「僕も、きみに会いたいって、毎日思いながら生きてる」

 ぽつり、と降り始めた雨のように細い声だった。
 驚いて顔を上げる。
 梨斗は、今まで見たことのないくらい憂いの滲む表情を浮かべていた。
 どうしたんだろう。
 ほのぼのとした空気感を纏う彼は、今この場にはいなかった。代わりに、彼の中に巣食っている痛みや苦しみの波がどっと押し寄せてきたみたいだ。彼は、初めて会った日に「同じ痛みが分かる人間に、出会ってみたかったんだ」と言った。同じ痛み。梨斗が抱えている痛みは、私のそれよりも大きいような気がして、胸がぎゅっと締め付けられた。

「じゃあさ……真夜中以外にも、会えないかな? お互いの気持ちが一致してるなら、私はあなたに、もっと長く会いたいと思う」

 心の底から感じていることを素直に口にして伝える。
 これまで、家族や友達には本音を言うことができないでいたのに。
 梨斗、あなたには本当の自分を知ってもらいたいって思うんだ。
 トクトク、と心臓の音が激しくなるのを感じた。てっぺんから降りていくゴンドラが、私たちを静かに現実へと引き連れていく。
 まだ終わらないで。
 このまま、この人のそばにいさせて。
 何度願っても、規則正しく、回り続ける。

「それは、だめなんだ」

 期待していなかったといえば嘘になる。
 出会って間もない頃は、「観覧車が回っている十五分間だけ会える」という条件をのんだけれど、もっと仲良くなればその条件もとっぱらってくれるんじゃないかって、心のどこかで思っていた。 
 でも違った。
 梨斗は頑なに、私にこれ以上時間を割いてくれない。
 十五分間しか彼に会えない。
 寂しい。
 ふと芽生えた感情に、気づくのが遅かった。
 ああ、そうか。
 私、寂しいんだ。
 梨斗と別れて一人になるのが寂しい。
 彼の気持ちを、毎日十五分以上自分のものにできないのが悲しい。
 私はこんなにも、梨斗のことを——。

「ごめん、日彩」

 悲壮感が表情から滲み出ていたのか、梨斗は辛そうに謝った。

「ううん、こっちこそ、無理なお願いしてごめん。やっぱりこれからも、二十四時に、会おう。それから……」

 まだ彼に話していないことがある。 
 話していいものか分からなかったけれど、やっぱり伝えておくべきだと感じたこと。

「さっき、梨斗がここに来る前、男の人に会ったの。この遊園地の持ち主だって言う人。その人、葉加瀬さんって名乗ってた」

 私は、先ほど葉加瀬さんからもらった名刺をポケットから取り出して見せた。
 すると梨斗の顔が一瞬にして凍りつく。
 同じ苗字で、この遊園地のことを知っていて、知らないはずがないよね。

「この人、葉加瀬さんって、梨斗のお父さん?」

 予想していたことを彼に告げる。
 みるみるうちに顔面蒼白になる梨斗。
 その反応を見て、やっぱり葉加瀬さんは梨斗の父親なのだと理解した。
 でも、なんで?
 なんでそんなに苦しそうな顔をするんだろう。

「その人には会いたくない」

 きっぱりとした口調だった。
 会おうと誘ったわけじゃない。まして父親ならば普段から一緒に暮らしているはずだ。それなのに「会いたくない」とはどういうことだろう。
 私の疑問に答えるかのように、彼が再びそっと口を開いた。

「ごめん、言ってなかったんだけど僕、両親が離婚して、母親とその再婚相手の男と暮らしてるんだ。さっき日彩が言ってた美玖ちゃんの彼氏——雄太は、新しい父親の連れ子で、苗字は藤川。本当は僕、“葉加瀬”じゃなくて“藤川”なんだ」

「え——」

 衝撃的な事実に思わず目を見開いた。
 今まで透明なベールに包まれていた梨斗の一部に、色が付く。彼のパーソナリティを少しだけ垣間見て、ようやく自分と同じ人間だったのだと納得する。
 私は今まで、梨斗のことを、やっぱりどこか遠い国から来た不思議な存在のように思っていたんだ。

「嘘ついてごめん。“葉加瀬”の方がしっくりくるからそう名乗ってた」

 それだけ言うと、彼は口を噤む。まるでこれ以上は話したくないと言っているようだった。

「そう、だったんだ。びっくりしたけど、そういう事情があったんだね。じゃあ、あの葉加瀬さんは——」

 そこまで言った時、観覧車がちょうど下まで辿り着いた。
 私たちの今日は、これで終わりだ。
 聞けていないことも、知りたいこともまだまだたくさんあるけれど、これ以上は何も教えてくれないと分かって、身体から熱が引いていく。梨斗は「よいしょっと」とわざとらしく声を上げてゴンドラから降りた。

「日彩、今日は色々と話してくれてありがとう。友達と、ちゃんと話すんだよ」

「う、うん。こちらこそ、聞いてくれてありがとう」

 結局核心的なことは何も分からなかった。
 でも、今まで何も知らなかった梨斗の一部を知れて、その日は家に帰って眠りにつくまでずっと、心臓がドクドクと鳴って止まらなかった。