死にたくなったので歩道橋から飛び降りようとしたら、No. 1ホストに救出されて、溺愛生活を送っています。

 連れてこられたのは、俺のボロアパートとは正反対の世界にある高級マンションだった。いわゆる「勝ち組」しか住めないような、見上げるだけで首が痛くなる場所。自分がこういうエントランスをくぐる未来は、天地がひっくり返っても一生ないと思っていたのに。人生最後と決めた夜にこんな「特別」を味わえるなんて、なんだかすごく皮肉で、くすぐったい。

「ここに、住んでるんですか?」
「いや、そうじゃなかったら不法侵入だろ。なんで住んでもいねぇマンションに自殺志願者を連れ込むわけあんだよ」
「た、たしかに……」

 俺が真面目に頷いて、頭悪いのがバレたことに少しだけ頬を火照らせていると、その人は二本目の煙草を咥えたまま「ははっ」と喉を鳴らして笑った。
 怖そうな人だと思っていたけれど、意外とそうじゃないのかもしれない。よく笑うし、まとう空気はどこか柔らかい。

(外見だけがコワイのかな……)

 なんて、俺のゆるゆるな防衛本能は、初対面の相手に呆気なく心の鍵を開けようとしていた。

「……はい、ドーゾ。お入りください」

 最上階の八階までエレベーターで一気にのぼり、重厚な玄関のドアが開く。
 靴を脱いで、玄関に揃えた瞬間だった。
 視界がぐわんと歪んで、俺の両手をまとめ上げるような強い衝撃。気づいたときには、冷たい玄関の床に押し倒されていた。

「えっ、や……なに――っ」
「……お前、さすがに危機察知能力なさすぎてヤバくない?」

 低い声が降ってくる。その人は俺のお腹の上に跨ったまま、ふうっと、白くて重い煙草の煙を俺の顔に吐き出した。
 一応、体が潰れないように膝立ちで加減してくれているみたいだけど、片手で両手首を押さえつけられた俺は、指一本動かすこともできない。

「俺がもし、お前より性質の悪い殺人鬼だったらどうするつもりだった? 今ここで、飛び降り失敗するより痛い思いしてバラバラにされてたかもよ」
「……え、と……それは……」
「死にたい死にたい言ってたけどさ。そういう死に方は、怖くねぇの?」

 手首を掴んでいた大きな手が、ゆっくりと俺の細い首筋へ移動する。
 喉仏に添えられた指先に、じわりと力がこもった。

(怖くは無い……けど……)

 ヒリヒリとした殺気が肌を刺す。けれど、不思議と心に湧いてきたのは、恐怖ではなかった。

「……でも、あの……あなたみたいな優しい人を、殺人犯にはしたくないといいますか」
「……は?」

 予想外の答えだったのか、首にかかった力がふっと緩む。
 俺は拘束されたまま、首を傾けて少しだけ照れ笑いを浮かべた。

「綺麗な人に殺してもらえるなら、それもドラマチックで嬉しいかも……とは思うんですけど。でも、それだとあなたに迷惑がかかっちゃうので。やっぱり、ひっそり自分で死ぬのが一番かなって――」

 そう思います、とふにゃりと笑ってみせる。
 その人は、信じられないものを見るような目で俺を見つめたまま、短い沈黙に落ちた。やがて、呆れたように小さく息を吐き出すと、俺の首筋を支配していた手をゆっくりと離す。

「お前、マジか……。……ただのバカなん?」

 呆れ果てたような声が降ってくる。吐き捨てられた言葉は乱暴だったけれど、そこにはもう、肌を刺すような鋭い殺気はひとかけらも残っていなかった。
 床に押し倒されていた身体をひょいと抱き起こされ、今度は壊れ物を扱うような手つきで、ふかふかのソファに座るよう促される。

 キッチンへ向かったその人は、冷蔵庫から冷えたペットボトルの水を出してくれた。けれど、差し出されたそのパッケージが、今だけ限定の『ふわふわぴゅありぃ~』というゆるいクマのキャラクターデザインで。

(……ギャップ、すごすぎる……)

 シリアスな空気との温度差に耐えきれず、喉の奥から変な笑いが漏れそうになった。

「笑ってんなよ」
「いや……あは、ごめんなさい。ちょっと……ふふっ」

 必死に堪えているけれど、肩が震えてしまう。
 俺が口元を押さえて、上目遣いでちらりとその人を見ると、彼はハッとしたように目を見開いたあと、決まずそうにパッと視線を逸らした。耳の付け根がほんのり赤い気がするのは、照明のせいだろうか。

「……てか。名前、一応聞いときたい。どこのどいつを拾ったのかくらいはさ」
「あ……えっと、ミハルです」
「は? なに、どーゆー字?」
「『見る』に『晴れ』……で見晴です。日野見晴」
「ふーん。……めっちゃ名前負けしてんな、お前」

 ソファの背に肘をついて、至近距離で面と向かってそう言われる。
 冗談めかした口調だったけれど、その言葉は俺の胸の奥に、針を刺したみたいにチクリと響いた。正直、この名前は俺にとってコンプレックスでしかない。
「晴れ渡る景色が見えるように」なんて、名付け親の願いとは真逆。ジメジメして、空っぽで、挙句の果てに自ら命を絶とうとするような人間に育ってしまったから。

「……あ」
「え、なに。……ガチ凹みしてんの? 冗談に決まってんだろ、スベらすなって」

 俺が黙り込んで視線を落とすと、その人は慌てたように身を乗り出した。

「でも……ホントに、その通りですから。名前負けしちゃってるなって、自分でも思ってたので」

 無理やり愛想笑いを作って顔を上げると、大きな手が伸びてきて、ぐしゃぐしゃと乱暴に、でもどこか温かく頭を撫でられた。

「……いや。雰囲気は、あってると思うけどな」

 驚いて瞬きを繰り返す俺の前で、その人はもう一度、新しく火をつけた煙草を深く吸い込んだ。紫煙の向こう側、細められた瞳が優しく揺れている。

「お兄さんの名前も、知りたいです」

 一晩だけの関係だとしても、呼び名がないのは不便だと思った。

「嵐でいいよ」

 本当かどうか分からない。けれど、そういう嘘を吐くタイプには見えなかった。

「嵐さん……」

 その名前を呼べただけで、ほんの少しだけ彼と「お近づき」になれた気がした。そんな子供みたいな喜びが顔に出てしまっていたんだろう。嬉しくてつい緩んでしまう俺の頬を、嵐さんは黙ってじーっと見つめていた。
 やがて、大きな手が迷うように伸びてきて、そっと俺の頬を撫でる。熱を帯びた指先が、トントンと目の下をなぞった。

「……すげー綺麗なツラしてんのに。絶望的にクマ出来てんな、お前」
「あ……はい。あんまり、ここ最近は、眠れてなくて」
「なるほどね……。え、なんか悩みとかあんの? 夜も眠れないようなさ」
「悩み、ですか?」
「眠れなくなるくらいのショックなこととかさ。そういうのが積み重なって、クマ作って。……そんで結局、どうしようもなくなってあの橋の上まで行ったんじゃねぇの?」

 嵐さんは、俺がどういう経緯で「あそこ」に至ったのか、彼なりに一生懸命考えてくれているみたいだった。
 見た目に反して、どこまでも真っ直ぐで、お節介なほど優しい人。そんな意外な一面を次々に見せつけられるたび、俺の胸の奥がくすぐったくなる。
 でも……期待させて申し訳ないけれど、ドラマチックな悲劇なんて、俺の人生には一滴も混じっていないんだ。

「ほ、本当に……そういうドラマみたいなのは、何にもなくて。誰かにひどい言葉を投げつけられたわけでも、絶望するような事件があったわけでもないんです」

 俺は、嵐さんの指先が触れている場所を意識しないようにしながら、静かに首を振った。

「ただ……誇れるものも、頑張りたいことも、自分より大切なものも。そんなもの何ひとつ見つけられないまま、ただ時間が過ぎていくのが怖くて。……だから、もういいかなって、思っちゃったんです」

 自分でも呆れるくらい、ふわふわとした理由。

「きょむきょむ」な俺には、死ぬ理由さえ、中身が詰まっていなかった。
「……ふーん。つーか、お前、腹減ってねぇ? 俺、まだ夜メシ食ってねぇんだよな」
「えっ」
「コンビニ行こうと思ったら、欄干またいでる奴がいたせいで、結局何も買えなかったし」
「ご、ごめんなさい……」
「とりあえず、お前も腹膨らかせて寝ろ」

 俺がしゅんと肩を落とすと、嵐さんはそれ以上、俺の「死にたい理由」を掘り返そうとはしなかった。代わりにひょいと立ち上がると、キッチンでお湯を沸かし始める。
 ソファの上で膝を抱えて、そわそわとその背中を見守る。手持ち無沙汰で、つい指先をいじってしまった。

「あの……嵐さんは、普段、なんのお仕事されてるんですか?」
「……知ってどーすんの。明日死ぬくせに」
「うぅ……そうですけど。なんとなく、気になって」

 俺の情けない声に、嵐さんは「メンタル豆腐かよ」と呆れたように笑いながら、サッポロ一番の袋をふたつ手に取った。手際よく麺を茹で、黒いプラスチックの丼をふたつ並べる。そこへ、同じ真っ暗な箸が添えられた。

「ホストやってる。今日はたまたま、店早く上がっただけ」
「……ホストさん」
「その呼び方は初めて聞いたな」

 嵐さんは可笑しそうに鼻を鳴らした。
 俺のこれまでの人生には、ひとかけらもかすらなかった人種だ。ホストクラブなんて行ったこともないし、そもそも夜の街に足を踏み入れたことさえない。

(意外と、未経験なことってまだ俺の人生に残ってたんだな……)

 最後だと思ってすべてを投げ出したはずなのに、今さら新しい発見があることに、ほんの少しだけ驚いてしまう。嵐さんはやっぱり俺より年上で、元々は美容師を目指して地方から上京してきたんだと教えてくれた。

「美容師やって……まぁ、事情があって速攻で辞めて。飲み屋のバイトとか、風俗のキャッチもやったし。ホストになってからはもう――これ一本で食ってる」

 だからなんだろうか。嵐さんの話し方は、驚くほど自然に、それでいて強引に人の懐に入り込んでくる。触れてほしくない部分はさらっと聞き流してくれるのに、惹きつけてほしい瞬間には、射抜くような視線でぐいっと心を搦めとってくるのだ。重すぎず、軽すぎない。その巧みな「プロの距離感」と、ふとした瞬間にこぼれる少年みたいな無邪気な笑顔。
 俺のなけなしの防衛本能は、あっという間に甘く溶かされていた。

(……あ、だめだ。この人、きっと俺みたいなのは一瞬でダメにされちゃうタイプの人だ……)

 そんな予感はしているのに、不思議と嫌な気はしなかった。
 むしろ、このまま嵐さんのペースに飲み込まれて、自分という存在が薄まっていくことが、今は少しだけ心地よくさえ感じられた。

「すごいですね。俺、そんな風に頑張れること、ひとつもなかったから」
「……ふーん。そういう人間には見えねーけどな」

 インスタントラーメンから立ち上る湯気の向こう、嵐さんの横顔がやけに眩しく見えて、俺は少しだけ目を細めた。
 はふ、はふ、と熱い麺を口いっぱいに頬張る。食べている間、嵐さんはそれ以上何も話さなかったけれど、俺の心はシーソーみたいにぐらぐらと揺れて、気づけば目尻に熱い涙が浮かんできた。

(……こんなに美味しいの、いつぶりだろう……)

 お金がなかったわけじゃない。ただ、外に出る気力も、自分のために火を使う気力も、もうずっと前から空っぽだったから。
 誰かに「はい、どうぞ」ってご飯を作ってもらうのが、こんなに嬉しいなんて。たとえそれが明日までの暇つぶしだとしても、ダメダメな自分でもいいと許された気がして、なんだか急に胸がいっぱいになってしまった。

「……う、………うぅーー~~…っ……」

 たまらず箸を置いて、グスグスと鼻を啜る。なんでこんなに泣きたくなるんだろう。情けないくらい泣きじゃくる俺を見ても、隣に座る嵐さんは少しも驚かずに、ただ静かに問いかけた。

「美味い?」
「…………お、おいしい、です……っ」

 鼻をすすりながら答えると、嵐さんは「おかわりは無ぇからな」といたずらっぽく笑って、自分の分を勢いよく啜った。

「今日はさ、『自殺に失敗した日』じゃなくていいじゃん。死のうとして歩道橋にいたけど、そこで出会った変な男と食ったサッポロ一番がめちゃくちゃ美味かった――そんな、ただの思い出の日にしちゃえばいいんじゃねーの」

 その言葉が、すとん、と不思議なくらい綺麗に胸の空洞に落ちた。
 俺はぼろぼろと涙をこぼしながら、夢中で麺をすすり、スープを飲み干す。
 そんな風に言ってもらえるなんて、思いもしなかった。もしあの時、この人に捕まえてもらえなかったら。サッポロ一番の本当の味も、人の言葉の温かさも、知らないまま空っぽのまま終わってたんだろうな。

「ごちそうさまでした……」
「え、なにしてんの」
「……た、食べ終わったので。せめて洗い物くらいはさせてください」

 おろおろと立ち上がろうとした俺に、嵐さんはちょっとだけ呆れたように眉を寄せて言った。

「俺、さっき言ったよな。お前は腹膨らかせて寝ろって」
「は、はい。でも……お邪魔してる身ですし、迷惑かけたくなくて……」

 視線を泳がせる俺を、嵐さんは値踏みするみたいにじーっと見つめると、指先でデコピンするように軽く俺の額を小突いた。

「お前がすぐ死にたくなっちゃう理由、なんか分かった気がするわ。……真面目すぎて、損ばっかしてんだろ」
「へ……? そんなことないです、全然、不真面目だし……」
「真面目じゃねーやつは、洗い物なんて気にしねーし。そもそも玄関で靴の向き、きっちり揃えたりしねぇんだよ」

 嵐さんは俺の細い肩をぐいと掴むと、リビングの奥にある寝室へと俺を「連行」した。そのまま、抵抗する間もなくふかふかの大きなベッドにばふっと押し倒される。

「ここで寝ろ。いいな」
「で、でも――嵐さんはどこで……?」
「勝手に部屋から出て行ったら許さねぇからな。分かったか?」
「……う、はい。それは守りますけど……」

 首まで心地よい重さの毛布をかけられる。
 嵐さんはどこで寝るんだろう……。そう思って、不安と申し訳なさで見上げると、彼は楽しげに、でもどこか独占欲の混じったような温度で目を細めた。

(……この人、やっぱりずるい……)

 叱られているはずなのに、大切にされているみたいで。
 俺の凝り固まった「死にたい」が、この人の前ではどんどん形を失っていくのが、なんだかこわくて仕方がなかった。

「なに。俺がどこで寝るのか、そんなに気になる?」
「はい……だって、ここ、嵐さんのベッドですし……俺はソファでいいのに」

 言いかけたその時、ギシッという音と共に隣に重みが加わった。
 嵐さんが俺の背後から腕を回すようにして、同じベッドに横たわっている。

「変なことしねぇから、大人しくしてろ」
「わ、わかってますよ。嵐さん、そんなに悪い人じゃないって知ってますし」
「……は? 何を根拠に言ってんの、お前」
「今までの……トータル、といいますか。なんとなく、です」
「出会って家に来て飯食って、まだ二時間も経ってねーんだけど。お前の信頼得るの、チョロすぎだろ」

 そう言いながらも、嵐さんは本当におかしいみたいに、無邪気に声を上げて笑った。

「……おやすみなさい」

 きゅ、と足の爪先を丸めるようにして、身体を縮こまらせる。
 嵐さんは仕事明けで疲れているせいもあるのか、隣で深く規則正しい呼吸を繰り返していた。本当に眠ってしまったんだな、と思うと、なぜか俺まで胸の鼓動が速くなって、無駄に焦ってしまう。

(……死ぬ前にこんないい思い出が残せて、本当によかった)

 死に場所はどこか別のところに変えるとして、最期に思い出す景色が、この温かいベッドの上でよかった。そんな感謝にも似た気持ちで、俺は嵐さんの寝顔をじっと見つめる。
 ホストっていうお仕事は、やっぱりこれくらいカッコよくて、お喋りが上手じゃないとなれないんだろう。
 お酒をたくさん飲んで、女の子が嬉しくなるような魔法の言葉をたくさん紡ぐ。それはきっと、削られるような労力が必要なはずだ。
 けれど、この高級なマンションに住んでいるということは、嵐さんはそれが「デキる」男だということで。俺みたいな空っぽな人間が、こんな甘い思いをしていいのかな、と自問自答していたその時だった。

(……っ!?)

 背中に回されていた腕に、ぐいっと強く抱き寄せられた。

「……嵐さん?」

 起きてるのかな、と思って顔を覗き込む。けれど、嵐さんは眠っているままだ。寝ぼけているんだろうか。そう思って見つめ返すと、嵐さんは俺のおでこに自分の額をごつんとくっつけた。そのまま、熱を帯びた吐息が唇にかかる。

「……んっ、」

 不意に、柔らかい感触が重なった。
 最初は、羽が触れるような優しい触れ方。けれど、嵐さんは俺の反応を確かめるように、そのままゆっくりと顔を傾けて、深く、余韻を孕んだキスをひとつ落とした。

(えっ、えっ……なに、なんで……っ)

 腕の中で、俺の心臓が暴れ出す。
 いや、初めてじゃない。恋人だっていたし、経験だってある。
 だけど、初対面の人にこんな……こんな、甘くて、溶けそうなキスをされるなんて。ベッドに入って、ご飯もご馳走になって、自殺まで止めてもらった今さらだけど、頭の中が真っ白になる。

(へ、変なことしないって……言ってたのに……っ)

 ヤリモクなんて失礼な発想が一瞬だけよぎるけれど、信じたくはなかった。
 嵐さんは俺の顎を大きな手でぐいっと掬い上げると、逃がさないと言わんばかりに指先に力を込める。

「……っ、ふ……」

 熱い舌先が、俺の唇の割れ目をそっと、なぞるように這った。
 まるで「早くここを開けろ」と、甘く命令されているみたい。それを拒む理由なんて、死にかけの俺にはどこにも見当たらなかった。

(ど、どうしよ……最初からこれが狙いだったのかな……でも、いっか。減るもんじゃないし。最期の夜なんだし、こんなカッコいい人にシてもらえるなら)

 俺が観念して少しだけ口を開いた瞬間、待ってましたとばかりに熱い塊が滑り込んできた。

「ん、んんっ……!」

 重なり合った粘膜が、じゅる、と淫らな音を立てる。
 嵐さんの舌は驚くほど強引で、でもどこか丁寧に、俺の口内の裏側を、歯茎を、敏感なところをくまなく愛撫していく。絡みつく舌先から、微かに残る煙草の苦さと、嵐さんの体温がダイレクトに流れ込んできた。
 鼻に抜ける嵐さんの吐息が熱くて、甘い。何度も何度も角度を変えて、吸い上げるように深いキスを繰り返される。俺の舌を絡めとり、引き込み、喉の奥まで支配されるような感覚に、脳がしびれて思考が溶けていく。
 気づけば、俺の手は嵐さんのシャツをぎゅっと掴んでいた。

(……やばい、なにこれ……息が、……できな……)

 水音を立てて唇が離れると、肺の中が空っぽになったような感覚に陥った。
 繋がっていた銀色の糸が、名残惜しそうに震えながら、ぷつりと切れる。
 激しいキスのせいで軽い酸欠になり、視界がちかちかと白く爆ぜる。
 指先までジンジンと痺れていて、まるで全身の血液が嵐さんの熱に書き換えられてしまったみたいだ。

(このまま死んじゃったら、どうしよう。死因がキス? それはなんか)

 なんて、この期に及んで「理想の死にかた」を模索してしまう自分がいる。でも、もし本当にそうなったら、俺の人生で一番マシな終わりかたかもしれない。

「……見晴」

 嵐さんの低く、掠れた声が鼓膜を震わせた。
 やっぱり起きていたのか、それともこれは俺の聞き違いなのか。
 重たくなった頭を動かして、何か返事をしようと唇を小さく割り開く。けれど、それよりも速く、ぐるんと視界が回るような抗えない感覚に襲われた。

(これ、酸欠……? あたま、ぼーっとする……)

 睡魔か、それとも嵐さんの毒に当てられたのか。こんな人生のクライマックスみたいな場面で、意識を手放していいわけがないのに。

「……ん、」

 最後にもう一度だけ感じたのは、さっきまでの彼の優しさが嘘なんじゃないかと疑ってしまうほど、指先までびりびりと痺れるような。少しだけ痛みのある、「おやすみ」のキスだった。