「——なあ心音、いいよな?」

 和真と交際を始めてからこれまでの思い出に浸っていたところで、彼の声が耳元で響いた。昼休みに志摩先生への対策会議を立てた。その放課後、和真が早速私の席の前で「職員室に行こう」と言い出したのだ。

「ごめん、ちょっと考え事してた。うん、いいよ。善は急げって言うもんね」

「ああ、本当に。一刻も早くこの状況をなんとかしたいんだ」

「分かった。でもいいの? 今日部活は?」

 私は美術部で部活動の出欠に関して融通が効くが、和真はバスケ部だ。毎日みっちりと練習をしている。

「今日は昨日試合があったばかりで休みなんだ。だから大丈夫」

「そうなんだ。じゃあやっぱり今日がチャンスだね」

 和真の目を見つめながら力強く頷く。私は鞄に荷物を詰めてから、和真と共に教室を出た。
 職員室に入るのは些か勇気がいった。そもそも用がなければあまり入りたい場所でもない。

「失礼します」

 緊張の滲む声で和真が職員室の扉を開ける。数人の先生がこちらを一瞥したが、声をかけてくる先生はいなかった。

 私は和真と一緒に、志摩先生の座っているデスクへと向かう。学年ごとに先生たちの席も一直線に並んでいて、二年二組担任の志摩先生は真ん中の島の、扉に近い方から数えて二番目の席にいた。職員室に入るとすぐに見つけられる席だ。一学期まで原田先生が使っていたデスクに鎮座する志摩先生は無表情で小テストのプリントをパラパラとめくっている。

「志摩先生」

 和真が後ろから声をかけた。先生が回転椅子ごとくるりと回って振り返る。

「脇田くんと三崎(みさき)さんですか。何の用でしょう」

 キリリとした視線に思わず眉をしかめてしまう。授業以外で、こんなふうに志摩先生と面と向かって向き合うのは初めてかもしれない。予期せぬところで先生の「真実至上主義」の被害に遭わないように気をつけて発言しないと。声を出すのも躊躇われてじっとしていると、結局和真が口を開いた。

「先生の“嘘つき者排除”のやり方に関してです。確かに僕も、嘘をつくのは良くないと思います。でも、少し嘘をついたからと言って生徒のプライベートな事情までみんなの前で暴露してしまうのは……ちょっとやりすぎじゃないかと思うんです。クラスのみんな、怯えています。このままじゃ、みんなのびのびと学校生活を送れなくなってしまいます」

 和真は先生の顔色を窺いながらも、言いたいことをはっきりと口にしていた。
 志摩先生の視線が鋭く光る。私は咄嗟に目を逸らしたい衝動に駆られた。

「脇田くん。あなたは正義感がとても強いんですね」

「はあ、たまに言われますが」

「だけどその正義感が、人を追い詰めるということを知らないでしょう?」

 志摩先生は何を言いたいのだろう。
 隣で和真がごくりと唾を呑み込むのが分かった。

「脇田くん、本当はこういう交渉(・・・・・・)が苦手なんじゃないですか? だけど、クラスのみんなから期待に応えなくちゃいけない。自分が新しい担任の奇行を止めなければ——そんな使命感に駆られて今ここに来たんでしょう?」

 核心をつくような言葉で、志摩先生が和真に問いかける。
 
「ち、違います。期待とか、使命感とか、決してそういう他人から自分に向けられる感情を気にしているわけじゃありません。俺はただ、本当にみんなと同じように、先生のやり方に不満があるから」

 大人の前では自分のことを「僕」と呼んでいた彼が、「俺」と感情を露わにした。そんな彼のことを、先生は見逃してはくれない。

「本当にそうですか? 今自分が感じている気持ちは、本当にあなた自身のもの?」

 椅子から立ち上がり、和真の目の前まで先生が迫る。ひっ、と和真が小さく悲鳴を上げた。周りにいる他の先生たちが、何事かとこちらの様子を窺っている。