大人たちが私を白い目で見ていたからか、子どもたちもどこか私にはよそよそしかった。

幼稚園でも誰も話しかけてくれず、私もふてくされてしまって、友達なんかいらないもんと、いつもひとりで遊んでいた。

でも、同じクラスになった優海だけが、何度も何度も私に話しかけ、遊びに誘い、断っても素っ気なくしても強引に手を引っ張って、無理やり連れ回した。

だんだんと抵抗するのもバカらしくなって、私は普通に優海と遊ぶようになった。

すると、他の子たちも徐々に仲良くなって、いつの間にかすっかり打ち解けていたのだ。


それでも大人たちはいつまで経っても私を色眼鏡で見てきたけれど、そんな中で、優海の両親だけは私を普通の子として扱ってくれた。

笑顔で挨拶してくれ、遊びに行けばおやつを出してくれ、いたずらをしたら叱られた。

憐れまれるのにも陰口をたたかれるのにも疲れていた私には、おばあちゃんの家以外では、優海の家だけが安心できる場所だった。

おばあちゃんは当時、突然やって来た私を養うために朝から晩まで働いていて、家にひとりでいるのが嫌だった私は、図々しいほど優海の家に入り浸っていた。

優海の家族が大好きだった。

見知らぬ土地に突然置いていかれて不安に押し潰されそうだった私は、優しいおばあちゃんと優海の家族のおかげでそこまでひねくれることもぐれることもなく、育つことができたのだと思う。


鳥浦の環境にやっと馴染みはじめたころ、小学校にあがった。

いくつかの幼稚園や保育園から集まってきた子どもたちと、また新しく関係を築かなければならなかったけれど、ここでも私の母親の噂は親たちの間でしっかり回っていて、それが子どもにも伝わっていた。

『なぎさちゃんってパパもママもいないんだって。かわいそう』

そんなことを何度も言われて、そのたびに『たしかにパパもママもいないけど、かわいそうじゃないもん』と言い返していた。

親がいないこと、おばあちゃんとふたりで暮らしていることを憐れまれたくなくて、バカにされたくなくて、私は常に気を張るようになり、強情で我の強い性格になっていった。

おまけに口も悪く、嫌なことを言われるとすぐに激しく反論して、ひどいときには大喧嘩もした。