気づき
恋に落ちたと気づくまで大分時間が掛かった。相手は同性だったから。
〝同性愛〟は遠い世界だった。それが…
気がつけば目で追っている。他の人と仲良くしてると嫉妬に駆られる。相手が同性でも異性でも。そのうち相手のことを全て把握してないと不安になった。そんなの実の親だって無理だってことすら頭から抜け落ちていた。
意識しだした途端、自分の性別に疑問を持ち始めた。彼女と違って、自分は男なのじゃないのか、と。
疑問は膨らんでやがて強い意志となって、叫び始めた。〝自分は男だ!〟
そう思いだしたら止まらなくなった。まず小さくはあるものの確かに膨らみを持つ胸を潰した。小さいおかげで胸は真っ平らになった。次は声を潰した。特定のプロテイン剤には副作用に〝もとに戻らない嗄声〟があった。それを飲み始めて確実に〝声変り〟が済むまで、その錠剤を飲んだ。声が聞こえなくなるまでの嗄声にしてはいけない。
希望通りの声を手に入れるのにそう時間はかからなかった。気のせいか、喉仏も出ているように見えたけど、やせれば誰だって喉仏は出るのだと気づいた。
いつの間にか、彼女を好きになったから、というより、もともと自分は男だったのだという意識の方が強くなっていた。
ある日の夜、中学生以来会っていなかった奴が家に帰ってきていた。その姿を見て涙が止まらなくなった。彼は決して大きい方ではなかった。なのに大学を出て戻ってきた彼は一気に背が伸びて、〝大人の男〟になっていた。こちらは女の中でもさらに背が低いのがコンプレックスだったのに、見せつけられた気がした。本物の男ならこれくらい普通だ、と。悔し涙が後から後から流れた。
彼女のことを好きかどうかも分からなくなっていた。
これは本当に恋なのか、単なる独占欲が強すぎだったのか。
考えるうちにどちらでもよくなってきた。
ただ自分は男だ。それだけが確かなものとして残った。
自分はよく男の子に間違われた。その時の嬉しさは言葉にならない。
例えばこんな場面だ。ウチは自営業でよく父と2人で行動する。そんな時、よく言われたのが「いいねぇ、せがれさんと一緒に仕事できて」だった。草刈りを頼まれて行ったお宅では「息子さんも来てくれて」だった。その度に父は躍起になって「娘ですよ!」と言った。「あらあ、ごめんなさいね」(と、これは草刈りに行ったお宅の娘さんの言葉だが)と、皆、心底申し訳なさげに謝罪されたが、こっちとしては嬉しい限りなので「いやあ、いつも間違われるんですよ。気にしないで下さい」と心の底から浮かんでくる笑顔で返したものだ。
下着、特にブラジャーには相当抵抗を感じた。もう二度と着けないので全部捨てた。ひょっとしたら家族もなにか察していたのかもしれない。だが何も言ってはこなかった。
そしてある日、彼女の為に指輪を買った。付き合って欲しいなどと口が裂けても言えないから、せめてずっとそばにいられる自分の分身を、身につけて欲しかった。だけどその頃には彼女との関係はぐちゃぐちゃになっていた。
それは些細なことだった。
ある映画を観て彼女が泣いたと、別のある人から聞かされた。だから一緒にレンタル屋に行って、「これ、泣けるよね」と言ったら彼女はなんと「そうでもないよ」と返してきた。びっくりして、本当に一瞬固まった。それから改めて「泣くよ」と言うと「泣くまでじゃないよ」と言った。
嘘だ。今振り返ればなんてことない小さな嘘。だけど当時の自分にはあり得ないことでムキになった。自分は「泣く」と繰り返し、彼女も「泣かない」と繰り返した。
彼女は嘘をついた。よりによって自分に。
それが、たったそれだけのことが許せなかった。
何でも共有していると思っていた。でもその些細な出来事が自分の思いまで全て否定されたように感じた。
気がつけば彼女を避けるようになっていた。
何も感じない。何も見ない。彼女のことは考えない。顔を合わせてもすぐ逸らす。挨拶なんて論外だ。
そんな彼女に指輪を贈ろうとしている自分が滑稽だった。
結局、指輪は渡せず、彼女は家を出た。外国に行くと聞いて彼女との距離が確実に離れていくのを感じた。
そんな深く考えずに、さっさと指輪を渡してしまえばよかった。後悔ってのは必ず後から来るのだ。
今でも件の指輪は手元にある。その時にはかなり素敵に見えていたが、今見るとなんとちゃちなデザインだろうと思う。まるで玩具菓子のオマケみたいだ。否、お姉さん向け雑誌で選んだんだからそれは言い過ぎか。その雑誌はもう刊行されていないからそれなりだったのだろう。
彼女の代わりに、自分がつけるわけでもなく、誰かにあげることもなく、引き出しの奥にひっそり仕舞われた指輪はそのまま時がただただ過ぎるのをじっと見守るのだろう。
そうして精神はボロボロになっていった。何故なら女を受け入れる部分があったからだ。
父はよく言った。「男は早く家を出たほうが良い。女の子はいいんだよ。女の子は結婚したら家を出ていくんだから」「最近、親と一緒に買い物してる男の子が多いよな。あの歳で一緒に歩くってのはどうなんだ?」あり得ないと言うように父は言った。
おかげで自分はデカい面して実家に居座っていられる。女の子で良かったと思う唯一の理由だった。だがそれが自分をまた責めた。
ほら、やっぱりお前は女なんだ。
違う…。
何が違うんだ?男なら自立してみろ!出来ないんだろ!だからお前は女だと言うんだ!
違う!違う!病気だから自立は出来ないんだ!
またそれか!病気、病気、病気!何かと言えば病気を理由にして!
本当なんだ!病気でなければ今すぐにでも自立する!
でも出来ないんだろ?だって病気の女だからな!!
「うるさい!」
叫んで顔を上げると、鏡の中から泣きじゃくった自分がこっちを見ていた。
だってしょうがないだろ?なあ、そうだろ?
涙を流しながら自分が聞いてきた。
そうだよ。しょうがない…
お前は女だから、と心の中で呟く。鏡の中の自分の顔がさらに歪んだ。うー、と言う声にならない声を漏らしながら伏せった。落ちていった涙が鼻の中に流れ入ってツンとした。
しばらく泣き続けた後、ふうっと息を長く出し、自分を落ち着かせた。流れた涙に乱れた心も混ぜて出し切ると気分が落ち着いてきた。こういう時、涙を拭ってしまうのはNGだと経験から知っていた。目元を擦ると目が赤くなる。だから顎あたりに溜まった涙だけ軽く拭いて後は自然乾燥する。
そんな事を考えながら頭の中は静けさを取り戻している。いくら嘆いたところで自分が女であることは変えられない。揺るぎない厳然たる事実だ。その事を静かに見つめる。
自分の性別に違和感を感じる。そう母にはすぐに伝えた。母は特に驚きもせず「そうなんだ」と受け入れてくれた。無理もない。胸を潰すためのシャツが洗濯物に混じっていたし、朝、枕に口をつけて大声を出して声を潰したりしていたのだから。それは早々に止めることになったけど。
というのも父がさりげなく「最近、猫が大騒ぎしてる」と言って自分の声が丸聞こえだったこと、うるさいことを遠回しに指摘してきたからだ。仕方なく朝の声潰しはやらず、代わりに夜、母の集金仕事に付いていって、車のるで何度か叫んで「どう?」と母に聞いたりしていた。母も「いいんじゃない」と言ってくれた。
母は実際どう思っていたのだろう。自分の娘が突然、自分は男だと思うと言われて。確かに昔からボーイッシュではあった。でもスカートを履くことに抵抗感はなかったし、着飾れば喜んでいた。ただ一つ心配していたという。
子供の頃、お人形遊びをしなかったそうだ。それよりも裏の崖を登ったり土を掘って遊んだりして、大丈夫かしら、この子、と思ったと言われた。
兄と二人兄妹だから、兄の影響が強すぎるのかな、とも思ったそうだ。女の子がよくやるおままごとは兄が学校で覚えて率先してやっていたらしい。
そうして小学校に上がって友達ができて初めてお人形さん遊びをやり始めたそうだ。内心、ほっとしたと母は言っていた。
でも自分としては崖遊びの方が何倍も楽しかった。
小学校に上がってしばらく、それまで住んでいた古い一軒家からアパートに引っ越して崖遊びはできなくなった。仕方なく人形遊びをしていた。
極度の人見知りのせいで、学校に行くことが苦痛だった。でも今振り返っても必ず誰かと一緒にいた。全て女の子の友達だ。その頃好きになったのは男の子だった。屁理屈もとなえられない純粋な時に好きになったのが男の子だったということはやはり自分は女じゃないのか?疑問を持ったのは屁理屈をこねくり回すようになってからだ。振り返れば学生時代、それは暗黒時代だったけど自分の性別に違和感を感じたことはなかった。ただ一度だけ、男子がするように腰パンにしてみたことがあった。「何で腰パンなの?」純粋な囁き声が聞こえてきた。高校時代、制服でレジャーランドに行った時、制服ならいいというので友人の男子からズボンを借りてそれを履いて行った。
「なんだ、誰かと思った!何で男子が女子トイレに並んでるんだろうってびっくりしちゃったよ!」
そうトイレの中で抱きつかれて、ちょっと嬉しかった。
そのころには性別を意識し始めていた。
そして件の彼女に想いを寄せ始めた。
彼女と同じ学校に通っていればまた違っていたのだろうか。ふと思うことがある。毎日顔を合わせる日々。それは歓喜だろうか、それとも絶望か。普段の彼女は一体どんななのだろう。そんな事を想像しては下らない妄想を膨らませた。
性別関係なく、学校が嫌いだった。人見知りして中学から高校卒業まで親しい人間はいなかった。親しい関係をつくるほど学校に行っていなかった。人とすぐ打ち解ける兄が羨ましくあり、恨めしくもあった。
「あ、妹!」
すれ違いざま言われるのはざらだった。それほど自分たちは似ていた。「男の子と女の子なのにねえ、不思議ねえ」と母は笑っていた。そして兄はいわゆる目立つグループ、一軍クラスの人間だった。だから知らない先輩にしょっちゅう声をかけられた。一軍クラスの同級生にも声をかけられた。だけどそのうち自分がいわゆる底辺クラスの人間だと分かると声をかけてくる人はいなくなった。かろうじて仲良くなった人は気づけば側にいて、気づけばいなくなったりした。
記憶が曖昧なのはそれほどストレスだっただけではない。母が倒れていたからだ。
混沌
後に判明する〝アスピリン喘息〟で、ちょうど反抗期真っ只中の兄は見ていて同情を禁じ得なかった。振り上げたい拳を、だけどどこに下ろせばいいか分からない。父は一人で仕事をし、家事も欠かさなかった。そんな二人に反抗するのは間違っている。頭では分かりきっていることをそれでも懸命に振り上げようとする兄の姿は寂しい滑稽さを見せた。自分も可能な限り反抗してみせた。階下からひ弱にしかしはっきりと届いてくる声が一番嫌だった。
「お母さん、具合悪いから料理作れないから、お米だけでも炊いてくれないかな…」
分かってる!
「ねえ、お願いできないかな…」
分かってるって!
バンッとドアを開けて、階段の柱に寄りかかってこちらを見あげている母を無視して、流しに立ち、ガシガシと米を洗い、炊飯器に入れてスイッチを押すと、「ありがとね」という母を無視して二階に戻った。おかずは誰かからの差し入れか、父が作った。
母がいつ頃倒れて、いつ頃元気になったかは分からない。けれど母が元気になってまた性自認がひょっこり顔を出し、訴え始めた。〝僕〟は男だ!と。ちょうど背が伸びた知り合いが帰ってきたのもその頃だ。
家に帰る途中泣きながら母に当たった。
「自分だって男なのに身長はもう伸びない!本当ならあれくらいの身長になってたはずなのに!」
母は黙って聞いてくれた。自分が正しい男でないのが悔しかった。彼女が家を出たのもこの頃だったはずだ。自分ができないこと、しようとしないことをあっさりやってのける彼女にも嫉妬心が湧いていた。もう彼女が好きなのかどうかもわからなくなっていたが、彼女に対する未練は意地汚く残り続けた。だから指輪を買ったのだ。それも結局渡せなかったけど。
今思えばそのころが一番、精神が不安定になっていた。
だからと言い訳するわけではないけれど。否、言い訳か。物に当たり出した。押し入れのドアに穴を開け、ドアにはめ込まれたガラスを割った。血がしたたり落ちて、近くにあった兎の置物に点々と跡を残した。さすがにこれは父にも怒られた。
「物に当たるんじゃない。それから食事の時間は食べなくても降りてきなさい」
半ば自棄になって夕飯を抜くことがあったのだ。理由は単純、皆と顔を合わせたくなかったから。そしてもう一つ。
「自分にも当たるんじゃないぞ」
言われてやっぱりか、と思った。父も気づいていたのだ。自分がアームカットしていることに。
いつからだろう。嫌なことに押しつぶされそうになると安全刃ではないカミソリを自分の腕に這わせた。一度に三本は切ると勝手に決めて、何度も繰り返していた。
きゅ、と皮膚に刃が食い込み、すーっと痛みが伸びる。痛みの上を空気が流れると、ヒリヒリとした刺激が上がる。その痛みにほっと心がほぐれていく。
父に指摘された時はまだ一本、二本と数えられたけど、それはあっという間に増え数え切れないほどの線を両腕に付けた。線のない部分を探すほうが難しいほど、切って切って切りまくった。ある時、ちょうど母に見つかり少し深めだっただけなのに母は自分を連れて夜間の緊急外来に向かった。騒ぎすぎだと思っていたけど個人輸入で買っていた睡眠薬も飲んでいたため、ぼんやりと言いなりになっていた。
待ち合いスペースで、傷口に当てておいたティッシュがひらりと床に落ちた。それを拾ってまた傷口に当てようとすると、看護士さんが「新しいのにしましょうか」と言って一枚シートをくれた。かろうじて「すみません」と言った自分を看護士さんはどう思っただろう。
やがて順番が来て老いた先生が黒い糸で縫い合わせた。ただそれだけで一万もかかった。無駄な一万円を払って帰った。後日、抜糸の為に行くと先生は「うーん、もうちょっとつけといたほうがいいかな」と言うので「いいです。いつもこのくらい開いてますから」と言って抜糸してもらった。また来ると余計な出費が重なるだけだ。それにいつも切った跡はそのまま、(場所によると切れ目が左右に引っ張られ大きく開く部分がある。その時中に覆われていた肉が後になって水膨れのような体になることもある)自然乾燥で済ませていたのに、本来開くところを無理矢理くっつけたものだから、変に引き攣れてしまった。それだけで嫌になった。糸が黒かったのには助かった。病院を出てすぐ腕を見ると一本取り残されているのに気付き、指でつまんで引き抜くことができた。
彼女が知るはずもない〝僕〟という正体が徐々に絞り出されていた。
個人輸入で買っていた睡眠薬はとても苦いことで知られていた。でもその苦さを味わうことで、心が落ち着いた。だから飲む、というより、舐めていた、という方が正しいだろう。個人輸入で買っていた睡眠薬は他にもあったがそれが一番お気に入りだった。あまりに一時に沢山買う常連客となっていたのでお店からメモ帳だが手帳だかをもらった。本来買うのに数規制がかかる薬だったがその店はいくつでも買えたので百錠単位で買っていた、立派なお得意様ってやつだ。効き目は素晴らしく、考えること、感じること、全てをぼやかしてくれた。あの時、あの薬がなければきっと保たなかっただろう。
けれどそれでも誤魔化しようがなくなっていた。仕事にいかねばならないのに部屋から出るのが怖い。男ならそれくらいしてみろ!という叱咤はもはや何の意味もなかった。
怖い、辛い、苦しい…
理由は分からない。だけどとにかくどうしょうもない感覚に襲われているのは確かだった。夜遅くまで時には日付を越えて母と話した。母はその会話の中から〝怖い〟というキーワードを拾い上げた。後から知らされたことだ。
「怖いって言ってたから調べてみたの」
そうすると〝恐怖症〟という言葉がヒットしたそうだ。母はさらに調べ確信した。この子は何かの恐怖症だ。
親しくしている薬剤師さんにも相談して、漢方を処方してもらった。何かと頼りになる薬剤師さんで、症状に対応する漢方をピタリと提供してくれるのだ。その頃、自分は何でもできる気分に舵をきっていて、初一人旅、初海外旅行をした。行き先はフィンランド。好きな映画の撮影地だったし、何となく安全な気がした。
きっと、フィンランドに住む親族に会いに来た小さな男の子とでも思われていたんだと思う。空港内の案内所で泊まる所に行くバスとバス停と降りる場所を書いてもらった紙を握りしめ、目的のバスに乗ったはいいけど、言われた通り、バス停のお知らせが一切ない。どうしようかと思っていると、ある停車場で周りのおばあちゃんたちが自分に何かを言ってきた。バスの運転手もこちらを見ている。あ、ここか!と気づき慌てて降りる。「キートス!キートス!」と言いながら。かろうじて覚えた「ありがとう」を繰り返せたことが外国に来た事を実感させた。宿泊施設のところでもたついたけどあとは順調に進んだ。
滞在初日はそのまま寝た。翌日、その日最後に予定していた美術館に入ると受付で女の人と受付嬢とが難しい顔で何やら話していたが、やがて話がついたようで女の人は出ていった。受付嬢に入ってもいいか聞くと、いいけれどあと五分で閉館だと言われ大急ぎで見て回った。実際一つ一つをじっくり見ている時間はないから、そこに置いてあるのを確認するような見方になってしまった。でも時間内に見終わったと受付まで戻ると、まだこちらにもある、と立っていたお姉さん達に言われ大慌てでそちらに走った。チェックポイントを過ぎるように見て回ったから、正直どんな美術品だったか皆目思い出せないが、その美術館を一応制覇したことにして、受付でここに来た証明印をノートに押してもらった。スタンプでいっぱいになったノートの二枚目に満足して、「キートス」と言うと受付嬢は優しい目で(自分にはそう見えた)見送ってくれた。そこで時間を見て驚いた。もう夜の九時を回っていたのだ。フィンランドと日本の時差はちょうど十二時間。時計が日本仕様のままでも午前と午後が入れ替わるだけで大変分かりやすい。なのに九時になっているのに全く気付かなかったのは白夜のせいだ。まだ全然明るく午後三時くらいの明るさだ。これが白夜かと宿へと急いだ。
フィンランドには日本人観光客が多いようで、至る所で日本語を見た。朝市にも行ったし、そこで買ったフルーツを食べながら市内のバス観光も楽しんだ。驚いたことに日本語の案内があったのだ。おかげで楽しめた。観光案内、施設の説明書などおよそ人気箇所には日本語が当たり前の顔で並んでいた。一応貰っておいた。異国に来たという証拠の一つだ。
誰も自分を知らない。
誰も視線を向けてこない。
伸ばした手に何も触れない、何も当たらない、ただ風を感じるだけ。
こんな自由は初めてだった。
〝僕〟は思い切り息を吸った。
思う存分、自由さに浸ったあと、郵便局へ行った。
父から託されたハガキと美術館で買ったハガキ、二枚をAir Mail JAPANと書いて自宅へ送る。それだけ書いておけば、あとは普通に国内で書くのと同じ日本語仕様で書けばいい。そう教えてくれたのはたまたま隣のベッドに宿泊し始めた女の子だった。世界一周をしている最中とのことで、フィンランド人は実は英語を解する人が少なく、若い人でないと通じないらしい。今まで会って言葉を交わしたのは言われてみれば外国人と接する機会の多い人たちだった。と言って僕が英語が堪能かといえばとんでもない。付け焼き刃もいいところで飛行機のなかでも『正しい英語』を読んでいるレベルしか持ち合わせていない。僕はついていたんだ。
そうしてフィンランドを存分に謳歌して帰国した。無事に何事もなく。行った時同様、静かな駅で降りて迎えに来てくれている車に荷物を乗せた。
「おかえり」
「ただいま」
とても外国旅行から帰ってきたとは思えないごく普通の挨拶だった。
無理をしたつもりはない。ただ自分の身体と精神には酷だったのかもしれない。
漢方も個人輸入した薬も効かなくなってきていた。フィンランドでも必ず音楽を聞いていた。外に出る時は必ず音楽を聞くことにしていた。そうしていれば何も問題はなかった。でも音楽を聞いてももう外に出られなくなっていた。
「専門家に診てもらった方が良い」
薬剤師さんもこれ以上はお手上げ状態で、精神科を受診することになった。
どこにするか。問題はそこだった。友人が通う病院を紹介してもらって昼休み、その病院に電話した。対応してくれたのは中年のおばさんで「ここ精神科ですよ」と怪訝そうに言い、「今からだと予約が詰まっていて二ヶ月後になります」と変わらず怪訝そうに言ってきたので「じゃあ、やめます」と言って電話を切った。くそったれ!こっちだって電話したくてしてんじゃねーよ!と毒づいて自分をおさめた。
結局、母が探してきた病院も二ヶ月後の受診だったけどそこに通うことになった。二ヶ月の間、内科に行くか、聞かれた。睡眠不足ぐらいなら何とかしてくれるんじゃないかとのことだったが、同じ説明を二度もするのは面倒だと断った。そして二ヶ月後、初診を受けた。
初診は、一言で言えば最悪だった。立ちっぱなしの人間が出るほど混んでいて、待っている間、薬を二回、飲んだ。受診にあたって記入しなければいけなかったがあまりの状況に書きなぐった。自分でも読み返せないほど。だからだろう。しばらく経って看護師さんらしき人に別室に呼ばれた。
少しホッとしていると、経緯を聞かれた。いつから、どのくらい、今まで受診したことは、どんな様子で…。看護師さんは事細かに丁寧に質問を重ねた。それで徐々に落ち着いてきたが終わってまた待ち合いスペースで待っていると駄目になってきて壁におでこを当てて必死に耐えた。
ようやく自分の番になった。すでに正常な意識ではなくなっていた。先生の机に頬杖というかぐでっと腕を曲げて折り畳みその上に頭を乗せるというあり得ない姿勢で先生と話した。それでもさすが精神科の先生といったところか。全く動じることなく話をした。そして知能・発達検査、認知機能検査、人格検査をすることになった。これはまた専門が違うそうで別の先生が対応した。その結果、極わずかながら少しの発達障害が認められた。知能は中の下、とのことだった。
先生は検査の結果をまとめたものをくれた。それは今でもすぐ出せる場所にしまってある。知能が中の下、というのがショックだった。どちらかといえば自分は頭が良い方だと思っていたから。
実は知らないだけで発達障害はよくあるのだと先生は言った。小さな差で大抵自分がそうだとは気づかずに一生を終える人も多いという。それは少し首を傾げる程度のもので、あるいはその人の癖や個性として処理されるそうだ。
この病院は当たりだ。直感でそう思った。何より先生が美人だった。醜美について論じるつもりはない。だけど人は綺麗なものに惹かれるものだ。その点で美人なのは良いに越したことはない、と言う意味だ。
初めは一週間に一回のペースで通った。先生が色々な薬を試しているのが分かった。そのうち特定の薬に絞られてきた。先生には、自分の性別に違和感を感じる、とだけ伝えていた。そして病院に通うため、また先生に報告するために、アムカをし続けた。「アムカしました」と言うためだけにカミソリを腕に押し付ける、更にそう言うと、先生は眉を垂らし、「ばい菌が入らない様に」それだけを心配されるためだけにアムカを続けた。
ある時追い詰められて手の甲まで切った。もういいと思った。何もかもどうでもいい。どうにでもなれ、と思うままに切った。だけどそれだけは後悔した。何故なら手の甲まで隠す必要ができてしまったからだ。洋服で指穴付きのものを探した。そうでなくても夏でも長袖を来なければならないのにハードルが上がってしまったわけだ。それでも夏の時期、紫外線対策として指穴付きのシャツが結構あったのでそれを着ていた。傍目には「防御、完璧ね」と見られていたからさほど浮く事も無かった。夏の紫外線様々だ。
そうして持て余す狂気を受け留め続けた結果、腕は白い線で一杯になった。最初は左だけだったのが右も受け止めるようになり、時には暇だからという理由で腕は傷つけられていった。表も裏も横も、隙間なく切った跡の白い線で埋め尽くされた。そしてある時を境にピタっと止めた。もう切るすき間がなくなっていたからだ。
止めてから一年後、その頃には先生からの質問も少なくなり「調子はどうですか?」「お母様から見てどうでしたか?」と確認し「同じ量、出しときますね」と言われ、ものの数秒で診察が終わることがままあった。
そして準備を着々と進め、決行した。
目覚め
……。
……。
なんでからだがうごかないんだろう。
おもいきりちからをいれてもうごかない。
なんでだろう。……。
ここはゆめのなかだろうか。そうしたらつぎにめをあけるときにはけしきがかわっているはずだ。
……。
またおなじけしき。ということはこっちがげんじつなのか。……。からだがうごかない、なんでだろう……。
なにかがじぶんにふれてからだがじゆうになった。だけどどこかへむかっている。からだがななめになってきた。だれかきづいてくれないかな……。
ふたたびうごきだす。またからだがうごかなくなる。なんでだろう。ふと、はなしごえがきこえてきた。えきでんのはなしをしている。だれか、おんなのひとがはくいのぽけっとにてをつっこんだまま、ちかくまできた。なにもいわずたちさっていく。あれはだれだろう。
きゅうにガタゴトとうごきだした。てんじょうがめまぐるしくへんかする。どこかのへやにいれられた。おなじへやのどこかからひとのこえがする。おおきなこえ。へやがくらくなった。
つぎのひ、またゴトゴトといどうさせられた。だれのこえもきこえない。こきゅうがあさくなる。たんがつまっているかんかくがする。心配性急性呼吸停止、ということばがあたまのなかでくりかえされる。誰か気づいて。
ようやく来たかんごしさんがたんをすってくれた。ありがとう。
やがてよく知ったかおが見えた。おとうさんとおかあさんだ。なぜかとてもうれしい。
おかあさんがいっぱい話しかけてくれて、うんうんとうなずく。だいぶいしきがつながってきた。はなしのあいまに聞いてみた。
「どうしてここにいるの?」
「くすりをね、飲みすぎちゃったの。おぼえてないならいいよ、それで。むりにおもいだすことない」
そう言っておかあさんはほほえんだ。
ひまだから、てんてきがポタポタおちるのをずっと見ていた。そしておおもとのふくろからさいごのいってきがおちたのをたしかめて、ナースコールボタンをおした。すぐにかんごしさんがかけつけてくれて、「どうしました?」とこえをはる。
「これがからになったから」とかえすと「ありがとうございます。なくなってもすぐよばないでだいじょうぶですからねえ」と言ってまたすぐつぎのをつける。せっかくなくなったのに、とがっちりする。かんごしさんはとりつけおわると、へやのおくにはいっていった。それをみて自分のいるところが三人べやだときづいた。わたしはいちばんドアがわ。となりに一人、まどぎわにもう一人。おくの人はよくしゃべった。かんごしさんにからんでわるくちをきいていた。
ときどきまわってくるのはスタッフさん。かんごしさんではない。
あとは二人。足をマッサージする人と、手をうごかすれんしゅうをしてくれる人がくる。
おふろはふつかにいちど。ふろに、はいらない日はおしぼりがわたされ、はじめはふいてもらっていたがある日からいきなり「はい」と言われおしぼりを手渡された。自分でやれ、ということらしい。
寝たきりの状態からそうっと車椅子に、車椅子から自力で歩く様に、ゆっくり、けれど着実に回復していった。
後遺症として片足の突っ張りが残ったけど日常生活していけば治るでしょうと言われ、退院の基準を満たしたものとされた。
食事も最初は何が元か分からないペースト状のものから始まり、普通食に変えてもらってほぼ残さず完食した。
それから退院するに当たって一回の外出、二回の外泊を果たしてようやく退院の日を迎えた。入院してからおよそ3カ月が経っていた。
家に帰って先ずしたことは、自分探しだった。あの日だけでなく自分にまつわる記憶がすっぽり抜けていた。
日記代わりに書いていた小説を引っ張り出して読んでみた。それからパソコンを確認した。印刷はされていなかったがおそらくそれが最後に書いたものと思われた。それを読んだ時、涙が止まらなかった。
こんなにも死にたがってギリギリで耐えていたんだ。自分自身を強く強く抱きしめたかった。
こんなに、こんなに死にたかったんだ。
ごめん、ごめんね。
生きて帰ってきてしまったよ。
しばらくその場でうずくまり、涙が止まるのを待ったが
止まる気配は無かった。
その日、退院した次の日から、朝と夕、散歩に行くのが日常に加わった。近いコースと長いコース。そうしているといつの間にか固まっていた足がもとに戻っていた。
外見上は何も変わらない。せいぜい痩せたくらいか。だけど中身は大きく変わってしまった。
昔のLINEを見て、目上の人になんて言葉遣いをしてるんだ!と情けなくなった。よく皆、目をつぶってくれていたな、と。恥ずかしくもあった。
そして一番変わったのは性自認、つまり〝僕〟がいなくなっていた。普通に自分が女であることを受け入れていた。
そしてもう一つは、希死念慮が綺麗さっぱり無くなっていた。
辛いとかしんどいとか、そういった負の感情が消えていた。ただし正常な感覚もなくなっていた。
例えば父と一緒にテレビを見ていて、どんな会話をしていたのか分からない。だから黙っている。父も話しかけては来なかったからそういうものだったのかも知れない。でも確かなことは言えない。母ともどんなことを話して、どんな態度で接していたか分からない。そのうち飼ってる猫の方が喋った(鳴いた)数が多かったことに気付いた。それで日記を書くことにした。語彙を、言葉を先ず思い出すために。
母は、忘れたのならそれでいいんじゃない?と言った。わざわざ辛いこと思い出すことないって。それよりもこれからのことを考えよう、って。そう諭された。
でも私はどうしても過去が知りたかった。自分のこれまでを知らずに先に行くには、土台が不安定すぎる。
私は変わってしまった。
自分は男でなく女で、死にたい気持ちはこれっぽっちもない。
〝死にたい僕〟は消えてしまった。もう戻ることはないだろう。
確かにあの日、私は死んだのだから。
恋に落ちたと気づくまで大分時間が掛かった。相手は同性だったから。
〝同性愛〟は遠い世界だった。それが…
気がつけば目で追っている。他の人と仲良くしてると嫉妬に駆られる。相手が同性でも異性でも。そのうち相手のことを全て把握してないと不安になった。そんなの実の親だって無理だってことすら頭から抜け落ちていた。
意識しだした途端、自分の性別に疑問を持ち始めた。彼女と違って、自分は男なのじゃないのか、と。
疑問は膨らんでやがて強い意志となって、叫び始めた。〝自分は男だ!〟
そう思いだしたら止まらなくなった。まず小さくはあるものの確かに膨らみを持つ胸を潰した。小さいおかげで胸は真っ平らになった。次は声を潰した。特定のプロテイン剤には副作用に〝もとに戻らない嗄声〟があった。それを飲み始めて確実に〝声変り〟が済むまで、その錠剤を飲んだ。声が聞こえなくなるまでの嗄声にしてはいけない。
希望通りの声を手に入れるのにそう時間はかからなかった。気のせいか、喉仏も出ているように見えたけど、やせれば誰だって喉仏は出るのだと気づいた。
いつの間にか、彼女を好きになったから、というより、もともと自分は男だったのだという意識の方が強くなっていた。
ある日の夜、中学生以来会っていなかった奴が家に帰ってきていた。その姿を見て涙が止まらなくなった。彼は決して大きい方ではなかった。なのに大学を出て戻ってきた彼は一気に背が伸びて、〝大人の男〟になっていた。こちらは女の中でもさらに背が低いのがコンプレックスだったのに、見せつけられた気がした。本物の男ならこれくらい普通だ、と。悔し涙が後から後から流れた。
彼女のことを好きかどうかも分からなくなっていた。
これは本当に恋なのか、単なる独占欲が強すぎだったのか。
考えるうちにどちらでもよくなってきた。
ただ自分は男だ。それだけが確かなものとして残った。
自分はよく男の子に間違われた。その時の嬉しさは言葉にならない。
例えばこんな場面だ。ウチは自営業でよく父と2人で行動する。そんな時、よく言われたのが「いいねぇ、せがれさんと一緒に仕事できて」だった。草刈りを頼まれて行ったお宅では「息子さんも来てくれて」だった。その度に父は躍起になって「娘ですよ!」と言った。「あらあ、ごめんなさいね」(と、これは草刈りに行ったお宅の娘さんの言葉だが)と、皆、心底申し訳なさげに謝罪されたが、こっちとしては嬉しい限りなので「いやあ、いつも間違われるんですよ。気にしないで下さい」と心の底から浮かんでくる笑顔で返したものだ。
下着、特にブラジャーには相当抵抗を感じた。もう二度と着けないので全部捨てた。ひょっとしたら家族もなにか察していたのかもしれない。だが何も言ってはこなかった。
そしてある日、彼女の為に指輪を買った。付き合って欲しいなどと口が裂けても言えないから、せめてずっとそばにいられる自分の分身を、身につけて欲しかった。だけどその頃には彼女との関係はぐちゃぐちゃになっていた。
それは些細なことだった。
ある映画を観て彼女が泣いたと、別のある人から聞かされた。だから一緒にレンタル屋に行って、「これ、泣けるよね」と言ったら彼女はなんと「そうでもないよ」と返してきた。びっくりして、本当に一瞬固まった。それから改めて「泣くよ」と言うと「泣くまでじゃないよ」と言った。
嘘だ。今振り返ればなんてことない小さな嘘。だけど当時の自分にはあり得ないことでムキになった。自分は「泣く」と繰り返し、彼女も「泣かない」と繰り返した。
彼女は嘘をついた。よりによって自分に。
それが、たったそれだけのことが許せなかった。
何でも共有していると思っていた。でもその些細な出来事が自分の思いまで全て否定されたように感じた。
気がつけば彼女を避けるようになっていた。
何も感じない。何も見ない。彼女のことは考えない。顔を合わせてもすぐ逸らす。挨拶なんて論外だ。
そんな彼女に指輪を贈ろうとしている自分が滑稽だった。
結局、指輪は渡せず、彼女は家を出た。外国に行くと聞いて彼女との距離が確実に離れていくのを感じた。
そんな深く考えずに、さっさと指輪を渡してしまえばよかった。後悔ってのは必ず後から来るのだ。
今でも件の指輪は手元にある。その時にはかなり素敵に見えていたが、今見るとなんとちゃちなデザインだろうと思う。まるで玩具菓子のオマケみたいだ。否、お姉さん向け雑誌で選んだんだからそれは言い過ぎか。その雑誌はもう刊行されていないからそれなりだったのだろう。
彼女の代わりに、自分がつけるわけでもなく、誰かにあげることもなく、引き出しの奥にひっそり仕舞われた指輪はそのまま時がただただ過ぎるのをじっと見守るのだろう。
そうして精神はボロボロになっていった。何故なら女を受け入れる部分があったからだ。
父はよく言った。「男は早く家を出たほうが良い。女の子はいいんだよ。女の子は結婚したら家を出ていくんだから」「最近、親と一緒に買い物してる男の子が多いよな。あの歳で一緒に歩くってのはどうなんだ?」あり得ないと言うように父は言った。
おかげで自分はデカい面して実家に居座っていられる。女の子で良かったと思う唯一の理由だった。だがそれが自分をまた責めた。
ほら、やっぱりお前は女なんだ。
違う…。
何が違うんだ?男なら自立してみろ!出来ないんだろ!だからお前は女だと言うんだ!
違う!違う!病気だから自立は出来ないんだ!
またそれか!病気、病気、病気!何かと言えば病気を理由にして!
本当なんだ!病気でなければ今すぐにでも自立する!
でも出来ないんだろ?だって病気の女だからな!!
「うるさい!」
叫んで顔を上げると、鏡の中から泣きじゃくった自分がこっちを見ていた。
だってしょうがないだろ?なあ、そうだろ?
涙を流しながら自分が聞いてきた。
そうだよ。しょうがない…
お前は女だから、と心の中で呟く。鏡の中の自分の顔がさらに歪んだ。うー、と言う声にならない声を漏らしながら伏せった。落ちていった涙が鼻の中に流れ入ってツンとした。
しばらく泣き続けた後、ふうっと息を長く出し、自分を落ち着かせた。流れた涙に乱れた心も混ぜて出し切ると気分が落ち着いてきた。こういう時、涙を拭ってしまうのはNGだと経験から知っていた。目元を擦ると目が赤くなる。だから顎あたりに溜まった涙だけ軽く拭いて後は自然乾燥する。
そんな事を考えながら頭の中は静けさを取り戻している。いくら嘆いたところで自分が女であることは変えられない。揺るぎない厳然たる事実だ。その事を静かに見つめる。
自分の性別に違和感を感じる。そう母にはすぐに伝えた。母は特に驚きもせず「そうなんだ」と受け入れてくれた。無理もない。胸を潰すためのシャツが洗濯物に混じっていたし、朝、枕に口をつけて大声を出して声を潰したりしていたのだから。それは早々に止めることになったけど。
というのも父がさりげなく「最近、猫が大騒ぎしてる」と言って自分の声が丸聞こえだったこと、うるさいことを遠回しに指摘してきたからだ。仕方なく朝の声潰しはやらず、代わりに夜、母の集金仕事に付いていって、車のるで何度か叫んで「どう?」と母に聞いたりしていた。母も「いいんじゃない」と言ってくれた。
母は実際どう思っていたのだろう。自分の娘が突然、自分は男だと思うと言われて。確かに昔からボーイッシュではあった。でもスカートを履くことに抵抗感はなかったし、着飾れば喜んでいた。ただ一つ心配していたという。
子供の頃、お人形遊びをしなかったそうだ。それよりも裏の崖を登ったり土を掘って遊んだりして、大丈夫かしら、この子、と思ったと言われた。
兄と二人兄妹だから、兄の影響が強すぎるのかな、とも思ったそうだ。女の子がよくやるおままごとは兄が学校で覚えて率先してやっていたらしい。
そうして小学校に上がって友達ができて初めてお人形さん遊びをやり始めたそうだ。内心、ほっとしたと母は言っていた。
でも自分としては崖遊びの方が何倍も楽しかった。
小学校に上がってしばらく、それまで住んでいた古い一軒家からアパートに引っ越して崖遊びはできなくなった。仕方なく人形遊びをしていた。
極度の人見知りのせいで、学校に行くことが苦痛だった。でも今振り返っても必ず誰かと一緒にいた。全て女の子の友達だ。その頃好きになったのは男の子だった。屁理屈もとなえられない純粋な時に好きになったのが男の子だったということはやはり自分は女じゃないのか?疑問を持ったのは屁理屈をこねくり回すようになってからだ。振り返れば学生時代、それは暗黒時代だったけど自分の性別に違和感を感じたことはなかった。ただ一度だけ、男子がするように腰パンにしてみたことがあった。「何で腰パンなの?」純粋な囁き声が聞こえてきた。高校時代、制服でレジャーランドに行った時、制服ならいいというので友人の男子からズボンを借りてそれを履いて行った。
「なんだ、誰かと思った!何で男子が女子トイレに並んでるんだろうってびっくりしちゃったよ!」
そうトイレの中で抱きつかれて、ちょっと嬉しかった。
そのころには性別を意識し始めていた。
そして件の彼女に想いを寄せ始めた。
彼女と同じ学校に通っていればまた違っていたのだろうか。ふと思うことがある。毎日顔を合わせる日々。それは歓喜だろうか、それとも絶望か。普段の彼女は一体どんななのだろう。そんな事を想像しては下らない妄想を膨らませた。
性別関係なく、学校が嫌いだった。人見知りして中学から高校卒業まで親しい人間はいなかった。親しい関係をつくるほど学校に行っていなかった。人とすぐ打ち解ける兄が羨ましくあり、恨めしくもあった。
「あ、妹!」
すれ違いざま言われるのはざらだった。それほど自分たちは似ていた。「男の子と女の子なのにねえ、不思議ねえ」と母は笑っていた。そして兄はいわゆる目立つグループ、一軍クラスの人間だった。だから知らない先輩にしょっちゅう声をかけられた。一軍クラスの同級生にも声をかけられた。だけどそのうち自分がいわゆる底辺クラスの人間だと分かると声をかけてくる人はいなくなった。かろうじて仲良くなった人は気づけば側にいて、気づけばいなくなったりした。
記憶が曖昧なのはそれほどストレスだっただけではない。母が倒れていたからだ。
混沌
後に判明する〝アスピリン喘息〟で、ちょうど反抗期真っ只中の兄は見ていて同情を禁じ得なかった。振り上げたい拳を、だけどどこに下ろせばいいか分からない。父は一人で仕事をし、家事も欠かさなかった。そんな二人に反抗するのは間違っている。頭では分かりきっていることをそれでも懸命に振り上げようとする兄の姿は寂しい滑稽さを見せた。自分も可能な限り反抗してみせた。階下からひ弱にしかしはっきりと届いてくる声が一番嫌だった。
「お母さん、具合悪いから料理作れないから、お米だけでも炊いてくれないかな…」
分かってる!
「ねえ、お願いできないかな…」
分かってるって!
バンッとドアを開けて、階段の柱に寄りかかってこちらを見あげている母を無視して、流しに立ち、ガシガシと米を洗い、炊飯器に入れてスイッチを押すと、「ありがとね」という母を無視して二階に戻った。おかずは誰かからの差し入れか、父が作った。
母がいつ頃倒れて、いつ頃元気になったかは分からない。けれど母が元気になってまた性自認がひょっこり顔を出し、訴え始めた。〝僕〟は男だ!と。ちょうど背が伸びた知り合いが帰ってきたのもその頃だ。
家に帰る途中泣きながら母に当たった。
「自分だって男なのに身長はもう伸びない!本当ならあれくらいの身長になってたはずなのに!」
母は黙って聞いてくれた。自分が正しい男でないのが悔しかった。彼女が家を出たのもこの頃だったはずだ。自分ができないこと、しようとしないことをあっさりやってのける彼女にも嫉妬心が湧いていた。もう彼女が好きなのかどうかもわからなくなっていたが、彼女に対する未練は意地汚く残り続けた。だから指輪を買ったのだ。それも結局渡せなかったけど。
今思えばそのころが一番、精神が不安定になっていた。
だからと言い訳するわけではないけれど。否、言い訳か。物に当たり出した。押し入れのドアに穴を開け、ドアにはめ込まれたガラスを割った。血がしたたり落ちて、近くにあった兎の置物に点々と跡を残した。さすがにこれは父にも怒られた。
「物に当たるんじゃない。それから食事の時間は食べなくても降りてきなさい」
半ば自棄になって夕飯を抜くことがあったのだ。理由は単純、皆と顔を合わせたくなかったから。そしてもう一つ。
「自分にも当たるんじゃないぞ」
言われてやっぱりか、と思った。父も気づいていたのだ。自分がアームカットしていることに。
いつからだろう。嫌なことに押しつぶされそうになると安全刃ではないカミソリを自分の腕に這わせた。一度に三本は切ると勝手に決めて、何度も繰り返していた。
きゅ、と皮膚に刃が食い込み、すーっと痛みが伸びる。痛みの上を空気が流れると、ヒリヒリとした刺激が上がる。その痛みにほっと心がほぐれていく。
父に指摘された時はまだ一本、二本と数えられたけど、それはあっという間に増え数え切れないほどの線を両腕に付けた。線のない部分を探すほうが難しいほど、切って切って切りまくった。ある時、ちょうど母に見つかり少し深めだっただけなのに母は自分を連れて夜間の緊急外来に向かった。騒ぎすぎだと思っていたけど個人輸入で買っていた睡眠薬も飲んでいたため、ぼんやりと言いなりになっていた。
待ち合いスペースで、傷口に当てておいたティッシュがひらりと床に落ちた。それを拾ってまた傷口に当てようとすると、看護士さんが「新しいのにしましょうか」と言って一枚シートをくれた。かろうじて「すみません」と言った自分を看護士さんはどう思っただろう。
やがて順番が来て老いた先生が黒い糸で縫い合わせた。ただそれだけで一万もかかった。無駄な一万円を払って帰った。後日、抜糸の為に行くと先生は「うーん、もうちょっとつけといたほうがいいかな」と言うので「いいです。いつもこのくらい開いてますから」と言って抜糸してもらった。また来ると余計な出費が重なるだけだ。それにいつも切った跡はそのまま、(場所によると切れ目が左右に引っ張られ大きく開く部分がある。その時中に覆われていた肉が後になって水膨れのような体になることもある)自然乾燥で済ませていたのに、本来開くところを無理矢理くっつけたものだから、変に引き攣れてしまった。それだけで嫌になった。糸が黒かったのには助かった。病院を出てすぐ腕を見ると一本取り残されているのに気付き、指でつまんで引き抜くことができた。
彼女が知るはずもない〝僕〟という正体が徐々に絞り出されていた。
個人輸入で買っていた睡眠薬はとても苦いことで知られていた。でもその苦さを味わうことで、心が落ち着いた。だから飲む、というより、舐めていた、という方が正しいだろう。個人輸入で買っていた睡眠薬は他にもあったがそれが一番お気に入りだった。あまりに一時に沢山買う常連客となっていたのでお店からメモ帳だが手帳だかをもらった。本来買うのに数規制がかかる薬だったがその店はいくつでも買えたので百錠単位で買っていた、立派なお得意様ってやつだ。効き目は素晴らしく、考えること、感じること、全てをぼやかしてくれた。あの時、あの薬がなければきっと保たなかっただろう。
けれどそれでも誤魔化しようがなくなっていた。仕事にいかねばならないのに部屋から出るのが怖い。男ならそれくらいしてみろ!という叱咤はもはや何の意味もなかった。
怖い、辛い、苦しい…
理由は分からない。だけどとにかくどうしょうもない感覚に襲われているのは確かだった。夜遅くまで時には日付を越えて母と話した。母はその会話の中から〝怖い〟というキーワードを拾い上げた。後から知らされたことだ。
「怖いって言ってたから調べてみたの」
そうすると〝恐怖症〟という言葉がヒットしたそうだ。母はさらに調べ確信した。この子は何かの恐怖症だ。
親しくしている薬剤師さんにも相談して、漢方を処方してもらった。何かと頼りになる薬剤師さんで、症状に対応する漢方をピタリと提供してくれるのだ。その頃、自分は何でもできる気分に舵をきっていて、初一人旅、初海外旅行をした。行き先はフィンランド。好きな映画の撮影地だったし、何となく安全な気がした。
きっと、フィンランドに住む親族に会いに来た小さな男の子とでも思われていたんだと思う。空港内の案内所で泊まる所に行くバスとバス停と降りる場所を書いてもらった紙を握りしめ、目的のバスに乗ったはいいけど、言われた通り、バス停のお知らせが一切ない。どうしようかと思っていると、ある停車場で周りのおばあちゃんたちが自分に何かを言ってきた。バスの運転手もこちらを見ている。あ、ここか!と気づき慌てて降りる。「キートス!キートス!」と言いながら。かろうじて覚えた「ありがとう」を繰り返せたことが外国に来た事を実感させた。宿泊施設のところでもたついたけどあとは順調に進んだ。
滞在初日はそのまま寝た。翌日、その日最後に予定していた美術館に入ると受付で女の人と受付嬢とが難しい顔で何やら話していたが、やがて話がついたようで女の人は出ていった。受付嬢に入ってもいいか聞くと、いいけれどあと五分で閉館だと言われ大急ぎで見て回った。実際一つ一つをじっくり見ている時間はないから、そこに置いてあるのを確認するような見方になってしまった。でも時間内に見終わったと受付まで戻ると、まだこちらにもある、と立っていたお姉さん達に言われ大慌てでそちらに走った。チェックポイントを過ぎるように見て回ったから、正直どんな美術品だったか皆目思い出せないが、その美術館を一応制覇したことにして、受付でここに来た証明印をノートに押してもらった。スタンプでいっぱいになったノートの二枚目に満足して、「キートス」と言うと受付嬢は優しい目で(自分にはそう見えた)見送ってくれた。そこで時間を見て驚いた。もう夜の九時を回っていたのだ。フィンランドと日本の時差はちょうど十二時間。時計が日本仕様のままでも午前と午後が入れ替わるだけで大変分かりやすい。なのに九時になっているのに全く気付かなかったのは白夜のせいだ。まだ全然明るく午後三時くらいの明るさだ。これが白夜かと宿へと急いだ。
フィンランドには日本人観光客が多いようで、至る所で日本語を見た。朝市にも行ったし、そこで買ったフルーツを食べながら市内のバス観光も楽しんだ。驚いたことに日本語の案内があったのだ。おかげで楽しめた。観光案内、施設の説明書などおよそ人気箇所には日本語が当たり前の顔で並んでいた。一応貰っておいた。異国に来たという証拠の一つだ。
誰も自分を知らない。
誰も視線を向けてこない。
伸ばした手に何も触れない、何も当たらない、ただ風を感じるだけ。
こんな自由は初めてだった。
〝僕〟は思い切り息を吸った。
思う存分、自由さに浸ったあと、郵便局へ行った。
父から託されたハガキと美術館で買ったハガキ、二枚をAir Mail JAPANと書いて自宅へ送る。それだけ書いておけば、あとは普通に国内で書くのと同じ日本語仕様で書けばいい。そう教えてくれたのはたまたま隣のベッドに宿泊し始めた女の子だった。世界一周をしている最中とのことで、フィンランド人は実は英語を解する人が少なく、若い人でないと通じないらしい。今まで会って言葉を交わしたのは言われてみれば外国人と接する機会の多い人たちだった。と言って僕が英語が堪能かといえばとんでもない。付け焼き刃もいいところで飛行機のなかでも『正しい英語』を読んでいるレベルしか持ち合わせていない。僕はついていたんだ。
そうしてフィンランドを存分に謳歌して帰国した。無事に何事もなく。行った時同様、静かな駅で降りて迎えに来てくれている車に荷物を乗せた。
「おかえり」
「ただいま」
とても外国旅行から帰ってきたとは思えないごく普通の挨拶だった。
無理をしたつもりはない。ただ自分の身体と精神には酷だったのかもしれない。
漢方も個人輸入した薬も効かなくなってきていた。フィンランドでも必ず音楽を聞いていた。外に出る時は必ず音楽を聞くことにしていた。そうしていれば何も問題はなかった。でも音楽を聞いてももう外に出られなくなっていた。
「専門家に診てもらった方が良い」
薬剤師さんもこれ以上はお手上げ状態で、精神科を受診することになった。
どこにするか。問題はそこだった。友人が通う病院を紹介してもらって昼休み、その病院に電話した。対応してくれたのは中年のおばさんで「ここ精神科ですよ」と怪訝そうに言い、「今からだと予約が詰まっていて二ヶ月後になります」と変わらず怪訝そうに言ってきたので「じゃあ、やめます」と言って電話を切った。くそったれ!こっちだって電話したくてしてんじゃねーよ!と毒づいて自分をおさめた。
結局、母が探してきた病院も二ヶ月後の受診だったけどそこに通うことになった。二ヶ月の間、内科に行くか、聞かれた。睡眠不足ぐらいなら何とかしてくれるんじゃないかとのことだったが、同じ説明を二度もするのは面倒だと断った。そして二ヶ月後、初診を受けた。
初診は、一言で言えば最悪だった。立ちっぱなしの人間が出るほど混んでいて、待っている間、薬を二回、飲んだ。受診にあたって記入しなければいけなかったがあまりの状況に書きなぐった。自分でも読み返せないほど。だからだろう。しばらく経って看護師さんらしき人に別室に呼ばれた。
少しホッとしていると、経緯を聞かれた。いつから、どのくらい、今まで受診したことは、どんな様子で…。看護師さんは事細かに丁寧に質問を重ねた。それで徐々に落ち着いてきたが終わってまた待ち合いスペースで待っていると駄目になってきて壁におでこを当てて必死に耐えた。
ようやく自分の番になった。すでに正常な意識ではなくなっていた。先生の机に頬杖というかぐでっと腕を曲げて折り畳みその上に頭を乗せるというあり得ない姿勢で先生と話した。それでもさすが精神科の先生といったところか。全く動じることなく話をした。そして知能・発達検査、認知機能検査、人格検査をすることになった。これはまた専門が違うそうで別の先生が対応した。その結果、極わずかながら少しの発達障害が認められた。知能は中の下、とのことだった。
先生は検査の結果をまとめたものをくれた。それは今でもすぐ出せる場所にしまってある。知能が中の下、というのがショックだった。どちらかといえば自分は頭が良い方だと思っていたから。
実は知らないだけで発達障害はよくあるのだと先生は言った。小さな差で大抵自分がそうだとは気づかずに一生を終える人も多いという。それは少し首を傾げる程度のもので、あるいはその人の癖や個性として処理されるそうだ。
この病院は当たりだ。直感でそう思った。何より先生が美人だった。醜美について論じるつもりはない。だけど人は綺麗なものに惹かれるものだ。その点で美人なのは良いに越したことはない、と言う意味だ。
初めは一週間に一回のペースで通った。先生が色々な薬を試しているのが分かった。そのうち特定の薬に絞られてきた。先生には、自分の性別に違和感を感じる、とだけ伝えていた。そして病院に通うため、また先生に報告するために、アムカをし続けた。「アムカしました」と言うためだけにカミソリを腕に押し付ける、更にそう言うと、先生は眉を垂らし、「ばい菌が入らない様に」それだけを心配されるためだけにアムカを続けた。
ある時追い詰められて手の甲まで切った。もういいと思った。何もかもどうでもいい。どうにでもなれ、と思うままに切った。だけどそれだけは後悔した。何故なら手の甲まで隠す必要ができてしまったからだ。洋服で指穴付きのものを探した。そうでなくても夏でも長袖を来なければならないのにハードルが上がってしまったわけだ。それでも夏の時期、紫外線対策として指穴付きのシャツが結構あったのでそれを着ていた。傍目には「防御、完璧ね」と見られていたからさほど浮く事も無かった。夏の紫外線様々だ。
そうして持て余す狂気を受け留め続けた結果、腕は白い線で一杯になった。最初は左だけだったのが右も受け止めるようになり、時には暇だからという理由で腕は傷つけられていった。表も裏も横も、隙間なく切った跡の白い線で埋め尽くされた。そしてある時を境にピタっと止めた。もう切るすき間がなくなっていたからだ。
止めてから一年後、その頃には先生からの質問も少なくなり「調子はどうですか?」「お母様から見てどうでしたか?」と確認し「同じ量、出しときますね」と言われ、ものの数秒で診察が終わることがままあった。
そして準備を着々と進め、決行した。
目覚め
……。
……。
なんでからだがうごかないんだろう。
おもいきりちからをいれてもうごかない。
なんでだろう。……。
ここはゆめのなかだろうか。そうしたらつぎにめをあけるときにはけしきがかわっているはずだ。
……。
またおなじけしき。ということはこっちがげんじつなのか。……。からだがうごかない、なんでだろう……。
なにかがじぶんにふれてからだがじゆうになった。だけどどこかへむかっている。からだがななめになってきた。だれかきづいてくれないかな……。
ふたたびうごきだす。またからだがうごかなくなる。なんでだろう。ふと、はなしごえがきこえてきた。えきでんのはなしをしている。だれか、おんなのひとがはくいのぽけっとにてをつっこんだまま、ちかくまできた。なにもいわずたちさっていく。あれはだれだろう。
きゅうにガタゴトとうごきだした。てんじょうがめまぐるしくへんかする。どこかのへやにいれられた。おなじへやのどこかからひとのこえがする。おおきなこえ。へやがくらくなった。
つぎのひ、またゴトゴトといどうさせられた。だれのこえもきこえない。こきゅうがあさくなる。たんがつまっているかんかくがする。心配性急性呼吸停止、ということばがあたまのなかでくりかえされる。誰か気づいて。
ようやく来たかんごしさんがたんをすってくれた。ありがとう。
やがてよく知ったかおが見えた。おとうさんとおかあさんだ。なぜかとてもうれしい。
おかあさんがいっぱい話しかけてくれて、うんうんとうなずく。だいぶいしきがつながってきた。はなしのあいまに聞いてみた。
「どうしてここにいるの?」
「くすりをね、飲みすぎちゃったの。おぼえてないならいいよ、それで。むりにおもいだすことない」
そう言っておかあさんはほほえんだ。
ひまだから、てんてきがポタポタおちるのをずっと見ていた。そしておおもとのふくろからさいごのいってきがおちたのをたしかめて、ナースコールボタンをおした。すぐにかんごしさんがかけつけてくれて、「どうしました?」とこえをはる。
「これがからになったから」とかえすと「ありがとうございます。なくなってもすぐよばないでだいじょうぶですからねえ」と言ってまたすぐつぎのをつける。せっかくなくなったのに、とがっちりする。かんごしさんはとりつけおわると、へやのおくにはいっていった。それをみて自分のいるところが三人べやだときづいた。わたしはいちばんドアがわ。となりに一人、まどぎわにもう一人。おくの人はよくしゃべった。かんごしさんにからんでわるくちをきいていた。
ときどきまわってくるのはスタッフさん。かんごしさんではない。
あとは二人。足をマッサージする人と、手をうごかすれんしゅうをしてくれる人がくる。
おふろはふつかにいちど。ふろに、はいらない日はおしぼりがわたされ、はじめはふいてもらっていたがある日からいきなり「はい」と言われおしぼりを手渡された。自分でやれ、ということらしい。
寝たきりの状態からそうっと車椅子に、車椅子から自力で歩く様に、ゆっくり、けれど着実に回復していった。
後遺症として片足の突っ張りが残ったけど日常生活していけば治るでしょうと言われ、退院の基準を満たしたものとされた。
食事も最初は何が元か分からないペースト状のものから始まり、普通食に変えてもらってほぼ残さず完食した。
それから退院するに当たって一回の外出、二回の外泊を果たしてようやく退院の日を迎えた。入院してからおよそ3カ月が経っていた。
家に帰って先ずしたことは、自分探しだった。あの日だけでなく自分にまつわる記憶がすっぽり抜けていた。
日記代わりに書いていた小説を引っ張り出して読んでみた。それからパソコンを確認した。印刷はされていなかったがおそらくそれが最後に書いたものと思われた。それを読んだ時、涙が止まらなかった。
こんなにも死にたがってギリギリで耐えていたんだ。自分自身を強く強く抱きしめたかった。
こんなに、こんなに死にたかったんだ。
ごめん、ごめんね。
生きて帰ってきてしまったよ。
しばらくその場でうずくまり、涙が止まるのを待ったが
止まる気配は無かった。
その日、退院した次の日から、朝と夕、散歩に行くのが日常に加わった。近いコースと長いコース。そうしているといつの間にか固まっていた足がもとに戻っていた。
外見上は何も変わらない。せいぜい痩せたくらいか。だけど中身は大きく変わってしまった。
昔のLINEを見て、目上の人になんて言葉遣いをしてるんだ!と情けなくなった。よく皆、目をつぶってくれていたな、と。恥ずかしくもあった。
そして一番変わったのは性自認、つまり〝僕〟がいなくなっていた。普通に自分が女であることを受け入れていた。
そしてもう一つは、希死念慮が綺麗さっぱり無くなっていた。
辛いとかしんどいとか、そういった負の感情が消えていた。ただし正常な感覚もなくなっていた。
例えば父と一緒にテレビを見ていて、どんな会話をしていたのか分からない。だから黙っている。父も話しかけては来なかったからそういうものだったのかも知れない。でも確かなことは言えない。母ともどんなことを話して、どんな態度で接していたか分からない。そのうち飼ってる猫の方が喋った(鳴いた)数が多かったことに気付いた。それで日記を書くことにした。語彙を、言葉を先ず思い出すために。
母は、忘れたのならそれでいいんじゃない?と言った。わざわざ辛いこと思い出すことないって。それよりもこれからのことを考えよう、って。そう諭された。
でも私はどうしても過去が知りたかった。自分のこれまでを知らずに先に行くには、土台が不安定すぎる。
私は変わってしまった。
自分は男でなく女で、死にたい気持ちはこれっぽっちもない。
〝死にたい僕〟は消えてしまった。もう戻ることはないだろう。
確かにあの日、私は死んだのだから。



