「ねー、美玖のこと、どう思う?」
「どうって……やっぱり、ありえないと思う」
「そうだよねー。ゴールデンウィーク中の練習サボって、男とイチャイチャしてたんだもんね」
「次期部長が欠席って言うから熱でもあるのかと思って心配したうちらの気持ちは何?」
「てか前から思ってたんだけど、美玖の考える練習メニュー、きつすぎ。土日は九時から十八時までって、どこぞのブラック企業かよっ」
「あたし、土曜にフルタイムで働いてる親より帰り遅いもん」

 教室の扉を開けると、真っ先に飛び込んできた美玖の悪口に、はっと身体が凍りついた。廊下側の後ろの方。ちょうど、恵菜が座っている席に、五人の女子が群がっていた。みんな吹奏楽部の人間だ。囲まれている恵菜の顔は正直よく見えない。けれど、周りに立っている五人は、呆れているような、怒っているような、いろんな表情を滲ませていた。

「先輩たちも、美玖が真面目っぽいから部長候補にしたんだろうけどさ、正直私は恵菜の方が良かった」
「そうそう。恵菜だったら、あんな厳しいメニュー考えなさそうだし」
「優しいから後輩たちにも人気じゃん」
「わかるう。恵菜が部長だったら、誰も反発しないよね」
「てかさ、美玖って中学の頃、ちょっとハブられてたって聞いたんだけど」
「まじ? うわー、なんか分かる。恵菜、同じ中学でしょ? 知ってた?」
「……」

 部員たちは次々と、恵菜を推していく。
 当の恵菜は返答に困っているのか、何も口を挟まない。
 あんなふうに、陰で悪口言われるんだ……。
 普段から団結力が強い吹奏楽部の子たちが、一斉に美玖の悪口を言っているのを見て、胃がキリキリと痛んだ。
 美玖の悪口、言わないでよ。
 心の中で自分がそう反発していることに、はっとした。
 私だって、美玖や恵菜から呆れられて、もう友達じゃないふうに思われているのに。
 それが悲しくて仕方がなかったのに、いざ美玖が他人から陰口を言われているところを見ると、居た堪れなくて仕方がない。
 美玖は……みんなのために、厳しい練習メニューを考えているんじゃないの?
 次期部長としての役割を果たしてもなお他人から疎ましがられる美玖が、家の中で家族のために動き回る自分と重なる。
 それに、美玖がゴールデンウィーク中に練習を休んだことをみんなは恨んでいるようだけれど、さっき、ピロティで雄太という少年と美玖が会話をしていたのを思い出す。美玖は、雄太に付き合わされて、しぶしぶ連休中に部活を休んでいたようだった。そんな事情も知らずに、みんな、美玖が全部悪いみたいに……。

「美玖が昔ハブられてた理由も分かるわ。他人に厳しくて自分に甘い人間なんでしょ」

 一人の女子の言葉に、全員が納得している様子だった。恵菜は……と彼女の表情を確かめようとするけれど、やっぱりよく見えない。否定の言葉が飛んでこないところを見ると、恵菜もみんなと同じ気持ちなのかな。
 それにしても美玖が中学の頃にハブられていたというのは初耳だ。恵菜は知っているんだろうか? これに関しても、彼女は黙りこくったままだ。
 お願い、もうやめて。
 これ以上、美玖を悪く言わないで!
 叫び出しそうになる心をなんとか落ち着かせようと、胸をぎゅっと掴んで、抑える。けれど、心臓の鼓動は、どんどん速くなるばかり。
 どうしよう、私……。
 これ以上、教室にはいられない。
 息が苦しくて、ひゅーひゅーという掠れた空気が口から漏れて出る。私の異変に気づいたクラスメイトたちが、「ちょっと、大丈夫?」と近づいてきた。その声に反応したのか、恵菜がガタン、と椅子から立ち上がる。

「日彩……?」

 親に捨てられた子猫のようなか弱い声が耳に響いた。
 最初は恵菜の声かと思ったのだが、違った。

「日彩、大丈夫っ?」

 声は教室の扉の方からこちらへとずんずん近づいてくる。
 美玖だった。
 教室の外から帰ってきた美玖が、息苦しそうにしている私を見つけて、急いで駆けつけてくれていると分かった。

「だ、大丈夫……」

 美玖が声をかけてくれたことへの戸惑いと、みんなの前で過呼吸になっていることへの羞恥が混ざり合って、咄嗟に強がってみせる。

「保健室、行った方がいいよっ。一緒に行こうか?」

 美玖の手が目の前に差し出される。驚いて、反射的に身体が揺れた。

「一人で……行くよ」

 美玖の厚意を断って、胸を抑えながら教室を後にする。ちょうどその時、昼休みが五分後に終わる予鈴が鳴った。
 おずおずと教室から出た私は、そのまま一階へと向かう。
 とにかく教室にはいられない。けれど、保健室に行くのも憚られた。
 迷った私は、一階に降りたその足で、下駄箱へと向かっていた。