手作りのハーバリウムは鞄の中に入れて、今度はアトラクションエリアへとやってきた。アトラクションエリアはちょっとした遊園地のようになっており、子供から大人まで、たくさんの人で賑わっていた。

「何に乗る?」

「そりゃもちろん」

 私は、アトラクションの中で一番背が高い観覧車を指差した。私たちがいつも乗っていた観覧車よりは小さめだが、海が一望できると人気だそうだ。

「いいね。よおし、乗りますかっ」

 梨斗も同意してくれて、観覧車の列に並ぶ。かなり長い列ができており、自分たちの番が来るまで三十分はかかった。

「およそ十五分の所要時間になります。それでは足元にお気をつけて、いってらっしゃい」

 スタッフさんに見送られ、ゴンドラの中で向かい合って座る。真昼間に二人で観覧車に乗ったのは、小三の頃、初めて出会った時以来だ。

「いつもと違うから新鮮だね」

「ああ。見える景色が全然違う」

「でも、ゴンドラにいると落ち着くのは一緒」

「なんでだろうね?」

 そりゃ、あなたと二人きりだから。
 なんて、口にしなくても梨斗は絶対に分かっている。分かっていてわざと聞いてくるところが彼らしかった。

「あのさ、梨斗。私、やっぱり自分の夢は大事にしたいから、メイクアップアーティストになるために専門学校に行くよ。誰かを綺麗にしたら、自分の心まで綺麗になるような気がして、すごく憧れるの」

「そっか。良かった。でもそう思えたのはどうして?」

「一番は梨斗と出会って、家族と向き合えたから。あとは、この間ヤングケアラーたちの集い『バルーンの会』に行ってきたんだけど、そこで自分と同じような境遇の人たちに出会って。みんな、社会から締め出されるのが不安だって言ってた。だからそうならないために、できるだけ早く、進学なり就職なり、真剣に考えるべきだってアドバイスをしてくれて」

 そう。実は先週の土曜日に、以前会ったカウンセラーの秋元さんの勧めで、『バルーンの会』を訪れた。とあるマンションの一角で定期的に集いが開かれていて、そこで同じ年代のヤングケアラーたちに出会ったのだ。
 私と同じように、祖父母の介護をする人、小さな兄弟の世話に追われている人、親が病気で家族の仕事を一心に担っている人……程度の差こそあれ、みんな家族のために自分の時間を犠牲にしていた。
 そんな彼らは、このままこの生活を続けていたらまずいと感じて、『バルーンの会』に来るようになったという。
 同じ境遇の人の話を聞いていると、自分の生活を客観視できる。私も、彼らと出会い、自分の将来を見つめ直してみたのだ。

「良い出会いがあったんだね。日彩の決断、素敵だと思う」

 まっすぐに私を見つめる彼の瞳にはもう、孤独の色は浮かんでいない。

「ありがとう。梨斗は? これからのこと決めた?」

「ああ。今、お父さんと——この前会った実の父親の方だけど、一緒に暮らせるように話し合いをしている最中なんだ。だから、話がまとまったらお父さんと一緒に暮らす。それから、日彩と同じ高校に行けるように、勉強も頑張ろうと思うんだ」

 初めて彼の口から聞いた話に、純粋に驚いた。と同時に、彼が大切な人とまた一緒に生活したいと決意してくれたことが嬉しくて、泣きそうになる。

「そっか。上手くいくといいね」

「うん。上手くいったら勉強教えてよ」

「うげ、勉強は勘弁〜。私だって今、美玖たちに教えてもらってるところなの」

「じゃあさ、今度美玖ちゃんたちから一緒に教えてもらえない?」

「うん、それならいいよ! 美玖と恵菜も、梨斗に会ってみたいって言ってたし」

 どんどん進んでいく話に、胸の高鳴りが止まらない。

「美玖ちゃんたちによろしくね。日彩のおばあちゃんは? あれからどう?」

「おばあちゃんは、施設に入るように今勧めてるとこ。ちゃんと家族で話し合って、おばあちゃんも分かってくれたから近々申し込もうと思ってる」

「そうなんだ。寂しいだろうね」

「うん。定期的に自宅に帰って来ることもできるようにしてもらうつもりだよ」

「それは良かった。日彩たち家族が、これから幸せでありますように」

 両手を合わせて祈るようなポーズを取る梨斗を見て、両目にうっすらと涙が浮かぶ。
 ああ、ダメだ私、また……。
 梨斗と出会ってから、どうやら涙腺が緩くなってしまったみたいだ。素直な気持ちを出せるようになった証拠だけれど、泣き虫だって思われたら嫌だな——。

「あ、見て日彩! 海がすごく綺麗だ!」

「わあ……」

 梨斗が私の肩越しの景色の方を指さして、思わず振り返る。
 青く澄み渡る空の下、広い海が太陽の光を受けて、きらきらと輝いていた。
 こんなに……こんなに綺麗な景色を見たのはいつぶりだろう。
 たとえ同じぐらい美しい景色を見たことがあったとしても、彼とこの場所で見る景色は世界でいちばん鮮やかで胸に沁みるはずだ。
 はっとまた振り返ると、梨斗の顔がすぐそこまで迫っていた。
 彼の唇が私の唇に触れた。
 無用な心理テクニックなんて必要ない。ただ純粋に、好きの気持ちが繋がっていく。

「きみがいる場所が、僕の帰る場所だよ」

 ずっと誰かに吐き出したかった。
 私の居場所をください。
 自分の人生を生きていいよって、言ってほしくて。
 夜の真ん中で彼と出会って、私は変われた。
 だから私も、きみの帰る場所になれたなら、すごく嬉しい。
 朝も、昼も、夜も。空を見上げればそこにはいろんな色があるけれど、一つに繋がっている。私はこの先もずっと、きみの隣で移りゆく空の色を眺めていく。
 あの日、観覧車の頂上で見た、あけぼの色の空の輝きを、覚えている。


【終わり】