「そぼろ丼を作るときも、そぼろに生姜を加えると美味しいんですよ」
「あ、そぼろ丼のこと……すっかり忘れてた」

 スープを煮込んでいる最中に、若芽(わかめ)さんは別の作業へと取りかかるために炊飯器へと向かう。
 私は灰汁(あく)を取るために、鍋の前で待機中。

「鶏ひき肉って食べやすくはあるんですけど、ちょっとそぼろ丼を食べる元気はないかなーと」

 さっぱりした物が食べたいとは口にしていなかったはずなのに、若芽さんは私の胃の具合にとても詳しかった。

「え、でも、若芽さん、この間、天ぷら定食……」
「この間は仕事が終わるの、二時間早かったですから」

 若芽さんと定食屋さんに行ったときは、店長が閉店まで残ってくれるというシフトが組まれていた。
 だから、私と若芽さんは一緒に夕飯を食べることができたのだと思い出す。

「若い子って、がっつりした物が好きだと思ってた」
「だから、そぼろ丼ですか? がっつり食べたかったら、鶏ひき肉は選びませんね。豚で作りたいです」

 豚ひき肉を使ったそぼろ丼を想像するだけで、ほんの少し胃がキリキリし始める。

「若芽さん、心を読む力があるのかと思った」
「なんですか、それ」

 そこまで大きく表情を動かすことのない若芽さんだからこそ、にっこりと笑ってくれると嬉しくなる。

「ちょうど私も、さっぱりした物が食べたいなーって思ってたから」
「おっ、一緒ですね」
「……うん、一緒だ」

 相手を気遣うことが得意な子だからこそのメニュー変更かと思ったけど、若芽さんが食べたい物を作っているというのなら変に遠慮することはないかもしれない。

森永(もりなが)さん、納豆は食べれますか」
「うん、好き……でも、食べるのは久しぶりかな」
「食べれるなら、混ぜちゃいますね」
「え」

 スープを煮込みながら、若芽さんは耐熱容器にたまごを溶き解していく。
 私もたまごを溶くという経験はあるけれど、黄身と白身が確実に混ざり切らない。
 若芽さんがたまごを溶き解す菜箸には魔法がかけられているかのように、目が丸くなってしまうほど綺麗にたまごが混ざり合っていく。

「そこにご飯、納豆、たれ、塩こしょうを加えます。あ、ちなみに味つけはなんでもいいです」
「え、良くない! 多分、良くないよ!」
「白だしを入れても、醤油を入れても、鶏がらでも、お好みで」

 どこかの食事処で出されるような、たまご焼きを作るのかと思ってしまっていた。
 でも、またしても私の予想は外れて、たまごの中に様々な具材が投入されていく。

「あとは電子レンジに任せちゃいます」

 鶏ひき肉は、そぼろにはならず。
 たまごは、たまご焼きにならず。
 若芽さんはいとも簡単に私の予想を覆してくれるから、なんだか私も自然と口角が上を向いてきたような気がする。

「ちょっとスープ作りに時間をかけちゃいましたが、その他は完全に手抜きです」

 胸を張るっていう古典的なポーズではないけど、若芽さんはほんの少し胸を張って自分の満足感を表現した。

「今日は生姜を炒めちゃいましたけど、生姜なんて炒めなくてもいいです。チューブでいいです」
「頑張らないご飯って……いいね」
「頑張らなくても、美味しい物を食べたいですよね」
「……うん」

 自分の満足感を伝えてくる彼女が彼女らしくなくて、私の口角は更に引き上げられた。

「これで肉団子のスープと、納豆チャーハンが完成です」

 お客様用の食器が揃っていないところに申し訳なさはあったものの、統一感のないばらばらの食器に盛りつけられた料理の数々に美味しそう以外の言葉が見つからない。

「いただきます」
「いただきます」

 彼女が気遣って気遣って気遣ってくれた食事の数々が並ぶだけで、いつもの殺風景な風家に豊かな彩りが加わる。

「なんで、なんで、なんで……なんで、こんなにパラパラとしてるの……?」
「さすがにフライパンには敵いませんけどね」

 チャーハンは、フライパンで炒めるものではないんですか。
 出来上がりがべちゃべちゃになりそうな予感を覆してくれたのは、若芽さんの料理の腕だった。
 一粒一粒が、しっかりと炒められているような食感。
 これが電子レンジでできてしまうなんて、やっと電子レンジを購入した甲斐というものを体験できたかもしれない。

「納豆チャーハン、人生で初めてかも」
「森永さんの初めてが、悪い思い出にならなくて良かったです」
「ならない! ならない! なるわけないよ!」
 
 チャーハンを口に運ぶたびに幸せな気持ちが広がって、あんなにさっぱりしたものが食べたいと言っていた私はどこへ行ったのやら。

「あ……電子レンジだと、油がいらない?」
「はい、炒めるときはどうしても油を使っちゃうので」

 本当は炒める予定だったかもしれない納豆チャーハンを、私が食べやすいように工夫してくれた若芽さん。

「若芽さん、いい人だね」

 泣くつもりはないけど、大袈裟に私の感動の気持ちを伝えるために泣き真似をしてみる。
 その感動の泣き真似は凄く不出来だったらしく、若芽さんは堪えきれない笑いで場を和ませてくれた。