ゴールデンウィーク明け、学校は休み明けの気だるい空気で埋め尽くされていたけれど、一時間目が始まってみればいつもと変わらなかった。変わってない……はずなんだけど、何かが微妙に普段と違う。なんだろう。教室を見回しても、違和感を拭えない。二時間目の体育の時間や、四時間目の化学の実験室での授業の際に、ようやくピンと来ることがあった。
 美玖と恵菜が、一緒に行動していない。
 普段なら、教室移動をする時、二人は絶対に行動を共にしている。朝の時間や授業の合間の十分休みの時間も、お喋りをしていることが多い。けれど、今日は一度も二人が話をしているところを見ていなかった。
 他のクラスメイトたちは、二人が一緒にいないことなど気づいていない様子だった。
 美玖と恵菜、どうしたんだろう。
 喧嘩でもしたのかな?
 聞いてみたいけれど、二人には話しかける勇気がない。先月のあの一件以来、私は彼女たちと“友達”でいられなくなっていた。
 モヤモヤとした気持ちを抱えたまま、昼休みを迎えた。
 いつもなら昼休みに、二人は机を突き合わせてお弁当を食べるはずだけど……。
 美玖たちの行動に注目する。昼休みの始まりを告げるチャイムが鳴ったあと、美玖がすぐにガタッと椅子から立ち上がる。
 どこに行くんだろう? トイレかな。
 机の横にぶら下がったお弁当はそのままに、教室の外へと出ようとしていた。ちらりと恵菜の方を見やると、彼女も私と同じように美玖をじっと見つめている。恵菜が何を考えているのか分からない。二人の間にはっきりと見える壁が、教室の空気を分断しているかのように感じられた。

 私は、売店に行くふりをして財布を持って立ち上がる。
 足が勝手に動いていた、と言っても過言ではない。
 美玖の後を追って教室を後にする。恵菜は、美玖のことを追いかけるようにして出ていく私を見てどう思っただろう。恵菜が私たちを追いかけてくる気配はない。胸のざわつきを覚えながら、美玖に気づかれないように、彼女の背中を追った。
 美玖、と一言声をかければ彼女は振り返るかもしれない。
 けれど、話しかけることができない私は、気配を押し殺して彼女の後ろを歩く。美玖はどこか焦っている様子で、三階から二階へ、さらに一階へと階段を下っていく。本当に、どこに行くんだろうか。一階の職員室にでも用があるのかと思いきや、職員室の前には行かず、そのまま下駄箱へと向かう。

 下靴に履き替えて、昇降口の外をキョロキョロと見回した。私も慌てて靴を履く。彼女の後を追って校舎から出る。
 果たして辿り着いた先は、ピロティだった。
 体育館の下の、吹き抜け部分の空間だ。壁沿いに自販機が並んでいるので、飲み物を買うときは時々ここに来ることもある。けれど、用がなければほとんど立ち入らない場所だった。運動部がここでよくミーティングをしているところは目にするけれど……吹奏楽部の美玖が一人でこんなところに用があるというのは不思議だった。
 けれどそんな疑問も、すぐに解消されることになる。

「おせえよ、美玖」

「ごめん……急いで来たんだけど、ダメだった?」

「一分二十秒の遅刻。待ちくたびれたぜ」

「……」

 美玖が自販機の横に立っていた人物と会話をしている声が耳に飛び込んできた。
 男の子……?
 そこに立っていたのは、ガタイのいい男子生徒だ。私が知っている顔ではない。じっと目を凝らしてみると、ブレザーの胸ポケットのところについている校章の色が青だった。
 一年生?
 校章の色は学年ごとに分けられている。一年生が青、二年生が赤、三年生が緑。私たち二年生は赤い校章をつけているが、その男子生徒は青だった。

「まじで、俺との約束は絶対忘れんなっていつも言ってるのに」

「わ、忘れてないよ! これでもダッシュで来たんだから。一年生の教室が二階で、二年生は三階でしょ。そりゃ一年生の雄太(ゆうた)の方が早く着くよ」

「どうだか。ゴールデンウィークの休みの間に浮気でもして、俺以外の男のことでも考えてたんじゃねえのか?」

 浮気……?
 今、あの男の子——雄太という少年は確かにそう言った。
 二人は付き合っているの?
 美玖に恋人がいるなんて聞いたことはない。それも、年下の男の子だ。でも彼女と恋バナをしたのも随分前のことだ。私が知らない間に年下の恋人ができていても、不思議ではない。

「ち、違うって! 第一ゴールデンウィーク中は毎日あなたと会ってたでしょ」

「吹部の練習サボって、な」

「っ……! それは、あなたがどうしても休めって言うから」

「まさか本当に休んでくれるとは思わなかったよ」

「何を……」

 それにしても、随分と様子がおかしい。
 二人は付き合ってるんだよね……?
 その割には、彼の方が美玖に威圧的な態度を取りまくっている。年上の彼女にあんなふうに高圧的に話しかけるなんて。とてもじゃないが、好き合っているようには見えないけど……。

「お前、俺の兄貴みたいだな。おどおどして、言いたいこと何も言えないって感じ?」

「そんなこと……。兄貴って……確か梨斗くんだっけ?」

 ぴたり、と耳が重要な音を拾った。
 今、美玖はなんて……?
 確か、リト、と言ったような。

「そう。お前に名前教えたことあったっけ。あいつの話なんかほとんどしねえからな」

「珍しい名前だから、覚えてたの。この前、知り合いから『葉加瀬梨斗っていう男の子を知らないか』って聞かれて、あなたのお兄さんのこと、思い出した。でも苗字が違うし、別人だね」

 “知り合いから”というところで、少しだけ美玖の声が小さくなったような気がした。
 私たちはもう友達じゃ、ないのか。
 美玖の中で、自分が友達として認識されていないことを突きつけられて、胸がぎゅっと締め付けられた。

「……そいつ、誰? お前に梨斗のこと聞いてきたやつ」

 男の子が美玖に問う。

「クラスメイトだけど……名前教えてもあなたは知らないと思う」

「いいから教えろって」

「……深町日彩」

 美玖に名前を呼ばれて、ぴくんと身体が反応した。でもさすがに、ここで出ていくわけにもいかず、物陰からじっと二人のことを見つめる。

「なに、何かあるの? 葉加瀬梨斗って、雄太と関係ない人だよね」

「そりゃ、な。苗字違うし」

 一瞬、男の子が返事に迷っているような素ぶりを見せたのを見逃さなかった。けれど、梨斗について、彼がそれ以上何かを問うことはなかった。

「そんなことより、とにかくお前、俺との待ち合わせには遅れんなよ」

「だから、好きで遅れたわけじゃ」

「いいから口答えすんなよ。俺は、お前の彼氏なんだから。大切な彼女に一分一秒でも早く会いたいって思うのは悪いことか?」

「それは……」

 男の子の言い分に、美玖は眉根を寄せる。
 大切な彼女——か。
 とてもじゃないが、彼が美玖のことを大切に思っているようには見えない、けど。
 美玖、どうしてそんな人と付き合ってるの?

「雄太、私……あなたと——」

 逡巡しながら、美玖が何か言いかけた。けれど、男の子の方は黙って手で制止のポーズをとる。その仕草に、美玖はもう何も言えないというふうに黙り込んだ。
 結局その後、二人はピロティから校舎の方へと移動していったので、私はそれ以上彼らを追いかけることができなかった。
 あの少年と一緒にいる時の美玖は、ひどく怯えているみたいだった。
 それに、彼が話していた「リト」は、梨斗のことなんだろうか。
 苗字が違うと言っていたけれど、男の子の方は「葉加瀬梨斗」という名前を聞いて、何か知っていそうな顔をしていた。
 分からない。不可解なことが多すぎて、頭の中で整理が追いつかない……。
 もやもやとした気持ちを抱えたまま、教室に戻る。美玖はまだ教室に戻ってきていない。昼休みは残り十五分になっていた。