「なあ、雄太の話はもういいから、日彩の話を聞かせて。友達の美玖ちゃんを庇ってあげられなかったって言うけど、具体的にどんな感じだったの」
弟の話にはこれ以上触れてほしくないのか、梨斗は分かりやすく嫌悪感に顔を歪めた。それからすぐに、やっぱり私の心配をしてくれているらしく、またいつもの優しい顔つきに戻った。
「私が、恵菜や吹部の子たちが教室で美玖の悪口を言っているのを聞いて、過呼吸になりかけたんだ。美玖はそんな人じゃないって否定したいけど勇気がなくて、色々迷っている間に、気分が悪くなってね。その時、美玖が教室に入ってきて声をかけてくれたんだけど……」
——保健室、行った方がいいよっ。一緒に行こうか?
——一人で……行くよ。
心配そうな顔で私を覗き込む、美玖のことを思い出す。あの時私は、美玖の厚意を受け取ることができなかった。
「私は、親切に声をかけてくれた美玖のこと振り切った。怖かったの。仲良しだった美玖や恵菜が、あんなふうにギスギスした雰囲気になってるのを見たら、友達ってなんなんだろうって分からなくなった。私も美玖から裏ではやっぱり付き合いが悪いやつだって思われてるんだろうなって考えたら、怖くて彼女の手を握れなかった」
あの時の、胸が疼く感覚を思い出すと、今でもチクチクと針で刺されるような痛みに襲われる。
梨斗はただ黙って、私の話を聞いてくれていた。いつもと同じだ。彼はいつだって、私の話を聞いて、優しく微笑んで励まして——。
「だから、逃げたんだ?」
ぷすり、とまた一回り大きな針で突かれたような心地がした。
優しさだけじゃない。
逃げたんだ、という言葉が孕む失望がじわじわと彼の中から溢れてくる。私はその流れてきた暗い感情を一心に受け止めた。
「逃げた……うん、そうだね」
私は逃げたのだ。
美玖や恵菜と向き合うことから逃げた。
自分は彼女たちの壊れていく関係の渦中にはいないのだと自分に言い聞かせて、ただ傍観者のふりをして目を逸らした。美玖が差し伸べてくれている手を振り払って、自ら独りになった。
そんな私の弱さを、梨斗は指摘しているのだ。
「ねえ日彩。僕がなんで日彩に声をかけたのか、今こうして一緒に観覧車に乗っているのか、きみは知りたいって言ってたよね」
「うん」
静かな部屋の中で私はこっくりと頷く。
この時間は確かに心地よい。梨斗と、彼についてほとんど何も知らない自分が、唯一二人きりになれる時間。けれどやっぱり私は、梨斗の真意を知りたいと思うし、できれば観覧車以外でも彼と会いたいと思ってしまう。
そのために、彼のことを知る必要がある。だけど今のところ、何一つ、梨斗のことが分からない。
「だったらやっぱり、きみに自分自身と向き合ってほしいんだ。自分と向き合うっていうのはつまり、周りの人間と向き合うことでもある。美玖ちゃんや、恵菜ちゃんと、きちんと話してみたら? きみが二人に対して思っていること。家のこととか、全部。話してみて、それでも友達でいられないなら、もうそれまでだって割り切るしかないと思う。でも話を聞く限り、二人はきみのこと、突き放したりしないと思うよ」
どうしてだろう。
梨斗は美玖や恵菜に会ったことがないはずなのに。
梨斗に大丈夫だと言われたら、本当に大丈夫な気がして。
ああ、そうか。
私は、世界で一番、梨斗の言葉を信じているのだ。
母親でも先生でも友達でもない。出会って間もない彼のことを、一番信じている。梨斗には、他人の懐にすっと入り込んでくる不思議な力があった。
「……梨斗、あのさ」
観覧車は頂上に辿り着く。
真っ暗な闇の中にぽつんと浮かんでいるこの瞬間が、一番目の前の彼と向き合える時間だ。
「いつか……いつか、真夜中だけじゃない景色を見てみたいね」
「……」
思わず漏れてしまった本音に、梨斗は何も言わずに私を見つめた。その瞳がふるりと揺れて、何かを考え込むようにして瞬く。
「私、もっと梨斗と長く一緒にいたい。今日、おばあちゃんがね、私のこと完全に赤の他人だって思い込んでた。敵を見るような目で私を見てて……その時私、とうとうおばあちゃんの中から消えてしまったって思って、悲しかった。今までおばあちゃんのことを助けてきたことも、おばあちゃんの中ではなかったことになってるの。だったら私、本当に何のために今まで頑張ってきたのか、分からなくなって……自分があやふやで、壊れそうだって思って、おばあちゃんからも逃げた。梨斗だけは、私のことをまっすぐに見てくれるから、梨斗に早く会いたいって思ったんだ……」
一度溢れ出した気持ちは、頭の中で上手く言葉にしてまとめる前に口からそのままこぼれ落ちる。
梨斗は神妙な面持ちで、私の目と、膝の辺りに視線を行ったり来たりさせながら、話を聞いてくれているようだった。
弟の話にはこれ以上触れてほしくないのか、梨斗は分かりやすく嫌悪感に顔を歪めた。それからすぐに、やっぱり私の心配をしてくれているらしく、またいつもの優しい顔つきに戻った。
「私が、恵菜や吹部の子たちが教室で美玖の悪口を言っているのを聞いて、過呼吸になりかけたんだ。美玖はそんな人じゃないって否定したいけど勇気がなくて、色々迷っている間に、気分が悪くなってね。その時、美玖が教室に入ってきて声をかけてくれたんだけど……」
——保健室、行った方がいいよっ。一緒に行こうか?
——一人で……行くよ。
心配そうな顔で私を覗き込む、美玖のことを思い出す。あの時私は、美玖の厚意を受け取ることができなかった。
「私は、親切に声をかけてくれた美玖のこと振り切った。怖かったの。仲良しだった美玖や恵菜が、あんなふうにギスギスした雰囲気になってるのを見たら、友達ってなんなんだろうって分からなくなった。私も美玖から裏ではやっぱり付き合いが悪いやつだって思われてるんだろうなって考えたら、怖くて彼女の手を握れなかった」
あの時の、胸が疼く感覚を思い出すと、今でもチクチクと針で刺されるような痛みに襲われる。
梨斗はただ黙って、私の話を聞いてくれていた。いつもと同じだ。彼はいつだって、私の話を聞いて、優しく微笑んで励まして——。
「だから、逃げたんだ?」
ぷすり、とまた一回り大きな針で突かれたような心地がした。
優しさだけじゃない。
逃げたんだ、という言葉が孕む失望がじわじわと彼の中から溢れてくる。私はその流れてきた暗い感情を一心に受け止めた。
「逃げた……うん、そうだね」
私は逃げたのだ。
美玖や恵菜と向き合うことから逃げた。
自分は彼女たちの壊れていく関係の渦中にはいないのだと自分に言い聞かせて、ただ傍観者のふりをして目を逸らした。美玖が差し伸べてくれている手を振り払って、自ら独りになった。
そんな私の弱さを、梨斗は指摘しているのだ。
「ねえ日彩。僕がなんで日彩に声をかけたのか、今こうして一緒に観覧車に乗っているのか、きみは知りたいって言ってたよね」
「うん」
静かな部屋の中で私はこっくりと頷く。
この時間は確かに心地よい。梨斗と、彼についてほとんど何も知らない自分が、唯一二人きりになれる時間。けれどやっぱり私は、梨斗の真意を知りたいと思うし、できれば観覧車以外でも彼と会いたいと思ってしまう。
そのために、彼のことを知る必要がある。だけど今のところ、何一つ、梨斗のことが分からない。
「だったらやっぱり、きみに自分自身と向き合ってほしいんだ。自分と向き合うっていうのはつまり、周りの人間と向き合うことでもある。美玖ちゃんや、恵菜ちゃんと、きちんと話してみたら? きみが二人に対して思っていること。家のこととか、全部。話してみて、それでも友達でいられないなら、もうそれまでだって割り切るしかないと思う。でも話を聞く限り、二人はきみのこと、突き放したりしないと思うよ」
どうしてだろう。
梨斗は美玖や恵菜に会ったことがないはずなのに。
梨斗に大丈夫だと言われたら、本当に大丈夫な気がして。
ああ、そうか。
私は、世界で一番、梨斗の言葉を信じているのだ。
母親でも先生でも友達でもない。出会って間もない彼のことを、一番信じている。梨斗には、他人の懐にすっと入り込んでくる不思議な力があった。
「……梨斗、あのさ」
観覧車は頂上に辿り着く。
真っ暗な闇の中にぽつんと浮かんでいるこの瞬間が、一番目の前の彼と向き合える時間だ。
「いつか……いつか、真夜中だけじゃない景色を見てみたいね」
「……」
思わず漏れてしまった本音に、梨斗は何も言わずに私を見つめた。その瞳がふるりと揺れて、何かを考え込むようにして瞬く。
「私、もっと梨斗と長く一緒にいたい。今日、おばあちゃんがね、私のこと完全に赤の他人だって思い込んでた。敵を見るような目で私を見てて……その時私、とうとうおばあちゃんの中から消えてしまったって思って、悲しかった。今までおばあちゃんのことを助けてきたことも、おばあちゃんの中ではなかったことになってるの。だったら私、本当に何のために今まで頑張ってきたのか、分からなくなって……自分があやふやで、壊れそうだって思って、おばあちゃんからも逃げた。梨斗だけは、私のことをまっすぐに見てくれるから、梨斗に早く会いたいって思ったんだ……」
一度溢れ出した気持ちは、頭の中で上手く言葉にしてまとめる前に口からそのままこぼれ落ちる。
梨斗は神妙な面持ちで、私の目と、膝の辺りに視線を行ったり来たりさせながら、話を聞いてくれているようだった。



