ド真面目天然学級委員のうたくんは、クーデレ問題児のベタ惚れに気付かない

 北野くんともっと色んな場所に行きたいって言ったら、なんて思われるだろうか。
 初めての「おでかけ」をたっぷりと楽しんだ俺は、どこかほくほくとした充足感を抱えて、月曜日の朝を迎えていた。
窓際の後ろから二番目の席。机の上に置いた筆箱には、その持ち手の金具に新しい住人が一匹増えている。昨日、北野くんと一緒に引いた映画館の入場者特典で手に入れた、うーちゃんのめじるしチャームだ。

(さすがに、筆箱に付けてるのは露骨すぎたかな……)

 北野くんに、ちゃんと付けていることを気付いてほしい。そんな風に対人関係において前のめりになったのは、人生でこれが初めてかもしれない。特別親しい友人なんていなかったし、決して広くはなかったこれまでの交友関係のなかで照らし合わせても、今の北野くんは俺のなかで間違いなく「特別」な存在だった。
 最初は、見た目が怖そうだったり、口が悪かったりして、自分とはタイプが違うと無意識に壁を作っていた。でも、あの不器用な優しさに触れるたび、その線引きはもうすっかりなくなっている。

(――連絡したくなったら、いつでもラインしてもいいとも言ってくれたし)

 日曜日の帰り際、名残惜しそうに駅の改札の前で別れる間際のこと。俺が「今日はすごく楽しかった」と勇気を出して素直に伝えたら、北野くんは気恥ずかしそうに目を泳がせたあと、そう言ってくれた。すぐに「いいの?」と聞き返し、俺は思いの丈を打ち明けた。

『俺、ちょっと浮かれてるかも。今までこういう友達が出来たことないから』
『……そうなん』
『う、うん。だから、その……もし、俺から連絡して迷惑だったらすぐに教えて。そうじゃないと、嬉しくて、どうでもいいことまで北野くんに話しかけちゃいそうだから』
『別にそんなん思わねーよ。どうでもいいかどうかは、俺が決めるから』

 今思い返してみても、北野くんらしい一言だな、と思う。

「あ、北野じゃん。お前が今日まで一度も遅刻しないで来るとかやばくね?」
「心を入れ替えてみた」
「とか言って、明日にはまた昼休みに登校してくるんじゃねーの」

 北野くんはドサッとスクールバッグを机に寝かせ、自分の席に腰を下ろす。
おはようって挨拶をしたいけれど、周りの面々が輪を描くように北野くんを取り囲み、スマホをいじったりお菓子をつまんでいたりして、なかなか近づけない。あとでもいいか、と自分を納得させるようにノートへ視線を戻しかけたとき、目の前に影が差した。

「おはよ、田浦」
「お、おはよう。北野くん」

 机の真ん前にしゃがみ込んだ北野くんは、机の上に両腕を組み、そこに顎を載せたまま、俺の筆箱についたチャームを指先でつん、とつついてきた。あくびを噛み殺しながら、どこかまだ眠たげな瞳でうーちゃんを眺めている。昨日は楽しかったね、とお礼を言いかけた瞬間、南田くんたちが席の背もたれにふんぞりかえったまま、からかうような声を投げかけてきた。

「北野、うーちゃんとすっかり仲良くなってね?」
「だったらなんなんだよ」
「別にー。ただ、意外な組み合わせだなと思って。……てかさ、北野のスクバに『めじるし』ついてるじゃん。なにこれ、もしかして彼女と映画行ったの?」

 ほら、と北野くんのバッグにちょこんと揺れるうーちゃんのチャームを、南田くんが何の気なしにつまみ上げる。その馴れ馴れしい仕草が不快だと言わんばかりに、北野くんが鋭く眉を寄せた。それに気づいた俺は、反射的に自分の筆箱を慌てて机の中に隠す。

「ちげーし。てか、勝手に人のカバン触んの、マジで無理なんだけど」
「わりぃわりぃ。にしても北野って基本こういうの付けないじゃん。もしかして本命とオソロだったりする?」
「…………」

 北野くんが、一瞬だけ言葉に詰まった。ちらりと横目でこちらをうかがった気がしたけれど、すぐに視線を逸らされる。

「うるせぇな。別に意味とかねぇし」
「いいよなー、イケメンは。日替わりでもいいから付き合いたいって言われてんだろ?」

 南田くんの後ろに控えるクラスメイトたちも、「それな」「選びたい放題でうらやましいわ」と、スマホから顔を上げて口々に相槌を打っている。その言葉を聞いた瞬間、頭の奥がすーっと冷えていくような気がした。

(意味はない。そっか……そうだよな)

 昨日の北野くんの言葉を、俺の得意な方法で、ひとつずつ検証してみる。「興味がある」「もっと知りたい」「珍獣枠」「必死すぎて、ちょっと可愛い」。
どれも好意の言葉ではある。けれど、その種類は?
 彼の関心は「今まで周りにいなかったタイプの生き物」に向けられたもので、好奇心というものは、満たされてしまえば薄れていく。それに、北野くんの周りには、元々たくさんの仲の良い人がいる。俺はそこに、珍しさ込みで一人加わっただけ――そう考えるのが、いちばん自然だ。友達としての好意、それも「珍しさ」込みの。その範囲で解釈するのが、一番合理的な思考のはずなのに、結論づけた途端に細いトゲが刺さったみたいに痛んだ。
 ぎぎ、と俺がゆっくりと椅子を引いて立ちあがると、北野くんはちょっと焦ったように立ちあがる。

「……田浦?」
「ごめん、ちょっと職員室に行ってくる。クラスTシャツの集金の件、先生に伝えなきゃいけないことあったんだ」
「…………」

 北野くんが何かを言いかけるのを背中で受け止めながら、俺はそそくさと逃げるように教室を出た。廊下の角を曲がったところで、背後からかすかに聞こえてくる教室の賑やかな笑い声に、シャツの上から胸のあたりを押さえ込む。
そうして押さえつけても、チクチクと刺すような痛みは一向に消えてくれそうにない。
 俺にとっては、北野くんは初めてできた、たった一人の大切な友達だ。でも――。

(北野くんにとっての俺は、物珍しさで構ってもらえているだけの、期間限定の存在なのかもしれない)

 そんな当たり前の可能性に、どうして今まで気づけなかったんだろう。いつだってみんなの中心にいて、誰からも好かれる北野くんと、教室の隅で息を潜めている俺とじゃあ、どこからどう見てもちぐはぐで、釣り合っているはずがない。
 真面目でつまらないと煙たがられる俺と違って、北野くんはいつだって、たくさんの人から名前を呼ばれ、求められる人気者なのだから。

 ***

 体育祭を間近に控えた週の半ば、あまりにもやる気のないうちのクラスの士気に火をつけるべく、担任の先生が「騎馬戦の一年の部で優勝したら、焼肉に連れて行ってやる」というサプライズを投下した結果、教室には恐ろしいほどのブーストがかかった。みんなが「うおお!」と雄叫びをあげ、昼休みには校庭で我先にと走り込みを始め、自主練に精を出したりしている。
 俺はというと、騎馬戦で「一番体重が軽くて細いから」という理不尽な理由で、一番上の「大将」を引き受けることになってしまった。もともと争いごとや目立つことは苦手だし、運動神経だって人並み以下だから、内心では気が気じゃない。
 こういう役目こそ、運動神経のいい北野くんの方が適任だと頭の隅をよぎったけれど、北野くん自身は「こないだ足を痛めたばっかだし、無理してまた悪化させるの面倒くせぇから」という理由で、メガホンを片手に指揮台の上であぐらをかいていた。

「おら、気合入れろよお前らー。優勝したら先生の金で高級焼肉だからな」
「北野、てめぇ自分は競技に出ない癖に、メガホン握って監督面すんじゃねーよ」
「ゴチャゴチャ言ってねぇでさっさと走れ、南田」

 そんな風に軽口を叩き合う声を聞くたび、輪の中に自分が入れないことが、心の中を一面日陰にしてしまう。
 あの教室での一件以来、俺は無意識に北野くんを避けてしまっていた。北野くん自身はそこまで気にしていないかもしれないけれど、どうしても周りの視線や冷やかしを思い出してしまい、自分から話しかける勇気が出ない。
 学校ではずっとそんな調子だけれど、昨日も、その前も北野くんは何度かメッセージをくれていた。最後に話したのは、俺が距離を置き始めた数日後。
 はじめは「今、通話できる?」という文字だったのが、途中で「打つのめんどくせぇ」という理由で、そのまま音声通話に切り替わった。

『――なぁ。教室でこの前みたいにからかわれんの、やっぱり嫌だった?』
『い、嫌というか……。むしろ北野くんこそ、俺みたいなのとつるんで変にからかわれて、迷惑なんじゃないかと思って』
『は? 俺がいつ迷惑だなんて言ったよ。っていうか、俺は自分がどうこうより、お前がしんどそうな顔してる方がよっぽど嫌なんだけど』
『……あんまり、優しいこと言わないで』
『えっ?』
『ほら、俺……変な期待しちゃうから』
『……なにそれ』

 電話の向こうで、息を呑む気配がした。でも、言えるわけがない。

「じゃあ、各自しっかり水分補給したら、騎馬戦のチーム組んで練習するぞ。特にうーちゃん、念入りに準備運動しとけよ」
「あっ……うん、分かった」

 はっと我に返る。指揮台の上、メガホンを膝に伏せたままの北野くんが、こちらをじっと見つめていた。目が合った瞬間、気まずさに耐えきれず、俺は慌ててそっと視線を逸らしてしまう。
 北野くんにもっと近づきたい。もっと仲良くなりたい。
 普段の教室でも、周りの視線なんて気にすることなく、その隣でくだらない話をして、ただ一緒に笑い合いたい。

(できれば、あのときみたいに……ふたりっきりで、笑いかけてほしい)

 俺が声をかけたのをきっかけに、北野くんはまた学校に来るようになった。あのゲーセンでの勝負の日から、こうして一緒に放課後を過ごして、たくさんの楽しい思い出もできた。だけど、心のどこかでずっと思い知らされている。
自分と北野くんでは、立っている世界があまりにも違いすぎるということを。
 このまま特に踏み込んだ言葉を口にしなければ、やがて迎える夏休みまでの間に、俺たちはまた四月と同じ、ただのクラスメイトに戻っていくだけだ。ぎこちない今の空気も、時間の経過がすべてを薄めて、「なかったこと」にしてくれるはず。

(それでいい。というか、この距離感こそが、俺たちにとって一番自然な関係だったんだから……)

 そうやって自分に言い聞かせるけれど――ほんとうにそれで後悔しない? と、胸の奥で膝を抱えてうずくまるもう一人の自分が、問いかけてくる。
 自分の本当の気持ちに蓋をして、これ以上傷つかないようにと自分から遠ざかろうとするのは、素直になって北野くんを困らせるのが怖いからだ。
今あるこの優しい距離感すらも失ってしまうのが、何よりも怖くてたまらない。
 この胸の奥で疼いているのは、初めてできた友達を、他の誰かに取られたくないから。
 そう結論づけて、どこか引っかかりを覚えたまま、俺はジャージのファスナーをぐいっと一番上まで上げた。