「これ以上、脇田くんの前で嘘をつくのはおやめなさい」

 ドクン、ドクン、ドクン。
 大きくなっていた心臓の音が先生に聞こえるんじゃないかっていうぐらい、より激しく膨らんだ。

 先生は……知ってるんだ。
 私の秘密を知っている。だから今日、こうして私に警告をしてきたんだ。
 そうと分かると、先生の浮かべている奇妙な笑顔が別の意味を含んでいるような気がしてならなかった。

「違い、ます」

 震える声で紡ぎ出された自分の言葉は、誰がどう聞いても嘘だと分かってしまうものだった。

「私は、和真の前で一度も嘘なんかついたことはありませんっ……」

 あの雪の降る日の下駄箱で、和真が私に好きだと言ってくれた日の記憶がフラッシュバックする。これまで何度も何度も、思い出された光景だ。和真から告白を受けた時、素直に嬉しいと思った。自分の存在を誰か一人にでも受け入れてもらえたことが安心感につながった。
 だから私も愛しいと思った。
 和真のことを、大切にしようと心から感じた。

「本当に? そうやって自分に嘘をつき続けて、一番苦しいのはあなたですよ」

 志摩先生の三日月型の目はいま、私の心臓を射抜くようにまっすぐにこちらへと向けられている。
 やめて。
 違うの。
 本当に私は、和真に嘘なんかついていない!

「苦しくなんかない。和真は私が好きで、私は和真が好き。それだけです。相思相愛の二人が恋人同士であることに、何か問題があるんですかっ?」

 いつのまにか自分の呼吸がひどく乱れていることに気づいた。
 先生は頷くことも首を横に振ることもしない。ただ淡々と諭すように私の目を見つめるだけだ。

「問題があるかどうか——それは、自分の胸に聞いてみなさい」

 これまでとは違う、どこか切実さを孕んだ声だった。
 その声色に思わずはっと先生の顔を見やる。先生の瞳は何を見ているんだろう。私じゃない。私の方を見ているけれど、心の目は別のところを見ているような気がしてならなかった。

 先生はそれだけ言い残すと徐に立ち上がった。まさか、もう帰るつもりなのだろうか。もっと何か責められるのかと思っていた私は拍子抜けした。先生、と気がつけば掠れた声が口から漏れる。

「なんですか」

 部屋の扉に手をかけていた先生が振り返る。
 私はごくりと唾をのみこむ。

「先生はどうして、嘘をつく人にこだわるんですか」

 ずっと聞いてみたいと思っていたことだ。
 学校では周囲の目が気になって、そこまでつっこんだ質問ができない。でも今なら、この部屋に私と先生の二人きりだ。
 想定外の質問だったのか、志摩先生はピタリと動きを止めた。扉にかけていた手を下ろし、ふっと息を吐く。そして再び、あの三日月型の目が私を見つめた。
 
「そんなの決まってるでしょう。私自身が、他人に嘘をつかれて人生を壊された経験があるからです」

 妙に淡々とした口ぶりだった。
 嘘をつかれて人生を壊された経験。
 そう言われた瞬間、頭に思い浮かんだのは小学四年生の頃、親友だと思っていた一葉をはじめ、クラスメイトに誕生日会の件で嵌められたあの記憶だ。
 人生が壊されたとまでは思わないが、少なくともあの一件以来、友達との接し方を考え直したのは事実だ。
 先生にも、私のような経験があるの?
 だからこんなにも、嘘をつく人間が許せないの?

「先生はその人のことを……今も恨んでますか?」

 どうしてか、嘘をつかれたという先生の心の奥底に触れてみたいと思った。普段、あれほど教室では先生の真実至上主義な教育に嫌気が差していたというのに。対策本部まで立てて、先生の主張を曲げようと努力したのに。
 先生のことをもっと知りたい。
 たった二人だけの空間で、今この瞬間に思ったのは一人の人間として先生と向き合いたいということだった。

「何を聞いてくるのかと思ったら、そんなことですか。そりゃ、言わなくても分かるでしょう? 恨むなんて言葉じゃ足りない。殺してやりたいくらい、憎んでます」

「殺してやりたい」という言葉の強さに、ドクンともう一度心臓が跳ねた。
 先生の瞳には光がない。ずっと、その人のことを恨んで生きてきたんだろうか。私たち生徒のことを見ている時の先生は、本当はその人のことを思っていたんじゃないだろうか。
 私はいつしか、先生の心にこれほどまでに棲み着いている相手と、先生のことが気になって仕方がなくなっていた。