その日、家に帰って、早速ヤングケアラーの人たちのカウンセラーをしている専門家について調べた。『バルーンの会』という、ヤングケアラーたちの集いがあるらしく、そこに所属している心理カウンセラーの人たちが顔写真付きでHPに載っていた。
『困ったことがあれば、いつでもご相談ください。相談窓口はこちら』
という一文のもと、メールアドレスが記載されている。
ここにメールをすれば、この人たちに繋がるんだ。
そうと分かると、メールアドレスをスマホにメモする。
今すぐメールをする勇気はないけれど、近々連絡させてもらおう。
心に決めて、その日の家事をこなした。
「梨斗、私、美玖たちに自分の気持ちを打ち明けたよ」
二十四時、いつものように梨斗と遊園地の観覧車に乗り込んだ私は、早速彼に今日のことを報告した。美玖や恵菜と向き合おうと思ったのは、梨斗のアドバイスがあったからだ。彼に報告しないわけにはいかなかった。
「本当に? どうだった?」
「二人とも、なんでもっと早く話してくれなかったのって言ってた。話してくれたら力になったのにってちょっと怒られちゃった。でも、私のことを考えてくれてるからだって分かって、すごく……嬉しかった」
もう二度と、美玖と恵菜とは友達でいられないと思っていた。
でも、ほんの少し勇気を出して本音を打ち明けただけで、今こんなにも清々しい気分で満たされている。
「そっか……それは、本当に良かった」
梨斗がにっこりと笑う。
私が大好きな、彼の笑顔。
いつも見ているはずなのに、どういうわけかこの時は心臓がどきんと大きく跳ねた。
「ん、どうしたの日彩」
「いや、なんでもない! なんか、気持ちが変わると見える景色も変わってくるんだなあ、と思って」
咄嗟に誤魔化しながら窓の外を見る。梨斗もつられて、「本当だ」と外を見て声を上げた。
「街の灯りがいつもより明るい」
「梨斗にもそう見える?」
「うん、見える。日彩が前向きになってくれて、僕も嬉しいから」
彼の言葉の一つ一つが、胸にしんと沁みていく。
この時間は永遠ではない。分かっているけれど、今だけは永遠であってほしいと願ってしまう。
私、梨斗ともう少し隣に——。
無意識のうちに身体が前のめりになっていることに気づき、慌てて引っ込める。私ってば、何をしようとしてたの? 恥ずかしくなって、彼と顔を合わせないようにもう一度外を見た。
「隣、座る?」
「え?」
ふと柔らかな声でそんなことを言われてばっと彼の方を振り向く。
「いや、いつもこうして正面に座ってるから、たまには隣に座るのはどうかなって」
そう言う彼の頬が、薄暗い中でも上気しているのが分かった。梨斗のこんな顔、初めて見た。思わずまじまじと見つめてしまう。彼は恥ずかしさを堪えているのか、じっと私の方を見たり、窓の方を見たりして視線を泳がせていた。
「う、うん。隣に、座りたい」
気がつけば口から本音が漏れていた。
私の答えを聞いた梨斗が、徐に立ち上がり、隣に座る。片方の椅子に二人が座っても、ゴンドラはちゃんと水平を保っている。少しだけ揺れたけれど、すぐに幸福感に満たされた。
何これ……。私、今すごく幸せだ。
胸がドキドキとして、隣の彼に聞こえないか心配になったほどだ。梨斗からは、清潔な石鹸のような良い匂いが漂ってくる。彼の匂い。出会ってからあまり意識したことはなかったけれど、この匂いを嗅ぐと、梨斗がそばにいてくれると安心させられる。だから好きな匂いだった。
「少しずつだけどさ、日彩の表情が前より明るくなってるような気がして、僕も嬉しいんだ」
「梨斗……」
不意に彼が呟いた。そんなふうに思ってくれていることが嬉しくて、それから、どういうわけか切なさに胸が揺れた。
彼の声色に、私を心配してくれる憂いが滲んでいる。
梨斗はどうしてそこまで、私を想ってくれているんだろう。
彼に聞いてみたいけれど、なんとなく、聞くのが憚られた。
「日彩、今度はお母さんとも話してみたら」
彼にどう声をかけようかと迷っていたら、梨斗の方が再び口を開いた。
「お母さんと?」
「うん。だって日彩が抱えている問題は、日彩だけのものじゃないでしょ。家族で話し合って初めて解決されるんだと思うよ」
言われてみればその通りすぎて、反論の余地はなかった。私は、今まで家のことを問題だと捉えていなかったけれど、第三者から見れば十分問題なんだ、と改めて悟る。
「分かった。お母さんとも話してみる」
「そうしてみて。またどうなったか、僕に教えてほしい」
「うん」
梨斗に背中を押されると、ふっと身体が軽くなったような気がするから不思議だ。見えない翼を広げて、このままどこまででも飛んでいけそうな気分にさせられる。
「梨斗、今日はいつもより星が綺麗に見えるね」
「本当だ。ずっと快晴だったからだね」
観覧車の頂上から、普段よりもうんと近くなった夜空を見て実感する。
「いつか、梨斗のことも知れたらいいな。そうしたら私——」
その先の言葉を紡ごうか迷ったけれど、やめた。
ここで自分の気持ちを吐き出すのは野暮だと思ったからだ。
梨斗の息遣いをいつもよりも間近に感じながら、祈る。
この二人の温かな空間が、ずっと続きますように。
そしていつか、あなたに本当の想いを伝えられますように。
触れた肩から感じる温もりが、初めて彼と出会った日から随分と遠くへと運んでくれたなと思わせてくれた。
『困ったことがあれば、いつでもご相談ください。相談窓口はこちら』
という一文のもと、メールアドレスが記載されている。
ここにメールをすれば、この人たちに繋がるんだ。
そうと分かると、メールアドレスをスマホにメモする。
今すぐメールをする勇気はないけれど、近々連絡させてもらおう。
心に決めて、その日の家事をこなした。
「梨斗、私、美玖たちに自分の気持ちを打ち明けたよ」
二十四時、いつものように梨斗と遊園地の観覧車に乗り込んだ私は、早速彼に今日のことを報告した。美玖や恵菜と向き合おうと思ったのは、梨斗のアドバイスがあったからだ。彼に報告しないわけにはいかなかった。
「本当に? どうだった?」
「二人とも、なんでもっと早く話してくれなかったのって言ってた。話してくれたら力になったのにってちょっと怒られちゃった。でも、私のことを考えてくれてるからだって分かって、すごく……嬉しかった」
もう二度と、美玖と恵菜とは友達でいられないと思っていた。
でも、ほんの少し勇気を出して本音を打ち明けただけで、今こんなにも清々しい気分で満たされている。
「そっか……それは、本当に良かった」
梨斗がにっこりと笑う。
私が大好きな、彼の笑顔。
いつも見ているはずなのに、どういうわけかこの時は心臓がどきんと大きく跳ねた。
「ん、どうしたの日彩」
「いや、なんでもない! なんか、気持ちが変わると見える景色も変わってくるんだなあ、と思って」
咄嗟に誤魔化しながら窓の外を見る。梨斗もつられて、「本当だ」と外を見て声を上げた。
「街の灯りがいつもより明るい」
「梨斗にもそう見える?」
「うん、見える。日彩が前向きになってくれて、僕も嬉しいから」
彼の言葉の一つ一つが、胸にしんと沁みていく。
この時間は永遠ではない。分かっているけれど、今だけは永遠であってほしいと願ってしまう。
私、梨斗ともう少し隣に——。
無意識のうちに身体が前のめりになっていることに気づき、慌てて引っ込める。私ってば、何をしようとしてたの? 恥ずかしくなって、彼と顔を合わせないようにもう一度外を見た。
「隣、座る?」
「え?」
ふと柔らかな声でそんなことを言われてばっと彼の方を振り向く。
「いや、いつもこうして正面に座ってるから、たまには隣に座るのはどうかなって」
そう言う彼の頬が、薄暗い中でも上気しているのが分かった。梨斗のこんな顔、初めて見た。思わずまじまじと見つめてしまう。彼は恥ずかしさを堪えているのか、じっと私の方を見たり、窓の方を見たりして視線を泳がせていた。
「う、うん。隣に、座りたい」
気がつけば口から本音が漏れていた。
私の答えを聞いた梨斗が、徐に立ち上がり、隣に座る。片方の椅子に二人が座っても、ゴンドラはちゃんと水平を保っている。少しだけ揺れたけれど、すぐに幸福感に満たされた。
何これ……。私、今すごく幸せだ。
胸がドキドキとして、隣の彼に聞こえないか心配になったほどだ。梨斗からは、清潔な石鹸のような良い匂いが漂ってくる。彼の匂い。出会ってからあまり意識したことはなかったけれど、この匂いを嗅ぐと、梨斗がそばにいてくれると安心させられる。だから好きな匂いだった。
「少しずつだけどさ、日彩の表情が前より明るくなってるような気がして、僕も嬉しいんだ」
「梨斗……」
不意に彼が呟いた。そんなふうに思ってくれていることが嬉しくて、それから、どういうわけか切なさに胸が揺れた。
彼の声色に、私を心配してくれる憂いが滲んでいる。
梨斗はどうしてそこまで、私を想ってくれているんだろう。
彼に聞いてみたいけれど、なんとなく、聞くのが憚られた。
「日彩、今度はお母さんとも話してみたら」
彼にどう声をかけようかと迷っていたら、梨斗の方が再び口を開いた。
「お母さんと?」
「うん。だって日彩が抱えている問題は、日彩だけのものじゃないでしょ。家族で話し合って初めて解決されるんだと思うよ」
言われてみればその通りすぎて、反論の余地はなかった。私は、今まで家のことを問題だと捉えていなかったけれど、第三者から見れば十分問題なんだ、と改めて悟る。
「分かった。お母さんとも話してみる」
「そうしてみて。またどうなったか、僕に教えてほしい」
「うん」
梨斗に背中を押されると、ふっと身体が軽くなったような気がするから不思議だ。見えない翼を広げて、このままどこまででも飛んでいけそうな気分にさせられる。
「梨斗、今日はいつもより星が綺麗に見えるね」
「本当だ。ずっと快晴だったからだね」
観覧車の頂上から、普段よりもうんと近くなった夜空を見て実感する。
「いつか、梨斗のことも知れたらいいな。そうしたら私——」
その先の言葉を紡ごうか迷ったけれど、やめた。
ここで自分の気持ちを吐き出すのは野暮だと思ったからだ。
梨斗の息遣いをいつもよりも間近に感じながら、祈る。
この二人の温かな空間が、ずっと続きますように。
そしていつか、あなたに本当の想いを伝えられますように。
触れた肩から感じる温もりが、初めて彼と出会った日から随分と遠くへと運んでくれたなと思わせてくれた。



