一週間が過ぎた頃。アマリの小袖を届けに、呉服屋の遣いがやって来た。視界一面に、再び色鮮やかな世界が広がる。早速、袖を通した。
 初めて自分で選んだ、薄紅の山茶花模様の着物。深緋(こきひ)の帯を締め、姿見(すがたみ)に全身を映すと、見慣れない自分がいた。現実味がなく、落ち着かない……

 ――『好き』を身に付けるって、不思議……

「折角ですから、外に出して差し上げては?」
 部屋の陰に隠れるようにいた荊祟を見やり、カグヤは促す。
「……どこか行きたい所や見たい物はないか? 民が大勢の場所は無理だが」
 二人だけという状況に緊張と喜び半分な中、精一杯ひねり出す。
「あ、花……花が、見たい、です。少しでも……構いません」
「あるには、あるが」

 口ごもった彼に抱えられ飛んで来たのは、以前訪れた庭園から少し離れた所の、川沿いだった。所々に水仙が咲いている。他の種は見当たらない。
「この界自体、あまり花が咲かない。故に育つ作物も限られ、他界に頼っている」
 毒を含む種、空気が悪い等の厳しい環境にも耐えうる種の草花しか育たないのだと、荊祟は説明する。
「この厄界ぐらいだ。人族の界の負と共鳴し、他界より多く請け負い、その警告として……俺は災い、不幸を返す」
「警、告……」
「災厄を助長する力……俺とて考える時はある。人族のみならず生物が壊滅し、どれだけの不幸に見舞われるのかは、こちらにもわからんのだ」
 独り言のように語る妖厄神。思わぬ扉が開いた。
「龍神等の天候を操る神は、雲や陽の声を授かり(あたい)するだけの力を使うが…… 俺は、そうはいかない」

 その度に災い……変動を()び起こす。(おご)り故に、間違いを犯した者達に気づいて欲しく、罰を下すように。
 だが、終わらない。幾年の時が過ぎても、文明が進化しても繰り返される。犠牲者は自分には選べない。皮肉にも神族として赦されない。命の選別という傲慢と紙一重な行いを、個に(ゆだ)ねてはいけないからだ。
 だから、どうにか生き延びてほしい。罪無き良心的な人族にこそ、強く生きてほしい。そんな願いを込め、界を荒らし、破壊する。
 だが、悲しみに暮れる者は減らない。何も変わらない。何も救えない。なんて無力で、虚しいのだろう。これでは何もしない方が良いのではないか。
 世の汚れ、嫌われ役――厄介者なのだ。

「――残酷、ですね」
「そうだな。地獄とは、この世だ。利用されていたお前にだって解るだろう?」
 返す言葉が見つからない。彼が背負って来たものは、自分のとは違う気がする。
「俺は、そんな奴らに振り回されるのは、もううんざりだ」
 心底嫌悪しているように眉間を寄せ、珍しく愚痴を吐く彼に、アマリは同情した。
「貴方様だから、です。権力に(きょう)じ、独善的に使う主は……苦しまないと思います」
 瞳孔を少し開き、荊祟はアマリを凝視した。何か苛烈な激情が、彼の内から突き出そうとしている。
「……災いや難を恐れるが故、俺を疎み、嫌う人族はまだ理解できる。だが、大金を積むから特定の地に災厄を誘発して欲しい……そんな私怨私益を申し出る奴らが、たまにいる。俺の母が、それの間者だった」
「……⁉」
 衝撃でアマリは絶句する。そのような者が存在した事、自分の母親が関与していた事を、彼は告げようとしている。
 虚無の交じる冷ややかな眼差しを彼女に向け、荊祟は続ける。
(じゃ)を憑依させ、精神(こころ)を操る異能者……禁術の尊巫女として、当時の長だった父に献上された。災厄というのは、自然界の(ことわり)だけではない。人災によって起こされる事例もある。
 故に、父は伴侶として受け入れた。異能だけではない。母に魅了され、巧みに支配されたのだ」
「――支配」
「俺が産まれた頃から、母は言動が豹変し、ますます高圧的になったらしい。間者として父に迫り、実家と癒着する組織の為に力を捧ぐよう、術を使って誘導した」
 伝奇でも語るように、淡々と、荊祟は続ける。
「勿論、父は精一杯、抗った。だが、完全に従属されていたのもあり、揺らいでいた。企てを察した父の側近らに、母は断罪され、処刑された。己を責め、精神を壊した父は、自身の力で――自害した」
 悲鳴が()れかけた口を、慌ててアマリは抑えた。
「その後、母と通じていた奴らが、我が一族の醜聞をある事ない事、腹いせに吹聴したらしい」
 胸が痛み、涙が滲む。なんて悲しい、まだ少年だった彼には、酷過ぎる惨事……
「そんな奴らに限って、何故かしぶとく生き延びる」
「荊祟様……」
「お前がやって来た時、また同じ事が起こるのではと警戒した。尊巫女の献上が母以来だった故、探る為に……きつくあたった。……すまなかった」
 哀しげに詫びる琥珀の眼に向かって、アマリは静かに首を振る。
「……それでも……生かして下さったのですね」
「だから、それはだな……」
 泣き笑いのような慈しみあるアマリの微笑に、荊祟は言葉を止めた。続きが浮いて舞い去る。
 自分の意に反しても、界の為になるなら治める者として実行する。そんな彼の生き様……魂が、アマリには何よりも美しく見えたのだった。


 その夜は、(たかぶ)る想いに包まれ、久方ぶりにアマリは安らかな眠りについた。が、翌日から悪夢を見るようになった。人族の実家でも見た、恐ろしい夢だ。

 宵に落ちた頃。ようやっと目を覚ました。まだ痛みの残る脳裏に、昔の自室と今の部屋の記憶が交差する。虚ろげに眼球を回すと、暗がりの中に行灯が映り、少し安堵した。『此処』だと認識する。
「アマリ様。大丈夫ですか?」
 聞き慣れた声に、更に気がゆるみ、張り詰めた心がほどけた。背中を支えられながら、重い身体をゆっくりと起こす。
 ふと、枕元に小ぶりの桐箱と一通の文が置かれているのに気づいた。
「貴女様が(うな)されておられた夕刻、長様がいらして……渡すよう頼まれました」
 虚ろな陰を落としていた瞳に、微かな光が(とも)った。小箱の方をそっ、と開ける。
 中身は、鼈甲(べっこう)製の土台に、紅白の山茶花をつまみ細工で(かたど)った(くし)形の美しい(かんざし)だった。
 急いで文の方を開く。見覚えのある達筆な字で、たった一文が記されていた。

『花をあまり見せてやれなかった詫びだ。遠慮なく受け取れ』

「詫び、って……! こんな高価な……‼」
 悲鳴のような感想が洩れた。何故、こんなに優しくしてくれるのだろう。自分は何も返せないのに。
「ご自分で渡された方がと申し上げたのですが…… 早い方が良いと仰いまして」
 アマリが(うな)されている時。少し躊躇(ためら)いながら、彼女の掌を自らの手で包む我が長を、カグヤは見た。琥珀の眼差しには哀しみと労りが交えていたが、(やわら)かな熱が潜んでいたのも……
「荊、祟様……」
 文を抱きしめたアマリの眼に、再び涙が滲む。悪夢の中、覚えあるぬくもりが意識を包み、開花した感覚は、今、感じる想いに似ていた。