「私の家、お母さんとおばあちゃんの三人暮らしだって話はしたことあったかな」

「うん、それは知ってる」

「そっか」と、一息つく。

「四年前にね、おあばちゃんが認知症だっていうのが発覚したんだ。分かったのがその時であって、本当はもっと前から認知症になっていたんだと思う」

 認知症、というワードを出したとたん、美玖がごくりと唾をのみこんだのが分かる。身近に認知症患者がいなくても、どういう病気なのか、大体は知っているだろう。

「最初はそれほど物忘れもひどくなかったんだけどね。ちょうど中三になった頃から、おばあちゃんの症状がどんどん重くなっていって。一人でできないことが増えて、私が手伝うことになったの。もちろんお母さんが中心になっておばあちゃんの面倒を見てたんだけど、お母さんは仕事が忙しいから。代わりに私が家事と介護を担うようになった。お母さんは精神的に脆いところがあって、よく愚痴を吐いてくるから、お母さんの愚痴を聞くのも私の役割でね。日に日に悪くなるおばあちゃんの症状についていくのに必死で。高校に上がる頃には、かなり悪くなってた。だから私は高校では部活に入ることもできなくて、放課後になるとダッシュで家に帰って家事と介護に追われる毎日、なんだよね」

 祖母の状態や、自分が置かれている現状を他人に話すのは梨斗以外で初めてで、ちゃんと順序立てて話せているかどうか、不安でたまらなかった。でも、美玖は途中で口を挟むこともなく、静かに私の話を聞いてくれている。安堵しながら、続きを話した。

「本当は私、放課後にみんなで遊びに出かけたり、部活に打ち込んだりする青春時代を送りたかった。だけど、家族のことも大事だから放っておくことなんてできない。ずっと、理想の自分と現実の自分の間で、上手くいかないことが多くて苦しいって思ってた。美玖たちにこのことを話せなくて、放課後の約束を守れなかったりもしたよね……。あの時は本当にごめんなさい。格好悪い自分を、見せたくなかったんだ」

 そうだ、そうだったんだ。
 私は、美玖や恵菜の前で、“普通の”女の子でいたかった。
 どこにでもいるような、友達との時間を謳歌する女子高生になりたかった。
 だけど現実の私は、みんなとは違う。放課後にまっすぐ家に帰宅して、家政婦のように働く毎日。家族のためだって分かっているはずなのに、この現実から逃げ出したいって思っていた。

「私は、弱い人間なんだ」

 ぽつり、とこぼれ落ちた声は狭い音楽準備室の中で、いやに大きく響いた。
 美玖は私の話を聞いて何を思っただろう。
 繰り返される彼女の呼吸音が、胸に差し迫って聞こえる。梨斗と二人で観覧車に乗っている時とは違う、特別な緊張感が漂っていた。
 やがて美玖がゆっくりと口を開く。

「どうして今まで言ってくれなかったの?」

「え……?」

 聞き間違いではない。
 心の底から私のことを心配してくれているような優しさが滲み出た声色をしていた。

「だから、どうして言ってくれなかったのって!」

 美玖が声を張り上げる。私は眉を上げ、両方の目をぱっと見開いた。

「どうしてって……だって、話したら今までの関係が壊れちゃうかもって思って、怖くて……」

 高校生なのに家のことや介護なんかしなくちゃいけないなんて、可哀想。
 美玖たちにまでそんなふうに思われるのが嫌だった。
 私は可哀想じゃない。可哀想な高校生じゃないんだって、自分に言い聞かせてきた。家族のことが好きだから、助けたいだけだって。
 美玖や恵菜にこの話をしたら、彼女たちだって私のことを憐れんでくるかもしれないと思うと、怖かった。

「そんなことで壊れる関係なら、とっくに壊れてる! 私はむしろ、どんどん日彩が心を閉ざして、私らを避けるようになったから、嫌われたのかなって思ってた……!」

「ち、違う! 嫌ってなんかないよ。二人のこと、今でも友達でいたいと思ってる」

 そうだ、これが私の本音。
 家の状況がどんなだって、美玖や恵菜とは友達でいたい。
 もう一度三人で笑い合いたい。
 ずっと、こんな単純な願いを心の奥底に封じ込めて生きてきたんだ。

「うん、今分かった。言ってくれなきゃ分かんないよ。私だって、日彩と友達でいたいんだから。それとね、日彩。あんたは弱い人間なんかじゃない。そんなふうに家族のために毎日頑張る日彩は、間違いなく強いよ。私が保証する」

 ぶわりと、次から次へと溢れてくるものが涙だと気づいた時、膝の上に、大量の水滴が落下していた。 
 ああ、私。
 なんで今まで美玖に事情を話さなかったんだろう。
 美玖だけじゃない、恵菜も。きっと二人は笑わずに最後まで話を聞いてくれたのに。二人の間に壁をつくっていたのは、他でもない私自身だった。