死にたくなったので歩道橋から飛び降りようとしたら、No. 1ホストに救出されて、溺愛生活を送っています。

【side:日野見晴】

 新居に移ってすぐに、嵐さんはお店に引退の意思を告げた。
 本来なら、太客の女性に「水揚げ」されるとか、飲食店やアパレルを経営するとか、お店の支配人……そういう順当な道筋があったはずだった。それをあっさり蹴っての突然の宣言に、黒服も姫たちも、しばらく開いた口が塞がらなかったらしい。
 ホスト引退の日、嵐さんはとんでもない売り上げを叩き出した。シャンパンタワーがいくつも並んで、フロア中が歓声で揺れていたと聞く。そして、今まで来てくれた「姫」たち一人ひとりに、それはそれは丁寧な別れの挨拶をしたらしい。
 高級な海外の香水と一粒パールのネックレスを箱ごと手渡して、これまで支えてくれたことへの感謝と、その人の初来店の日の記憶――席の場所や、その日着ていた服の色まで――一つひとつ拾い上げて語ったのだという。ただ時間が足りず、全員のテーブルを回りきるために、開店を二時間も早めたと聞いた。
 恋人なのだから、見に来てもいいと言われた。あれが嵐さんの最後の雄姿だということもわかっていた。それでも行かなかった。行けば、きっと俺はいつまでもそのことを妬み続けてしまうから。
 そんな華やかな引退セレモニーの翌日、乃亜くんが電話口で「うちの店、しばらく地獄っすよ」とため息交じりにぼやいていたのを、俺は申し訳ない気持ちで聞いていた。

 そして、ベランダで髪を切ってあげた日の夜。洗面所に立った嵐さんは、鏡越しに自分で仕上げるように鋏を入れていた。上半身裸にスウェットの下だけを合わせた恰好で一服しながら、「タトゥーの目立たない服買わなきゃねーな」と、独り言のように呟く横顔は、いつものホストとしての鋭さが抜け落ちて、それでいてどこか清々しい表情をしている。

「美容師に戻ろうと思う。お前とまともに生きていくなら、こんな仕事いつまでもやっていく訳にはいかねぇし。就職先が見つかるまではこれまでの貯金で暮らすことになるけど、ひもじい思いはさせねぇから」

 すっかり襟足の短くなった嵐さんに頭を撫でられ、俺はぽけーっとしながら見上げて「はい」としか言えなかった。本当は、もっと言いたいことがたくさんあったはずなのに、いざとなると喉の奥で言葉が渋滞して、結局いつも通り、単純な相槌しか出てこない。

(俺も……働く場所、見つけないと。嵐さんに甘えっぱなしじゃダメだ)

 コンカフェは辞めたし、大学も中退してしまったけれど、バイトでもなんでもいいから、とにかく生活のために働かなきゃいけない。そんなお互いに「無職」の状態から始まった新生活に、緊張や不安がなかったかと言えば嘘になる。夜、隣で眠る嵐さんの寝息を聞きながら、この先どうなるんだろうと天井を見つめて考え込む夜も、正直あった。
 それでも最愛の人がいる毎日のなかで、俺たちは希望を見捨てずに、少しずつ不器用なりに努力し続けけるほかなかった。

 ◇◇◇

 その後、程なくして嵐さんは美容師時代にお世話になった先輩が独立したというお店で、アシスタントとして仕事を始めた。
 この歳になって新人になるのはダサいけど、カッコ悪いとか言ってらんねぇ、と嵐さんは笑っていたけれど、それでも毎晩くたくたになって帰ってきた。

「嵐さん、ソファーで寝たら風邪引いちゃいますよ。寝るならベッドで……」
「ん、あと三十分だけ」

 あんなに何着もあったブランドスーツも、ほとんどを後輩や乃亜くんに譲ってしまった。クローゼットの奥に残った控えめなデザインの一着だけが、あの世界にいた頃の名残だ。毎日カジュアルな私服に着替えて出勤していく後ろ姿を見るたび、俺はなんだか胸の奥がぎゅっとなる。
 朝早く出て、夜遅く帰ってくるのが当たり前の日々。お店で使うカラー剤の匂いを服に染み込ませて帰ってくる嵐さんの手は、以前よりずっと荒れていて、絆創膏が日に日に増えていた。

「ありがとうございましたー」

 一方の俺は、嵐さんと暮らすアパートの近く、駅の手前にある小さなお弁当屋さんで、時給千百円のアルバイトを始めていた。主な仕事はお客さんの注文を受けて、レジを打つこと。揚げ物の油の匂いが染みついたエプロンをつけて、一日中カウンターに立っている。
 老夫婦がふたりで切り盛りするそのお店は、大人気というわけではないけれど、仕事帰りのサラリーマンやワーママたちに、安さと素朴な味で長く親しまれてきた店だった。もともとは息子さんが手伝っていたらしいのだけれど、事情があって急に人手が足りなくなり、店先に貼られた手書きのチラシを、俺がたまたま見かけたのがきっかけだった。
 安定しているとは、お世辞にも言えない。最低賃金だし、休憩時間なんてあってないようなものだ。それでも、この仕事が俺は好きだった。誰かに褒められるような特別な仕事じゃなくても、目の前の小さなことをコツコツと積み重ねていく。そうしている自分のことを、前よりほんの少しだけ、好きになれている気がするから。

「すみません、ミックスフライ弁当ふたつで」
「はい、ただいま……」

 ぱっ、と顔を上げた先にいたのは、嵐さんだった。「よっ」と軽く手を振られて、俺はトングを持ったまま、ぽかんと固まってしまう。

「嵐さん。なんで……?」
「このあと、すげー雨が降るらしくて。電車が止まる前に、今日は早上がりさせて貰った」

 美味そうだな、と呟きながらショーケースの中の揚げ物を覗き込む嵐さんは、ポケットに手を突っ込んだまま、いつもより少し眠たそうな顔をしていた。
 店主であるおばあちゃんに「おやおや、今日は男前が来たね」と声をかけられると、嵐さんは屈託なく笑って「うちのが世話になってます」と返す。
 うちの、って言われると、なんだか結婚してるみたい、なんて思ってしまうのは、俺だけだろうか。じわじわと頬が熱くなるのを感じながら、必死に手元の作業に意識を戻す。

「ずいぶんな色男だねー、見晴ちゃんのコレかい?」

 ぐっ、と親指を立てられて、恥ずかしさ半分に「はい」と笑ってみせる。何か茶化されるかな、と身構えたけれど、おばあちゃんはニカリと笑って「顔見たら分かるよ」と目を細めて、今夜は嵐になるからいつもより五分早く上がってもいいよ、とも言ってくれた。
 ミックスフライ弁当をふたつ袋に下げて、俺は嵐さんと家までの道を歩く。
 ぽつ、ぽつと少しずつ降り始めた雨。傘を取りに戻る余裕もなくて、俺たちは腕を組んだまま、濡れないうちにと足早に家路を急いだ。

 ***

 そわそわしながら二人で肩を並べて座り、割り箸でお弁当をつつく。嵐さんがリモコンを手繰り寄せてテレビをつけると、画面には暴風雨警報を伝えるニュースが映し出されていた。赤い文字のテロップが、けたたましく画面の下を流れていく。

「すげーなこれ、明日の朝までにマジで止むとは思えない」
「確かに……でも、お互いに休みでよかったですね」

 ぽつりと返事をすると、嵐さんとふと目が合った。伸びてきた前髪を、大きな手のひらでくしゃりと撫でられる。

「こんだけ風吹いてたら、見晴なんて吹っ飛ばされそうだもんな」
「そ、そんな軽くないですよ、俺」

 出会った頃よりも、アルバイトを始めるにあたって少しだけ軽くして貰った髪。好きな人に髪を切られて――というか、あの日、嵐さんが真剣な顔で俺の髪を切ってくれた時のときめきを、俺はきっと一生忘れないと思う。

「天才アシスタントが切ってるから、天才的に可愛いな」
「それ、昨日も言ってましたけど」
「お前の可愛さは記念物級だから。マジで」
「嵐さん……」
「照れてんの? 可愛すぎんだろ」

 そんな歯の浮くような言葉のひとつひとつを、本気で受け取って嬉しくなってしまうのだから、我ながら相当な嵐さん中毒だと思う。
 照れ笑いを浮かべてパックを捨てた俺をよそに、嵐さんはふいに視線を窓の外へと逸らした。ガラスに打ちつける雨粒の向こう、分厚いグレーの雲を、しばらく黙って見つめている。箸を持つその手が、いつの間にか止まっていた。

「……多分、こういう日だったんだよな」
「え?」
「俺の生まれた日。母親から、お前はとんでもない嵐の日に生まれたから、嵐って名前をつけたんだって言われたことがある」

 それまで、あまり自分の生い立ちや過去を話したがらなかった嵐さんが、初めて明かしてくれた話だった。
 俺は箸を持つ手を膝の上に下ろし、息を潜めるようにして次の言葉を待つ。

「そもそも物心ついた時から、親父は居なくて。高校に入る前に、母親も男作って蒸発して、俺、ほぼ一人暮らしみてーな生活だったんだけどさ。唯一母親に言われたことで、覚えてんのって自分の名前の話くらいなんだよな。まぁ、向こうも水商売で俺の妊娠は望んでなかったんだろうけど」
「でも、そんな……」
「ガキにこんなクソみたいな名前つける時点で、愛されてるわけねーんだよ。だから、こういう天気になると、思いますっつーか。なんか言いたくなっただけ」

 吐き捨てるように言って、嵐さんは不貞腐れたように顔を背ける。
 なんて言葉をかけたらいいのか分からなかった。同情でもないし、労りでもない。そんなものを嵐さんが望んでいるとは、どうしても思えなかったから。恋人だというのに、気の利いた言葉のひとつも見つからない自分が、少しだけ情けなかった。それでも、何もしないままでいることだけは、絶対に嫌だ。
 俺は割り箸をそっと弁当の蓋の上に置くと、おずおずと手を伸ばした。

「見晴?」
「俺、嵐さんみたいに言葉が上手くないから、なにも言ってあげられないけど。俺は、嵐さんのこと大好きだから、そんなふうに落ち込まないでほしい、です」

 ぎゅ、とその広い背中に腕を回す。蛍光灯の白い光を受けて、嵐さんのブリーチで色を抜いたグリーンの髪が、透き通るように反射していた。
 この人にどんな過去があっても、俺は全部を肯定してあげたい。そう思うと同時に、名前ひとつにさえ愛情を注いでもらえなかった幼い嵐さんのことを想像して、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。
 肩口に顔を寄せると、嵐さんは一瞬だけ息を詰めたようだったが、やがて黙り込んだまま、そっと俺の背を撫でるように触れてきた。その手つきは、いつものように性急でも意地悪でもなく、ただ静かで、少しだけ不器用だった。

「悪い、いきなり意味わかんねぇこと言って」
「そういうの、もっと出してほしいです。全部俺、受け止める恋人になりたいから」
「あんましくっつくなって。俺、マジで割と限界だから」

 鼻で笑って誤魔化そうとする嵐さんに、俺は一度俯いてから、意を決してぱっと顔を上げた。心臓が、ばくばくと痛いくらいに音を立てている。

「いいですよ」
「……は?」
「だから、その……我慢、しなくていいですよって」
「いや、何言ってんのお前。あんだけ怖がっといて」
「それはそうなんですけど、でも……そういう嵐さんの抱えてるもの、まるごと受け止めたい、です。言葉だけじゃなくて、体でも」

 ほんの少しの間を置いて、俺は嵐さんの膝の上に「来いよ」と言われ、そのまま腰を落として夢中でキスをした。ぢゅ、と舌先を何度も吸われて、どちらのものか分からなくなるくらい、唾液を混ぜ合う。
 嵐さんは流れるような動作で俺の体を抱き上げると、そのまま隣の部屋に敷いた布団に俺を仰向けに寝かせて、お腹の辺りから手を入れて裾を持ち上げた。

「怖くねえ?」
「ちょっとだけ……」
「ごめん、もう俺我慢できねぇわ。理性飛ぶかもしんない」

 その時はごめん、と前もって謝られたけれど、「大丈夫です」としか言えなかった。なにも大丈夫じゃないし、理性が飛んだ嵐さんがどうなるのかもわかっていないのに。
 ざぁ、と降り頻る雨の中でシーツを握りしめながら、俺はぎゅっと目を瞑って唇を噛んだ。

「こら。それすんなって」
「あ、う、ごめんなさい、でも……」

 ふにっと柔らかく唇を親指で開かれて、嵐さんと暗闇で目が合う。嵐さんは俺をあっという間に裸にすると、自分のベルトをかちゃ、と引き抜いて、俺たちは火照る体の熱を分け合うように肌を重ねた。
 シたくなかったといえば嘘になる。いつかは嵐さんとこうして、体ごと愛されたいって思っていた。ただ、勇気がなくて、それに、大切にされることが嬉しくて、たくさん沢山、嵐さんには我慢させてしまったのだけれど。
 嵐さんは何度も「痛くねぇ?」とか「これは?」とか、俺の反応を伺いながら気持ちよくしてくれた。
 全身の力が抜けてぐったりとしている俺を、嵐さんは優しく抱き起こし、自分の胸元へと引き寄せてくれる。

「……大丈夫か?」
「……はい。足が、まだすこし、がくがくします……」

 苦笑いしながらそう答えると、嵐さんは愛おしそうに俺の髪を丁寧に梳いた。さっきまでの獣のような激しさはどこへやら、元の優しい眼差しに戻っている。

「ごめんな、最初だから加減しようと思ったけど、お前が可愛すぎて我慢できなかったわ」
「……でも、嬉しかったです」

 俺が照れくさそうに微笑み返すと、嵐さんは満足そうにふっと笑い、もう一度しっかりと抱きしめ直してくれた。
 外ではまだ激しい嵐が吹き荒れているけれど、この温もりさえあれば、どんな明日が来ても、二人で一緒に乗り越えていける。そう確信しながら、俺たちは満たされた余韻の中で、ゆっくりと瞼を閉じた。

 ◇◇◇

 翌朝、俺はいつもより一時間半も早く目を覚ました。腰の奥がずくりと重く痛む。それでも隣に視線をやれば、上半身裸のまま、子どものように無防備な寝顔で寝息を立てる嵐さんがいた。その寝顔があまりに穏やかで、痛みのことなど一瞬でどうでもよくなる。
 音を立てないようカーテンをそっと開き、窓を数センチだけ押し開けると、湿り気を帯びた空気が部屋の中に忍び込んできた。昨夜はどしゃぶりだったけれど、雨はもう上がっている。それでもアスファルトのあちこちには水たまりが取り残されていて、朝陽を鈍く跳ね返していた。

(朝ごはん、作らないと……)

 息を殺してベッドを抜け出す。まだ焦点の合わない目を擦りながらキッチンに立ち、湯を沸かす。冷蔵庫の中は決して豊かとは言えなかったが、ハムエッグと簡単なサラダくらいなら形にできそうだった。
 卵をかき混ぜ、フライパンを温めていると、不意に背後からぬっと手が伸びてきた。

「初エッチの後に超早起きってどういうことだよ」
「わ、わっ! びっくりした……」
「お前、朝チュンって知らねぇの? チュンもなんも鳴いてねぇ時間からメシ作んのかよ」
「だ、だって嵐さん、いつもお腹ペコペコだから」
「だから?」
「起きたらさっと出してあげたら、喜んでくれるかなって……」

 俺の答えに、嵐さんはまんざらでもなさそうな顔をした。照れくさそうに頬をかきながら、「まぁ、たしかにそれは嬉しけど」と、素直に認める。けれどその手はもう、冷凍食品や氷が詰まった冷凍庫のほうへと伸びていた。

「あ、嵐さん。だめ」
「無理。甘いの食いたい」
「血糖値が爆上がりしちゃいますよ」

 俺の制止など耳に入らないとばかりに、冷凍庫から二本入りのアイスを取り出すと、パキッと軽い音を立てて半分に割り、嵐さんはさっそく齧りはじめた。そう、最近になって知ったことだが、嵐さんはアイスに目がない。しかも、そのほとんどがチョコレート味だ。「マイブーム」だと言っては、なんだかんだと俺の分まで買ってきてくれる。

「一本だけですからね」
「おお、ぴゅありぃ〜がキレてる。朝から元気だな」

 む、と唇を尖らせながらハムエッグを二人分フライパンに並べていると、嵐さんは頃合いを見計らったように、俺の身体をくるりと自分のほうへ向き合わせた。

「嵐さん?」
「日野見晴さん。俺と結婚して下さい」

 床に片膝をついて、なぜか海外式のプロポーズをされている。だが、その手に握られているのは指輪ではなく、さっき食べたばかりのアイスの棒、輪っか状のプラスチックのパーツだった。

「ふふ、ダイヤのない指輪ですか」
「その代り、このさきっちょに、アイスがついてる」
「それはダイヤより嬉しいかも」

 くすくすと笑みをこぼしながら、俺は左手の薬指に嵌められた「指輪」をまじまじと見つめる。すると嵐さんは、そのままじっと俺の目を覗き込むように見つめて言った。

「指輪はまだ買ってやれねぇけど、気持ちはガチだから」
「えっ?」
「見晴。俺の人生のパートナーになって。お前がいてくれるだけで、俺の人生めちゃくちゃ幸せになる。だから俺もお前を同じ位……いや、それ以上に幸せにしてやりたい」
「嵐さん、急に何を」
「急なんかじゃねぇよ。俺はずっと……少なくとも、お前が怪我をする前から、そうしたいってずっと考えてた。口にするのが、怖かっただけで」
「本気で言ってるんですか」
「……お願いだから、『はい』って言って」

 今までに見たことのないくらい切なげな表情で、床に膝をついたまま見上げられる。その眼差しの奥に何かを堪えるような色があって、俺は言葉を失った。狼狽える俺を見て、嵐さんはそっと腰に腕を回すと、俺のお腹――傷跡の残るそこに服の裾をそっと捲り上げ、唇を落とした。柔らかな感触のあと、もう一度瞳を見つめてくる。

「俺なんか……」
「それ。自分なんか、ってもう二度と言えないくらい、お前の自己肯定感も爆上げさしてやりてぇし。信じらんないくらい、笑わせるって約束する」
「そ、そんな風に思える日なんて――」
「信じろよ。俺、二〇五十年からタイムリープして来てるから。二十四年後のお前は、超笑い上戸で、俺のこと尻に敷いてて。ぴゅありぃ~のアニメは第五シリーズまで突入してる」
「ふふっ」

 堪えきれずに笑ってしまった俺を見て、嵐さんは立ち上がると、両手でそっと頬を包み込んだ。「返事は?」と、瞳の奥を探るように覗きこんでくる。まるでその奥深くに隠れている俺の本音を、優しく引きずり出そうとするみたいに。

「ぴゅありぃ~のアニメを見るなら」
「ん?」
「嵐さんに一緒に居てほしいです。あのソファーに並んで座って、夜ご飯を食べながら。ぴゅありぃ~に『こいつ、ガチでアホ可愛い』って文句を言いながら見てくれる嵐さんのことが、俺は好きだから」

 しゃがんでください、とお願いするようにつま先立ちになり、服の裾をきゅっと引っ張る。応じて屈んでくれた嵐さんの唇に、不意打ちのキスを落とした。
 嵐さんはしばし言葉を失ったように沈黙すると、みるみる赤くなった顔を隠すように額に手の甲をあてがい、恥じらいながら言った。

「指輪は、もうちょい金がたまってから二人で見に行こうって思ってて」
「俺、これがいいです。面白いから」
「面白いってお前なぁ……パピコのゴミだろうが」
「ゴミじゃないですよ。嵐さんがくれた、世界に一つしかない大切な指輪です」
「……お前、一度気に入るとなかなか折れねぇもんなぁ。他にほしいもんとかねぇの?」
「えーと……じゃあ……」

 指輪の代わりになるもの、と聞かれて、俺は陽の差し込んでくる窓の向こうへ視線をやった。さっきまで青に近かった朝陽と空の色が、いつの間にか穏やかな淡いオレンジに変わり始めている。

「スニーカーがいいです」
「は?」
「新しい場所に連れて行ってくれるって、嵐さんが言ってくれたから。晴れの日に毎日履ける、お気に入りの一足をプレゼントしてほしい」

 ぎゅう、とその背中に腕を回す。こんなに幸せで、こんなにあたたかいのに、もう「失ってしまうかもしれない」とか「悪いことが起こるんじゃないか」という不安は、どこにも見当たらなかった。
 それは嵐さんが俺に、抱えきれないほどの愛を惜しみなく与えてくれたからだ。

「そんなんでいいのかよ」
「いいです。嵐さんとふたりで選びに行きたい」

 ぐっと力を込められたかと思うと、狭いキッチンの中で身体がふわりと持ち上げられる。そのまま優しく抱き上げられて視線を交わし、どちらからともなく満面の笑みがこぼれた。キッチンの小窓の向こうには、雨上がりの木の葉がきらきらと濡れて光っている。
 嵐の後に見晴らせる、どこまでも続く青い空を見つめながら、俺たちはもう一度、確かめ合うようにキスを交わした。



end.