夢の中の人に花束を。

「いらっしゃいませ」
 顔なじみの少女が元気よく挨拶する。
「おはようございます」
「今日は何色にしますか?」
「黄色がいいな」
「黄色ですね、すぐ用意します」
 少女は慣れた手つきで周囲に目を配った後、黄色をメインにした花束を作り出す。ものの五分とかけずに依頼どおりに作った花束を作り上げ、まだ幼さの残る青年に見せる。
「これでどうですか?」
「うん、それで」
 青年の了解を受けて少女は包装紙で簡単にまとめて青年に手渡した。青年は代金を支払うと、軽い足取りで去っていった。
「来たかい?」
 店の奥からようやく店主が出てきた。少女は、はい、と頷く。
「今日は黄色でした」
 そうかい、と言って店主は開店の準備を始める。開け放したドアから外に出て空を見上げた。

 こんこんこんこん、とドアがノックされる。
「どうぞ」
「こんにちは」
 まだ、おはようございます、というべき時間だったが、この薄暗い部屋には不向きに思われて、朝でも夜でも、こんにちは、と言うことにしていた。
 招き入れた婦人は不思議そうに青年を見たが、青年が手にしていた花束を見て笑顔になった。
「まあ素敵な色」
「黄色がテーマです」
 青年はそう言ってベッドに近づき、体を起こしている婦人に花束を差し出した。
「私に?」
「はい」
「ありがとう」
 そう言って嬉しそうに花束を受け取った後、ふと青年を見上げ、
「あなたは・・・昨日も来てくださったかしら」
 不安そうに聞いてきたので青年は、いえ、と答えた。
「昨日はきていません」
「そうお?でもお手伝いさんが言っていたのよ。息子さんが毎日花束を買ってきてくれるなんて素敵ですねって。変でしょう。あなたが息子に見えるようなのよ」
 一瞬、青年の息が止まった。そして搾り出すようにして青年は笑って見せた。
「それはおかしいですね、誰です、そんなこと言ったのは」
「さあ、でも若いむすめさんだったわ。気が利く子なんですよ。花を飾ってくれるの」
「そうでしたか。それは良かったですね」
 青年がそう言うと、婦人は笑った。
「花束、本当に嬉しいわ。ありがとう」
「私も、元気なお顔を拝見できて嬉しいです」
 あらそう、と婦人は笑った。
 青年は夫人の部屋を後にするとすぐ新人の使用人を見つけ出し、捕まえた。
「僕が来ていることを話したのか?」
 激高を何とか堪えているといった様子の青年に、その使用人は口をパクパクさせて言葉を紡げないでいた。ちょうど通りかかった使用人婦長が慌てて飛んできた。
「すみません、悪気は無かったんです」
「あったら頚だ。いや、なくともこいつはもう頚だ」
「待ってください、彼女はただ、奥様に喜んでもらおうとして・・・」
「だったら尚更だな。いいか」
 と、青年が年若い、といっても青年よりは年上の使用人を睨みつけて言った。
「おまえは頚だ。二度とこの屋敷に来るな」
 そして今度は婦長に向き直り、
「こんな奴を採用した君にも責任を取ってもらう」
 厳しい視線を向けられ、婦長はぎくりとして言った。
「私も、頚ということですか」
「そうしたいのは山々だが、今、君に抜けられるのは正直痛手だ。このまま続けてもらう。ただし新しい使用人を採用することは今後許さない」
 それは頚になることより重い命令だった。ただでさえ人手不足のところを一人なくすのだから残された使用人は彼女を含め、たった三人しかいなくなることになる。婦長の顔が蒼白になるのも無理は無かった。
「失礼ながら心地さま、それでは十分なお世話ができなくなる可能性があります」
 わずかにかけた可能性は、しかし簡単に一蹴された。
「君が二倍働けばいい」
 そう言うと青年は踵を返してその場を後にした。婦長と新米の使用人は呆然とその後姿を見送るしかなかった。

 青年、青葉心地は朝から不機嫌だった。色白の皮膚に太陽の日差しは強すぎて、夏でも長袖を着ていた。ますます獰猛になる暑さに苛立っていたところへ今朝の事件が起きた。不機嫌になるなと言うほうが無理な話だったが、級友が見かねて彼に話しかけた。
「一体、どうしたんだ、朝から難しい顔して」
「生まれつきこの顔だ」
 むすっと答える青葉心地に本原拓也が笑った。
「当ててやろうか」
「おまえには関係ない」
 青葉心地の言葉を無視して本原拓也が、そうだなあ、と思案する。
「使用人の一人がへまをして、危うく母上にショックを与えるところだった、てあたりかな。っておい、本当にそうなのか?」
 苦虫を噛み潰した様な顔をする青葉心地に対して、本原拓也は驚いて笑い出す。
「本当なのかよ」
「すぐ頚にした」
「だろうね。秘密も守れないようじゃ使用人の器じゃない」
「どれだけ気をつけていたと思う?!それを全てぱあにするところだったんだぞ!」
 思わず揚げてしまった大声に、室内の視線を一気に集めてしまった。
「まあまあ落ち着け」
 本原卓也が、なんでもないよ、と手を振って見せると、好奇心を抱きながらも皆は知らぬふりに戻った。
「それで?今日の母上の状態は?」
「変わりない。僕が息子であることも分からないままだ」
 青葉心地の母、青葉光子が精神を病んだのは、父の死後、青葉心地がまだ幼い子供の頃の話だ。その時から、彼女の中の息子は成長が止まったままになった。初めは現実を受け入れさせるべきだと医師に助言されたが、そうしようとするとパニックを起こして手がつけられなかった。やがて周囲の人間は、彼女をそのままにすることにした。つまり、彼女の記憶にあわせて生活することになった。そしてそれは母子を離れ離れにさせる結果となった。日数を重ねて変化する青葉心地を彼女は受け入れられずにいた。そして決定的な出来事が起きた。変声期である。青葉光子はもはや青葉心地の母ではいられなくなった。そして同じ屋根の下で寝泊りしている彼を拒絶した。知り合いでもない男が屋敷で自分の家のように振舞っている。愛する夫の真似をして。彼女はそれが許せなかった。それ以降、青葉心地が屋敷で寝泊りすることは無くなり、別宅で住居を構えざるを得なくなった。
「とんだ災難だったな」
「人災だ」
 ふんと横を向いたとき、教師が入ってくるところだった。本原卓也は自分の席に戻り、青葉心地も椅子に座りなおした。

 帰り道、青葉心地は屋敷に寄っていくのが常だったがこの日は寄らずに別宅へと帰った。翌日、同じように花束を作ってもらい、屋敷を訪れると意外なことが起きた。青葉光子は前日同様、ありがとう、と言って花束を受け取った。その後だ。
「昨日は来てくれなかったわね」
「え?」
 青葉心地はどきりとして青葉光子の顔を見た。そこには少しいじわるな顔が浮かんでいた。
「夕方、いつも寄ってくれるでしょう?」
「ああ、その・・・」
 思いも寄らない言葉に、青葉心地はどきどきしながら答えた。
「昨日は居残りを命じられたので・・・・」
 そう嘘をつくと、あら、と青葉光子は笑った。
「賢そうに見えて実は違ったのかしら」
 ふっと青葉心地は息をついた。
「また来ます」
「無理しないでね」
 部屋を辞してすぐ青葉心地は婦長を捕まえて問い質した。
「何故、記憶が残っている?いつから僕のことを覚えていたんだ?」
 詰め寄る青葉心地に婦長は首を横に振って答えた。
「分かりません、分かりません。記憶が残っていること自体、知りませんでした」
「朝、花束を持ってくる僕と、帰り道に寄っていく僕が同一人物だと分かったんだぞ?!兆候があって当然だろう!君は何を見てるんだ!」
「心地さま、心地さま、聞こえてしまいます」
 実際、僕は怒りのあまり我を忘れてしまっていた。
 ぎいっと扉の開く音が聞こえる。そこには青葉光子がいた。
「あなた、何をしているの」
 はっとして婦長の襟首を離したがすでに遅かった。青葉光子は、きっと僕を見据えて言った。
「もう二度と、こないでちょうだい」
 そして婦長に、大丈夫よと囁き、僕を睨みつけた。僕が帰るまでそこにいるつもりだろう。僕は鞄を取り、屋敷を出た。
 翌朝、僕は迷った。もし記憶が残るようになっていたとしたら屋敷には入れないだろう。
「どうしますか?」
 花屋の少女が見上げている。僕が色で迷っていると考えたのだろう。僕は率直に言った。
「君の見立てで構わないから作ってくれないか」
「わかりました」
 そう言って少女が店の中をちょこちょこ歩き出す。出来上がったのは赤を基調とした花束だった。
「これでいかがですか?」
「うん、気に入ったよ。それにしよう」
 はい、と少女は花束を渡してくれる。格安にしてくれているのには理由がある。もう咲ききっているものや売り物にならない花で花束を作ってくれているからだ。売り物にならないといっても僕の目から見れば十分価値がありそうだが、専門家の目には違って映るらしい。そして十歳にもまだ満たない少女がその目利きをしているのだから大したものである。
「毎度どうも」
「ありがとう」
 若干の、いや、相当の緊張を抱いて僕は屋敷に赴いた。珍しく婦長が僕を出迎えた。
「あれからどうだった?」
「はい、落ち着かれてそのまま眠ってしまわれました。私にも普通どおりに接してくださっています」
「そうか」
 僕は緊張したまま、ドアをノックした。どうぞ、と声が掛かる。
「こんにちは」
「あら」
 ドアを開けるなり、青葉光子は声を上げた。
「綺麗なお花」
 いつもはベッドに座ったままなのが、今朝はベッドから降りて駆け寄ってきた。
「素敵ねえ」
 としきりに褒める。
「あなたに持ってきたものですよ」
 僕が言うと、え、と青葉光子は顔を上げた。
「いいのかしら」
 嬉しそうに迷っている。僕はほっとして花束を渡そうとした。しかし、次の瞬間、花束をむしりとられ、顔にぶつけられた。呆気に取られる僕に青葉光子は声を低めた。
「二度とこないでと言ったはずよ。ふき!」
 婦長の名前を叫ぶ。婦長はふっとんできた。
「はい、奥様」
「今後、一切、この人を屋敷に入れないで頂戴。分かったわね」
「はい、奥様。申し訳ございませんでした」
「これも捨ててしまって」
 そう言って青葉光子はぐしゃぐしゃになった花束を婦長に渡した。そして僕に向かい、
「二度目はありませんからね」
 そう捨て置き、部屋に戻って、ドアを、ばん、と閉ざした。
「記憶が残っている・・・」
 思わず呟いた。
「心地さま」
 婦長の声に、はっとする。
「どういうことだ?記憶が残るようになったということは回復してきているということか?」
「心地さま、わたしには分かりません。専門医に診ていただくほうがよろしいかと」
「前回の医者は駄目だ」
「分かりました」
 専門医に診てもらうのはこれが初めてではない。ただし全て良い診療をしてくれたかといえば答えは否だ。
前回の医者がその典型的な医者だった。青葉光子に二、三、質問して、日常に支障ないのであれば問題ないでしょう、周囲で温かく見守ってください、と何のためにもならない助言をして帰っていった。
 翌日、つれてこられた医師は挨拶もそこそこに、本題に入った。
「まずは着地地点をどこにするかです。それによって対応の仕方も変わっていきます。彼女を傷つけないようにすることが第一であれば、今までのようになさってくださって構いません。しかし、本当の意味で彼女を治そうというのであればそれなりの覚悟も必要です」
「というと?」
「無理に現実に引き戻すと彼女の精神が壊れる可能性があります。その場合、助けることは無理でしょう」
 いかがしますか、と医師は尋ねてくる。僕は婦長と向かい合った。婦長の目が不安げに僕を見た。
 母上にとって何が一番かを考えるんだ。そういう思いと、自分の事を息子として受け入れて欲しいという葛藤が体の奥から沸いて出てきた。
「一つ、いいですか」
 躊躇っている僕らに医師は人差し指を立てた。
「心地さんはまだお若い。それに母上似だ」
 何を言いたいのかわからず、僕らはじっと次の言葉を待った。
「しかし不思議なもので年を取ると男の子は父親に、女の子は母親に似てくるんです」
「それが?」
 気が急いて先を促す言葉がきつくなった。
「今はまだいい。けれどこの先、心地さんの顔に父親の面影が出てくるでしょう。それを見せたとき、お母様の脳はどう働くか分かりません。今のままいけば確実にこの問題にぶつかります。これは避けられない。ですから着地地点を今はっきりとさせておかなければなりません」
 医師の表情は硬かった。
 決まったらまた呼ぶということでその日は帰ってもらった。僕はこっそりと婦長の部屋へ入った。他の二人はまた別の部屋の一室にいる。
 周囲に人がいないことを確認して、僕は婦長と話し合った。
「率直な意見を聞かせて欲しい。母上についてどうするか、このままぼけさせたまま夢の中の住人として幸せに暮らさせるか、万が一を掛けて真実を突きつけるか。どちらでも構わない」
 さあ、と促し婦長の答を待つ。婦長はしばらく押し黙った後、ゆっくりと口を開いた。
「わたしは、今のまま、安息地にいたほうが奥様にとって幸せだと思います」
 父亡き後の狂気を知っているからこその、本音だったろう。でも、と婦長は続けた。
「心地さんが、今の奥様にとっては全てであろうと思うのです。あの日、奥様が激した姿を見て驚きました。それまで何に対しても奥様の意識下に入ることは出来ませんでした。それがあの日、確かに心地さんの存在を認めて感情まであらわにされました。そしてそのことを覚えているのです。心地さんが奥様にとって特別な存在となっていることは明白です」
「つまり、現実に戻せと?」
「はい。今こそ現実に戻せる、最後の機会かもしれません」
「本気でそう思うのか?失敗して精神が破綻したら苦労するのは君たちだって分かっているだろう?それでも現実に戻せと?」
「はい」
「分かった。他のものにはまだ言うな」
「はい、分かりました」
 僕はそっと部屋を後にし別宅に辿り着いた。その後も医師を交え三人で話し合った結果、現実に戻すことが決定し、学校の休みの日に決行されることになった。

 こんこんこん、と静かに扉を叩く。
「どうぞ」
 了承を得て僕は中に入った。その瞬間、部屋の空気が変わった気がした。
「光秀さん!」
 青葉美智子は叫ぶなり、べっどから降りて青葉心地のもとに駆け寄ってきた。
「光秀さん、光秀さん!」
 想像以上の反応に僕は驚いて、その頭を両手でつかんでしまった。青葉光子が顔を上げる。
「父さんじゃないよ、母さん」
「光秀さん?」
 青葉光子の手が僕の顔を探る。
「光秀さんじゃない?どうして?」
「父さんは十年前死んだんだ、母さん」
「母さん?」
 青葉光子の目が見開かれる。僕は思い切って言った。
「父さんじゃない。息子の心地だよ」
「息子?」
「母さん」
 いや、と青葉光子は言った。 
「いやああああああああ!!」
 絶叫が上がった。
「あああああああああああああああああああ!!」
 それは壊れた人形のような叫び声だった。いや、実際に青葉光子は壊れてしまった。思う限りに叫んだ後、その場に倒れこんだ。

「そうですか」
 駆けつけた医師は一部始終を聞くと、それだけ呟いた。僕は着ていたスーツを脱いで学生服に着替えた。
 母は三日ほど寝込んだ後、ようやく目を覚ました。そうして夢の中の人になった。

 朝、いつものように花束を買って、屋敷に寄った。
「あらあなた。また来たの」
 僕は、はい、と答えた。青葉光子の意識下に僕は刻まれた。毎日花を届ける変わった学生として。
「どうしても見せたい花があって」
 まったくしょうがないわねえ、と笑いながら庭のカウチから腰を上げた。
「どれどれ」
 今朝もまた女の子の趣向に任せて花を買ってきた。
「可愛いわ。でもこれあなたが選んだんじゃないでしょう」
「何で分かるんですか?」
「分かりますもの」
 そう言って花束に鼻を近づけた。僕は怒り出されずにすんでほっとした。彼女がカウチに戻るため引き返したとき、そのわずかなすれ違いで、
「ありがと、心地」
 蚊の鳴くような小さな呟きが聞こえた。確かに。僕は振り返ってカウチに座り直す母を見た。
「母、さん?」
 すると青葉光子はおかしそうに笑った。
「どうしたの?わたしはあなたの母親じゃないわよ。それとも似ているのかしら。あら」
 そう言って青葉光子は花束を置いて駆けて来た。
「ちょっと、どうしたの?何かあったの?」
 青葉光子の手が伸びてきたところで自分が泣いていることに気づいた。しょうがないわねえ、と青葉光子は僕を軽く抱きしめた。
「何があったか分からないけれど、もう大丈夫よ。安心して」
「・・・はい」
「よしよし」
 僕が泣き止むまで青葉光子は僕の背を撫で続けた。