♦︎最上家について
すみません、取り乱してしまいましたね。遊亜についてお話するので、少し聞いてもらえますか。
私と遊亜は、十八年前に長崎の病院で産まれました。それから福岡、山形、高知、大阪、長野を経て、今は東京に住んでいます。お父さんがいわゆる転勤族だったので、引っ越しも転校も私たちにとっては珍しくありませんでした。
でも中学校への入学が近くなった頃、お母さんと愛優と遊亜は東京に住んでいいよ、とお父さんが言いました。お父さんはどうするの? と訊くと、単身赴任するというのです。家族揃って引っ越しするのが当たり前だった私にとってはかなりの衝撃で、驚いてお母さんの顔を見ました。少し寂しそうに、でも私と遊亜を不安にさせないように「お父さんとは離れて暮らすけど、お母さんとはこれからも一緒だから」と笑いました。きっと私たちが中学生になって、受験なども視野に入れ始める年齢になるので、両親で話し合ったのでしょう。そして子どもたちのためには腰を落ち着けた方がいいから、とお父さんだけが離れる選択をしたのです。
私は「そんなのやだよ」と言いました。その声が綺麗に重なったので隣を見ると、遊亜も私を見て目を丸くしていました。
真似しないでよ愛優ちゃん、と頰を膨らませる遊亜に、私は「またハモっちゃったね」と笑いかけます。それからお父さんとお母さんに、私たちの意見を伝えました。
お父さんの転勤に着いていこうよ。私と遊亜は転校なんて慣れっこだし、どうせいつかは私たち家を出ていくんだよ? それまで一緒にいればいいじゃん、と。
遊亜は首が取れてしまうのではないかと思うくらい何度も頷いていました。
私たち友達作るの得意だし、そもそも愛優ちゃんがいるから友達できなくても困らないし。という遊亜の言葉に、お父さんとお母さんは顔を見合わせて笑いました。
そうして私たち最上家は家族四人揃っての生活を選びました。しばらくは相変わらずの転勤族でしたが、そのうちにお父さんの出世が決まりました。これからは東京本社勤務、転勤もおそらくないだろうと分かったところで、私たちは東京に腰を落ち着けたのです。
東京の高校には、一年の途中から、通い始めました。転入生という扱いになりますが、さほど苦ではありませんでした。遊亜も同じ高校に入ったため、双子の転入生だと話題になり、周りから声をかけてもらえたのです。私と遊亜は高校ではそれぞれ別のグループで過ごしていましたが、仲が悪かったわけではありません。むしろ友達に、休みの日とかいつも一緒に出掛けてるよね、と感心されるほどでした。
そう、あの事件が起きるまでは。
♦︎最上遊亜、失踪
遊亜がいなくなったのは、高校一年がもうすぐ終わる、二月のことでした。
いつも通り別々に友達と帰宅して、一緒にテレビを見て、一緒にご飯を食べて。なかなか決着のつかないじゃんけんの末、先に遊亜がお風呂に入る。そこまでは日常の範疇でした。それなのに、遊亜がいつまで経ってもお風呂から出てこないのです。
元々遊亜は長風呂が好きなので、私も最初は全く気にしていませんでした。でも一時間経っても遊亜が出てくる気配はありません。少し気になった私は、ノックしてから脱衣所に入りました。遊亜はまだお風呂を楽しんでいるようで、脱衣所では遊亜のお気に入りのアイドルの曲が流れていました。スマートフォンをお風呂に持ち込まないのは、以前同じことをして水没させてしまった際に、しばらく買ってもらえなかったからでしょう。それから遊亜はお風呂に入るとき、脱衣所で音楽を流すようになりました。少し寒いけど扉に隙間作っておけばしっかり聴こえるんだよ、と得意気に遊亜が笑っていたのを、私は思い出しました。雑に脱ぎ捨てられた服を仕分けして洗濯機に入れ、私は小言をこぼしました。
「遊亜が適当に服を放っておくから、毎回私が片付けてるんだからね!」
隙間が空いているのだから聞こえているはずなのに、遊亜の返事はありません。
「こーら、聞いてる?」
私はお風呂のドアの向こうに呼びかけながら、違和感を覚えました。何故か、扉の向こう側が寒いのです。明かりのついたお風呂場から、寒い空気が脱衣所に流れ込んできている。そのことに気づき、私は「遊亜? 音楽切るよ?」と返事も待たずに遊亜のスマートフォンから流れる音楽を止めました。
しんーーーー。
脱衣所とお風呂場から、音が消えました。私の頭に一番に過ぎったのは、遊亜がのぼせて倒れてしまった可能性です。
「遊亜? 大丈夫? ごめん、開けていい?」
いくら姉妹、双子とはいえ、お風呂は互いに侵入禁止のスペースです。鏡に向かって笑顔の練習をしているかもしれません。よく幼い頃から、遊亜は鏡の前で笑顔の練習をしていましたから。そうでなくても無駄毛を丁寧に処理しているかもしれない。もっと言えないようなことをしている可能性だってあります。私たちも人間なのですから、見られたくないシーンというのは互いにあるのです。だから私は二回念押しをして、それでも返事がなかったのを確かめてから扉を開けました。
すう、と冷たい空気が私の身体を冷やしました。一番風呂の最中とは思えない肌寒さに、身震いと同時に私はゾッとしました。
確かに服を脱いだ形跡はあるのに、お風呂には遊亜の姿がなかったのです。慌ててお風呂の蓋を開けましたが、溺れているわけではありませんでした。
「遊亜? どこ行ったの?」
もしかしたらお手洗いかもしれない、と私は探しにいきました。お風呂に入る直前にお腹が痛くなってしまったのかも。
依存症ともいえるほどスマートフォンを常に持ち歩いている遊亜が、トイレにスマホを持っていかないなんてありえないのですが、そのときは縋るような気持ちだったのです。トイレも、遊亜の部屋も、私の部屋も、両親の部屋やリビング、キッチン。どこにも遊亜はいませんでした。
取り乱しながらもお母さんに報告して、お父さんが近所を見てくると言って外に飛び出しました。お母さんはすごく不安そうな顔をしていたのに、泣きそうな私を見て、声をかけてくれました。
「大丈夫。遊亜ちゃんは気まぐれさんだから。服を脱いでから、漫画の新刊買ってない! って思い出したのかもよ。適当な服を羽織って出て行って、お財布忘れて帰れなくなってるのかも」
お母さんの語る遊亜の行動は、確かにありえなくないものでした。自由奔放な遊亜は、周りが思い付かないようなことを平気でやってのけるのです。私はそういう遊亜の行動的なところが好きでした。憧れてすらいました。私は両親に怒られるのが嫌で、顔色を窺う癖があったのです。
「…………ねえ、お母さん」
「どうしたの。そんな泣きそうな顔して。大丈夫よ、遊亜ちゃんはああ見えて結構図太いんだから」
それは知ってる、と心の中で答えるほど、私に余裕はありませんでした。お母さんも私を宥めてはいるけれど、不安を隠しきれていなかったし、何より私には気になることがあったのです。
「今日ってお風呂掃除、した?」
「えっ? したわよ、お母さんが綺麗好きなの知ってるでしょ。排水溝もボトルの下も、壁に床に鏡まで毎日綺麗にしてるんだから」
「…………そう、だよね……」
じゃあ、『あれ』は一体なんだったのでしょう。
水滴一つない浴室。そして、お風呂場の鏡に不自然に残った一つの手型。
私の胸の奥に気味の悪さを残して、遊亜はいなくなったのですーーー。
すみません、取り乱してしまいましたね。遊亜についてお話するので、少し聞いてもらえますか。
私と遊亜は、十八年前に長崎の病院で産まれました。それから福岡、山形、高知、大阪、長野を経て、今は東京に住んでいます。お父さんがいわゆる転勤族だったので、引っ越しも転校も私たちにとっては珍しくありませんでした。
でも中学校への入学が近くなった頃、お母さんと愛優と遊亜は東京に住んでいいよ、とお父さんが言いました。お父さんはどうするの? と訊くと、単身赴任するというのです。家族揃って引っ越しするのが当たり前だった私にとってはかなりの衝撃で、驚いてお母さんの顔を見ました。少し寂しそうに、でも私と遊亜を不安にさせないように「お父さんとは離れて暮らすけど、お母さんとはこれからも一緒だから」と笑いました。きっと私たちが中学生になって、受験なども視野に入れ始める年齢になるので、両親で話し合ったのでしょう。そして子どもたちのためには腰を落ち着けた方がいいから、とお父さんだけが離れる選択をしたのです。
私は「そんなのやだよ」と言いました。その声が綺麗に重なったので隣を見ると、遊亜も私を見て目を丸くしていました。
真似しないでよ愛優ちゃん、と頰を膨らませる遊亜に、私は「またハモっちゃったね」と笑いかけます。それからお父さんとお母さんに、私たちの意見を伝えました。
お父さんの転勤に着いていこうよ。私と遊亜は転校なんて慣れっこだし、どうせいつかは私たち家を出ていくんだよ? それまで一緒にいればいいじゃん、と。
遊亜は首が取れてしまうのではないかと思うくらい何度も頷いていました。
私たち友達作るの得意だし、そもそも愛優ちゃんがいるから友達できなくても困らないし。という遊亜の言葉に、お父さんとお母さんは顔を見合わせて笑いました。
そうして私たち最上家は家族四人揃っての生活を選びました。しばらくは相変わらずの転勤族でしたが、そのうちにお父さんの出世が決まりました。これからは東京本社勤務、転勤もおそらくないだろうと分かったところで、私たちは東京に腰を落ち着けたのです。
東京の高校には、一年の途中から、通い始めました。転入生という扱いになりますが、さほど苦ではありませんでした。遊亜も同じ高校に入ったため、双子の転入生だと話題になり、周りから声をかけてもらえたのです。私と遊亜は高校ではそれぞれ別のグループで過ごしていましたが、仲が悪かったわけではありません。むしろ友達に、休みの日とかいつも一緒に出掛けてるよね、と感心されるほどでした。
そう、あの事件が起きるまでは。
♦︎最上遊亜、失踪
遊亜がいなくなったのは、高校一年がもうすぐ終わる、二月のことでした。
いつも通り別々に友達と帰宅して、一緒にテレビを見て、一緒にご飯を食べて。なかなか決着のつかないじゃんけんの末、先に遊亜がお風呂に入る。そこまでは日常の範疇でした。それなのに、遊亜がいつまで経ってもお風呂から出てこないのです。
元々遊亜は長風呂が好きなので、私も最初は全く気にしていませんでした。でも一時間経っても遊亜が出てくる気配はありません。少し気になった私は、ノックしてから脱衣所に入りました。遊亜はまだお風呂を楽しんでいるようで、脱衣所では遊亜のお気に入りのアイドルの曲が流れていました。スマートフォンをお風呂に持ち込まないのは、以前同じことをして水没させてしまった際に、しばらく買ってもらえなかったからでしょう。それから遊亜はお風呂に入るとき、脱衣所で音楽を流すようになりました。少し寒いけど扉に隙間作っておけばしっかり聴こえるんだよ、と得意気に遊亜が笑っていたのを、私は思い出しました。雑に脱ぎ捨てられた服を仕分けして洗濯機に入れ、私は小言をこぼしました。
「遊亜が適当に服を放っておくから、毎回私が片付けてるんだからね!」
隙間が空いているのだから聞こえているはずなのに、遊亜の返事はありません。
「こーら、聞いてる?」
私はお風呂のドアの向こうに呼びかけながら、違和感を覚えました。何故か、扉の向こう側が寒いのです。明かりのついたお風呂場から、寒い空気が脱衣所に流れ込んできている。そのことに気づき、私は「遊亜? 音楽切るよ?」と返事も待たずに遊亜のスマートフォンから流れる音楽を止めました。
しんーーーー。
脱衣所とお風呂場から、音が消えました。私の頭に一番に過ぎったのは、遊亜がのぼせて倒れてしまった可能性です。
「遊亜? 大丈夫? ごめん、開けていい?」
いくら姉妹、双子とはいえ、お風呂は互いに侵入禁止のスペースです。鏡に向かって笑顔の練習をしているかもしれません。よく幼い頃から、遊亜は鏡の前で笑顔の練習をしていましたから。そうでなくても無駄毛を丁寧に処理しているかもしれない。もっと言えないようなことをしている可能性だってあります。私たちも人間なのですから、見られたくないシーンというのは互いにあるのです。だから私は二回念押しをして、それでも返事がなかったのを確かめてから扉を開けました。
すう、と冷たい空気が私の身体を冷やしました。一番風呂の最中とは思えない肌寒さに、身震いと同時に私はゾッとしました。
確かに服を脱いだ形跡はあるのに、お風呂には遊亜の姿がなかったのです。慌ててお風呂の蓋を開けましたが、溺れているわけではありませんでした。
「遊亜? どこ行ったの?」
もしかしたらお手洗いかもしれない、と私は探しにいきました。お風呂に入る直前にお腹が痛くなってしまったのかも。
依存症ともいえるほどスマートフォンを常に持ち歩いている遊亜が、トイレにスマホを持っていかないなんてありえないのですが、そのときは縋るような気持ちだったのです。トイレも、遊亜の部屋も、私の部屋も、両親の部屋やリビング、キッチン。どこにも遊亜はいませんでした。
取り乱しながらもお母さんに報告して、お父さんが近所を見てくると言って外に飛び出しました。お母さんはすごく不安そうな顔をしていたのに、泣きそうな私を見て、声をかけてくれました。
「大丈夫。遊亜ちゃんは気まぐれさんだから。服を脱いでから、漫画の新刊買ってない! って思い出したのかもよ。適当な服を羽織って出て行って、お財布忘れて帰れなくなってるのかも」
お母さんの語る遊亜の行動は、確かにありえなくないものでした。自由奔放な遊亜は、周りが思い付かないようなことを平気でやってのけるのです。私はそういう遊亜の行動的なところが好きでした。憧れてすらいました。私は両親に怒られるのが嫌で、顔色を窺う癖があったのです。
「…………ねえ、お母さん」
「どうしたの。そんな泣きそうな顔して。大丈夫よ、遊亜ちゃんはああ見えて結構図太いんだから」
それは知ってる、と心の中で答えるほど、私に余裕はありませんでした。お母さんも私を宥めてはいるけれど、不安を隠しきれていなかったし、何より私には気になることがあったのです。
「今日ってお風呂掃除、した?」
「えっ? したわよ、お母さんが綺麗好きなの知ってるでしょ。排水溝もボトルの下も、壁に床に鏡まで毎日綺麗にしてるんだから」
「…………そう、だよね……」
じゃあ、『あれ』は一体なんだったのでしょう。
水滴一つない浴室。そして、お風呂場の鏡に不自然に残った一つの手型。
私の胸の奥に気味の悪さを残して、遊亜はいなくなったのですーーー。