ド真面目天然学級委員のうたくんは、クーデレ問題児のベタ惚れに気付かない

【side:北野】

「なーんか北野、最近テンション低くねぇ?」

 渡り廊下をだらだらと歩いていた東山と南田が、上履きをペタペタと床に擦り付けながら、ほぼ同時に怪訝な視線を向けてきた。いきなり何だよと聞き返したいが、心当たりがあり過ぎて別な意味で返答に詰まる。
 田浦とふたりで映画に行って、アクアリウムとゲーセンではしゃいで。
 ようやく前よりもぐっと距離が縮まったと思ったのも束の間。
週が明けてからというもの、なぜか田浦は以前にも増して俺と距離を置きたがるようになっていた。

(あー……しんど。マジで意味わかんねぇ、俺、なんかあいつの地雷でも踏んだか?)

 朝、思い切って声を掛けた時、あいつの筆箱には映画館で買った「めじるしチャーム」がちゃんと揺れていた。死ぬほど嬉しかったのに、照れくささが勝ってしまい、あくびで誤魔化してしまったのがいけなかったんだろうか。いや、いくら何でもそれくらいのことであんなに露骨に避けられるとは考えにくい。

『嬉しくて、どうでもいいことまで北野くんに話しかけちゃいそうだから』

 なんて、もしこれが女子だったら「それって、俺のこと好き確定じゃん?」と言ってグイグイにアプローチできそうなことまで言ってくれていたのに。
今の田浦は俺の姿を見つけるや否や、まるで小動物みたいに慌てて小走りで逃げていく。
 俺の足りない頭で思いつく原因といえば、あの時いつメンたちに「めじるしチャーム」のことで散々からかわれたことくらいしかなかった。
 本当は、「意味とかねぇし」なんて、言うつもりじゃなかった。南田の手前、反射で口が滑っただけだ。あいつの筆箱のチャームを毎朝確認しているくせに、どの口が。
 だから、たまらずラインでそれを問い正した――は、いいものの。
 その直後にかけた通話の向こうで聞こえてきたのは、教室で見せるのとはまた違う、底抜けに沈んだ田浦の声だった。あきらかに元気がない。ものすごく悲しげで、姿が見えなくても、その場にうなだれている姿までありありと脳裏に浮かんでしまうほどに。

『……あんまり、優しいこと言わないで』
『えっ?』
『ほら、俺……変な期待しちゃうから』
『……なにそれ』

 その言葉を最後に、田浦には「もうお風呂に入らなきゃいけないから」と、どこか逃げるように電話を切られてしまった。そこで「待てよ」と引き止めたり、追撃のメッセージを送ったりすることだって、やろうと思えばできたはずだ。けれど、あの時の切なすぎる声を思い出すと、どうしてもそれ以上踏み込むことができなかった。

(変な期待って、なんだよ)

 頭の中で真っ先に浮かんだのは、「もしかして、田浦って俺のこと……好きだったりすんの?」という、あまりにも愚かすぎる発想だった。
だって、「期待」ってことは、優しくされるとその先があるって望んでしまうという意味にしか取れない。
 でも、田浦はこれまでも無自覚に俺を煽っては、最後にとんでもない天然オチをぶちかましてくるのを何度も食らってきた。だから、ここで真に受けて喜んだりしたら、後で痛い目を見るような気しかしない。
 何より、あの時の声があまりにも寂しげだった。
 これ以上優しくするなと言われ、かといって普通に話しかけようとすれば避けられる。
ここで完全に嫌われるのだけは最悪の事態だ。だから、前よりはだいぶ控えめに、それでも「ちゃんと気に掛けているぞ」という合図のつもりで、細々と連絡だけは取り続けていた。
 唯一の救いというか、俺がすがりついているのは、田浦の筆箱にあの「うーちゃん」のチャームが今もぶら下がったままだということだ。もしある日突然それを外されたらと思うと、気が気じゃない。毎日、後ろの席から一時間目の授業が始まるたびに、田浦の筆箱の無事を確認するのがすっかり日課、いやルーティンになってしまっている。

(あー、話しかけたい……。でも、田浦の嫌がることはしたくねぇしな……)

 八方塞がり。完全に詰んでいる。きっと、そんな行き詰まった焦りが少しずつ態度にも出てしまっているんだろう。考え事に沈み込んで黙り込む俺に、いよいよ気味悪さを覚えたのか、東山たちが自販機の前で心配そうに足を止めた。

「なんか悩んでるなら話くらい聞くぞ? お前がそんなしかめっ面してんの珍しいし」
「……別に」
「『別に』って顔には到底見えねーけどな」

 自販機のボタンを押し、ガゴン、と取り出し口に落ちてきた炭酸飲料を手に取りながら、東山が呆れたように言う。
 どうしたら田浦をこれ以上傷つけずにいられるのか。そもそも、俺みたいな自堕落でガサツな人間が、親や先生たちからも大切に育てられてきたあの真面目な田浦に近づいて、これ以上踏み込もうとすること自体が間違っているんじゃないか――そんな弱気な気持ちまで腹の底から湧き上がってくる。

「なに、女で揉めてんの?」
「違う。なんつーか……こっちから行きたい、けど、これ以上押したら嫌われそうで怖くて押せない相手、って感じ」
「え、めずらし。あの北野が、そんな及び腰になる相手なんていんの?」
「まぁ、普通に気になる相手。でも向こうは多分、恋愛初心者で死ぬほど鈍い」
「ほーん。今の段階でどういう返事されてんの?」

 少し面白がるように訊いてきた南田を、東山が「お前、空気読めよ」と肘で軽く小突く。
 俺はポケットに手を突っ込んだまま、自分のつま先を見つめて小さく息を吐いた。

「距離を縮めてる段階だったのに……自分がそばにいると迷惑がかかるから、って遠回しに避けられた」
「うわ、キッツいな。それって脈無しじゃね?」

 南田が目を丸くしながら思ったことをそのまま口にするのを見て、東山は呆れたように「おい」と一言たしなめ、ほんの少し間を置いてから真っ直ぐに言った。

「だったらなおさら、ちゃんと面と向かって話すべきなんじゃねぇの?」
「いや、それが簡単に出来たら苦労しねぇだろ」
「絶対そう言うと思った。けどさ、お互いに勝手に察したつもりになってだんまりを決め込んで、そこから何か進展すんのかよ。しねぇだろ?」

 確かに、それはそうだ。
 頭では分かっている。分かっているのに、怖い。
もし俺から無理に距離を詰めて、決定的に嫌がられたら。その時はもう二度と田浦と隣り合って笑い合うことすらできず、すべてを諦めなきゃいけないことになる。それが、何よりも一番耐えられない。

(てか、こんだけ執着してるって、冷静に考えたらヤバくないか?)

 そんな情けない理由で眉間に深く皺を寄せていると、ふたりは顔を見合わせ、呆れたような、それでいてどこか面白がるような笑みを浮かべた。そのまま、俺の両側の肩を軽く叩きながら笑い合う。

「すげぇじゃん、北野がそこまで誰かに夢中になってるトコ、初めて見たわ」
「ほんまにそれ。相手、どんだけ美人なのか見てみたいわ」
「いや、美人って感じではない」
「へぇ、可愛いんだ」

 からかわれているのは分かっているのに、否定する気力も湧かない。
 ため息を飲み込みながら自販機を見上げると、頭の中には相変わらず、あの困ったような、田浦の笑顔ばかりがこびりついて離れなかった。