「今日は、約束の時間を守れなくてごめんね」

 観覧車に乗り込むと、彼は真っ先に今日のことを詫びた。私は彼の顔の傷を見ないようにして「ううん」と頷く。

「何か事情があるんだろうなって思った。あなたを目にした瞬間、やっぱり私の勘は当たってたって確信した。でも」

「でも?」

「あなたから話を聞く前に、先に私の方から話してもいい?」

 混じり気のない瞳が、はっと揺れた。

「……うん」

 彼が頷くのを確認してから、私はそっと口を開いた。

「思い出したの。私、お父さんが亡くなった時——小学校三年生の時に、あなたに一度会ったことがあるって」

 ごくり、と彼が生唾をのみこむ音が聞こえた。間違いない。やっぱり私は、昔梨斗と会っていたんだ。

「お父さんが亡くなって、毎日塞ぎ込んでいた私を、お母さんが遊園地に連れ出してくれたの。ここ。この遊園地ってさ、地元の人たちの間では人気のスポットだったでしょ。それまでにも何度か来たことがあったけれど、お母さんと二人で来たのは初めてだった」

 あの時の私は、お父さんが亡くなって、身も心も常に消耗していた。きっと母だって——いや、母の方がもっと、そうだったに違いない。けれど母は、私を元気づけようとして遊園地(ここ)に連れてきてくれた。

「お母さんと二人で遊ぶうちにさ、悲しくて沈んでた心がだんだん慰められていくのが分かったの。でもね、家族みんなで遊びに来た思い出がどうしてもチラついてしまって、やっぱりずっと寂しかったんだ……。それで、お母さんを困らせようっていう魂胆じゃないけれど、ふとお母さんから離れてしまった。一人になりたかったのかもしれない。だけど、お母さんとはぐれて迷子になって、心細さに押し潰されそうだった。自分から離れたのに、やっぱり子供だったの。このままお母さんと会えなかったらどうしよう。本当にひとりぼっちになってしまうって、怖かった」

 観覧車は四分の一の地点を超えた。まだまだ街並みは遠くない。けれど確実に、私たちは現実から遠のいていく。

「不安でいっぱいになっていた時、ある人から声をかけられたの。『迷子なんだね』って。それが、あなた——梨斗だって気づいたのは、つい昼間のこと。お母さんとその時のことを話していて、思い出したんだ」

 梨斗の目が驚きに見開かれる。
 やはり、間違いじゃなかった。
 私はかつて一度、ここで彼と会っている。
 そして、彼もそのことを覚えているはずだ。

「誰かに助けられたことは覚えていたんだけど、どうしても助けてくれた大人の顔は思い出せなくて。それもそうだよね。だって、あの時話したのは子供のあなたなんだもん。だけど当時、私はいろんなことで心がいっぱいいっぱいになってて、迷子になったっていうトラウマのせいで、そのことを忘れてしまってたの。だからこの春、あなたと会った時も何も思い出せなかった。初対面だと思い込んでた。そこは、ごめんなさい」

 梨斗は、自分のことを覚えていない私を見て、どう思ったんだろう。 
 何年も前にたった一度だけ会っただけだから仕方がないと割り切っただろうか。
 それとも——。

「梨斗は、迷子だった私の手を引いて、観覧車に連れてきてくれたんだよね。そこで私たち、同じだって話をしたね」

——お父さんが、死んじゃって。

——そうなんだ。ぼくも、本当のお父さんと離れ離れになって、かなしいんだ。

——本当のお父さんと?

——うん。今日、ぼくの誕生日だから、お母さんが遊園地に連れてきてくれたのにさ、お母さんの隣には知らない男の人がいた。だからぼく、二人から逃げてきたんだ。

——それなら、わたしと一緒だね。わたしも、逃げたから。

——似たものどうし、よろしくね。

 「あなたは、“本当のお父さんと離れ離れになった”って言ってた。本当のお父さんって、葉加瀬健斗さんのことだよね。この遊園地の持ち主さん。あの時の梨斗、すごく悲しそうな顔をしてて……だから私は、『この子も同じだから、自分は一人じゃない』って思えたんだ」

 私の気持ちなんて、誰にも理解されないと思っていた。
 お母さんも、おばあちゃんも。
 だけど、あの時出会った少年とは、確かに心を分かち合い、悲しみを半分こにしたんだ。

「梨斗と話していると、不思議とあったかいお布団に包まれた感覚になった。観覧車が終わる頃には、もう寂しさもどこかへ吹き飛んでいて。あの出来事があったから、自分を見失わずに済んだんだって、ようやく気づいたんだ。だからね、あの時私を救ってくれて、本当にありがとう」

 私の告白を聞いて、彼の目がより一層大きく見開かれた。笑っているような、泣いているような、複雑な表情を次々と浮かべていく。やがて何かが吹っ切れたようにふっと息を吐き、口を開いた。