若芽(わかめ)さん、お待たせ」
「すみません! グラム言ってなかったですよね!」
「そぼろ丼だから、二百グラムくらい?」
「……詳しいですね」

 会計を済ませて、私が借りている部屋に徒歩で向かう。
 自転車通勤の私には通い慣れた道でも、若芽さんにとっては初めて通る道。
 彼女の歩く速度に気を遣いながら、自転車をゆっくりと引っ張っていく。

「昔はね、ちゃんとやってたんだよ。こう見えて」

 シフトによっては夕暮れの空を眺めることもできるけど、基本的には陽が落ちてからの帰宅になる。
 星空と友達になるんじゃないかってくらいの時間帯まで働いても、私が準社員って立場に変わりはない。
 アルバイトのときより働ける時間が長くなったくらいで、自給換算であることに変わりはない。

「でも、帰り時間が遅くなると……どうしても作る気力も、食べる元気もなくなっちゃって……」

 昔は『可愛い』を維持するために、健康的な食事を心がけていた。
 私を『可愛い』ともてはやしてくれる人がいたから、私は食事相手に困ることがなかった。
 ちゃんと稼いで、ちゃんと食べることで、一緒に食事してくれる相手を確保していた。

「食べていくために働くのに、その食べるってこと自体が面倒になっちゃった」

 ちゃんと食べるってことができていた自分は、とうの昔に消滅してしまった。
 そうして生まれたのが、サプリメントで栄養を補給しようではなく。
 サプリメントで生活できるんじゃないかと画策した怠惰な私の誕生。

「今も……ですか」

 いつかは食事の代替えになる何かが開発されるのかもしれないけど、私たちが生きている世界ではまだ一粒の薬に頼る生活は難しい。

「うん、面倒」

 晴れやかな表情をしているかもしれない自分を咎める人間は、この場にいない。
 でも、この晴れやかな表情を夜の闇に隠してしまいたい。
 どうか若芽さんが、外灯の明かりで一瞬だけ照らされた私の表情を見ていなかったことを祈りたい。

「だったら尚更、美味しいご飯を食べてもらわないといけませんね」

 私は、外灯の明かりで一瞬だけ照らされた若芽さんの顔をはっきりと見てしまった。
 彼女の表情はとても晴れやかで、仕事終わりに見せるような顔ではないってことが一目瞭然。
 私の偽物の晴れやかさと、彼女の晴れやかさには雲泥の差があった。

「まずは、生姜をみじん切りにしちゃいますね」

 若い頃に、少しは料理をしていた甲斐があったかもしれない。
 若芽さんは手際よく必要な調理道具を取り出して、今日の夕飯の準備に取りかかる。

森永(もりなが)さんは休んでてもらっても……」
「特にやることも、やりたいこともないところが残念なところなんだよねー……」

 料理初心者の手助けすらいらないほど、若芽さんは料理が上手だと思う。
 私が加わることで料理の完成が遠のいてしまうかもしれないけど、寂しい人生を送る年上を助けてほしいと声を上げる。

「では、鶏ひき肉をスプーンで掬いましょうか」
「肉団子?」
「そうです、そうです」

 刻んだ生姜と片栗粉を鶏ひき肉に加えた若芽さんは、私にそれらの材料が入ったボウルを手渡してくる。

「我が家に、肉団子を作るような少し大きめのスプーンがあったんだね……」
「アイスを食べるようなスプーンだと、少し小さくて寂しい肉団子になっちゃうかなと」

 一体、当時の自分は何を作るために少し大きめのスプーンを購入したのか。
 見た目がぴかぴかのスプーンは明らかに使用した形跡がありませんよって伝えてきて、せめて食事のときの丼ものやチャーハンを食べる際に使ってあげれば良かったなんて後悔。でも、若芽さんと出会う前は丼ものやチャーハンを食べる元気すらなかった。

「崩れにくくするコツとかある? スプーンで肉団子を作るのって、初めてで……」

 初めてのことを不安に思うのは私だけではないと思って、分からないものは分からないと素直に若芽さんに助けを求める。

「崩れちゃっても大丈夫ですよ」
「でも……」
「大きい肉団子も、小さい肉団子も、みんな仲間になっちゃいますから」

 人間の目が輝くわけがないっていうのは分かっていても、料理に取り組む若芽さんの瞳はきらきらと輝いて見えた。
 彼女にとって料理は当たり前にできなければいけないことだったかもしれないけど、やっぱり彼女は料理が好きなんだろうなって一目で分かってしまった。

「生姜はスープの中にも入れちゃいますね」
「あったまりそう」
「まだ春になったばかりなので、夜は冷えますよね」

 私が鶏ひき肉と格闘している間に、若芽さんは工程を先へ先へと進めていく。
 生姜を炒め終わると、鍋に水、鶏がらスープの素、いびつな形の肉団子を加えて、肉団子のスープを完成させるために手を動かしていく。