家に帰り、最初にすることは、日向(ひゅうが)の部屋に入ることだ。
 両親にばれたらややこしいことになる。けれどもこの習慣だけはやめられない。
 真っ先に向かったのはベッド。寝乱れることなくしっかりとカバーがかけられたそこに前倒しに倒れると、ふわん、と体が弾み、日向の匂いがした。
 ただ……顔を埋めて気付く。少しだけ、香りが薄れた。
 見た目にはどこも変わらない。青で統一されたファブリック。本棚にはコミックがたくさん。漫画が大好きでたくさん所蔵していたけれど、その扱いは丁寧で、あやめの部屋の本棚のように本の背がばらばらなんてことはない。
 机の上も整えられていて、開きっぱなしの参考書があったり、なんてこともない。
 几帳面で、好奇心旺盛で。綺麗好きで世話焼き。
 にもかかわらず、香りは消えていく。
 日向がここにいた痕跡は徐々に徐々に空気に溶けていく。
 それがたまらなく、苦しい。
 きゅっと掛布団の端を握りしめたとき、玄関のドアが開く音がした。慌てて体を起こし、扉へと向かう。が、無情な足音はすでに階段を上り始めていた。
「あんた……」
 無造作に開け放たれた扉の向こう、引き攣った顔でこちらを見る人の顔。
 日向に目元が似ている。違うか、日向がこの人に似ているのだ。だが、日向だったら絶対に浮かべないような憎しみに焦げた表情で、彼女はあやめを見据える。
「また入り込んで」
 声と共に指が伸ばされる。痛い、と声が漏れたけれど、彼女は止まってはくれなかった。
 容赦ない手が髪を引っ掴み、引きずるようにして廊下へと出される。そのまま、部屋を出たところで床へと引き倒された。
「あんたが……! あんたが日向を誘わなければ、日向は死ななかったのに。なのに、まだあんたは日向にまとわりつくの?」
「ごめんなさ、い、お母さ……」
「お母さんなんて呼ばないで!」
 悲鳴のような声で言い返し、血の繋がらない母はくたり、と膝を床に落とす。
「もう嫌……。なんでこんな……」
「京子」
 階段を上ってくる足音と共に声が投げ込まれ、あやめは床にしゃがみこんだままそちらを振り返る。
 険しく歪んだ顔をしているのは父。こちらは正真正銘、あやめとは親子関係百パーセントの人。
 けれども、血の繋がりよりも恋を重んじるようになったこの人に期待なんてできない。
 この人の目の中にいるのは、あやめじゃない。
「大丈夫。大丈夫だから。少し休もう……あやめは部屋に行ってなさい」
 冷たく付け足された言葉に頷きだけを返し、あやめは立ち上がる。

 あの子さえいなければ。
 あの子がいたから。

 呪詛にまみれた言葉が背中を蝕むけれど、それでいいと思う。
 義母に言われるまでもない。あやめ自身が自分なんていなければいいと思い続けているのだから。