き出すように流れ、よく見れば胸も腹も血塗れだ。それはもう、生きているほうがおかしいくらいだった。
「どういうことだ、ウサ子、二人とは? お前、知ってるのか、言ってくれ」
「赤い髪の女子高生……それと、フードの男、目撃証言もあるはずよ」
 女子高生とフードの男、それは警察の捜査でも、時々目撃証言としてあげられている情報ではあった。だがそれだけでは同一人物とは断定できないし、容疑者リストには載せていない。
 というより、それだけの情報では、人物を特定できないのだ。女子高生などどこにでもいるし、フードを被った男もそこいらじゅうにいる。とても絞り切れない。
 しかし、赤い髪というのは初めて聞いた。そこは重要だ。女子高生というのは言い過ぎとしても、女であることに間違いはないだろう。
「犯人は赤い髪の女か? フードの男とどっちが主犯だ? お前、そいつを見たんだろ?」
 なんとか言えと、矢島はウサ子を揺さぶる。だが傷が深すぎた。彼女はもう答えられない。血塗れの手で矢島の頬を撫で、静かにこと切れた。
 ウサ子は最後に、「中央区、旭ビル」と言った。そこに行けというのか、そこになにかあるというのか、矢島は忌々しそうに拳を握り、ウサ子の遺体を床に寝かせた。

 本部にウサ子殺害の件を連絡した矢島は、その足でウサ子の遺言になった中央区へ向かおうとした。だが本部に、なぜそんなことになったのか、ウサ子と矢島の関係はなんだ、どうして発見できたのだと追及され、足止めを食らう。
 矢島は焦っていた。ウサ子の言い残した話はなんの根拠もない戯言で、話しても証拠採用はされないだろう。だがぐずぐずしていたら犯人は逃げてしまうかもしれない。彼女が命がけで教えてくれた情報なのだ、無駄にはしたくない。
 仕方なく、三浦に現場へ行けと指示した。
 今、自分は事情聴取で動けない。だから代わりに現場を見て来てほしい。まさかとは思うがそこがFOXのアジトである可能性もあるので、くれぐれも慎重にと念を押し、行けと伝えた。
 三浦は若く、経験も浅い。物事の表面しか見ない癖があるが、バカではない。信じるしかないと思った。

 ***

「旭ビル……ここか」
 中央区、旭ビルとしかわからないので、三浦はそのあたりにある同名の建物を全て回った。朝から足を棒にして、これで四件目だ。
 どのビルもごく普通の商業ビルで、あまり聞いたことのない中小企業が名を連ねていた。情報が漠然とし過ぎているので、どこを見ればいいのかわからないが、総じて怪しい雰囲気はない。
 だがここも外れかなとぼやきながら入り口のドアを押した三浦は、そこがそれまで見てきた旭ビルとは違うことに気づいた。
 入ってすぐの壁に各戸の郵便受けが設置されているのだが、その表札がほとんど個人名になっている。ということは、ビルと名がついてはいるが、この建物の実態はマンションに近いのかもしれない。

 念のため、表札の名前を一つ一つ確認したが、これといって引っかかるような名前はなかった。だがここだけがほかの旭ビルと違っているのだ、なにかあるに違いない。
 建物自体はありふれた雑居ビルのようなつくりで、入り口も素っ気ない。しかし裏側に回ってみると、なるほど人が住んでいるらしく、小さなベランダがあり、洗濯物や布団が干してある。華やかな色合いが、どこか嘘臭いくらい、明るく見えた。
 普通なら、こんな明るい世界に殺人鬼がいるなどと思わない、似つかわしくない。だが不思議としっくりきた。
 刑事の勘と、矢島はよく言うが、これまでは正直、それがどんなものなのかはピンとこなかった。もしかしたらこれがそうなのかもしれない。