「何度言ったら分かるのかしら、三崎さん」
 
 そこに立っていたのは、腕を組んで私をじっと見つめる志摩先生の姿だった。放課後に先生が教室に入ってくることなんてまずない。先生は、私たちが教室に残っていることを知っていて、わざとこのタイミングで現れたとしか思えなかった。

「志摩先生?」

 先生の登場に私以上に動揺しているのは和真の方だった。教室の扉の方を見つめたまま固まっている。
 先生は一歩ずつ教室に入ってくる。魔界から来る魔物でも見ているかのような様子で、私も和真も先生の動きから目を離せなかった。
 やがて先生が私たちの目の前までたどり着く。
 和真が一歩後ずさった。

「脇田くん、あなた、本気で三崎さんのことが好きなんですよね」

「はい、そうですけど」

 突然何を言い出すのかと思いきや、というふうに和真は驚きつつも頷いた。

「それなら今すぐ彼女との関係を断ち切りなさい」

「は……? なんで」

「彼女があなたに対して嘘をついているからです」

 全身を冷たい汗が伝った。
 どうして。
 勝手に入ってきて、和真にそんなことを——!
 私は志摩先生を睨みつける。が、蛇のように鋭い彼女の眼光にやられて、すぐに萎縮してしまう。
 これが、私が昨日ズル休みをした代償だというの?
 和真に直接、私が秘密にしてきたことを暴露する。最初から先生はそんな作戦を練っていたのかもしれない。だから、今日一日、クラスメイトの前では何も言わなかった。
 最悪のかたちで訪れてしまった制裁に、頭の中がぐちゃぐちゃに掻き混ぜられていくような心地がした。

「嘘って、何の話ですか? 俺と心音の関係に口出しするのはやめてもらえませんか」

 正義感の強い和真は、志摩先生からの脅しのような言葉にも怯まない。そうだ。私たちの関係は私たち自身が決めること。他人に指図される筋合いはない。
 そう言いたいのに、金縛りにあったみたいに、口が動いてくれない。
 昨日先生がうちに来た時にした会話がフラッシュバックする。
 先生が、他人に嘘をつかれたことで人生を壊されたという経験があること。
 その人のことを殺してやりたいくらい憎んでいること。
 もしかして先生は、和真が私の嘘で同じ目に遭わないように助言をしているのではないか——ふと先生の思惑に気づいて、目の前の光景がぐにゃりと歪んだ。

「ううっ……」

 軽いめまいだった。
 和真が「大丈夫かっ!?」とふらつく私の身体を支える。
 ぺたんと椅子に座り込み、頭を押さえてしばらくじっとする。少しすると、めまいは治っていた。

「三崎さんはずっと、脇田くんに嘘をついてきましたよね。そのまま嘘をつき続けたら、彼の人生を壊してしまう。それでもいいんですか? 脇田くん、あなたは三崎さんから嘘をつかれたまま気づかないふりをして、このまま関係を続けるのですか? その先に待ち受けるのが、悲劇かもしれないのに」

「やめて……」と声に出して言いたかった。
 でも、実際の私は核心をつく先生の言葉に、何も言い返すことができない。どうしてだろう。これまでの自分なら、「私は和真のことが好きだから、このまま関係を続けます」と断言していたはずだ。
 それなのに、昨日の今日で、私は先生の言葉に心を揺さぶられている——。
 代わりに口を開いたのは和真だった。

「さっきから、心音が嘘をついてるとか、何の話をしてるんですか? 先生は俺たちの何を知ってるんです。先生の趣味は、生徒の恋路を邪魔することですか。生徒の幸せを破壊することですか。だから真実至上主義だとか言って、こうまで誰かが嘘をつくことにこだわるんですか? 先生の目的は一体……なんなんだよっ!」

 大人に向かって、和真が声を荒げるのを初めて目にした私はびくんと身体を震わせた。
 
「私の目的は、嘘をつくことで他人の人生を壊すのを防ぐことです」

 感情的になっている和真とは裏腹に、先生はきっぱりとした口調でそう言い放った。

「他人の人生を壊すのを防ぐ……? むしろ俺たちは先生に生活を壊されてる」

「脇田くん、もう目を逸らすのはやめにしましょう。三崎さんは——三崎心音は、あなたのことを好きではありません」

 先生の一言に、その場の空気が凍りつく。
 いつか、下駄箱から見た降りしきる雪の風景が再びはっきりと脳裏をよぎった。

——じゃあさ、心音が雪に溺れそうになったら、俺が引っ張り上げてやるよ。

——え? それってどういう——。

——心音のことが好きだ。付き合ってください。

 初めて自分のことを好きだと言ってくれる男の子が現れて、ドキドキした。和真が持っている正義感溢れる優しさとか、みんなから慕われているところとか、自分にはないものばかりで憧れていた。
 だから私はあの時、好きではないあなたの告白を、受け入れたんだ。
 いや、受け入れてしまったんだ——……。