「ずっと……ずっとさ、この時間が続けばいいのにって、何度も思った。本当は十五分だけじゃなくて、もっと長くきみと一緒にいたい。僕が一番願ってた。幸い家族からは、毎晩ここに来ていることがまだバレてないって思ってたんだけど……違った。父親はとっくに僕が家を抜け出していることを知っていた。今日、というかもう昨日だね。父親に問い詰められて、それから初めて、手を挙げられた」

 彼の顔にくっきりと残っている“父親”の所業を感じ取って、思わず目を逸らしたくなった。

「これまでは家で『いない者』として扱われても、一度も手を挙げられたことはなかったんだ。だからこそ、僕はただ耐えるしかなかった。でも今日、初めて痛いって思って、『もう二度とうちへは帰ってくるな!』って怒られて気づいた。僕はここから逃げ出したかったんだって……。日彩との約束の時間はまだ来ていなかったけれど、すぐに家を飛び出してここへやって来た。広い遊園地に一人で佇んでると、僕はもう本当に幽霊にでもなってしまったんじゃないかって、怖くなった」

 今日、梨斗は遊園地の門のところに現れなかった。その裏に、こんな事情があったなんて……。

「でもきみが僕を探しに来てくれて、やっと一人じゃないって思えた。そして、今。きみが昔のことを思い出したって聞いて、ずっと抱えてたものが、どんどん溢れちゃってる。ふふ、馬鹿だよなあ。最初から、僕はあの時の少年だって言えばよかったのに。日彩の気持ちを試すようなことして……逃げたんだ。実の父親に捨てられて、母親にも新しい父親にも、弟にも無視されて、日彩にまで忘れられていたら……。日彩にまで、『いない者』として扱われたらどうしようって、怖かったから……」

 ずしずしと胸に迫るのは、彼が私のことを心の底から求め、切実に助けを求めていた、その気持ちの重みだ。
 梨斗はこんなに……こんなに私のことを……!

「『いない者』なんて、そんなふうに思うはずないっ!」

 一番伝えたい気持ちを、もう我慢することはできなかった。
 梨斗の揺れるまなざしに、涙でぐしゃぐしゃになった自分の顔が映っている。頬も耳もきっと熱で真っ赤に染まっているだろう。私史上、一番みっともない顔をしているのは明らかだ。
 メイクアップアーティストになって、誰かを綺麗にするのが夢だった。今の私の顔は、メイクでは隠せないほど、荒れに荒れている。友達に見られたら笑われるかもしれない。でも、他人にどう思われるかよりも、目の前のあなたに、伝えたいことがあった。

「梨斗はちゃんと、いるよ。私のこの胸の、真ん中にいる。出会った時からずっと。梨斗と十五分間、毎日話をするのが本当に楽しみだった。家にも学校にも本当の私はどこにもいなくて、おばあちゃんの中から私が消えてしまいそうになって不安だった。でも、そんな時でも梨斗は必ずここに来て、私を見ていてくれた。だから私は、もう一度友達や家族、自分と向き合うことができたんだよ」

 梨斗の瞳にきらりと浮かぶ光の珠が、彼の頬を伝っていく。
 観覧車の明りが反射して、きらきら輝いては落ちていく。

「私……私は梨斗のことが——」

 喉元まで出かかった言葉が、外の景色を見て止まる。
 二周目の観覧車が、いつのまにか地上へと辿り着こうとしていた。
もう、降りなくちゃいけないのかな。
 もっと、もっと一緒にいたい。
 観覧車が何周したって、夜が明けて朝が来たって、離れたくない。
 きみとの時間に、さよならなんて必要ない——。

「好きだよ」

 夜の世界にそっと溶けた彼の言葉は、私をまるごと包み込んでくれるぐらい柔らかい響きを帯びていた。先ほどまで、孤独を吐き出していた彼の言葉とは思えないぐらい、慈愛に満ちたその声色に、胸がぎゅっと掴まれる。すー、はー、すー。息を吸って吐き出す。全然苦しくない。いつからからだろう。梨斗と出会ってから、私はこんなにもまっすぐに息ができるようになっていたんだ。
 観覧車が三周目を回り始めた。私をまっすぐに見つめる彼の瞳が、暗闇でも迷わずに進めるぐらい、強い意思を孕んでいるように見えた。

「好き……って、私を?」

「日彩以外、誰がいるんだよ」

 いつもどこか、膜を張ったように柔らかだった彼の声が、はっきりと輪郭を帯びているように感じられた。
 それは彼が、私に対して被っていたバリアを破り、真正面から私と向き合おうとしている証拠だと分かった。
 だから、私も。 
 私だってもう、きみの前では剥き出しの自分になれるよ。

「嬉しい……私も、梨斗のことが好き」

 にっこりと、心からの笑顔が溢れ出したのは彼だけじゃない。窓に映った私の顔だって彼と同じ表情をしていた。

「僕たち、両想いだったんだね」

「うんっ……!」

 好きになった人が、自分のことを好きだと思ってくれるなんて、信じられない。私の人生の中で、誰かと両想いになる日が来るなんて思ってもみなかった。夢なんじゃないかと疑ったくらい。でも、ゴンドラが風に揺れてギイっと軋む音や、窓の外に見える眩いほどの光を放つ月が、今この瞬間が絶対に夢なんかじゃないと教えてくれた。