一呼吸した後、「――花といえば」と、長である荊祟は切り出した。
「お前の異能について、聞いておきたい」
 ついにきた核心を突いた問い。力を見られていて、ここまでしてもらっている以上、話さないといけないとは考えていたが……
「カグヤ。お前も護衛として知っておいてほしい」
 覚悟を決めたアマリは、話し始めた。祈祷師の予言。花や植物の『声』が聞こえた兆し。やがて、治癒をもたらす花を召喚できるようになった事。両親始め一族により、離れに独り閉じ込められ、一部の者を相手に『施し』の仕事を始めるようになった事。本来は『萌芽促進』という生命再生の能であり、破壊的な忌力を持つ厄神の贄となって、相討ちで弱体化させるのが目的だった事――
「それは……また、興味深い能力(ちから)だな」
 終始、茫然としながらも動揺を抑えていた荊祟は、上擦った声で返す。花能の存在は、神界の長である彼にも初耳だったらしい。
 渋い表情で考え込む彼に、アマリはずっと気がかりだった事を問いかけた。
「あの、長様」
「何だ」
「この界……御屋敷でも構いません。お役に立てる事、何かありませんか?」
 腕組みを解き、視線をやった眼をそのまま荊祟は見開く。
「何もせず、このまま衣食住のお世話になるのは居たたまれないのです」
「……何が出来る?」
「こちらでしたら……読み書き、裁縫、お掃除、炊事も少しなら」
「例えば、お前が(つくろ)い物や掃除などをすると、今までその仕事を担っていた女中を、一人解雇しなければならない」
 そんな事は考えもしなかった。自分のせいで誰かが職を無くしては、本末転倒だ。
「人手は足りていて、仕事は負担にならぬ程度に分配されている」
「そう、ですか…… では、私の異能を使って……」
 実家にいた時のように、屋敷やこの界の者に『施し』を行う位しか思いつかない。
「お前の生気と引き換えなのだろう? 本来なら、むやみに使うのは危険な行為だ。屋敷の者に限ったにしても……やがて噂になるだろう。力の事を知った民が、どう出てくるか」
 身体の事を案じ、気遣ってくれる耳慣れない発言に、アマリは不意討ちされた。異能は他者の為に惜しみ無く使うのが当然、と聞かされ、自身も思い込んでいた。体に負担がかかっても気にしない事が当たり前だったのだ。
「暫くは、俺の話相手をしたら良い。今、この界で人族の血が交じる者は、俺とお前だけだ。人族の様子、通じる話をしたい時がある。話せる範囲で構わん」
「……良い、のですか?」
「そんなに気になるなら、この離れの掃除や管理を頼む。カグヤも他の任務に就き易くなる」
 隠密のような真似もしなくて良い。そんな都合の良い待遇を受けて良いのだろうかと、アマリは耳を疑った。聞いていたカグヤも、少し驚いた素振りを見せている。
「早速だが――再び、近日参る」
 話を切り上げ、荊祟は再び告げた。彼の言動は良くも悪くも心臓に悪い……と、改めてアマリは痛感した。


 翌々日。絹の風呂敷包みを抱え、荊祟は本当にやって来た。
「それは……?」
「何冊かの書物と…… あと、黎玄(れいげん)の字面を知りたがっていただろう」
 包みが解かれ、(すずり)、筆、半紙などが現れる。多忙だろうに、自分の何気ない疑問を覚えていてくれたのだとアマリは驚き、彼の配慮に心震えた。
「『レイゲン』は、こう書く」
 硯に()った墨に筆をつけ、さらり、と『黎玄』と書いた。達筆な文字に、隣に正座したままのアマリは見入る。
「黎玄…… 黎明(れいめい)の意ですね。素敵な名……」
「字は書けると言ったな。お前は? 今更だが……名は何という?」
 少し躊躇った後、細筆をとり『亜麻璃』と、ゆるやかに書いた。心の中で、裏の意味は伏せる。
「――アマリ、か?」
 彼に初めて呼び捨てにされ、心臓が跳ねる。何故それだけでこんなに…… 自身が解らず、更に動揺する。
「は、い」
「瞳の色か」
 じっ、と顔を見つめられ、ますます錯乱したアマリは、こくり、と頷いた後、半紙に視線を戻した。
「……ケイスイ様は、何と書かれるのですか?」
 流れ上、尋ねられる事を予期はしていたが、彼も少し躊躇う。覚られないよう、同じく『荊祟』と、ゆるやかに書いた。
「いばら……」
「我が界では罪人の仕置きにも使用する棘……『(いばら)』に、『(たた)り』だ。我ながら似合い過ぎる」
 不敵な笑みを浮かべているが、どこか自嘲的にも見える眼差しの彼を、アマリは何とも言えない思いで見やる。輿入れの夜、自分に無体を行おうとした番人達を思い出す。
 そんな自身の名を、彼はどう思っているのか。少なくとも、誇らしそうには見えない。だが……
「――荊にも、花能……が、あります」
 ぽつり、と呟いたアマリに、今度は荊祟の方が驚愕し、琥珀の眼を彼女の横顔に向けた。陰射す瞳孔が、未知への好奇に開く。
「――『不幸中の幸い』です」
 口元も僅かに開き、茫然とした彼を見つめ、アマリは眼をゆるく細め、微笑(わら)った。ずっと抱いていた感謝の意、そして、自身でもどう捉えれば良いかわからない()()を、今、どうにか伝えたかった。
「……貴方様は……本当に、私の不幸の中の、幸い――救いです」
 ほんの、数秒。彼はそのままの状態で固まっていた。次第に、頬が微かに桜色に染まる。
「……そうか。なら……良い」
 荊祟は書かれた字に視線を戻した。丸窓から差し込む淡い冬の陽光に透けたアマリの髪……朝ぼらけの薄京紫、瑠璃色の小さな反射光が、ずっと紙面に映っているのに気づいていた。
 それらの側に今、彼の瞳の琥珀も瞬き、微かに揺らいでいるのだが、目に入っていない。そんな厄神のすぐ隣で、切なくも温かな想いに包まれていたアマリだけが、その理由を知っていた。


 その夜の夕餉時。腑に落ちず、ずっと気にしていた事をアマリはカグヤに相談した。
「長様……気を遣って下さったのでしょうか」
「だと、思いますよ。そもそも、貴女様は長年の疲労が祟ってか、お身体が少々弱っていらっしゃいます。この界にいらした時、長様が医師を呼ばれ、そのように診断されています」
 身体の件より、そんな配慮までされていた事に驚き、感謝の念が再びわき上がる。
 持って来てくれた書物は、花や植物の書、厄界の歴史や民俗関係等のものだった。異界から来た自分を、本気で自ら治める界に迎えようとしている。『好む事を探せ。この界に慣れる為に勉強しろ』……そんな意図が伝わり、泣きたくなる。
「今は、心身を養生されてはいかがですか? それからお礼を考えてもよろしいのでは?」
 荊祟が訪れていた時、カグヤは隣の部屋で待機していた。部屋から出てきた時の心此処にあらずな長。そして、自分と彼の名が書かれた半紙を、大切に見つめていたアマリ。
 心の距離が近づくにつれ、()()繋がりが生まれ、惹かれ合っている。くノ一でなくとも気づく変化だった。