この人は本当に生き生きと死体の絵を描く。
ほんのりと口許を綻ばせながら今日もキャンバスの中に濃密、かつ、鮮烈な死の光景を描く氷坂を、あやめは観察する。
喜々として筆を走らせる姿は完全に猟奇殺人犯だ。ヤバすぎる、と感じる。
「先生は、星谷さんとか、柏崎先生みたいな、ああいう女子が、好き、なんですか?」
まったくこちらに注意を払うことなく、黙々と描き続ける彼にそろそろと声を投げると、キャンバスに目を向けたまま彼は、そうですねえ、と気の無い声を返してきた。
「好きというか……愛されていることを疑わず、日一日を楽しそうに生きてる人を見ると描きたくなりますね」
「……羨ましい、から?」
「羨ましい?」
「楽しそうでいいな、し、死体にしてやろうかなと、いう気持ちで、描いている、ということかと」
「ああ、なるほど」
くっくっとまた肩が揺れる。授業中にはまず拝むことのないこの人の笑顔を見ると、やはり気持ち悪い。
「……違い、ます?」
「まあ、そうかもしれませんね。というか、なんでもそうじゃないですか? 今とこの先、落差があるほうが見ているほうも盛り上がる。最初から死んでいる人間の死んだ顔なんて、描いても面白くもなんともありませんよ」
生きながら死んでいる人間。
それはあやめのことだろうか。死んでもいないし、生きてもいない、中途半端な人間と言外に言われた気がした。
「その論理、だと、先生は私、を、描きたいと思わないってこと、ですよね」
「思わないですねえ」
あっさり同調されて苛立ちを感じた。しばらく感じたこともなかったその感情に戸惑い、意味なく前髪を引っ張るあやめを、氷坂はちらっと横目で見てから肩をすくめた。
「描いてほしいなら、もう少し生きてる顔を学んだらどうですか? そうしたら描いてあげてもいいですよ。絵の中だけでも念願の死体になりたいですものね、櫻井さんは」
なんだか胸がざわつく。無言で立ち上がると、氷坂は青い絵の具を丹念にキャンバスに載せながら言った。
「その顔は悪くないですね。もうちょっと頑張ったら描いてあげてもいいですよ」
「結構、です」
反射的にそう言ったけれど、不快感は消えなかった。
彼に言われるまでもなく、あやめは自分自身、どうかしていると思ってはいた。
無数の刃に命を狩り取られ、空虚に空を仰ぐ女の目が。
頭半分を陥没させ、自らの血に汚れながら、こときれる寸前、なにか言おうとでもしたかのように、半分開いた少女の唇が。
寝ても覚めても頭の中に蘇ってくる。
怖いんじゃない。そうじゃない。
……羨ましいのだ。
永遠に時間を止めた彼女たちが。
でもリアルに死体になる勇気なんてあやめにはない。
だから、執着しているのかもしれない。
氷坂のあの絵に。
でも彼は言う。最初から死んでいる人間を描きたくなんてないと。
「生きていたときの顔なんて、思い出せない」
口の中で呟いたけれど、氷坂には聞こえなかったらしい。
金色の光に沈む美術室の中、彼はうっすらと微笑みながら、ただただ筆を動かしている。
ほんのりと口許を綻ばせながら今日もキャンバスの中に濃密、かつ、鮮烈な死の光景を描く氷坂を、あやめは観察する。
喜々として筆を走らせる姿は完全に猟奇殺人犯だ。ヤバすぎる、と感じる。
「先生は、星谷さんとか、柏崎先生みたいな、ああいう女子が、好き、なんですか?」
まったくこちらに注意を払うことなく、黙々と描き続ける彼にそろそろと声を投げると、キャンバスに目を向けたまま彼は、そうですねえ、と気の無い声を返してきた。
「好きというか……愛されていることを疑わず、日一日を楽しそうに生きてる人を見ると描きたくなりますね」
「……羨ましい、から?」
「羨ましい?」
「楽しそうでいいな、し、死体にしてやろうかなと、いう気持ちで、描いている、ということかと」
「ああ、なるほど」
くっくっとまた肩が揺れる。授業中にはまず拝むことのないこの人の笑顔を見ると、やはり気持ち悪い。
「……違い、ます?」
「まあ、そうかもしれませんね。というか、なんでもそうじゃないですか? 今とこの先、落差があるほうが見ているほうも盛り上がる。最初から死んでいる人間の死んだ顔なんて、描いても面白くもなんともありませんよ」
生きながら死んでいる人間。
それはあやめのことだろうか。死んでもいないし、生きてもいない、中途半端な人間と言外に言われた気がした。
「その論理、だと、先生は私、を、描きたいと思わないってこと、ですよね」
「思わないですねえ」
あっさり同調されて苛立ちを感じた。しばらく感じたこともなかったその感情に戸惑い、意味なく前髪を引っ張るあやめを、氷坂はちらっと横目で見てから肩をすくめた。
「描いてほしいなら、もう少し生きてる顔を学んだらどうですか? そうしたら描いてあげてもいいですよ。絵の中だけでも念願の死体になりたいですものね、櫻井さんは」
なんだか胸がざわつく。無言で立ち上がると、氷坂は青い絵の具を丹念にキャンバスに載せながら言った。
「その顔は悪くないですね。もうちょっと頑張ったら描いてあげてもいいですよ」
「結構、です」
反射的にそう言ったけれど、不快感は消えなかった。
彼に言われるまでもなく、あやめは自分自身、どうかしていると思ってはいた。
無数の刃に命を狩り取られ、空虚に空を仰ぐ女の目が。
頭半分を陥没させ、自らの血に汚れながら、こときれる寸前、なにか言おうとでもしたかのように、半分開いた少女の唇が。
寝ても覚めても頭の中に蘇ってくる。
怖いんじゃない。そうじゃない。
……羨ましいのだ。
永遠に時間を止めた彼女たちが。
でもリアルに死体になる勇気なんてあやめにはない。
だから、執着しているのかもしれない。
氷坂のあの絵に。
でも彼は言う。最初から死んでいる人間を描きたくなんてないと。
「生きていたときの顔なんて、思い出せない」
口の中で呟いたけれど、氷坂には聞こえなかったらしい。
金色の光に沈む美術室の中、彼はうっすらと微笑みながら、ただただ筆を動かしている。



