「じゃあ、行こうか」
昨日と同じように、梨斗がポケットから鍵を取り出して門を開ける。重厚な門が開かれて、私たちは遊園地の中へと一歩踏み出した。
「梨斗、私、聞きたいことがいっぱいあるんだけど」
観覧車までの道すがら、彼の隣に並んで問いかける。
「そりゃ、聞きたいことだらけだろうね。そうだなあ。いっぱいあっても答えられないかもしれないから、三つまでにしよう」
「えー何それ、ケチ」
「僕ってあんまりサービスとかしないタイプだから」
「質問に答えるぐらいいいじゃん。何個だって」
「内容次第ってとこかな」
梨斗との会話は、学校の友達との会話とは全然違う。なんだか、ふわふわとした雲の上を行き来しているかのような感覚に陥る。この人と、要領を得た話がしたいのに、上手くかわされてしまう、みたいな。けれど昨日の晩、私を励まし、勇気づけてくれたことは確かだった。
だから、日常会話がこんなふうに緩やかなものでも、彼はちゃんと私の声に耳を傾けてくれるって信じられるのかもしれない。
「もう、分かったよ。とりあえず一つ目」
「あ、ちょっと待って。観覧車の中で話そうよ。スイッチ入れるからそこで待ってて」
いつのまにか観覧車の足元まで辿り着いていたことにようやく気づく。
お預けをくらった私はうずうずとした心持ちで管理室へと消えていく彼を待っていた。
やがて、昨日と同じようにババッと観覧車の明りが灯る。ゆっくりと回り始めるゴンドラ。二回目なので驚きはしないけれど、やっぱり勝手に廃園後の観覧車を動かしていることには罪悪感が拭えなかった。
「乗ろうか」
管理室から出てきた彼が私に手を差し出す。少し迷ってから、その手をそっと握る。温かい。私の手は汗ばんでいて、彼に汗かきだと思われてはないかと不安だった。
「ふう。やっとゆっくり話せるね。十五分だけだけど」
「十五分しかないし、早くさっきの続き!」
「はいはい、分かってるって。一つ目の質問、どうぞ」
テレビのリポーターのように、手でマイクを作って私の方へと向ける梨斗。私は、コホンと一つ咳払いをしたあと、ゆっくりと息を吸った。
「さっきね、梨斗が来る前、遊園地の中に人影があったの。大人の男の人っぽかったけど……誰か、知らない?」
最初に頭に浮かんだ疑問はそれだった。
梨斗に声をかけられる直前のこと。気になりすぎて、さっきからずっと胸がざわついていたのだ。
私の質問を聞いた梨斗は、意外にも両方の眉を大きく動かした。
無防備なその表情を、思わず食い入るようにして見つめてしまう。
「男の人? うーん、誰だろう。ちょっと分からないな」
返ってきた答えは期待したものとは違っていた。
「そっかあ。梨斗も、知らないか。こんな時間に廃園後の遊園地に忍び込む人間が他にいても、おかしくないのかなあ」
「いや……変だとは思うけど。心当たりがないよ」
「だよね」
言いながら、私たちも十分「変な人」たちなのだと気づく。そもそも梨斗が遊園地の鍵を持っているのも疑問なんだけれど。
「侵入者だろうね。でもその人、日彩にしか見つかってないからセーフだ。警察じゃなくてよかったよね」
「その言葉、そっくりそのまま自分たちにも言えることじゃない?」
「僕なら大丈夫だよ。鍵だって持ってるし」
「そもそもその鍵……」
鍵のことを質問しかけて、慌てて口を閉じる。
今日は他に聞きたいことがあるのだ。ここで質問を一回分消費するわけにはいかない。
「次の質問、いい?」
「どうぞ」
観覧車は四分の一の地点に到着した頃だ。大丈夫。まだ時間はある。こうして観覧車から街を見ると、真夜中だというのに思っていた以上に明るいことに気づく。
少しずつ上昇していく私たち二人の空間が、地上での時間から切り取られていく。
ここには、二人だけ。
私と梨斗だけが息をしている。
「昨日、出会ったときに『今晩泊めてくれないか』って聞いたじゃん。あの質問の真意を教えて」
真剣な声で聞いた。
すると、彼はなぜか「ぷっ」と吹き出した。
「何か、おかしい?」
「いや、三つしか質問できないのにそれかーって」
「そりゃ気になるよ! だって私は女の子で、あなたは男の子じゃん。初対面の異性に、あんなこと聞いてくるなんて普通じゃない」
「そうだね。僕は普通じゃない。でもあの質問は、普通の男の子が考えそうな簡単な心理に基づいている」
「どういうこと?」
相変わらず要領を得ない彼の言葉に、じりじりと焦りのようなものが込み上げる。焦る理由なんて一つもないのに。それほど自分が、早く彼のことを知りたいと思っているのだと気づく。
「あれは……心理学的に言うと、『ドア・イン・ザ・フェイス』かな」
「ドア・イン・ザ・フェイス?」
聞いたことのない心理学用語が出てきて頭の中で疑問符が渦巻く。
「そう。知らない? 人と交渉するときに、まず大きな要求をするんだ。相手に絶対断られそうな、突飛な要求。きみにとって、『泊めてくれないか』っていうお願いは、絶対に聞けないお願いだっただろ?」
「うん、当たり前じゃん」
「じゃあ、その後に僕がちょっと付き合ってほしいって頼んだ時、どうして断らずに受け入れてくれたの?」
「それは……だって、泊めるっていうのを断ったから、二度も断るのは悪いと思って」
正直な気持ちを話した。
梨斗は、私の回答に満足した様子で「そうだろ?」と得意げだ。
「今、日彩が教えてくれた心理に基づいたテクニックだよ。人間、誰しも同じ人物から二度も要求をされて、両方は断りづらいだろ。つまり、最初の要求はあえて断らせて、次の要求を受け入れてもらうっていう作戦なんだ。最初から、二つ目のお願いを聞いてもらうことが本望だった」
「そうだったの」
なるほど、ようやく彼の言わんとしていることが理解できた。
初対面の女の子に、今晩泊めてくれないか、なんて絶対にNOと言われるに決まっている。それでもあえて質問をしたのは、その後の「付き合ってくれないか」という要求をのませるため。ぐぬぬ……なんという小賢しい——じゃなくて、賢い作戦なの……。
梨斗の作戦通り、私はまんまと彼と観覧車に乗らざるを得なくなったというわけだ。まあ、昨日、梨斗と十五分間の時間を共にしたことで、溜まっていたものを吐き出せてよかったんだけど。結果的に、私にとって大切な思い出になった。
昨日と同じように、梨斗がポケットから鍵を取り出して門を開ける。重厚な門が開かれて、私たちは遊園地の中へと一歩踏み出した。
「梨斗、私、聞きたいことがいっぱいあるんだけど」
観覧車までの道すがら、彼の隣に並んで問いかける。
「そりゃ、聞きたいことだらけだろうね。そうだなあ。いっぱいあっても答えられないかもしれないから、三つまでにしよう」
「えー何それ、ケチ」
「僕ってあんまりサービスとかしないタイプだから」
「質問に答えるぐらいいいじゃん。何個だって」
「内容次第ってとこかな」
梨斗との会話は、学校の友達との会話とは全然違う。なんだか、ふわふわとした雲の上を行き来しているかのような感覚に陥る。この人と、要領を得た話がしたいのに、上手くかわされてしまう、みたいな。けれど昨日の晩、私を励まし、勇気づけてくれたことは確かだった。
だから、日常会話がこんなふうに緩やかなものでも、彼はちゃんと私の声に耳を傾けてくれるって信じられるのかもしれない。
「もう、分かったよ。とりあえず一つ目」
「あ、ちょっと待って。観覧車の中で話そうよ。スイッチ入れるからそこで待ってて」
いつのまにか観覧車の足元まで辿り着いていたことにようやく気づく。
お預けをくらった私はうずうずとした心持ちで管理室へと消えていく彼を待っていた。
やがて、昨日と同じようにババッと観覧車の明りが灯る。ゆっくりと回り始めるゴンドラ。二回目なので驚きはしないけれど、やっぱり勝手に廃園後の観覧車を動かしていることには罪悪感が拭えなかった。
「乗ろうか」
管理室から出てきた彼が私に手を差し出す。少し迷ってから、その手をそっと握る。温かい。私の手は汗ばんでいて、彼に汗かきだと思われてはないかと不安だった。
「ふう。やっとゆっくり話せるね。十五分だけだけど」
「十五分しかないし、早くさっきの続き!」
「はいはい、分かってるって。一つ目の質問、どうぞ」
テレビのリポーターのように、手でマイクを作って私の方へと向ける梨斗。私は、コホンと一つ咳払いをしたあと、ゆっくりと息を吸った。
「さっきね、梨斗が来る前、遊園地の中に人影があったの。大人の男の人っぽかったけど……誰か、知らない?」
最初に頭に浮かんだ疑問はそれだった。
梨斗に声をかけられる直前のこと。気になりすぎて、さっきからずっと胸がざわついていたのだ。
私の質問を聞いた梨斗は、意外にも両方の眉を大きく動かした。
無防備なその表情を、思わず食い入るようにして見つめてしまう。
「男の人? うーん、誰だろう。ちょっと分からないな」
返ってきた答えは期待したものとは違っていた。
「そっかあ。梨斗も、知らないか。こんな時間に廃園後の遊園地に忍び込む人間が他にいても、おかしくないのかなあ」
「いや……変だとは思うけど。心当たりがないよ」
「だよね」
言いながら、私たちも十分「変な人」たちなのだと気づく。そもそも梨斗が遊園地の鍵を持っているのも疑問なんだけれど。
「侵入者だろうね。でもその人、日彩にしか見つかってないからセーフだ。警察じゃなくてよかったよね」
「その言葉、そっくりそのまま自分たちにも言えることじゃない?」
「僕なら大丈夫だよ。鍵だって持ってるし」
「そもそもその鍵……」
鍵のことを質問しかけて、慌てて口を閉じる。
今日は他に聞きたいことがあるのだ。ここで質問を一回分消費するわけにはいかない。
「次の質問、いい?」
「どうぞ」
観覧車は四分の一の地点に到着した頃だ。大丈夫。まだ時間はある。こうして観覧車から街を見ると、真夜中だというのに思っていた以上に明るいことに気づく。
少しずつ上昇していく私たち二人の空間が、地上での時間から切り取られていく。
ここには、二人だけ。
私と梨斗だけが息をしている。
「昨日、出会ったときに『今晩泊めてくれないか』って聞いたじゃん。あの質問の真意を教えて」
真剣な声で聞いた。
すると、彼はなぜか「ぷっ」と吹き出した。
「何か、おかしい?」
「いや、三つしか質問できないのにそれかーって」
「そりゃ気になるよ! だって私は女の子で、あなたは男の子じゃん。初対面の異性に、あんなこと聞いてくるなんて普通じゃない」
「そうだね。僕は普通じゃない。でもあの質問は、普通の男の子が考えそうな簡単な心理に基づいている」
「どういうこと?」
相変わらず要領を得ない彼の言葉に、じりじりと焦りのようなものが込み上げる。焦る理由なんて一つもないのに。それほど自分が、早く彼のことを知りたいと思っているのだと気づく。
「あれは……心理学的に言うと、『ドア・イン・ザ・フェイス』かな」
「ドア・イン・ザ・フェイス?」
聞いたことのない心理学用語が出てきて頭の中で疑問符が渦巻く。
「そう。知らない? 人と交渉するときに、まず大きな要求をするんだ。相手に絶対断られそうな、突飛な要求。きみにとって、『泊めてくれないか』っていうお願いは、絶対に聞けないお願いだっただろ?」
「うん、当たり前じゃん」
「じゃあ、その後に僕がちょっと付き合ってほしいって頼んだ時、どうして断らずに受け入れてくれたの?」
「それは……だって、泊めるっていうのを断ったから、二度も断るのは悪いと思って」
正直な気持ちを話した。
梨斗は、私の回答に満足した様子で「そうだろ?」と得意げだ。
「今、日彩が教えてくれた心理に基づいたテクニックだよ。人間、誰しも同じ人物から二度も要求をされて、両方は断りづらいだろ。つまり、最初の要求はあえて断らせて、次の要求を受け入れてもらうっていう作戦なんだ。最初から、二つ目のお願いを聞いてもらうことが本望だった」
「そうだったの」
なるほど、ようやく彼の言わんとしていることが理解できた。
初対面の女の子に、今晩泊めてくれないか、なんて絶対にNOと言われるに決まっている。それでもあえて質問をしたのは、その後の「付き合ってくれないか」という要求をのませるため。ぐぬぬ……なんという小賢しい——じゃなくて、賢い作戦なの……。
梨斗の作戦通り、私はまんまと彼と観覧車に乗らざるを得なくなったというわけだ。まあ、昨日、梨斗と十五分間の時間を共にしたことで、溜まっていたものを吐き出せてよかったんだけど。結果的に、私にとって大切な思い出になった。



