ド真面目天然学級委員のうたくんは、クーデレ問題児のベタ惚れに気付かない

【side:北野】

「おいおい、一体どういう風の吹き回しだよ」
「なにがだよ」
「お前がいきなり学校にちゃんと来るとか、どんな天変地異? 遅刻常習犯だった癖に」

 田浦との約束を果たした金曜日の翌週。俺は三日連続で八時半前に登校するという、自分でも信じられないような日々を送っていた。
 ニマニマといじり倒したそうな空気を全身から醸し出したいつメン――南田と東山、西谷たちに囲まれる。土日の間もグループラインで散々擦られたネタだというのに、週が明けてもまだ飽きずに絡んできていた。

「まさか『うーちゃん』にそんなパワーがあったとはなぁ」
「別に、田浦は関係ねぇだろ」
「だってさぁ。田浦が『教室に来て』って直接声をかけてからだろ? 今まで俺たちがどんだけライン送っても、全部既読無視してたくせによー」

 やっぱりその名前を出してくるか、と内心でため息をつきつつ、俺は頬杖をついたまま視線を窓際へ滑らせた。そこでは、黒板消しを窓の外でパンパンとはたいていた田浦が、向かい風をまともに食らい、制服のシャツを粉まみれにして一人でオロオロとむせ返っている。

(どんだけ鈍臭えんだよ)

 呆れ半分、おかしさ半分で口元がゆるむのを隠すように、片手で顔を覆った。
 南田たちの話題はいつの間にか他校の女子高の話へと移り変わり、今度の週末のナンパの予定だの、この前連絡先を交換した子がいけそうだの、そんな軽い話ばかりに花を咲かせている。マジでどうでもいい。そういう類の話題には、俺は実のところ全く興味がない。

「ほら、また上の空じゃん」
「おーい北野、聞いてんのか? お前ちゃんと女子に声かけてる?」
「……聞いてる」

 適当に相槌を打ちながら、スマホをいじるフリをする。
 こいつらは決して悪い奴らじゃない。けれど、俺の周りに人が集まる理由は自分でもよく分かっていた。グループに顔のいい奴がいれば、放課後や休日に女子へ声をかけるときの「打率」が跳ね上がるからだ。
 自分で言うのもなんだが、母親譲りの整った目元や高い鼻筋、それに高身長と外見にはかなり恵まれている自覚がある。ハンドボール部で汗を流していた頃なんて、練習試合に行くたびに他校のマネージャーから連絡先を渡されたり、彼女の有無を聞かれたりするのが日常茶飯事だった。

 初めて彼女ができたのは中学二年の夏。それから幾度となく告白と別れを繰り返し、やがて束縛されることも、「私のこと、本当に好きなの?」と縋られることにも心底うんざりしてしまった。実際、好きだから付き合うというより、「好きじゃないけど、そのうち好きになれるかも」と思って来るもの拒まず、去る者追わずだった部分もある。
 結局、特定の本命を作らずにただ遊ぶだけの「彼女未満」を何人も作って、自由に遊ぶスタイルへシフト。
 怪我でハンドボールを辞めてからは、その自暴自棄さが加速した。周りから「その辺にしとけ」と言われるほど女遊びに耽り、勉強にも身が入らず、やりがいも目標も失った。
何より受け入れがたかったのは、ハンドのスポーツ推薦で大学へ進むという将来を断たれたこと。そのせいで、俺は自堕落の底で泥のように生きていた。
 そんな俺の目の前に突如として現れたのが、同じクラスで学級委員長の田浦謠。

(ていうか……なんでそこまで必死に黒板拭いてんだよ。職人かよ)

 教壇に立つ田浦へ、再び視線を戻す。
 あいつは俺の視線に気づく様子もなく、上から下まで、体重をかけるようにして丁寧に黒板消しを走らせていた。消しカスひとつ残さないその完璧な仕事ぶりは、まるで新品の黒板に取り替えたんじゃないかと思えるほどだ。
 だけど、あいつがどれだけ真面目に、誰にも見えないところで頑張っているかなんて、せいぜい担任や授業にやってくる教師くらいしか気づかない。ガヤガヤと騒がしい教室のなかで、クラスメイトの誰一人として、あの小さな背中に興味を示してはいなかった。
 ……俺という、たった一人を除いては。

「ボウリングもいいけど、四対四ならテーマパークもありじゃね?」

 誰かのその一言に、ちら、と全員が俺の返事を待つようにスマホから顔を持ち上げた。
 俺が「いいんじゃね」と言えばテーマパークになるし、「それはない」と言えばボウリングに決まる。別に自分が幹事をやりたいわけでも、みんなを引っ張りたいわけでもないのに、いつの間にかこの派手な見た目と強気な態度を買われて、いつメンのリーダー格に祭り上げられていた。
 学校でも、放課後の繁華街でも、周囲が求めてくるのは「自信に満ち溢れ、女遊びを軽くいなすチャラい北野」だ。自分の意見をハッキリ言い、面白おかしく場を盛り上げ、悩みのなさそうな顔をして見せる。本当の自分はもっと冷めていて、勉強が苦手だというコンプレックスの塊で、具体的な将来の目標なんてひとつもない空っぽの人間なのに。
 それでも、周りが期待する「北野」を演じている方が、本当の自分を晒して失望されるよりかは、ずっとずっと楽だった。

「まぁ、テーマパークの方が楽しいんじゃね」

 俺のその言葉に「決まりだな!」と東山がパッと明るい声を上げる。周囲が盛り上がりをみせる中、俺はそれを適当に聞き流しながら、スマホの画面に目を落とした。
開いていたのは他でもない、田浦とのトーク画面だ。

『週末課題は数Ⅰのワーク、二十ページから二十二ページまでです』
『明日は時間割変更で、保健体育が古文に変更になりました』

 同級生に送る文面としてはおよそあり得ないほどお堅い、まるで事務連絡のよう。
お前は俺の専属アシスタントか何かか、とツッコミを入れたくなるようなメッセージがずらりと並んでいる。こちらが「りょ」とか「あざ」とか適当に二文字で返したきりで、それに対する返信が来ることはない。完璧なまでのビジネスアカウント仕様だ。

「誰とラインしとるん? そないにニヤけて」
「別に。なんでもねぇよ」

 ひょいと覗き込もうとしてきた西谷の頭を軽く小突きながら、画面を閉じる。
 連絡先を交換したばかりの頃は、どんな反応をするのか面白半分で、意味もなくスタンプを連続で送りつけてみたりした。けれど、十個も連打してスタ爆をしてみたら、

「なんかスタンプがいっぱい送信されてたよ。スマホのエラーかも。確認したほうがいいんじゃないかな(汗の絵文字)」

 と、本気で心配している返信が飛んできた。あの時は肩透かしを食らったというか、あまりの斜め上を行く真面目さに、脱力と同時に変な笑い声が出てしまったのを覚えている。

(もはや未確認生命体。俺の人生で初めて出会うタイプだわ)

 誰も気づいていないけれど、大人しそうに見えてかなりのクセつよ、明るいぼっち。
 断トツで頭はいいくせに、ド天然。そして、あいつはこの派手な見た目をした俺に対して「お近づきになってあやかりたい」という下心みたいなものを一切寄せてこないし、怯えたり怖がったりもしない。周りの奴らはみんな、俺の顔やノリや、適当に繕った「北野」の仮面を見てすり寄ってくるか、あるいは面倒くさそうに避けていくかのどちらかだったのに、田浦だけは違う。
 気づけば俺は、そんな田浦のすべてのギャップに絡め取られていた。

 ***

 少なくとも入学したばかりの時点では、田浦のことを「特別な奴」だと思ったことなんて一度もなかった。
 自己紹介の時に何を話していたかすら覚えていないし、ワイシャツの第一ボタンまで隙間なく留め、ネクタイをきっちりと結んだ姿はいかにもなお手本優等生。授業ではスラスラと難問を解き、やたら頭だけはいい。
「なんでコイツはこんな偏差値の低い高校に入ってきたんだ?」と少しばかり疑問には思ったけれど、それをわざわざ周囲の連中に話題として振ったり、自分から声を掛けたりすることなんてなかった。
 怪我をする前の俺が、調子に乗って派手なつるみ方をしている男子なら、向こうはただただ地味な学級委員長。交わるはずのない対極にいる人間だった。

(なのに、その委員長が、まさかゲーセンまで乗り込んで来るとはなぁ)

 これといった感情も抱いていなかった田浦が、ものすごく緊張した面持ちで声を掛けてきた時は、何のドッキリかと思った。その直前まで、ゲーセンによく出入りしている他校の女子二人組に声をかけられ、テキトーに愛嬌を振りまいてはべらせていたところに、まるで不意打ちで腹を殴られたような衝撃。
なんで、こいつがこんなところに? いや、何で俺のためにわざわざ? っていう。
 田浦は、「学校に来てほしい」なんて優等生のテンプレみたいな言葉を放ち、俺が面白半分にあしらうと、残念そうに眉をハの字に曲げた。その顔を見た瞬間、胸の奥で「可哀想で、なんか可愛いな」と思ってしまったのは、自分が墓場まで持って行く秘密だ。

 そして、ゲームに勝てたら学校に行くだなんて、ただのからかい半分で口走った言葉を、あいつが真に受けて本気で練習していると知ったのは日曜日のことだった。
 昼前の待ち合わせ場所に向かっている途中、いつものゲーセンに私服姿――といっても、制服とほぼ変わらない地味なシャツ姿の田浦が吸い込まれていく後ろ姿を見かけ、気になって、陰から様子をうかがうことにした。その時はただ単純に、田浦が変な奴に絡まれないか、見ておこうと思っただけだ。
 ところが中に入ってみると、田浦はおずおずとポケットから小銭入れを取り出し、あの時俺と対戦したゲームの「ひとりモード」を選択していた。二回、三回と立て続けにゲームオーバーになっても、臆することなく百円玉を投入してコンティニューを選ぶ。 
 回り込んでUFOキャッチャーの隙間からその横顔を盗み見れば、信じられないくらい真面目に、それでいて悔しそうに画面を睨みつけていたのだ。
 その日から俺は、「もしや毎日一人で練習しに来てる説」を実証するべく、あいつの下校時間を見計らってゲーセンの近くをうろつくようになった。
 きっかり四時に現れて、五時には切り上げて、ひとりとぼとぼと帰っていく。なんでそこまで必死になるんだよ、と呆れつつも目が離せなかった。
そして、その理由は木曜日の言葉で証明されることになる。

『俺はまだ、ちゃんと北野くんと話したことがないから。……だから、結果的に約束が反故になったとしても、今は信じてみたいって思ってるんだ』

 なんて、嘘偽りのない真っ直ぐな瞳をして言うのだ。
 南田たちにからかわれても、怒るでもなく、不機嫌になるでもなく、自分の考えをただ真摯に言葉にする姿。あんな台詞を聞かされて、嬉しくないわけがなかった。
 よく恥ずかしげもなくドラマの主人公みたいなセリフを真顔で言えるな、とも思ったし、あまりにもピュアすぎて「なんだこいつ」を通り越して「いとおしい」なんて感情が湧いてきた。人生でそんな気恥ずかしい言葉を使う日が来るなんて思いもしなかったけれど、あれだ、最近人気のアニメに出てくるうさぎの『うーちゃん』がどんな逆境でもめげずに目をうるうるさせて踏ん張っている姿。それを見守る時の感覚に似ている。
 そう思うと、頭の上でほわん、と揺れているアホ毛すら可愛く見えてきて。
 頭の中で「いや、男相手に『可愛い』はなくねぇ?」という疑問符をグルグルと渦巻かせたまま、そのあともいつものノリで軽口を叩いた。

『一日くらい勝負が早まったっていいだろ。どうせ勝つのは俺だし』

 直後、勝負の最中に「寂しいなって思ったんだ」なんて、想定外すぎる爆弾をさらりと投げ込まれて、俺は完全にペースを乱され、有り得ない大敗を喫した。
ずるい、としか言いようがない。お前は俺の何なんだよ、と言い返したくなるけれど、まだ俺たちは何者でもない。ただのクラスメイトだ。
 これまでは、女子は顔が綺麗でも可愛くても、容姿が整っていればいるほどいいと思っていた。過去には、呼び出されたと思ってウキウキで告白の場に行ってみたら、相手が他クラスの男子だったことだってある。それも一度や二度じゃない。
 それに対して特になんの感情も抱かなかった自分は「どっちでもいける口だ」くらいの軽い自認だったのに、あの時、嬉々として「学校に来て」と見つめられながらダメ押しされた時は、心の中のなにかがぐらりと大きく揺さぶられた。
 例えるなら、自分のなかにある動かない巨大な岩のようなものを、あいつの無防備な一言で軽々と、どすん、と落されたような衝撃。それくらい、田浦のあの嬉しそうな笑顔は、くるものがあった。芸能人のように顔立ちが整っているかといえば、決してそういうわけではない。背だってそこらの女子より高いし、声だって低い。誰がどう見ても「男」の外見をしているのに。
 クラスTシャツを決める時に一人で必死になっている不器用な振る舞いだとか、「ありがとう」と言いながら見せるはにかんだ笑顔。
 極めつけには、あのくそダサい自転車のヘルメットを被ってキョロキョロしている姿でさえ、なぜか「うわー、守りてえ」と庇護欲のようなものが湧き上がってくる。
 ……もっとも、そんな自分の気持ちは微塵もバレないように、必死でいつも通りのチャラい態度で演じているわけだけれど。
 俺はもともと口が悪いし、言葉足らずだ。照れくささを誤魔化すために悪態をついては、毎回田浦に「え、なんで怒ってるの?」みたいな顔をされてしまう。
 それでいて、田浦は教室で俺に自分からそこまで積極的に声を掛けてくることはなかった。ぶっちゃけ、俺のいつメンの三人は顔はそこそこいいものの、身なりは派手でピアスも大量に開いているし、話しかけにくいオーラを全身から醸し出している。田浦でなくとも、クラスのヒエラルキーの真ん中にいるような連中ですら、好んで近寄ってくることはない。
 俺がちょっかいを出しに行けばいつメンから冷やかしの野次が飛ぶし、その時の田浦はそれはもうオロオロと困り果てた顔をしている――ように見える。
本当は田浦も俺と話したいのかな、と期待したくなる場面は度々あるけれど、それをまともに問いただすのはチキって出来なかった。田浦のことだから、それこそ何の悪気も無く、きょとんとした顔で、

「えっ? そんなこと、一度も思ったことないよ」

 とかなんとか、平然と言い放たれるのが一番怖い。臆病者の俺とは違って、田浦は良くも悪くも自然体で、「ちょっと浮いてる地味な学級委員長」であることにそこまで深刻なコンプレックスを抱いているわけでもなさそうだ。
けれど、たまに授業の合間や昼休みに、クラスの輪に入れず一人でぽつんと窓の外を見ている寂しそうな横顔を見るたびに、どうにかしてあいつの世界に踏み込んでやりてぇな、と思ってしまう。
あまりにも唐突な言い方で休日の遊びに誘い出してみたものの、今の俺にはまだ田浦のことが分からなさ過ぎて、何をすれば心をもっと開いてくれるのか、どういう場所が好きなのかすら見当もつかない。そのうえ、「お前はどこがいい?」なんて、これまでの女なら秒で誘えていたはずの言葉すら一発で聞きに行けない。

(マジで、自分でも引くくらいダサすぎる)

 今まで歴代の恋人たちには「待ち合わせ何時?」「なに食う?」と十文字以内で完結していたラインのやりとりさえ、田浦相手だとどう送るべきか何分も悩んでしまう。これはもう、自分史上最大の異常事態だ。
 あまりにも前のめりで距離を詰めすぎたらドン引きされそうだし、かといって田浦のペースに合わせて待っていたらいつまで経っても何も進まない。もっとスマートに、格好よくエスコートできればいいのに、肝心なところで全然うまくいかない。

「き、……きたのくん」
「あ?」

 頭の中でぐるぐるとそんな悩みを拗らせていたら、どこか遠慮がちな声が会話の合間に割り込んできた。はっと顔を上げると、俺の席のすぐ横に、束になった提出用のワークを両腕いっぱいに抱えた田浦が立っている。
え、なに、と反射的に聞き返しかけると、田浦は困ったような、それでいて申し訳なさそうな顔で小さく苦笑いを零した。

「課題の提出日だよ。これから職員室に持っていくんだけど……北野くんの分だけ、まだ机に出てないから」
「……あー、わりい。やってねぇや」

 気まずそうに頭を掻く俺に、田浦は長い睫毛を瞬かせてから、少しだけ残念そうに「そっか」と微笑んだ。わざわざ自分の仕事のついでに声を掛けに来てくれたというのに、この体たらくだ。どれだけ机に向かおうとしても、一ヶ月以上授業をサボっていたツケは重く、自力で教科書を開いても全く頭に入ってこない。あぁ、これでまた田浦のなかでの「ダメな不良」の評価が固まった。
 どうせまた「ちゃんとラインで教えてあげたのに」なんてお説教を食らうのだろうと身構え、さっさと立ち去ってくれるのを心のどこかで待っていると、田浦は重そうなワークを抱え直したまま、なんでもないことのように言った。

「今度はさ、課題が出たら、俺と一緒にやってみようか」
「は? なんで……」
「北野くんが休んだ分の勉強を、教えてあげるよ。だって俺、学級委員長だからさ」

 純粋な面倒見の良さだけが詰まっているはにかんだ笑顔を向けられ、俺はテーブルの下で紙パックのジュースをあやうく握り潰しそうになった。