「さて、二つ目の質問の答えはこれで大丈夫? もしかして失望した?」

「ううん、してないよ。梨斗って善良そうに見えて、そういう手を使うんだって呆れはしたけど」

「はは、失礼だな。まだ出会って一日しか経ってないでしょ。きみは、僕のことをほとんど何も知らない」

「……うん、そうだね。私は、あなたのことを全然知らない。昨日は私ばっかり喋ってたし。だからもう一つ、聞きたいことがあるんだけど」

 ちょっぴり苦い気持ちになりながらも、良い流れをつくることができたと思う。

「三つ目の質問だね。何かな?」

 子犬のような純粋な瞳に、緊張した面持ちで彼を見つめる自分の顔が映っている。私、なんでこんなにドキドキして……。
 出会って二日目の彼のことを、もっと深く知りたいという衝動に駆られている。
 私だけが日頃溜まっていた鬱憤を彼に話して、彼は私に何も話してくれないのではなんだか不公平だ。それに私は、純粋に梨斗とちゃんと友達になりたいと思っている。
 友達だったら、腹を割った話をするべきだ。
 自分に言い聞かせて、ごくりと唾をのみこんだ。

「梨斗は、幽霊なの?」

 カタカカタカタ……と、静寂に包まれる空間で、観覧車が回る音が大きく響いている。いつのまにかてっぺんに辿り着こうとしていた。昨日も味わった高さだが、何度乗ってもこの位置に来るとひやりとさせられる。早く過ぎ去ってほしいような、もう少しだけ頂上からの景色を眺めていたいような。いよいよ前のゴンドラが見えなくなった瞬間、梨斗はふっと息を吐いた。

「ご名答——って言ったらどうする?」

「え?」

 トクトクトクトク。
 心臓の鼓動がどんどん速くなる。
 まさか……本当に幽霊なの?
 疑ったのはほんの出来心からだ。
 今日、学校で葉加瀬梨斗という生徒がいないか、先生たちや美玖たちに聞いた時、みんな知らないと言った。だけど、梨斗はこうしてやっぱり城北高校の制服に身を包んでいる。どういうことだろうか——考えるうちに、この答えに至ったのだ。
 梨斗は、存在するけどみんなには見えていない。
 だから、幽霊なんじゃないかって。
 自分に霊感があるなんて知らなかったけれど、それは今まで幽霊に出会ったことがなかったから、と勝手に結論づけた。
 梨斗は私の目をじっと見つめている。息が止まるくらい、緊張していた。私は彼に、自分の疑問を肯定してほしいのか、否定してほしいのか分からない。ただ答えがほしかった。彼と、こうして真夜中に会う口実が欲しかったのかもしれない。

「半分正解で、半分不正解かな」

 意味深に笑いながら、彼はそっと答えた。
 観覧車が折り返し地点へと突入する。だんだんと近づいてくる街の景色。だが、まだ十分高い。

「どういうこと?」

 半分正解で半分不正解って? 
 つまり、幽霊ってこと? 幽霊じゃないってこと?
 どちらともつかない彼の回答に、私の頭は混乱していた。

「少なくとも、きみが考えるような幽霊ではない。でも、幽霊みたいな存在(・・・・・・・・)だっていうのは認める」

「幽霊みたいな存在? それってどういう……」

「きみが、自分の気持ちともっと真正面から向き合うことができたら、自ずと僕の正体も分かってくると思う」

「自分の気持ちと、向き合う……?」

「うん。きみはさ、今日どうしてここに来たんだっけ?」

「それは、あなたに会いたいから……ってさっきも言ったよ」

 愛の囁きとも取れる恥ずかしい言葉を、私はもう一度口にした。梨斗は私の言葉の真意を知ってか知らずか、表情を変えずに再び口を開く。

「じゃあどうして、僕に会いたいって思ったの?」

「それは……」

 思わず口籠る。
 梨斗にもう一度会いたいと思った理由。
 それは、学校や家庭で自分の居場所がないと感じて、ふと梨斗の顔が浮かんだからだ。家族の中から私がいなくなって、学校でも友達がいなくなって。だけど、梨斗は私の話を聞いて、励ましてくれた。梨斗といる時だけ、本音を吐き出すことができる。
 だから私は、きみに会いたいと思った。

「私は……存在しない人間、だから。あなたといるときだけは、自分っていう人間を、認めてもらえるような気がして」

 素直な気持ちが溢れ出る。 
 梨斗は黙って私の言葉を聞いていた。

「私は梨斗と、もっと話してみたかったんだ。そうでないと、自分の輪郭が、どんどん溶けてなくなっていくような気がするから」

 それが、本心だった。
 誰かのために自分の時間をすべて使い、友達から疎ましがられて忘れられていく。そんな未来が来るのが怖くて、必死に自分を世界に繋ぎ止めようとしている。繋ぎ止めてくれる人に、頼ろうとしていた。

「そっか。そこまで考えてるなら、そのうち僕の正体も分かるはずだよ。それまで、またこうして会おっか」

「え……いいの?」

「うん、もちろん。というか、最初にここに連れてきたのは僕の方だし。だけど一つだけ、条件がある」

「条件?」

 なんだろう、と彼の顔を覗き込む。

「会うのは、毎日夜の十二時から観覧車が回っている時間だけ。観覧車から降りたら、僕はすぐに家に帰らなくちゃいけない。だから、十五分間だけ、きみに会える」

「十五分間だけ……」

 そのあまりにも短い時間について、問いただしたい気持ちはもちろんあった。でも、真意を聞いたところで、今の彼は教えてくれない気がする。
 たった十五分でも、梨斗に会えるなら。
 私はそれでもいいと思った。

「分かった。その条件で会えるなら、よろしくお願いします」

 恭しく頭を下げる。観覧車がもう少しで地上に到達しようとしていた。

「こちらこそ、よろしく」

 にっこりと微笑む梨斗は、やっぱりどこか幻想めいていて、教室で会うクラスメイトたちとは一線を画している存在のような気がした。幽霊かと尋ねた時の、「半分正解」という答えが気にかかる。
 もしかして、小説やドラマでよくあるような、意識不明の少年の魂が今ここに現れてる……みたいな?
 聞いてみたいけれど、やっぱり核心的なことは教えてくれないだろうな。
 あまり問い詰めて、これ以上会えないと言われるのはつらい。それぐらい、梨斗と今度も関係を続けたいと思っている自分がいることに、驚く。

「あ、ちなみに連絡先とかは?」

 ダメ元で聞いてみる。

「ごめん。僕、スマホを持ってないんだ」

「そうなんだ。今時珍しいね」

「そうでしょ」

 果たしてスマホを持っていないというのが本当なのかどうかは分からないけれど、やんわりと断られて少しだけ胸にくる。

「もうすぐ終わりそうだね。日彩、明日も何もなければ、会おうよ」

「うん、明日も来るね」

 連絡先など知らなくても、こうして観覧車の中で次に会う約束ができる。
 なんだか、一昔前の恋物語みたいだなあ……なんて思って、はっとする。
 なんで私、彼とのことを「恋物語」なんて考えてるの……!
 沸騰しそうな頭から妄想を振り払って、思わず梨斗から目を逸らした。彼は不思議そうな顔をしていたけれど、これ以上彼の顔を見たら胸が破裂しそうだ。
 ……あらぬ想像をしてしまったけれど、実際お母さんたちの時代の人って、スマホで好きな人と連絡を取り合うこともなかったんだろうな。
 相手の家に電話をして、父親が出て焦ったとか、そういう話を聞いたことがある。そんな古き良き時代の恋を体験しているみたいだ。
 って、またほら、“恋”って何!? 
 私、どうしちゃったんだろう。
 まだ梨斗とは出会って二日しか経っていないのに。
 恋なんておかしい。
 第一、私が恋したって、私生活もままならないような人間のことなんて、きっと誰も興味を持ってくれないって。好きになってもらえるのは、例えばそう、日々夢に向かって頑張ってる子とか、おしゃれで可愛らしい女の子だ。私はそのどこにも当てはまらない。夢を失いつつあって、自分の身なりにも気を遣えていない、見窄らしい女だ。誰かの目に留まることなんて、これから先きっとない。
 少しだけ冷静になった心で、すっと息を吸う。
 窓から見える景色が、地上に立っている時とほとんど変わらなくなった。もう、観覧車から降りなくちゃいけない。

「もうちょっと、乗っていたかったな」

 呟いた言葉に、梨斗は何も返事を返してくれることはない。
 淡々と扉を開けて、私に手を差し出す。

「さあ、現実へ帰ろう」

 差し出された手をそっと握ると、やっぱり温かくて。彼は幽霊でも、幽体離脱した魂でもなんでもないのだ、と当たり前のことに気づかされた。

「また明日ね」

「うん、また明日」

 “明日”がこれから先も永遠に続いていく保証なんてどこにもないのに、梨斗から微笑みかけられると、何か大きなもので全身を包み込まれるような安心感を覚えた。
 彼と会えるなら、明日に希望を持って生きられるかもしれない。
 自分を見失いかけて、私という存在が透明になっていく日々の中で、たった一人、彼だけは私を見てくれている。私に会うためにこの場所にまた来てくれる。そんな気がして、心が温もる思いがした。