「美玖、日彩、そこにいるの?」
音楽準備室の扉の向こうから、恵菜の高い声が聞こえてきたのはちょうどその時だった。私は美玖と顔を見合わせる。美玖の表情がすっと硬くなるのが分かった。そんな彼女の手を、私はぎゅっと握りしめる。さっき、美玖が私にくれた温もりを、彼女に分け与えるように。
「ごめん、実は今の話、外で聞いてたんだ。さっき教室に戻ったら二人がいなくて、他のクラスメイトに聞いてきた。どうしても、二人のことが気になって、探し回ってここに着いたの。美玖、日彩、私も中に入ってもいい……?」
恵菜の声は、不安の色を帯びていた。
彼女も、私たちに話したいことがあるのだ。
そうと分かり、私は美玖の顔を見つめながら、頷く。
「うん、入っていいよ」
失礼します、と小さな声が廊下から響く。窓の下で寄り添うように座り込んでいる私たちを見て、恵菜がぱっと驚いたのが分かった。
「あのね、美玖、私——」
「ごめんなさいっ」
隣の美玖が、ガバッと頭を下げた。私と恵菜は咄嗟の出来事にはっと美玖の方を見やる。
「私が……みんなのこと差し置いて遊びに出かけたりなんかしたから……不快な思いさせて、本当にごめん。みんなのことも裏切って、ごめんなさい」
深く深く、地面に頭がつきそうなほど首を垂れ続ける美玖に、恵菜が慌てて「違う!」と否定した。
「謝らなくちゃいけないのは、私のほうっ! 美玖がいつもみんなのために頑張ってるの知ってたのに、他のメンバーの陰口を止められなかった。それに、美玖のことも一瞬だけ軽蔑してしまってた。でも、二人がここで話してるのを聞いて、反省したの。私は美玖のこと何も分かってなかったんだって……。美玖、彼氏と上手くいってないんだよね……? 相談、してくれたら良かったのに。気づいてあげられなくて、ごめんなさい」
今度は恵菜が頭を下げる。
二人して謝り続けるところを見て、私は胸が締め付けられる思いだった。
みんな、お互いのことを思いやっていたのだ。だけど、少しの勘違いで、心がすれ違っていた。言葉が足りなかったのだ。心に思うことを、声に出して言葉にしなければ、相手には伝わらない。その最たるものを、今私は目の当たりにしていた。
「それから日彩も、最近付き合いが悪くなったって、正直思ってた。でもそんな事情があったんだね……。助けてあげられなくて、本当にごめんね」
恵菜の口から紡がれる思いやりに満ちた言葉に、胸にきゅううっと切なさが広がる。
「ううん、私のほうこそ、話せなくてごめん」
恵菜と、久しぶりに心が通じ合った気がする。
なんだ、こんなに簡単なことだったんだ……。
どうして私、今まで二人に話せなかったんだろうね。
助けてほしいって、言えなかったんだろう。
直接彼女たちに助けてもらうのは難しくても、話を聞いてもらえるだけでも、きっとストレスは減っていたと思う。
「もう、みんな、何よこれ」
美玖がくすっと笑い声を上げた。
それまで緊張で張り詰めていた糸が一気に弛緩したように、三人の間に柔らかい空気が流れ始める。
「私ら、青春映画の主人公みたいじゃない? 互いを見失って、また見つけてーってやつ」
「確かにそうだね。これぞ、青春!」
「二人とも、そんな呑気に……」
真剣な話をした後だったから、突如として空気感が変わって、一人ついていけない私。
「私、決めた。あいつとは別れる」
「あいつって、雄太のこと?」
「そう。もうあんなやつの言いなりになんかならないっ。それで、部のみんなとも、恵菜と日彩とも、とことん向き合って、残りの青春を謳歌する!」
「うん、それがいいよ。私も全力でサポートする。別れる時に何かされそうになったら、私が助ける。日彩も、手伝ってくれるよね」
恵菜が私に問いかける。
「う、うん、もちろん」
友達が困っているのなら、全力で力になりたい。
当たり前の感情がむくむくと湧いて、勇気に変わっていく。
「ありがとう、二人とも。それから日彩」
「何?」
美玖が私の肩の上にぽんと手を置いた。
自分についてこいと、安心させるような力強いまなざしを向けて。
「おばあちゃんのことや家のこと、専門家に相談してみるのはどう? というか、相談するべき! 日彩って、いわゆるヤングケアラーなんだよね。私、言ってなかったけど、実は公認心理士になるのが夢なの。それで、ヤングケアラーについても少しだけだけど調べたことがある。一人で抱え込まずに、エキスパートに頼るべきだよ」
淡々とした口調の中に滲む、彼女の優しさと実直なアドバイスに胸を打たれる。
「専門家……」
「そう。考えたことなかった?」
「う、うん、まったく。家のことだし、家族の問題だから、他人にどうこうしてもらおうっていう考えがそもそもなかった」
「そっか。なんか私がヤングケアラーのこと調べた時も、そんなふうに感じてしまう人の体験談を読んだよ。自分の家庭に問題があるって思ってない人が多いことが分かったんだ。でもやっぱり、自分や家族の中で抱え込んで、潰れちゃう人もいるらしくて。日彩には、そんなふうになってほしくない。だから頼ってみようよ」
今までの私だったら、きっと家庭の問題は自分で解決するべきだと、美玖の言葉を素通りしていただろう。
けれど、私のことを思って提案してくれている友達の気持ちが嬉しくて、素直に頷いていた。
「分かった。相談してみる」
美玖と恵菜が、ほっとした様子で柔らかな笑みを浮かべる。
音楽準備室に明るい日差しが舞い込んだ。
「もう、こんなとこに楽器置いてたら日が当たっちゃうっての」
楽器が焼けないように、美玖と恵菜がいくつかの楽器を窓から離れたところに移動させる。私はカーテンをそっと閉めた。
音楽準備室の扉の向こうから、恵菜の高い声が聞こえてきたのはちょうどその時だった。私は美玖と顔を見合わせる。美玖の表情がすっと硬くなるのが分かった。そんな彼女の手を、私はぎゅっと握りしめる。さっき、美玖が私にくれた温もりを、彼女に分け与えるように。
「ごめん、実は今の話、外で聞いてたんだ。さっき教室に戻ったら二人がいなくて、他のクラスメイトに聞いてきた。どうしても、二人のことが気になって、探し回ってここに着いたの。美玖、日彩、私も中に入ってもいい……?」
恵菜の声は、不安の色を帯びていた。
彼女も、私たちに話したいことがあるのだ。
そうと分かり、私は美玖の顔を見つめながら、頷く。
「うん、入っていいよ」
失礼します、と小さな声が廊下から響く。窓の下で寄り添うように座り込んでいる私たちを見て、恵菜がぱっと驚いたのが分かった。
「あのね、美玖、私——」
「ごめんなさいっ」
隣の美玖が、ガバッと頭を下げた。私と恵菜は咄嗟の出来事にはっと美玖の方を見やる。
「私が……みんなのこと差し置いて遊びに出かけたりなんかしたから……不快な思いさせて、本当にごめん。みんなのことも裏切って、ごめんなさい」
深く深く、地面に頭がつきそうなほど首を垂れ続ける美玖に、恵菜が慌てて「違う!」と否定した。
「謝らなくちゃいけないのは、私のほうっ! 美玖がいつもみんなのために頑張ってるの知ってたのに、他のメンバーの陰口を止められなかった。それに、美玖のことも一瞬だけ軽蔑してしまってた。でも、二人がここで話してるのを聞いて、反省したの。私は美玖のこと何も分かってなかったんだって……。美玖、彼氏と上手くいってないんだよね……? 相談、してくれたら良かったのに。気づいてあげられなくて、ごめんなさい」
今度は恵菜が頭を下げる。
二人して謝り続けるところを見て、私は胸が締め付けられる思いだった。
みんな、お互いのことを思いやっていたのだ。だけど、少しの勘違いで、心がすれ違っていた。言葉が足りなかったのだ。心に思うことを、声に出して言葉にしなければ、相手には伝わらない。その最たるものを、今私は目の当たりにしていた。
「それから日彩も、最近付き合いが悪くなったって、正直思ってた。でもそんな事情があったんだね……。助けてあげられなくて、本当にごめんね」
恵菜の口から紡がれる思いやりに満ちた言葉に、胸にきゅううっと切なさが広がる。
「ううん、私のほうこそ、話せなくてごめん」
恵菜と、久しぶりに心が通じ合った気がする。
なんだ、こんなに簡単なことだったんだ……。
どうして私、今まで二人に話せなかったんだろうね。
助けてほしいって、言えなかったんだろう。
直接彼女たちに助けてもらうのは難しくても、話を聞いてもらえるだけでも、きっとストレスは減っていたと思う。
「もう、みんな、何よこれ」
美玖がくすっと笑い声を上げた。
それまで緊張で張り詰めていた糸が一気に弛緩したように、三人の間に柔らかい空気が流れ始める。
「私ら、青春映画の主人公みたいじゃない? 互いを見失って、また見つけてーってやつ」
「確かにそうだね。これぞ、青春!」
「二人とも、そんな呑気に……」
真剣な話をした後だったから、突如として空気感が変わって、一人ついていけない私。
「私、決めた。あいつとは別れる」
「あいつって、雄太のこと?」
「そう。もうあんなやつの言いなりになんかならないっ。それで、部のみんなとも、恵菜と日彩とも、とことん向き合って、残りの青春を謳歌する!」
「うん、それがいいよ。私も全力でサポートする。別れる時に何かされそうになったら、私が助ける。日彩も、手伝ってくれるよね」
恵菜が私に問いかける。
「う、うん、もちろん」
友達が困っているのなら、全力で力になりたい。
当たり前の感情がむくむくと湧いて、勇気に変わっていく。
「ありがとう、二人とも。それから日彩」
「何?」
美玖が私の肩の上にぽんと手を置いた。
自分についてこいと、安心させるような力強いまなざしを向けて。
「おばあちゃんのことや家のこと、専門家に相談してみるのはどう? というか、相談するべき! 日彩って、いわゆるヤングケアラーなんだよね。私、言ってなかったけど、実は公認心理士になるのが夢なの。それで、ヤングケアラーについても少しだけだけど調べたことがある。一人で抱え込まずに、エキスパートに頼るべきだよ」
淡々とした口調の中に滲む、彼女の優しさと実直なアドバイスに胸を打たれる。
「専門家……」
「そう。考えたことなかった?」
「う、うん、まったく。家のことだし、家族の問題だから、他人にどうこうしてもらおうっていう考えがそもそもなかった」
「そっか。なんか私がヤングケアラーのこと調べた時も、そんなふうに感じてしまう人の体験談を読んだよ。自分の家庭に問題があるって思ってない人が多いことが分かったんだ。でもやっぱり、自分や家族の中で抱え込んで、潰れちゃう人もいるらしくて。日彩には、そんなふうになってほしくない。だから頼ってみようよ」
今までの私だったら、きっと家庭の問題は自分で解決するべきだと、美玖の言葉を素通りしていただろう。
けれど、私のことを思って提案してくれている友達の気持ちが嬉しくて、素直に頷いていた。
「分かった。相談してみる」
美玖と恵菜が、ほっとした様子で柔らかな笑みを浮かべる。
音楽準備室に明るい日差しが舞い込んだ。
「もう、こんなとこに楽器置いてたら日が当たっちゃうっての」
楽器が焼けないように、美玖と恵菜がいくつかの楽器を窓から離れたところに移動させる。私はカーテンをそっと閉めた。



