二十三時五十二分。
遊園地の前には、ちょっとだけ早く着いた。梨斗はいつも二十四時ぴったりに来るから少し待っていよう、と壁に背をもたせかける。
しかしこの日、彼は二十四時になっても現れなかった。
「遅刻かな」
いつも定刻にやって来る彼だけれど、たまには遅れることだってある。あまり気にすることなく、彼を待ち続けた。けれど、十分経っても、二十分経っても、三十分経っても、梨斗は現れない。
「さすがにおかしいな……寝坊かな」
疲れて眠ってしまっているのかもしれない。今日はもう帰った方がいいかな。なんて考える。でも、頭の片隅では、彼が理由もなく私との約束を破ることはないと信じる自分がいた。眠っているのなら仕方がないけれど、なんだか今日は妙な胸騒ぎがしていた。
帰ろうか、待ち続けるべきか、考えあぐねているところに、ポケットの中のスマホが震えていることに気づいた。
取り出して画面を見ると、母からだ。
母はこの時間には寝ているのに、どうしたんだろうと通話ボタンを押す。
「もしもしお母さん? どうしたの?」
『日彩、大変! おばあちゃんがいなくなった』
「え?」
おばあちゃんが?
いなくなったとは、どういうこと?
『さっき、部屋で寝てるのを確認してから遅めのお風呂に入ってたんだけど、お風呂から上がったらおばあちゃんがうちからいなくなってた』
「そうなの? 大変じゃん……!」
慌てた様子の母の声を聞きながら、頭の中では「徘徊」という言葉がちらついていた。これまで祖母が深夜に外を出たことなどなかったけれど、認知症患者の中には徘徊をする人もいると聞く。とうとう祖母も、一人で外へ出てしまったのだ。
『日彩、心当たりはない!? 私も今近所を探してるんだけど、どこにもいなくて……』
「分からない……でも、私も探す」
『ありがとう。私の監督不行き届きでごめんね』
「ううん、お母さんのせいじゃないよ。とにかく探すから、何か分かったら連絡して!」
『ええ』
通話ボタンを切り、辺りをきょろきょろと見回す。
遊園地の前で探したって、こんなところにはいないよね……。
探すなら家の近所を探すのが妥当だろう。ここは自宅から電車に乗らなくちゃ来られないんだし。
と、遊園地の前から踵を返し、駅に向かって歩き出した時だ。
「透くうん」
遠くから、祖母の間延びした声が聞こえてきて心臓が止まる思いがした。
「透くうん」
声は、遊園地の中から聞こえてくる。
どういうことだろう?
訝しく思いながらそっと遊園地の門を押してみる。すると、閉まっていると思い込んでいた遊園地の扉がすっと開いた。
どうして扉の鍵が開いているのか気になったけれど、それ以上に今は、祖母の声のする方に走り出す。
「透くーん」
間違いない。祖母は遊園地の中にきっといる。
メリーゴーランド、コーヒーカップ、ジェットコースター、お化け屋敷……遊具の間をすり抜けて駆け抜けると、いつも乗っている観覧車の前に、祖母が佇んでいた。いつも着ているよれよれの薄いカーディガンが、この時はいつも以上に頼りなげに見えた。
「おばあちゃんっ」
観覧車を見上げながらぽつんと立っている祖母の前に駆け寄る。私の姿を認めた祖母は、一瞬「誰だ」と私を睨みつけたが、すぐにどうでも良くなったのか、にやりと唇の端を持ち上げた。
「こんばんはー。ここのスタッフの人ですかあ?」
「は?」
にまにまと笑顔を向けてそう言う祖母は、私を遊園地のクルーと勘違いしているらしい。
「今日はね、嫁と孫が二人で遊園地に来ているの。私は、息子と二人で来たいから、嫁と孫とは別行動をしているんです。老人会があるって嘘ついて、息子とデートなんだ。息子は観覧車が大好きだから、動かしてくれないかしらあ?」
いつになくはっきりとした物言いで、私に語りかける祖母。
嫁と孫が二人で遊園地に来ている? それって、私が迷子になったあの日のことを言っているのだろうか。確かにあの日、祖母は老人会の集まりで来ないと母に伝えられた。でも、今の祖母の言葉を信じるなら、老人会というのは嘘で、祖母も同じタイミングで遊園地にいたということ?
「息子が——透くんが、さっき女の子と観覧車に乗るとこ、見たんだけど。なんで今観覧車、動いてないんだい? 点検中?」
女の子と観覧車に乗るところを見た——もしかしておばあちゃん、あの時私が彼と観覧車に乗っているのを側から見ていたんだろうか。
彼のことを、記憶の中でお父さんだと勘違いしている。
そうとしか思えなかった。
「あーあー、透くん、お母さんと観覧車に乗るって、楽しみにしてたのに! 早く動かしてよお!」
バタバタと駄々をこねる子供のように両手を振り回しながら、私に詰め寄る祖母。
そんな祖母を見ながら、母と二人三脚で祖母の面倒を見てきた日々の記憶が、弾け飛んだ。
遊園地の前には、ちょっとだけ早く着いた。梨斗はいつも二十四時ぴったりに来るから少し待っていよう、と壁に背をもたせかける。
しかしこの日、彼は二十四時になっても現れなかった。
「遅刻かな」
いつも定刻にやって来る彼だけれど、たまには遅れることだってある。あまり気にすることなく、彼を待ち続けた。けれど、十分経っても、二十分経っても、三十分経っても、梨斗は現れない。
「さすがにおかしいな……寝坊かな」
疲れて眠ってしまっているのかもしれない。今日はもう帰った方がいいかな。なんて考える。でも、頭の片隅では、彼が理由もなく私との約束を破ることはないと信じる自分がいた。眠っているのなら仕方がないけれど、なんだか今日は妙な胸騒ぎがしていた。
帰ろうか、待ち続けるべきか、考えあぐねているところに、ポケットの中のスマホが震えていることに気づいた。
取り出して画面を見ると、母からだ。
母はこの時間には寝ているのに、どうしたんだろうと通話ボタンを押す。
「もしもしお母さん? どうしたの?」
『日彩、大変! おばあちゃんがいなくなった』
「え?」
おばあちゃんが?
いなくなったとは、どういうこと?
『さっき、部屋で寝てるのを確認してから遅めのお風呂に入ってたんだけど、お風呂から上がったらおばあちゃんがうちからいなくなってた』
「そうなの? 大変じゃん……!」
慌てた様子の母の声を聞きながら、頭の中では「徘徊」という言葉がちらついていた。これまで祖母が深夜に外を出たことなどなかったけれど、認知症患者の中には徘徊をする人もいると聞く。とうとう祖母も、一人で外へ出てしまったのだ。
『日彩、心当たりはない!? 私も今近所を探してるんだけど、どこにもいなくて……』
「分からない……でも、私も探す」
『ありがとう。私の監督不行き届きでごめんね』
「ううん、お母さんのせいじゃないよ。とにかく探すから、何か分かったら連絡して!」
『ええ』
通話ボタンを切り、辺りをきょろきょろと見回す。
遊園地の前で探したって、こんなところにはいないよね……。
探すなら家の近所を探すのが妥当だろう。ここは自宅から電車に乗らなくちゃ来られないんだし。
と、遊園地の前から踵を返し、駅に向かって歩き出した時だ。
「透くうん」
遠くから、祖母の間延びした声が聞こえてきて心臓が止まる思いがした。
「透くうん」
声は、遊園地の中から聞こえてくる。
どういうことだろう?
訝しく思いながらそっと遊園地の門を押してみる。すると、閉まっていると思い込んでいた遊園地の扉がすっと開いた。
どうして扉の鍵が開いているのか気になったけれど、それ以上に今は、祖母の声のする方に走り出す。
「透くーん」
間違いない。祖母は遊園地の中にきっといる。
メリーゴーランド、コーヒーカップ、ジェットコースター、お化け屋敷……遊具の間をすり抜けて駆け抜けると、いつも乗っている観覧車の前に、祖母が佇んでいた。いつも着ているよれよれの薄いカーディガンが、この時はいつも以上に頼りなげに見えた。
「おばあちゃんっ」
観覧車を見上げながらぽつんと立っている祖母の前に駆け寄る。私の姿を認めた祖母は、一瞬「誰だ」と私を睨みつけたが、すぐにどうでも良くなったのか、にやりと唇の端を持ち上げた。
「こんばんはー。ここのスタッフの人ですかあ?」
「は?」
にまにまと笑顔を向けてそう言う祖母は、私を遊園地のクルーと勘違いしているらしい。
「今日はね、嫁と孫が二人で遊園地に来ているの。私は、息子と二人で来たいから、嫁と孫とは別行動をしているんです。老人会があるって嘘ついて、息子とデートなんだ。息子は観覧車が大好きだから、動かしてくれないかしらあ?」
いつになくはっきりとした物言いで、私に語りかける祖母。
嫁と孫が二人で遊園地に来ている? それって、私が迷子になったあの日のことを言っているのだろうか。確かにあの日、祖母は老人会の集まりで来ないと母に伝えられた。でも、今の祖母の言葉を信じるなら、老人会というのは嘘で、祖母も同じタイミングで遊園地にいたということ?
「息子が——透くんが、さっき女の子と観覧車に乗るとこ、見たんだけど。なんで今観覧車、動いてないんだい? 点検中?」
女の子と観覧車に乗るところを見た——もしかしておばあちゃん、あの時私が彼と観覧車に乗っているのを側から見ていたんだろうか。
彼のことを、記憶の中でお父さんだと勘違いしている。
そうとしか思えなかった。
「あーあー、透くん、お母さんと観覧車に乗るって、楽しみにしてたのに! 早く動かしてよお!」
バタバタと駄々をこねる子供のように両手を振り回しながら、私に詰め寄る祖母。
そんな祖母を見ながら、母と二人三脚で祖母の面倒を見てきた日々の記憶が、弾け飛んだ。



